(写真↑ 鹿児島の児童公園に普通にあった不思議な木)
森田宏幸です。今日は、2010年2月5日です。
気まぐれな話題ですが、朝青龍引退の話です。
とくに相撲が好き、というわけではないのですが、
朝青龍の土俵での立ち居振る舞いをテレビで見るのが大好きでした。
相手を睨み付けたり、ガッツポーズをやったりする、あれです。
私は、相撲をスポーツとして見ていました。
そして、スポーツを見るのが面白いのは、嘘がないからだと思っています。
だけれど、相撲というのは、スポーツではないんですね。
神事である、と。
相撲はスポーツではないという事実を、朝青龍の引退とともに受け容れざるを得なくて、
私にとってはもう、相撲は理解できないもの、ということになります。
スポーツって何だろう、と考える上で、忘れられないのが、マラソンの高橋尚子です。
私も中学、高校と、長距離走をやっていたので、勝手な共感も感じつつ、
輝かしい実績があって、いつも堂々と話す彼女は、
すごいアスリートだなと思って応援していましたが、
負けるときは負ける。
2008年の名古屋レースだったと思いますが、
お腹をこわして、ボロボロに負けた。
彼女がお腹をこわしてトイレに駆け込むところをヘリコプターのカメラがとらえていて、
それを、どこかの局のニュースで見ましたけど。
どんなに、まわりが勝って欲しいと、思っても、
本人が勝ちたいと思っても、負ける。
スポーツは恐ろしい、でも面白い。そういうものだと思います。
この嘘のなさ、真実味に勝るものを、映画やアニメーションが持てるだろうかと、
考えたりします。
スポーツは、ルールのある中で勝敗が決するということ、
そこに嘘がないということ、それこそが一番大事なことで、
それに比べると、横綱の「品格」を疑う議論などは、私には小さなこととしか思えない。
私が尊敬する映画監督の山田洋次さんが横綱審議委員を務めていた時、
力士はみんな優等生である必要はない。たまには悪ガキのような力士もいたり、いろんなのがいて、個性があったほうがよい、
という趣旨のこと(うろおぼえなので、言い回しはちがうかも知れません)をおっしゃっていたと思います。
よい見解だなと感心して聞いていたのですが、
その山田監督も、朝青龍には批判的だったようです。残念。
神事としての相撲が分からない私には、何も言えませんが。
そうした物議を醸した朝青龍の最後は、泥酔して人を殴って、警察沙汰を起こしたことが原因です。
だけれど、朝青龍本人は、公の場で、それを認めていない。
下に引用する読売新聞の記事でも、そう報じられているし、記者会見でも、
「殴ったか殴っていないのかという思いはあるが、横綱の責任もあり、、、、」
と、まだ、自分で納得できていない思いを語っているのを、テレビで見ました。
下の読売新聞の記事を読めば分かりますが、朝青龍を引退に追い込んだ相撲協会の筆頭は、
元警視総監の吉野準監事と元東京高検検事長の村山弘義理事だそうです。
スポーツのように国民に愛されている「神事」たる相撲を運営する相撲協会の中心的な立場に、
警察関係者や検事のような人たちがいる理由も私には分かりません。
不祥事が警察沙汰なら、彼を引退に追い込んだのも警察関係者という国家権力とつながりのある者というわけです。
これではもう、相撲はスポーツどころか、神事でもないだろうと思うのですが。
唯一救いだったのが、ライバルの白鳳が本当に悲しんで「信じたくない」と言って泣いていたことでした。
そして、ネット上で見つけた文章ですが、
山崎行太郎という人が、名言だと指摘して、朝青龍の言葉を紹介しています。
(文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』から、転載はじめ)
それはともかくとして、最近の日本人が忘れた次の言葉は、けだし名言である。「品格、品格というけれども、勝負師としては土俵に上がると鬼にもなるものだ…」(朝青龍)。土俵で「鬼になる」ことが、横綱の品格である。つまり、本業で一流になること、本業において鬼になること、それが日本人の「品格」でもあるだろう。新興宗教かぶれの「相撲道」など気持ち悪くて、見たくもないよ。平成の大横綱・朝青龍明徳よ、ありがとう。君の相撲にこそ、相撲道の極限の美学があった。
