コンソラータは、その時、成聖の道に進んでいて、自分の意志でなく罪を犯すよりも死んだ方がいいと考えていた。
イエズスのこの御言葉は、コンソラータのような聖なる霊魂ばかりではなく、全ての霊魂に向かって語りかけておられる.。
改心したばかりで猛烈な戦いに直面している霊魂にも、また相当完徳の道に進歩し、長い間神の御助力で罪を遠ざけることが出来たので安心していたのに、み摂理によって突然悪魔の猛烈な攻撃に合って罪を犯し、改めて人間の弱さを感じでいる霊魂にも。
イエズス様からコンソラータへ
「コンソラータ、見てごらん。悪魔はあなたの盲目的な信頼を揺り動かそうとあらゆる努力をするだろう。
でもあなたは、私が限りなく優しく、慈悲深くて、そうでないようにすることが全然できない事を決して忘れてはいけない。
コンソラータ、私の心に入ってきて、私の心を、私の愛を、わかっておくれ。
不信頼によって一瞬でも悪魔が入り込む隙を与えてはいけない。
決して❕
私は本当にいつもあなたのためにお母さんなのだよ。
指にほんの少しかすり傷を受けるたびに、すぐお母さんの所に飛んでいき、包帯をしてもらう小さな子の真似をしなさい。
ちょうどお母さんが本当の傷でも、また想像によって、傷のように思えるものでも、いつも指に包帯をしてあげるように、私もあなたの欠点をいつも直してあげる事をよく覚えなさい。
もし、子供が本当に腕なり頭なりに大けがをすれば、母はどんなに優しく、愛情深く、心配しながら包帯をしてやることだろう❕
そうです。私は黙ってはいても、転んだ時には同じことを霊魂にしてあげるのだよ。
いいですか。コンソラータ❓
だから、決して、決して、決して疑いの影さえももってはいけない。
信頼の足りない事が一番私の心を傷つけ、苦しめる」
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どんな信仰深いと思っていても、悪魔の猛攻撃を食らえば、人間はいとも簡単に負けてしまう。
神なしでは、人間は無力な事を改めて実感する事となる。
悪魔といえども、元は神が創った天使なのだから、私たち人間が勝てるわけはない。
しかしながら、神様が共にいるならば勝つことが出来る。
体の怪我や病気は病院に行けば治してくれる。
しかしながら霊魂は神様しか治すことが出来ない。
コンソラータに言った言葉は、コンソラータを通して全ての人間に語りかけておられます。
霊魂を治すことのできるのは、霊魂を愛によって創造した愛である神にしか出来ない。
最も小さい霊魂の会 11
コンソラータの性格
誰でも欠点や不完全さを持っている。
コンソラータもも持っていた。
その欠点は人目に付きやすいものだったが、コンソラータは隠そうとはせず、かえって人目につくことを喜んだ。
それは、憤慨する事だった。
コンソラータは性急で激しい性格なので「雷様」というあだ名をもらっていた。
規則を守ろうとする熱心のあまり、時々心の中で、自分の意志ではなく感情が激してきて、衝動的に憤慨の声が漏れても、どうしてこんなわずかなことが神の前に罪となり得ようか?
一日のうち、十回も二十回もその衝動を抑えるため、英雄的に戦わなければならなかった。
それでも思わず知らず声が洩れると、すぐに痛悔して神にお詫びし、その欠点を治す誠実な決心をした。
その上、この外部的欠点は、神がある霊魂に与えたもう賜物と働きを人の目から隠すため、霊魂の上からかけるベールのようなものだった。
ノリッジの聖ユリアナ
「神は愛し給う者を至福に導くために、神の目には罪ではないが、世の人々の目には批評と非難の材料になるものを彼らに与え給う」
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使徒聖ヨハネも雷の子と呼ばれるほど性格が荒かったらしい。
私自身も荒い部分があったし、今でもあると思う。
三位一体の聖エリザベトもそれを克服するためにかなりの苦しみをしたと思う。
カトリック者にとっては全ての苦しみの、辱しめはイエズス様のため、忍耐できる。
全ては私達がイエズス様に似るものになるために必要なもの、なんだと思う。
私も今の部署に移動になってから、自分の悪いところ、ミス、欠点が露骨に指摘され、ずいぶん苦しい思いをした。
上司だけではなく部下やパートにまで及んだ。
精神的にも肉体的にも病気になり、それは今でも進行中だ。
しかしながら、私を最初に公然に批判した人はどうなったか?
