【3/18書き込みを読んで】
<Unknown (花土子)=2016-03-18 21:29:
「君の学力では絶対無理だ」…
学校の先生に「絶対無理」と言われたらやる気が削がれそう。ちょっと傷つく。
難波少年は、暗示にかからず突き進み、現在も唯我独尊… 。 わりと特殊なケースですね。
ALSやパーキンソン病って、頑張り屋さんがなりやすいですか?>
この高校は、教師と生徒が対等の口がきける、自由な校風のある学校でした。色黒なので「黒ダイヤ」というあだ名があった、この担任の一言で私の対抗心に火がついて、結果として医学部に現役合格できたので、私は「愛のムチ」だったと思っています。この教師は後に四国のある高専の教授に転出しました。定年を前にして、病気で急死しましたが、松山市での葬儀には私を含め多くの同級生が参列しました。
1957年高校2年生の時、担任がアメリカに短期留学したので、留守中の記録として書いた「ホームルーム日誌」が、その後も自主的に1958年まで2年間続いた。それが製本されて手元に残っている。広島に転居した未亡人を弔問におとずれた時、手渡されたもので、A4大学ノート303ページに毎日当番の生徒が記入している。
1957/4/19の項にはこういう記載がある。筆者は私だ。発言者Nが私である。
<昨日は数学Ⅱを選択した人は全員2時限が済むと帰れた。5時限めのリーダーが男子有志の陳情によって自習になったからだ。以下はその時の速記録(?)より。
Y君「先生自習をお願いします」、一同「お願いします」
先「自習自習いうて、自習にしたらどうする気かネ」
K君「今日は幾何が2時間、自習ですからすぐ帰れます」
先「するとどうする気かネ」
Y君「アノウ、芸術の鑑賞をしに行くんです」
先「芸術というて、一体何しに行くんかネ」
K君「つまりそノウ、映画です。△△△いうて、今度見逃したらもう広島には来ないんです」
N君「それもアメリカ映画ですよ。生きた英語の勉強をしに行くんです。
オヤ、先生、今、朝メシですか?」
先「アァ僕ァ、ちょっと腹具合が悪くてね」
Y君「先生どうかお願いします。昼メシ代払いますよ!」
先「ウーン」とびっくりしたような顔、
すかさずN君「先生!どうもありがとう御座いました!」
一同「ありがとう御座いました」
Y君「おい、みんな帰ろう、々」
というようなわけで、とうとう自習になってしまった。その後、先生のあたたかい心やりに感激した5組の生徒諸君が先生に昼メシを提供するための資金カンパを行ったと聞いているが、どうなったことか。>
この日誌は、青春の不安や悩みや意見がびっしりと書き込まれており、クラス会の共有財産として大事に保管してある。在職中にゼロックスコピーして複製を作り、クラス会の「土産」にしたことがあるが、鉛筆書きの所は上手く複写できなかった。いくらかかるかわからないが、本格的な「復刻本」をみなが生きているうちに出したいと思っている。
ともかく60年前の高校2年生は、こんな感じで考え、教師と交渉していた。「緑ヶ丘中学」ではこんな対話は教師との間になかったのではないか?
