John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

ちょっとタイトル変えてます、一時的です。

2019-07-18 01:06:08 | のほほん雑記

Rickさんに助太刀させていただきます。

 ピオ10世会の人達には何の悪意もありませんし、トリエントミサも否定しているわけでもないのに、通常ミサが毒があるものと言われてしまい、また、人格を否定するコメントをされてしまったので、ムッとしてしまいました。

通常ミサは無効であると。

聖伝ミサだけが有効なんですと。

んなバカな?

これって、カトリックのピオ10世会関係外は全否定ということですか?

通常ミサは削除されている部分が多いからミサとしては成り立たないと?

しかしながら、イエズス様は司祭の言葉を通して、聖変化により地上にお下りになられます。

ミサの主催者はイエズス様だから正当な司祭によってささげられたすべてのミサは皆有効


なんだと思いますが。

それに優劣をつけるなんておかしいとは思わないんですかね。

コメントされたこと。
コメントした人は真摯にコメントしてくださいましたが、名前も語らない奴からコメントがきました。

 いちゃもんをつけて絡んでくる人 (ひとこと)使徒ヨハネという人は、自己主張はするが議論がない。 自分の意見は述べるが、それが何故かの理由はない。 理由は「私はそうは思いません」だけ。 聖ピオ十世会さんは、新しいミサについての疑義を客観的な議論を提示していますよね。ベネディクト十六世やオッタヴィアーニ枢機卿の発言を引用したりして、深刻な問題を提議していますよね。新しいミサがプロテスタントの牧師たちと一緒に作った事実を指摘していますよね。 しかし、使徒ヨハネという人は、まず、「ピオ10世会」(ママ)のことを知らない、知りたくもない、「理解力に乏しいのであまり理解できない」と宣言する。 その上で、自分の都合の話しをする。自分がどのミサに与っているか、の話をする。 新しいミサそれ自体に、どのような問題があるかは、「決して言ってはならないことだ思い」、新しいミサを批判するのは「言語道断だと思」う。新しいミサに与る自分を「見下している」ことだから。 「私は、通常ミサしか与ったことしかない」「私は毒されたミサに与っているものだとして見られてしまうということなのか?」 聖ピオ十世会は、上からの目線で見ていると非難する。 新しいミサが何なのかという問題が、新しいミサに与っている私の問題になっている。 「ミサに優劣をつける」というのは、聖伝のミサに与る信者たちと新しいミサに与る信者たちの「信者に優劣をつける」ことになっている。 「私は、ボロボロになりながらも一生を御母マリアとイエズス様に捧げております。この意味がわかりますか?」 だれも、あなたのことについて話をしていないのに。 使徒ヨハネという人は言う。ミサはみな同じはずだ。受け取るほうが受け取りかたを間違えれば、受けとる恵みは少なくなる。それは、トリエントミサだろうが、通常ミサだろうが同じのはずだ。どうせ「私達は、みな同じですよ。」 でも、使徒ヨハネさんは、トリエント・ミサに与ったことがないから比較ができないはずですよ。 ミサに与るカトリック信者が、受け取りかたを間違えてプロテスタントのようにミサに与っているのが問題なのに。 新しいミサが原因で、教会の危機が起こっている(教皇ベネディクト十六世)のに。 使徒ヨハネという人には、何を言っても、何を書いても無駄ですよ。 「理解力に乏しいのであまり理解できない」という弁解を繰り返すだけですね。 韓国とおなじ態度です。同じ非難を繰り返すだけです。 自分はそう思う、だから自分は正しい、これがこの人の理由です。

自分は正しいなんてことは一言もいってないし、そもそも通常ミサが毒のあるものと言ったブログが発端なんですよ。
議論は議論しか生まないから議論をしないのです。あなたがいう通り議論できないですし、頭も悪いですし。
でも、単純にイエズス様のことを愛していて、マリア様のことを愛していて、それだけで通常ミサには行ってはいけないのかな?って。
毒があるってなんだよ。
あなたの心の中にこそ毒があるのでは?

カトリック信者ならあのミサが違法ミサであることは知っている。
事の発端がルフェーブル大司教様が、聖ヨハネパウロ2世教皇さまの許可をとらずに司教を任命したからだ。
この不従順の罪は私達が考えている異常に重いんだよ。
ちゃんとしたプロセスを経ずにごり押し的に物事を進めているから未だに認められないのではないですかね。
いくら聖伝ミサが有効だとながながと説明されても納得するにはいたらないと思います。
通常ミサが無効だとは考えないし、毒があるとも思えませんから。