水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

不知火海の汚染

2006年09月28日 | 水俣病
チッソ水俣工場の排水路が1958年9月に八幡プールで沈殿処理され,水俣川河口に放流された。沈殿処理ではメチル水銀は処理されず,メチル水銀は水俣川から不知火海に放出された。
水俣病の原因は,まだメチル水銀と特定されていなかった。工場側は有害物質は不知火海に拡散して,無害になるとの見通しであった。甘い見通しであった。

当時,不知火海では打瀬船(うたせ船)によるエビ漁が盛んであった。干潟のような浅海ではエンジンを止め,帆で船を動かし,底引き網でエビをとっていた。エビはチッソから排出されたメチル水銀に汚染されていて,不知火海の漁民に水俣病が広がった。



不知火海ではイワシ漁も盛んであった。しかし,新鮮なイワシはネコや家畜も食べた。まずネコが発病,次いで牛・豚,そして人間が水俣病を発症した。チッソ水俣工場からは,遠い不知火沿岸で1年間に1000人以上が水俣病特有の手足のしびれ,言語障害が起こった。1959年8月と11月,不知火沿岸の漁民数千人がチッソ水俣工場に乱入し,操業停止を求めた。

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1958年9月 チッソが排水路を水俣川に変更
1959年7月 熊大医学部が水俣病の原因をメチル水銀と発表
1959年8月 不知火漁民が水俣工場の操業停止を要求
1959年10月 チッソ附属病院でネコに工場廃液を与え,水俣病発症
1959年11月 不知火漁民が水俣工場の操業停止を要求
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