この高校では「ガリ勉」は嫌われた。生徒は自主的に「ゆとり教育」を実践していた。だが、見かけは遊んでいるように見えて、多くの生徒は水上のアヒルのように下で必死に水かきをしていた。田舎出の私は3年生の春になって、担任の一言によりそれに気づいて、やっと必死に水かきをはじめたというわけだ。
<難波少年は、暗示にかからず突き進み、現在も唯我独尊… 。わりと特殊なケースですね。>
たぶん「特殊」でしょう。田舎者だったので高1の時はいじめられました。私は県北の山村からの進学でしたが、県西部の山地から進学した同級生は、いじめられて「おとっつぁんに言うたるど!」と叫んだのがあだになり、この言葉で何度もいじめっ子にからかわれ、トラウマになりました。彼は今もクラス会に出て来ません。
高1の時、週1回米人女性教師による英会話の授業がありました。それで中学で習った英語の発音がとてもひどいと分かったので、私は英語の発音や会話を学ぶために「英語部」に入り、積極的に「アメリカ文化センター」や米軍岩国基地に出入りしました。これでR音とL音の、B音とV音の、発音はできるようになりましたが、今でも耳ではRとLの音の違いを聞き分けられないという、感音障害があります。
さて、イジメを解消するために私が採用した方法は、群の中に入り、群をリードするというものです。(後に梅棹忠夫の本を読み、実際にトナカイや羊の家畜化がこの方法でなされたことを知りました。)
率先して仲間と喫茶店に行ったり、映画を見に行ったりする。そのお金はカメラ少年だったので、写真術で稼ぎました。遠足や修学旅行などの行事にスナップ写真を撮り、仲間のKの家にあった暗室と引き伸ばし機を使って、現像、焼き付けし、それを模造紙に貼り付けて教室の後の壁に貼り、欲しい人に名前を書き込んでもらい、注文枚数を焼き付けし、1枚を10円だかで売ったのです。まだDPE店がなく写真はよく売れ、遊ぶ金は出来ました。
私が胴元だから、他は写真を売り、金を集めるのが仕事。こうなると「いじめっ子」の群が自由に操れるようになります。ただ、金があるので遊び回り、つい勉強がおろそかになった。
担任はこの「非行」を知らず、そこで3年の春に「君の学力では絶対無理だ」という発言が出てきたわけです。そこでもう私は、同志的連帯感は保持したまま群から離れ、勉学一筋の道にもどったわけです。当時のいじめっ子とは今も交流があります。
だから私には「いじめられ」体験はありますが、それがきっかけで「ベンチャー」を立ち上げ「いじめからの脱出」に成功したので、まったくトラウマはありません。
後年いじめっ子の大将だった男の述懐によると、「附属小学校では成績が上位だったが、持ち上がりの中学校、高校と進むにつれて、成績が下位になり、授業について行けなくなった。その劣等感がついイジメ行為として出てしまった」ということです。このようにいじめる側にも理由はあるものです。
附属学校では小中高と変わるにつれ、クラス数が増え、外からの入学生が増えますから、こうした現象が起こるのは仕方がないことです。
<ALSやパーキンソン病って、頑張り屋さんがなりやすいですか?>
私の高校クラスでも50代にALSで亡くなった男性がいます。ALSは下部脊髄の運動ニューロンが上方へ向かって変性・破壊される疾患で、遺伝性のものと特発性のものがあります。性格や行動と相関するというデータは知りません。
パーキンソン病(PD)についてはアルツハイマー病(AD)と類似の病因・病理発生があるものと見て、山口昌美さんと共同研究しています。
ADは脳に過剰に摂取されたグルコースが、アミロイド原線維と結合し、分解されない「β・アミロイド」となり、これが集合して「老人斑」を形成し、さらに蓄積することでニューロンが破壊されます。(仮説)
PDでは「α-シヌクレイン」という脂質結合性タンパクが異常蓄積して「レヴィ小体」を形成し、これが大脳の黒質線条野にあるドーパミン産生ニューロンを内部から破壊します。
