【山口瞳】の『江分利満氏の優雅な生活』(ちくま文庫, 2009)、『血族』(文春文庫, 1982)をAMAZONから取り寄せて読んだ。いずれも刊行当時、それなりに評判になった本だが、読むヒマがなかった。その結果分かったこと。
「産経」に息子山口正介『江分利満家の崩壊』の書評を書いた小玉武という人物は、ちくま文庫の「解説」を書いている。その中で、<(山口氏が)直木賞を受賞するその前後の数年間、私はサントリー宣伝部の山口(瞳)係長のもとで、広告製作やPR誌の編集にあたっていた。>と書いている。

これは正介が「ツボヤンは、現役時代の父を知る最後の人」と述べていることと一致する。おそらく小玉の本名が「坪田」か何かなのであろう。ということは、正介本の書評者は、山口瞳と縁があり、さらに正介とも縁故があるわけで、その書評が「提灯書評」にならざるをえない理由を、説明していると思える。
だいたい文化欄の担当者は、そういう人物を書評者に起用してはいけないのである。
『江分利満』は1962年の直木賞受賞作だそうだ。月刊誌「婦人画報」に11回連載した随筆とも小説ともわからない文体の短編を束ねた本である。筋もないし、ミステリーもヤマ場も、どんでん返しも大団円もない。何でこんなものに直木賞が出たのか不思議だ。文芸の衰退は、昨日今日にはじまったのでなく、もうこの頃に始まっていたことを思わせる。(その後、青島幸男が直木賞をもらっていて、星新一も筒井康隆も結局もらわなかった。この辺から直木賞はおかしくなった。)いずれにせよ、数ページ読んでひきつけられるものがなく、投げ出した。(たぶん、時代が違うということもあると思う。)
『血族』は一応、自分の父方と母方のルーツを探るノンフィクション仕立てになっているが、発掘され叙述される事実そのものに、読者の興味を引き立てるだけの魅力がない。
文体も随筆文から抜け切れていない、軟弱な文体である。母親の実家が横須賀の遊廓で、そのため瞳が幼い時から花柳界の業界用語をピックアップしたこと、父親が町工場の経営者でこちらからも業界用語を幼くして吸収したこと、そのため中学生になり、東京の山の手の子弟といっしょになったときに言葉が違っていて苦労したこと、それらはよくわかった。
その一部が息子の正介の「「かしめる」という用語にも入っているのであろう、と思った。
気づいたのは、『江分利満』の文庫本は2009年初版で第1刷りということだ。2013年になって、初版1刷りが新品で買えるとは… 『血族』は文庫本が1982初版で2008年22刷り、これも新品だ。意外に売れていない。書店の文庫本棚で見かけた記憶がないからそんなものかも知れない。若い世代にとってはもう忘れられた作家なのであろう。
『血族』は長編だし、出てくる人物に説明も何もないから、50歳以下の年代にはわからないだろうと思う。例えば「吉良常(きらつね)」とか「瓢吉(ひょうきち)」という人物が出てくるが、これが尾崎士郎『人生劇場』の作中人物だと何人が知っているだろう。昭和13年、同名の日活映画の主題歌になり、歌は昭和34年に村田英雄が歌ってリバイバルしたが、いまは歌詞に出てくる「吉良の仁吉」さえ、何者かをみな忘れているだろう。
随筆風に書き継いでいるから、資料調べがいい加減である。はじめの方には(母の祖母ヱイから母が聞いた話として)「母の実家は大きな旅館で、国定忠治や清水次郎長も泊まりに来た」と書いてあるが、清水次郎長は維新後も生きていて横浜の開発にかかわっているから、その可能性があるが、国定忠治は1850(嘉永3)年に江戸で処刑されている。明治中期にできた横須賀の柏木田遊廓に遊びに来られるわけがない。
それと父親の想い出についてはほとんど書いてなくて、その何倍も母親について書いてあること。つまりある種のエディプス・コンプレックスが感じられる。これは山口正介『江分利満家の崩壊』についても同様だった。
もう一つ著者には「劣等感」があるようで、文意と関係なくやたら一流企業の友人知人をフルタイトルであげている。「朝日新聞で宮内庁担当の福湯豊さん」、「朝日新聞の大島輝久さん」、「年間適中率一位の競馬評論家蔵田正明さん」の4人が、山口宅で麻雀をやった、という具合だ。この手法はそっくり息子の正介が受けついでいる。
この「やたらと麻雀がつよく、博打好きのインテリヤクザ」である蔵田正明という人物は、山田風太郎『半身棺桶』(徳間書店)に出てくる色川武大(いろかわ・たけひろ)のことかと思ったら、どうも別人のようだ。色川が心筋梗塞後に心破裂を起こして亡くなった後の「追悼集」には、山口瞳も一文をよせているし、自分も麻雀好きだったので、どこかに書いていそうなものだと思ったのだが、父子ともに色川にはふれていない。色川の別名が阿佐田哲也である。これで麻雀小説を書いた。(朝だ、徹夜!)