(転載終わり)
興味深い記事なので、下の表題をクリックして、
皆さんも読みに行ってください。
文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100205/1265339307
その他、参考記事を挙げます。
2010年2月5日の読売新聞の紙面から
「『自らけじめ』協会は面目」という見出しで、内容は下のネット上の記事と同じ
http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20100205-OYT1T00066.htm?from=main3
(一部を転載はじめ)
「俺は知らん」朝青龍、理事会聴取で一時居直る
初場所中に泥酔暴力問題を起こした朝青龍の責任を追及した4日の日本相撲協会の理事会。
2度の中断を挟み、強硬に「処分」を主張する役員と、「徹底調査」を求める親方衆が対立したという。二つの意見の応酬が、25回の優勝を誇った横綱を引退に追い込んだ。
強硬派の筆頭は、外部役員で元警視総監の吉野準監事だった。「即刻、解雇すべきだ」といった趣旨の発言に、会議室の空気は一気に緊張感が高まった。これに元東京高検検事長の村山弘義理事も同調。新任の貴乃花理事や武蔵川理事長、二所ノ関、放駒の両理事も賛同した。
こうした意見に対し、元理事長の北の湖、九重、友綱の3理事が一斉に反発した。「時津風部屋の力士死亡事件の時は何度も聴取を重ねた。相手があることでもあり、よく調べなければいけない」と主張。さらに、「弁明の機会を与えるべきだ」と求めた。吉野監事は「調べるならば、今すぐ呼べばいい」と応じた。
強硬派の親方衆にも「当事者の話は聞くべきだ」との声があり、理事会を一時中断し、朝青龍と師匠の高砂親方の事情聴取が午後1時10分過ぎに始まった。横綱は「酔っていてよく覚えていない」「殴った覚えはない」と弁明した。吉野監事らが厳しく追及すると、「俺はそんなことは知らん」と居直る一幕もあった。
(中略)
(2010年2月5日09時17分 読売新聞)
(転載終わり)
2ちゃんねるに転載されていた読売新聞の記事から
(一部を転載はじめ)
大相撲初場所後の横綱審議委員会が26日、両国国技館で行われ、
復活優勝した朝青龍が千秋楽の土俵上で派手なガッツポーズをしたことについて、各委員から厳しい意見が出された。
(中略)
沢村田之助委員(歌舞伎俳優)は、
「(今回欠席した)山田洋次委員(映画監督)からも『結果は認めたいが、横綱の品格はゼロと言ってほしい』と電話があった。
今までの横綱でガッツポーズした人なんか一人もいない」と厳しい意見。
(中略)
記事元:朝青龍のガッツポーズ「行き過ぎ」、横審委員から厳しい声(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20090126-OYT1T00839.htm
(転載終わり)
2010年2月5日の読売新聞19面
「『ちょっと休みたい』引退会見一問一答」から
(一部を転載始め)
___引退の決意
「殴ったか殴っていないかの思いはあるが、横綱の責任もあり、皆さんに迷惑をかけたことに対し、自分で決めた。けじめをつけるのは僕しかいない。責任を感じて伝えた」
(中略)
___思い出を振り返って
「水も違う、言葉も違う国に来て、温かい空気の中で、モンゴルの大草原の少年を横綱という地位になるまで支えてくれた方々に、感謝している」
___横綱の品格を生かせなかった
「皆さんが品格と言うが、正直、土俵に上がれば鬼になる。ここで精一杯、相撲を取らないといけないという気持ちがあった。今までにない横綱で、皆さんには大変な迷惑をかけた」
(中略)
___マスコミとも戦った
「記者も同じ人間。背中に子供とかあって、飯も食わなきゃいけない。最初は嫌いだったが、この世界では仕方ないなと思った」
___高砂親方はどんな師匠だった
「親代わりであり、本当に感謝。最高の人間だった」
(転載終わり)
今日はこれで終わりです。
森田宏幸です。今日は、2010年2月5日です。