ADについてもPDについても、発病前の性格や行動と相関があるというデータを知りません。
(この記事は、「Robbins & Cotran: Pathologic Basis of Disease, 7th ed.」(2005)に基づいて書いた。10年以上前のアメリカの医学部教科書だが、日本では今でも通用する。)
<3/20付記=3/20「産経」地方面に尼崎市「長尾クリニック」の長尾和宏が「Dr.和の町医者日記」という連載記事で認知症について書いている。
レヴィ小体型認知症、パーキンソン病型認知症、アルツハイマー型認知症、前頭葉型認知症(ピック病)の認知症の4種を解説しているが、中身が粗雑なのにあきれた。まるで「血液型となりやすい病気」説みたいに、病前性格とどの型の認知症になるかがあらかじめ決まっているかのように書いてある。これは「血液型性格占い」と変わらない。
「産経」ともあろうものが、こんな低レベルの記事を載せてはいけない。
<Unknown (花土子)=2016-03-18 21:29:
「君の学力では絶対無理だ」…
学校の先生に「絶対無理」と言われたらやる気が削がれそう。ちょっと傷つく。
難波少年は、暗示にかからず突き進み、現在も唯我独尊… 。 わりと特殊なケースですね。
ALSやパーキンソン病って、頑張り屋さんがなりやすいですか?>
この高校は、教師と生徒が対等の口がきける、自由な校風のある学校でした。色黒なので「黒ダイヤ」というあだ名があった、この担任の一言で私の対抗心に火がついて、結果として医学部に現役合格できたので、私は「愛のムチ」だったと思っています。この教師は後に四国のある高専の教授に転出しました。定年を前にして、病気で急死しましたが、松山市での葬儀には私を含め多くの同級生が参列しました。
1957年高校2年生の時、担任がアメリカに短期留学したので、留守中の記録として書いた「ホームルーム日誌」が、その後も自主的に1958年まで2年間続いた。それが製本されて手元に残っている。広島に転居した未亡人を弔問におとずれた時、手渡されたもので、A4大学ノート303ページに毎日当番の生徒が記入している。
1957/4/19の項にはこういう記載がある。筆者は私だ。発言者Nが私である。
<昨日は数学Ⅱを選択した人は全員2時限が済むと帰れた。5時限めのリーダーが男子有志の陳情によって自習になったからだ。以下はその時の速記録(?)より。
Y君「先生自習をお願いします」、一同「お願いします」
先「自習自習いうて、自習にしたらどうする気かネ」
K君「今日は幾何が2時間、自習ですからすぐ帰れます」
先「するとどうする気かネ」
Y君「アノウ、芸術の鑑賞をしに行くんです」
先「芸術というて、一体何しに行くんかネ」
K君「つまりそノウ、映画です。△△△いうて、今度見逃したらもう広島には来ないんです」
N君「それもアメリカ映画ですよ。生きた英語の勉強をしに行くんです。
オヤ、先生、今、朝メシですか?」
先「アァ僕ァ、ちょっと腹具合が悪くてね」
Y君「先生どうかお願いします。昼メシ代払いますよ!」
先「ウーン」とびっくりしたような顔、
すかさずN君「先生!どうもありがとう御座いました!」
一同「ありがとう御座いました」
Y君「おい、みんな帰ろう、々」
というようなわけで、とうとう自習になってしまった。その後、先生のあたたかい心やりに感激した5組の生徒諸君が先生に昼メシを提供するための資金カンパを行ったと聞いているが、どうなったことか。>
この日誌は、青春の不安や悩みや意見がびっしりと書き込まれており、クラス会の共有財産として大事に保管してある。在職中にゼロックスコピーして複製を作り、クラス会の「土産」にしたことがあるが、鉛筆書きの所は上手く複写できなかった。いくらかかるかわからないが、本格的な「復刻本」をみなが生きているうちに出したいと思っている。
ともかく60年前の高校2年生は、こんな感じで考え、教師と交渉していた。「緑ヶ丘中学」ではこんな対話は教師との間になかったのではないか?
