水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

茂道で1954年には水俣病発生の兆候

2007年02月22日 | 水俣病
水俣市茂道は小さな漁業集落だが、ここでネコ、ネズミの異常が報じられた。昭和29年8月1日、最初の水俣病報道である。
なお、現在の茂道集落については、こちらを参照
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茂道は120戸の漁村だが、不思議なことに6月初めごろから急にネコ猫が狂い死し始めた。ではネコテンカンといった。
100匹以上のネコが全滅し、ネズミが急増した。ネズミは大威張りで中を荒らし回り、被害は増大した。あわてたの人々は、各方面からネコをもらってきたが、これまた気が狂ったようにキリキリ舞して死んでしまうので、ついに水俣市へ泣きついてきた。

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水俣病公式確認に至る2年前の記事である。これが「水俣病の兆候」を初めて伝える報道だった。
水俣市にネズミ駆除を申し込んだ漁師は、当時33歳だった石本寅重さん。地区を代表しての行動だった。
実は、この記事が出る以前から、水俣湾周辺の漁村部では生き物の異常な行動が目につくようになっていた。タチウオやチヌなどの魚がプカプカと浮き、海辺に暮らす鳥たちは飛べなくなった。異変は、やがて人間に及ぶ。
第一通報者の石本さんは、その後、魚が売れなくなったことで漁師の仕事をあきらめ、チッソによる漁業補償の一環として同社に雇用された。退社後は夫婦ともに患者として認定され、2004年に83歳で亡くなった。
「被害多発地域の中で社員になるという形でチッソ側についたわけだから、漁協も除名になり、白い目で見られた」と遺族。しかし、石本さんは、チッソ入りの決断を後悔するそぶりは全く見せなかったという。
(熊本日日新聞。2007.2.16)