病気になり、とうとう会社に出てこれないまでに悪化し、もう仕事はできないだろう。
≪その時の私が受けた言葉に、周りの人たちは凍った。
私は、その時、よく忍耐したと今さらながら思う。
ナイフで心臓をえぐられたような言葉だった。
マリア様が支えて下さったから、我慢できたのだと思う≫
私は、それでも憐れみを懇願する。たしかに、その時は本当に悲しい思いをした。
けれども、今は一人の病人だ。あとは、イエズス様におまかせしょう。
私は、病気によっていろいろな事がわかると確信している。
病気によって、いろいろな事を考えるからだ。
私もそうだったように、自分の無力を感じて、神様に頼って欲しいと願う。
同じ病を持った者として、良くなるように願わずにはいられない。
人は、自分の言葉に対して責任をもたなければならない。
自分の発した言葉が自分に帰ってくるとは本当の事である。
人をさばいてはいけない。
これも真の言葉だと思う。
復讐もそう。
復讐するのは、神にまかせよ。
復讐は神のすることだからである。
他人の欠点を指摘するのは優しい。
しかし、自分の欠点を一つなくすのすらできないのだ。
これを読んで下さっている方に内緒で記事を書き加えます。
最も小さい霊魂の会の記事は、まだまた書き加えるつもりです。
コンソラータは、聖テレーズを具体化したもので、幼子の道がよりわかりやすくなっています。
コンソラータは、列福もされていませんが間違いなく聖人です。
私は、復帰したときのために記事をしたためています。
今は、祈りたいので祈らせてください。
いつ、復帰するのかは私にもわかりません。
しかしながら、その時、より充実した記事を書けるはずです。
でも、その時まで待っている必要はありません。
一人一人読んでいる人も、違う方法で神様を知り、愛せるはずだと信じています。
祈りこそ、この世で最も美しい行為だと思います。
そして、私に必要なのは祈りだと思うのです。
弱いゆえ、神様により頼みます。
最も小さい霊魂の会 12
シスター・コンソラータ 1903年イタリア生まれ
本名 ビエリナ・ペトローネ カプチン会修道女 カトリック教会の神秘家・幻視者
イエズス・キリストはこの修道女を導きつつ、最も小さい霊魂の会の精神、祈りを通して多くの人に恵みを与えていった。
イエズス様が言われる。
「あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であるよう私が計らうと約束してもらいたいの?それはとても駄目だよ。コンソラータ、私はあなたに嘘をつくことは出来ない。
あなたは罪を犯し、不忠実で不完全な事をするだろう。それらは謙遜の源となり、あなたの進歩を助けるだろう。」
神のお恵みを楽しむ時、信頼を保つのはやさしいが、霊的暗闇を歩くとき、そうはいかない。
その危険に備えて、イエズス様は警告された。
「あのね、コンソラータ、きょう、あなたの霊魂の空は、自然の空のように晴れて、バラ色、水色に輝いている。だがまもなく愛と信頼に満ちた美しい空は、底知れない暗闇に閉ざされるだろう。コンソラータ、勇気を出しなさい!その時こそは実りの多い試みの日だ!
実際に神に愛と信頼を証明する時だ!信頼しなさい。いつもイエズスに信頼しなさい!
それがどんなに私を喜ばせるかを知ったら! 死の暗闇の中でさえ、あなたは常に信頼して私を慰めてくれないか?どんなに暗闇に囲まれても『イエズス、あなたに信頼いたします!』という声でいつも私を喜ばせてはくれまいか。』
イエズス様のコンソラータへの言葉
「何が私をあなたの霊魂にひきつけているかわかるだろうか? それはあなたが私に対して持っている盲目的な信頼だ」
また、ブログを始められることに感謝します。
本当にうれしいです。
私がブログをやめた、数日間後・・・・
ブログをまた書きたいという衝動に駆られました。
いや、今でも本当は早いのかもしれません。
でも、時間がもったいないと思ったのも事実です。
イエズス様がお話になる聖人たちの本を読むことによって、私たちは神様への接し方を学ぶことが出来ると思います。
イエズス様は、私たちの間違いや欠点を決してあからさまに否定したりはしません。
むしろ、その間違いにより、より良くなりなさいとエールを送って下さいます。
見守って下さっているのです。
神様をよりよく愛するコツは盲目的な信頼です。
このことは、カトリック信者ですら難しい人がいます。
神様を盲目的に信頼する人は、理由なしに神様を信頼します。.
どんなに苦しくても、自分の身に何が起ころうとも、理由なしに信頼します。
信頼すること以外、何も考えません。
私は、これは、一種の神様が与えて下さった恵みではないかと思います。
生まれながらにして、持っている人といない人がいるように感じます。
これを読んでいるうちに、一つの事を書きたいと思います。
コンソラータの部分を自分の名前に置き換えましょう。
イエズス様が言われる。
「あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であるよう私が計らうと約束してもらいたいの?それはとても駄目だよ。コンソラータ、私はあなたに嘘をつくことは出来ない。
あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であるよう私が計らうと約束してもらいたいの?それはとても駄目だよ。(自分の名前を入れる)、私はあなたに嘘をつくことは出来ない。
あなたは罪を犯し、不忠実で不完全な事をするだろう。それらは謙遜の源となり、あなたの進歩を助けるだろう。」
コンソラータに言っているのではあるが、実はコンソラータを通して未来の私たちに言っているのだ。
十字架上で使徒聖ヨハネに行ったように。
この本は廃版となってしまいましたが、今なお、持っている方がいらっしゃいます。
私も、コピーさせて頂いたものを20年も持っていました。
これから、このブログを通して、主要な部分を載せていきたいと思っています。
このブログは、イエズス様とマリア様に捧げています。