気まぐれな話題ですが、朝青龍引退の話です。
とくに相撲が好き、というわけではないのですが、
朝青龍の土俵での立ち居振る舞いをテレビで見るのが大好きでした。
相手を睨み付けたり、ガッツポーズをやったりする、あれです。
私は、相撲をスポーツとして見ていました。
そして、スポーツを見るのが面白いのは、嘘がないからだと思っています。
だけれど、相撲というのは、スポーツではないんですね。
神事である、と。
相撲はスポーツではないという事実を、朝青龍の引退とともに受け容れざるを得なくて、
私にとってはもう、相撲は理解できないもの、ということになります。
スポーツって何だろう、と考える上で、忘れられないのが、マラソンの高橋尚子です。
私も中学、高校と、長距離走をやっていたので、勝手な共感も感じつつ、
輝かしい実績があって、いつも堂々と話す彼女は、
すごいアスリートだなと思って応援していましたが、
負けるときは負ける。
2008年の名古屋レースだったと思いますが、
お腹をこわして、ボロボロに負けた。
彼女がお腹をこわしてトイレに駆け込むところをヘリコプターのカメラがとらえていて、
それを、どこかの局のニュースで見ましたけど。
どんなに、まわりが勝って欲しいと、思っても、
本人が勝ちたいと思っても、負ける。
スポーツは恐ろしい、でも面白い。そういうものだと思います。
この嘘のなさ、真実味に勝るものを、映画やアニメーションが持てるだろうかと、
考えたりします。
スポーツは、ルールのある中で勝敗が決するということ、
そこに嘘がないということ、それこそが一番大事なことで、
それに比べると、横綱の「品格」を疑う議論などは、私には小さなこととしか思えない。
私が尊敬する映画監督の山田洋次さんが横綱審議委員を務めていた時、
力士はみんな優等生である必要はない。たまには悪ガキのような力士もいたり、いろんなのがいて、個性があったほうがよい、
という趣旨のこと(うろおぼえなので、言い回しはちがうかも知れません)をおっしゃっていたと思います。
よい見解だなと感心して聞いていたのですが、
その山田監督も、朝青龍には批判的だったようです。残念。
神事としての相撲が分からない私には、何も言えませんが。
そうした物議を醸した朝青龍の最後は、泥酔して人を殴って、警察沙汰を起こしたことが原因です。
だけれど、朝青龍本人は、公の場で、それを認めていない。
下に引用する読売新聞の記事でも、そう報じられているし、記者会見でも、
「殴ったか殴っていないのかという思いはあるが、横綱の責任もあり、、、、」
と、まだ、自分で納得できていない思いを語っているのを、テレビで見ました。
下の読売新聞の記事を読めば分かりますが、朝青龍を引退に追い込んだ相撲協会の筆頭は、
元警視総監の吉野準監事と元東京高検検事長の村山弘義理事だそうです。
スポーツのように国民に愛されている「神事」たる相撲を運営する相撲協会の中心的な立場に、
警察関係者や検事のような人たちがいる理由も私には分かりません。
不祥事が警察沙汰なら、彼を引退に追い込んだのも警察関係者という国家権力とつながりのある者というわけです。
これではもう、相撲はスポーツどころか、神事でもないだろうと思うのですが。
唯一救いだったのが、ライバルの白鳳が本当に悲しんで「信じたくない」と言って泣いていたことでした。
そして、ネット上で見つけた文章ですが、
山崎行太郎という人が、名言だと指摘して、朝青龍の言葉を紹介しています。
(文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』から、転載はじめ)
それはともかくとして、最近の日本人が忘れた次の言葉は、けだし名言である。「品格、品格というけれども、勝負師としては土俵に上がると鬼にもなるものだ…」(朝青龍)。土俵で「鬼になる」ことが、横綱の品格である。つまり、本業で一流になること、本業において鬼になること、それが日本人の「品格」でもあるだろう。新興宗教かぶれの「相撲道」など気持ち悪くて、見たくもないよ。平成の大横綱・朝青龍明徳よ、ありがとう。君の相撲にこそ、相撲道の極限の美学があった。
