武家について

2005-06-30 21:24:22 | Weblog
 最近大河ドラマなどを見るにつけ、武家の出自など
調べると結構面白いわけだが。

 つーか、教科書やら新書の歴史本などを読んで、生
半可な歴史の知識を詰め込んだりしているのだが、平
安時代、特に紫式部や清少納言がアレしていた時代、
軍事力というのはだれが把握していたのか不思議。
どうもあの時代の中央貴族というのは、根っからの文
系、和歌や漢文、歌舞音曲に耽溺していたというイメー
ジがとれない。それだけで政治ができるとも思えないの
だが。

 でもまあ上皇に矢を射掛けた藤原隆家とか、架空の人
物ではあるが雅などとはほど遠い源氏物語に出てくる髭
黒大将とか、貴族の中にも「力」をふるうひとはそこそこ
いたのだろうとは思う。個人的に「格闘技」好んでた貴族
もたぶんいたであろうし。

 こういう「力」を駆使する存在として現れたのが「武家」
なのだろうが、これらの「武家」のほとんどが中央貴族の
末裔であるというのが面白い。武家というか、「地方を根城
にする暴力集団」が歴史の表面に大きく現れるのが承平・
天慶の乱、すなわち将門と純友の乱の時なのだが、この時
「乱」の主要な登場人物としてあらわれるのが、すべて源氏
と平氏と藤原氏。なかには臣籍降下してない皇族さえ混じっ
ているという塩梅。十世紀前半にはこんな地方の隅々にまで
源平藤橘の末裔が広がっていたわけである。

 この時代、受領階級の中級貴族は、遙任でなく本当に現地
へ赴任したわけだが、当然妻子同行でない場合もあり、その
場合現地の実力者の娘と懇ろになり、子をなす。そして任期が
切れると、妻子を現地に置いて自分ひとりは都へ帰る、という
パターンも多かったという。その場合、藤原某の息子でも、育ち
は完全に母方の実家、ということになる。そして往々にして地方
の実力者というのは、「力」でもって現地を支配していることが
多いのだ。

 と、こんな屁理屈を考えつつ奥州藤原氏と中央の藤原氏の関
係を見ていたりするのだ。