母親の里の横須賀「柏木田遊廓」というのは、全焼したそうで、木村聡『赤線跡を歩く』(自由国民社)にも位置が載っていない。
いずれにせよ、『血脈』も本気で読了するに値する作品ではない。
ただ公平を期すために述べれば、百目鬼恭三郎『現代の作家101人』(新潮社, 1975)では、「世をすねた意固地な男。良くも悪くも、作者自身が作品に現れずにはすまない作家である」と評しているが、「劣等感」にまではふれていない。
「産経」に息子山口正介『江分利満家の崩壊』の書評を書いた小玉武という人物は、ちくま文庫の「解説」を書いている。その中で、<(山口氏が)直木賞を受賞するその前後の数年間、私はサントリー宣伝部の山口(瞳)係長のもとで、広告製作やPR誌の編集にあたっていた。>と書いている。

これは正介が「ツボヤンは、現役時代の父を知る最後の人」と述べていることと一致する。おそらく小玉の本名が「坪田」か何かなのであろう。ということは、正介本の書評者は、山口瞳と縁があり、さらに正介とも縁故があるわけで、その書評が「提灯書評」にならざるをえない理由を、説明していると思える。
だいたい文化欄の担当者は、そういう人物を書評者に起用してはいけないのである。
『江分利満』は1962年の直木賞受賞作だそうだ。月刊誌「婦人画報」に11回連載した随筆とも小説ともわからない文体の短編を束ねた本である。筋もないし、ミステリーもヤマ場も、どんでん返しも大団円もない。何でこんなものに直木賞が出たのか不思議だ。文芸の衰退は、昨日今日にはじまったのでなく、もうこの頃に始まっていたことを思わせる。(その後、青島幸男が直木賞をもらっていて、星新一も筒井康隆も結局もらわなかった。この辺から直木賞はおかしくなった。)いずれにせよ、数ページ読んでひきつけられるものがなく、投げ出した。(たぶん、時代が違うということもあると思う。)
『血族』は一応、自分の父方と母方のルーツを探るノンフィクション仕立てになっているが、発掘され叙述される事実そのものに、読者の興味を引き立てるだけの魅力がない。
文体も随筆文から抜け切れていない、軟弱な文体である。母親の実家が横須賀の遊廓で、そのため瞳が幼い時から花柳界の業界用語をピックアップしたこと、父親が町工場の経営者でこちらからも業界用語を幼くして吸収したこと、そのため中学生になり、東京の山の手の子弟といっしょになったときに言葉が違っていて苦労したこと、それらはよくわかった。
その一部が息子の正介の「「かしめる」という用語にも入っているのであろう、と思った。
気づいたのは、『江分利満』の文庫本は2009年初版で第1刷りということだ。2013年になって、初版1刷りが新品で買えるとは… 『血族』は文庫本が1982初版で2008年22刷り、これも新品だ。意外に売れていない。書店の文庫本棚で見かけた記憶がないからそんなものかも知れない。若い世代にとってはもう忘れられた作家なのであろう。
『血族』は長編だし、出てくる人物に説明も何もないから、50歳以下の年代にはわからないだろうと思う。例えば「吉良常(きらつね)」とか「瓢吉(ひょうきち)」という人物が出てくるが、これが尾崎士郎『人生劇場』の作中人物だと何人が知っているだろう。昭和13年、同名の日活映画の主題歌になり、歌は昭和34年に村田英雄が歌ってリバイバルしたが、いまは歌詞に出てくる「吉良の仁吉」さえ、何者かをみな忘れているだろう。
随筆風に書き継いでいるから、資料調べがいい加減である。はじめの方には(母の祖母ヱイから母が聞いた話として)「母の実家は大きな旅館で、国定忠治や清水次郎長も泊まりに来た」と書いてあるが、清水次郎長は維新後も生きていて横浜の開発にかかわっているから、その可能性があるが、国定忠治は1850(嘉永3)年に江戸で処刑されている。明治中期にできた横須賀の柏木田遊廓に遊びに来られるわけがない。
それと父親の想い出についてはほとんど書いてなくて、その何倍も母親について書いてあること。つまりある種のエディプス・コンプレックスが感じられる。これは山口正介『江分利満家の崩壊』についても同様だった。
もう一つ著者には「劣等感」があるようで、文意と関係なくやたら一流企業の友人知人をフルタイトルであげている。「朝日新聞で宮内庁担当の福湯豊さん」、「朝日新聞の大島輝久さん」、「年間適中率一位の競馬評論家蔵田正明さん」の4人が、山口宅で麻雀をやった、という具合だ。この手法はそっくり息子の正介が受けついでいる。
この「やたらと麻雀がつよく、博打好きのインテリヤクザ」である蔵田正明という人物は、山田風太郎『半身棺桶』(徳間書店)に出てくる色川武大(いろかわ・たけひろ)のことかと思ったら、どうも別人のようだ。色川が心筋梗塞後に心破裂を起こして亡くなった後の「追悼集」には、山口瞳も一文をよせているし、自分も麻雀好きだったので、どこかに書いていそうなものだと思ったのだが、父子ともに色川にはふれていない。色川の別名が阿佐田哲也である。これで麻雀小説を書いた。(朝だ、徹夜!)
母親の里の横須賀「柏木田遊廓」というのは、全焼したそうで、木村聡『赤線跡を歩く』(自由国民社)にも位置が載っていない。
いずれにせよ、『血脈』も本気で読了するに値する作品ではない。
ただ公平を期すために述べれば、百目鬼恭三郎『現代の作家101人』(新潮社, 1975)では、「世をすねた意固地な男。良くも悪くも、作者自身が作品に現れずにはすまない作家である」と評しているが、「劣等感」にまではふれていない。
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