John note~ヨハネのひとりごと

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人生の困難な時により頼む人いますか?

2021-05-01 22:13:25 | のほほん雑記

今日は聖ヨゼフ様の祝日です。

 

人生の中で、困難な時、悲しいとき、挫折した時、絶望した時に頼れる人いますか?

キリスト者なら、信頼できる司祭や霊的な兄弟姉妹がいますか?

もし、今、いると答えた人は本当に大切な賜物を主から頂いたのだと感謝すべきです。

自分は、正直に言うといません。

私の敬愛する妹たちですら、そうではありません。

人生の中で最も辛い時に寄り添って下さったのは、イエズス様(イエズス様の中には聖母マリアも含まれています)

それは、昔も今も変わりません。

それは、全ての神を愛するもの達にそう答えて欲しい願いでもあります。

自分も、神より私を信頼しているなんて口が裂けても言って欲しくありませんし、そのような言葉は信用しません。

私は、イエズス様だけ、イエズス様だけ、

という人間です。

まず、イエズス様なんです。

聖人の言葉だけを羅列しているようなブログよりも自分の思いを伝えたい。

聖人たちの受け売りの言葉の羅列よりも、

神様の愛を伝えたい。

自分には本当に信用できる人は皆無に近い。

人は知れば知るほど嫌いになり、

神は知れば知るほど好きになる、という言葉がある。

神は、隣人を愛せよ、という。

私はこう解釈する。

そりの合わない人、嫌いな人を愛するなんで出来ない。

でも、その人が困っている時にそばにいたなら、手を差しのべて助けてあげる、それが、主の言う隣人を愛せよ、と言う意味なんだと思う。

会社にも嫌いな人はいる、でも、一緒に仕事をしなくちゃならない。自分を押し殺して一緒に仕事をするのも隣人を愛せよ、ということを実行しているのかなと。

外国に援助するのも大切。

でも、国内にも貧困の人はいっぱいいます。

今は、コロナで職を失い、路上生活者になってしまった人も少なくない。

隣人とは、誰の事を差すんだろうかと。

カトリック者はカトリック者だけを助ければいいのかなって。

人を助けるためには3つの方法がある。

お金をあげる、

祈りを捧げる

犠牲を捧げる。

お金をあげる以外は、目に見えないものだから、

実際問題として現実的には助けてあげられないのかもしれない。

でも、お金持ちが天国に入る確率と乞食が天国に入る確率はどっちが高いか?

人生はそういうものです。

ベッドで寝たきりになっている病人。

社会的には何もしていないし、生産性はゼロ、むしろマイナス。

でも、神の目はそうではないんです。

神様が十字架に磔にされたのと同じように、ベッドに磔にされています。

主とともに人類の罪をあがなっているんです。

人類は、大地震がきても、コロナに感染しても

神により頼まない。

何でも人間の力で出来る、解決できると思っている。

神様に世界中が1つになってより頼むなら、一瞬のうちにコロナは終息するだろうに。

人間を作ったのは、神である。

だから、人間のあらゆる問題を解決出来るのは神なんだ。

だから、人間が解決出来ないものを神に解決してもらうように願わないことは、問題が解決出来ないのは当然なんだ。

過去にさまざまな問題があって、人間が解決したかのような問題は、実は神様の介入があったんだ。

私たちは、神の正義の前に救われることはない。

神のいつくしみに信頼する事によってのみ、人間は救われるのだと改めて思った。

聖母のとりなしにより、神様により頼むことが

人間が出来る一番よいいろいろな問題の解決方法

だと知るべきである。

 

 

 


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