春休みのデッサン室

春休みのだれもいないデッサン室。
ぼんやりしながら北九州のあれこれ、デッサンしてみましょう…

フィル・スペクター/エピローグ ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

2012年09月22日 | レコード箱
ビートルズ”をプロデュースしたこと…
これはフィル・スペクターにとって
「終わりの始まりだった」のではないかと思います。

前回も述べましたが、“ビートルズ”のアルバム「レット・イット・ビー」の
プロデュースをフィル・スペクターは依頼されます。

その中で問題になったのは“ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード”です。
このプロデュース作業中のフィルは多数の薬物を服用するなどのありさま、
彼が出す指示も支離滅裂になってきたそうです。
オーケストラは演奏拒否、エンジニアも怒って帰ってしまう。
散々だったようです。

とにかく、そんなこんなで「レット・イット・ビー」は完成します。
これは言わずとしれたポール・マッカートニーの作った楽曲です。
このプロデュースはオーケストラ、女性のコーラスが入ります。
みなさんご存知の素晴らしい楽曲が出来上がりますが
ポール・マッカートニーはこのフィルのプロデュースに
オーバー・プロデュースとして憤慨します。

でもこの曲は400万枚を越えるミリオンセラーとなり、グラミー賞も授与されます。
皮肉なことにこの賞を受け取ったのはポール自身でした。

The Long And Winding Road - The Beatles


ポールによると“ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード”は
「疲れ果てた自分、たどりつけないドア、どうしても到達できないもの」を
歌った辛く悲しい楽曲だそうで、フィルのプロディースには
制作者として強い違和感を持ったようです。

でも私個人は、これを初めて聴いたときに
ドラマティックで素晴らしく、スケールの大きな音楽に感激しました。
いまでも大好きな曲です。

「終わりの始まり」…
彼の強引な仕事ぶりでいろんな人間関係が壊れていくわけですが
ジョン・レノンの楽曲の作業中にジョンと意見の対立も生じて
ジョンに拳銃を向け、天井にぶっ放したり、
マスターテープを持ってどこかに雲隠れしたりして、
いろんな奇行に走ったり、麻薬の常習に陥ってしまいます。

以降、いろんなミュージシャンの仕事を行ないますが
うまくいかず、プロデューサーとしては音楽業界にかかわることのない
生活になっていきます。

1998年、マンション暮らしますが、マンションとは本当の大邸宅で部屋数33もある豪邸です。
2003年、ここで女性を射殺します。
2009年、当時69歳のフィル・スペクターは19年の量刑で収監されます。

トップのダークスーツに赤いネクタイの写真は判決の日の彼の服装です。




ランキングに参加しています。
このブログが一人でもたくさんの方の目に触れることが出来れば幸いです。
応援のクリックをぜひともよろしくお願い致します。
人気ブログランキングへ

こちらにも参加してみました。応援のクリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 北九州情報へ
にほんブログ村

ありがとうございます


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます。 ()
2012-09-23 06:15:59
おはようございます。
春休みのデッサン室さま
昨日のも聴かせて頂きました。

やっぱり世代が違って私には馴染みの無い歌です。

でも、聴くのは好きですから昨日のも聴きました。

ポール・マッカートニーの歌は知っていました。

ジョン・レノンの人生を読ませて貰い

色々な事があったと解りました。

昨日もポチだけ押してからコメントを書かなくて

ごめんなさい。

パイプオルガンの音色は素晴らしいですが撮影禁止で

先日の音楽会が載せられなくて残念でした。

乳児院から帰りにポールに当たりミラーが壊れた

切っ掛けでラッキー新車になりました。
返信する
啓さん、新車になってよかったですね (春休みのデッサン室)
2012-09-23 13:34:52
う~ん、これはジョン・レノンではなく、
フィル・スペクターの人生です。

ジョン・レノンはこんなにハチャメチャではなく
もっとまともです。

ポチだけでけっこうです、っていうか
たいへんうれしいですよ。

パイプオルガンの演奏会の撮影は禁止なのですね。
そう、演奏の邪魔になりますよね。
立派なパイプオルガンに驚きました。

せっかく乳児院のボランティアだったのに
とんだ災難でした。
でも新車になってよかったかも!
お金は誰が出すんでしょう?
返信する
こんな事例もあります。 (酢亭)
2012-09-24 09:59:15
サイモンとガーファンクルの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」ってのをご存知かと思われますが、この曲はポール・サイモンが1963年に作った曲で、翌64年3月発売のアルバム「水曜の朝、午前3時」の中で、デュエットとギターのみで演奏、収録された非常に美しい曲でした。

しかしアルバム自体は、発売初年度の売上がたったの3,000枚と惨憺たるものでした。

失意のポールはヨーロッパ放浪の旅へ出てしまい、アートもデビュー前に通っていた大学院へと戻って行ってしまいます。

ところが、おりからのフォーク・ロック・ブームに便乗して、プロデューサーのトム・ウィルソンが、サイモンとガーファンクルには相談なく勝手に12弦ギターやドラムをダビングして再度発売しました。

すると、このバージョンは1965年末からヒットし始め、翌年初頭にはトップに立ち、サイモンとガーファンクルにとっての初の大ヒットとなったのです。

また、1967年の映画「卒業」の主題歌にも使われ、再々度注目を集めたことは周知の事実です。

こうして「サウンド・オブ・サイレンス」は不朽の名曲として今日、人々に歌い継がれるようになったのです。
返信する
酢亭さん、プロデューサーって凄いですね (春休みのデッサン室)
2012-09-24 10:59:33
↓の記事のコメントで酢亭さんへのコメント入れていますが
ご覧になりましたかいな?

プロデューサーの力って凄いですね。
日本にも優れたプロデューサーはいますが、
なかには首をひねる方もいます。

卒業の映画は大学時代に見ました。
酢亭もボクの妹もまだ子供(?)だったでしょう。

妹は兵庫県の田舎で四国犬のさくらとたわむれながら
スローに暮らしています。
返信する
Unknown (風の杜のおやじ)
2012-09-26 23:15:18
参考になりました。
感謝。
返信する
風の杜さん、秋ですね (春休みのデッサン室)
2012-09-27 13:55:23
どんな参考になったでしょう?

風の杜のクラシックを聴いたらどんなでしょう。
とにかくまた訪れなければなりません。
返信する

コメントを投稿