Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

国際プロレス メモリアル ①

2011-06-09 13:30:31 | 日記
†《国際プロレス》が崩壊して,今年で30年目を数えますが,何故か根強い人気があるみたいです。つい先日は『週刊プロレス』の中カラーで(ラッシャー)木村さんの特グラが組まれていたし,『Gスピリツッ』誌でも毎回,国プロにゆかりのある人物にインタビューをしています。

更に(株)クエストからはDVD『国際プロレス・クロニクル』のタイトルで発売されたり……と,ちょっとした《国際プロレス》のブームかもしれませんね。(オーバーですかね)

私は1970(昭和45)年から『プロレス&ボクシング』誌(後に月刊プロレスと改題=ベースボール・マガジン社)に在籍した4年間は”国プロ担当”として過ごして来ました。

元々は祖母がどういった訳だかプロレスが好きで(笑)一緒にテレビで見ている内に好きになってしまったのです。きっかけはやはり"力道山"でしたね。正に,あの時代の僕等のヒーローでした。

最初の頃は《日本プロレス》だけでしたが,力道山の死後は《東京プロレス》そして《国際プロレス》と”新興団体”が次々と出てきたけど,何故か国プロに惹かれていったのでした。(笑)

アントニオ猪木と言う”ニュースター”が出現して心踊ったりもしました。(笑)でも,東プロはあっという間に無くなってしまって……。一方の国プロはと言えば,情報源はやはり『プロレス&ボクシング』誌でしたが圧倒的に日プロの方がページが多く,極端に情報が少なかったですよね。

それが,余計に国プロに対する興味が増したのかも知れませんね。そして,私が"決定的"に国プロ・シンパ? となったのはパンフレットを通販(というシステムがあったかは分かりませんが)で送ってもらったのですが,その時に参戦していた”ロイヤル・カンガルーズ”の紙製のブーメランが同封されていたのです。この事がとても嬉しかったのを覚えてます。

え,そんな事ぐらいでと思われるかも知れませんが,国プロに対する気持ち(好感度)が一気に増した事は確かでした。(笑)後にプロレスの記者となって,選手やスタッフと接した時に,まだ10代の若造にも優しく親切に接してくれたものでした。それはやはり,吉原さんの言葉は少ないけれども優しさに溢れてる……"吉原イズム"みたいなものが有ったのではなかったかと思っているのです! (明日に続く)