この高校では「ガリ勉」は嫌われた。生徒は自主的に「ゆとり教育」を実践していた。だが、見かけは遊んでいるように見えて、多くの生徒は水上のアヒルのように下で必死に水かきをしていた。田舎出の私は3年生の春になって、担任の一言によりそれに気づいて、やっと必死に水かきをはじめたというわけだ。
<難波少年は、暗示にかからず突き進み、現在も唯我独尊… 。わりと特殊なケースですね。>
たぶん「特殊」でしょう。田舎者だったので高1の時はいじめられました。私は県北の山村からの進学でしたが、県西部の山地から進学した同級生は、いじめられて「おとっつぁんに言うたるど!」と叫んだのがあだになり、この言葉で何度もいじめっ子にからかわれ、トラウマになりました。彼は今もクラス会に出て来ません。
高1の時、週1回米人女性教師による英会話の授業がありました。それで中学で習った英語の発音がとてもひどいと分かったので、私は英語の発音や会話を学ぶために「英語部」に入り、積極的に「アメリカ文化センター」や米軍岩国基地に出入りしました。これでR音とL音の、B音とV音の、発音はできるようになりましたが、今でも耳ではRとLの音の違いを聞き分けられないという、感音障害があります。
さて、イジメを解消するために私が採用した方法は、群の中に入り、群をリードするというものです。(後に梅棹忠夫の本を読み、実際にトナカイや羊の家畜化がこの方法でなされたことを知りました。)
率先して仲間と喫茶店に行ったり、映画を見に行ったりする。そのお金はカメラ少年だったので、写真術で稼ぎました。遠足や修学旅行などの行事にスナップ写真を撮り、仲間のKの家にあった暗室と引き伸ばし機を使って、現像、焼き付けし、それを模造紙に貼り付けて教室の後の壁に貼り、欲しい人に名前を書き込んでもらい、注文枚数を焼き付けし、1枚を10円だかで売ったのです。まだDPE店がなく写真はよく売れ、遊ぶ金は出来ました。
私が胴元だから、他は写真を売り、金を集めるのが仕事。こうなると「いじめっ子」の群が自由に操れるようになります。ただ、金があるので遊び回り、つい勉強がおろそかになった。
担任はこの「非行」を知らず、そこで3年の春に「君の学力では絶対無理だ」という発言が出てきたわけです。そこでもう私は、同志的連帯感は保持したまま群から離れ、勉学一筋の道にもどったわけです。当時のいじめっ子とは今も交流があります。
だから私には「いじめられ」体験はありますが、それがきっかけで「ベンチャー」を立ち上げ「いじめからの脱出」に成功したので、まったくトラウマはありません。
後年いじめっ子の大将だった男の述懐によると、「附属小学校では成績が上位だったが、持ち上がりの中学校、高校と進むにつれて、成績が下位になり、授業について行けなくなった。その劣等感がついイジメ行為として出てしまった」ということです。このようにいじめる側にも理由はあるものです。
附属学校では小中高と変わるにつれ、クラス数が増え、外からの入学生が増えますから、こうした現象が起こるのは仕方がないことです。
<ALSやパーキンソン病って、頑張り屋さんがなりやすいですか?>
私の高校クラスでも50代にALSで亡くなった男性がいます。ALSは下部脊髄の運動ニューロンが上方へ向かって変性・破壊される疾患で、遺伝性のものと特発性のものがあります。性格や行動と相関するというデータは知りません。
パーキンソン病(PD)についてはアルツハイマー病(AD)と類似の病因・病理発生があるものと見て、山口昌美さんと共同研究しています。
ADは脳に過剰に摂取されたグルコースが、アミロイド原線維と結合し、分解されない「β・アミロイド」となり、これが集合して「老人斑」を形成し、さらに蓄積することでニューロンが破壊されます。(仮説)
PDでは「α-シヌクレイン」という脂質結合性タンパクが異常蓄積して「レヴィ小体」を形成し、これが大脳の黒質線条野にあるドーパミン産生ニューロンを内部から破壊します。
ADについてもPDについても、発病前の性格や行動と相関があるというデータを知りません。
(この記事は、「Robbins & Cotran: Pathologic Basis of Disease, 7th ed.」(2005)に基づいて書いた。10年以上前のアメリカの医学部教科書だが、日本では今でも通用する。)
<3/20付記=3/20「産経」地方面に尼崎市「長尾クリニック」の長尾和宏が「Dr.和の町医者日記」という連載記事で認知症について書いている。
レヴィ小体型認知症、パーキンソン病型認知症、アルツハイマー型認知症、前頭葉型認知症(ピック病)の認知症の4種を解説しているが、中身が粗雑なのにあきれた。まるで「血液型となりやすい病気」説みたいに、病前性格とどの型の認知症になるかがあらかじめ決まっているかのように書いてある。これは「血液型性格占い」と変わらない。
「産経」ともあろうものが、こんな低レベルの記事を載せてはいけない。
この記述は現在の知見とは異なっているので読者は信じないで下さい。
ナンバ氏は本当に医師・医学博士ですか?もっと勉強してください。
難波先生
パーキンソンや認知症などを取り上げてくださってありがとうございます。
難波先生は、本当に唯我独尊の方ですね。