(転載終わり)
興味深い記事なので、下の表題をクリックして、
皆さんも読みに行ってください。
文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100205/1265339307
その他、参考記事を挙げます。
2010年2月5日の読売新聞の紙面から
「『自らけじめ』協会は面目」という見出しで、内容は下のネット上の記事と同じ
http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20100205-OYT1T00066.htm?from=main3
(一部を転載はじめ)
「俺は知らん」朝青龍、理事会聴取で一時居直る
初場所中に泥酔暴力問題を起こした朝青龍の責任を追及した4日の日本相撲協会の理事会。
2度の中断を挟み、強硬に「処分」を主張する役員と、「徹底調査」を求める親方衆が対立したという。二つの意見の応酬が、25回の優勝を誇った横綱を引退に追い込んだ。
強硬派の筆頭は、外部役員で元警視総監の吉野準監事だった。「即刻、解雇すべきだ」といった趣旨の発言に、会議室の空気は一気に緊張感が高まった。これに元東京高検検事長の村山弘義理事も同調。新任の貴乃花理事や武蔵川理事長、二所ノ関、放駒の両理事も賛同した。
こうした意見に対し、元理事長の北の湖、九重、友綱の3理事が一斉に反発した。「時津風部屋の力士死亡事件の時は何度も聴取を重ねた。相手があることでもあり、よく調べなければいけない」と主張。さらに、「弁明の機会を与えるべきだ」と求めた。吉野監事は「調べるならば、今すぐ呼べばいい」と応じた。
強硬派の親方衆にも「当事者の話は聞くべきだ」との声があり、理事会を一時中断し、朝青龍と師匠の高砂親方の事情聴取が午後1時10分過ぎに始まった。横綱は「酔っていてよく覚えていない」「殴った覚えはない」と弁明した。吉野監事らが厳しく追及すると、「俺はそんなことは知らん」と居直る一幕もあった。
(中略)
(2010年2月5日09時17分 読売新聞)
(転載終わり)
2ちゃんねるに転載されていた読売新聞の記事から
(一部を転載はじめ)
大相撲初場所後の横綱審議委員会が26日、両国国技館で行われ、
復活優勝した朝青龍が千秋楽の土俵上で派手なガッツポーズをしたことについて、各委員から厳しい意見が出された。
(中略)
沢村田之助委員(歌舞伎俳優)は、
「(今回欠席した)山田洋次委員(映画監督)からも『結果は認めたいが、横綱の品格はゼロと言ってほしい』と電話があった。
今までの横綱でガッツポーズした人なんか一人もいない」と厳しい意見。
(中略)
記事元:朝青龍のガッツポーズ「行き過ぎ」、横審委員から厳しい声(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20090126-OYT1T00839.htm
(転載終わり)
2010年2月5日の読売新聞19面
「『ちょっと休みたい』引退会見一問一答」から
(一部を転載始め)
___引退の決意
「殴ったか殴っていないかの思いはあるが、横綱の責任もあり、皆さんに迷惑をかけたことに対し、自分で決めた。けじめをつけるのは僕しかいない。責任を感じて伝えた」
(中略)
___思い出を振り返って
「水も違う、言葉も違う国に来て、温かい空気の中で、モンゴルの大草原の少年を横綱という地位になるまで支えてくれた方々に、感謝している」
___横綱の品格を生かせなかった
「皆さんが品格と言うが、正直、土俵に上がれば鬼になる。ここで精一杯、相撲を取らないといけないという気持ちがあった。今までにない横綱で、皆さんには大変な迷惑をかけた」
(中略)
___マスコミとも戦った
「記者も同じ人間。背中に子供とかあって、飯も食わなきゃいけない。最初は嫌いだったが、この世界では仕方ないなと思った」
___高砂親方はどんな師匠だった
「親代わりであり、本当に感謝。最高の人間だった」
(転載終わり)
今日はこれで終わりです。
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