ビートルズ”をプロデュースしたこと…
これはフィル・スペクターにとって
「終わりの始まりだった」のではないかと思います。
前回も述べましたが、“ビートルズ”のアルバム「レット・イット・ビー」の
プロデュースをフィル・スペクターは依頼されます。
その中で問題になったのは“ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード”です。
このプロデュース作業中のフィルは多数の薬物を服用するなどのありさま、
彼が出す指示も支離滅裂になってきたそうです。
オーケストラは演奏拒否、エンジニアも怒って帰ってしまう。
散々だったようです。
とにかく、そんなこんなで「レット・イット・ビー」は完成します。
これは言わずとしれたポール・マッカートニーの作った楽曲です。
このプロデュースはオーケストラ、女性のコーラスが入ります。
みなさんご存知の素晴らしい楽曲が出来上がりますが
ポール・マッカートニーはこのフィルのプロデュースに
オーバー・プロデュースとして憤慨します。
でもこの曲は400万枚を越えるミリオンセラーとなり、グラミー賞も授与されます。
皮肉なことにこの賞を受け取ったのはポール自身でした。
The Long And Winding Road - The Beatles
ポールによると“ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード”は
「疲れ果てた自分、たどりつけないドア、どうしても到達できないもの」を
歌った辛く悲しい楽曲だそうで、フィルのプロディースには
制作者として強い違和感を持ったようです。
でも私個人は、これを初めて聴いたときに
ドラマティックで素晴らしく、スケールの大きな音楽に感激しました。
いまでも大好きな曲です。
「終わりの始まり」…
彼の強引な仕事ぶりでいろんな人間関係が壊れていくわけですが
ジョン・レノンの楽曲の作業中にジョンと意見の対立も生じて
ジョンに拳銃を向け、天井にぶっ放したり、
マスターテープを持ってどこかに雲隠れしたりして、
いろんな奇行に走ったり、麻薬の常習に陥ってしまいます。
以降、いろんなミュージシャンの仕事を行ないますが
うまくいかず、プロデューサーとしては音楽業界にかかわることのない
生活になっていきます。
1998年、マンション暮らしますが、マンションとは本当の大邸宅で部屋数33もある豪邸です。
2003年、ここで女性を射殺します。
2009年、当時69歳のフィル・スペクターは19年の量刑で収監されます。
トップのダークスーツに赤いネクタイの写真は判決の日の彼の服装です。
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ありがとうございます
これはフィル・スペクターにとって
「終わりの始まりだった」のではないかと思います。
前回も述べましたが、“ビートルズ”のアルバム「レット・イット・ビー」の
プロデュースをフィル・スペクターは依頼されます。
その中で問題になったのは“ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード”です。
このプロデュース作業中のフィルは多数の薬物を服用するなどのありさま、
彼が出す指示も支離滅裂になってきたそうです。
オーケストラは演奏拒否、エンジニアも怒って帰ってしまう。
散々だったようです。
とにかく、そんなこんなで「レット・イット・ビー」は完成します。
これは言わずとしれたポール・マッカートニーの作った楽曲です。
このプロデュースはオーケストラ、女性のコーラスが入ります。
みなさんご存知の素晴らしい楽曲が出来上がりますが
ポール・マッカートニーはこのフィルのプロデュースに
オーバー・プロデュースとして憤慨します。
でもこの曲は400万枚を越えるミリオンセラーとなり、グラミー賞も授与されます。
皮肉なことにこの賞を受け取ったのはポール自身でした。
The Long And Winding Road - The Beatles
ポールによると“ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード”は
「疲れ果てた自分、たどりつけないドア、どうしても到達できないもの」を
歌った辛く悲しい楽曲だそうで、フィルのプロディースには
制作者として強い違和感を持ったようです。
でも私個人は、これを初めて聴いたときに
ドラマティックで素晴らしく、スケールの大きな音楽に感激しました。
いまでも大好きな曲です。
「終わりの始まり」…
彼の強引な仕事ぶりでいろんな人間関係が壊れていくわけですが
ジョン・レノンの楽曲の作業中にジョンと意見の対立も生じて
ジョンに拳銃を向け、天井にぶっ放したり、
マスターテープを持ってどこかに雲隠れしたりして、
いろんな奇行に走ったり、麻薬の常習に陥ってしまいます。
以降、いろんなミュージシャンの仕事を行ないますが
うまくいかず、プロデューサーとしては音楽業界にかかわることのない
生活になっていきます。
1998年、マンション暮らしますが、マンションとは本当の大邸宅で部屋数33もある豪邸です。
2003年、ここで女性を射殺します。
2009年、当時69歳のフィル・スペクターは19年の量刑で収監されます。
トップのダークスーツに赤いネクタイの写真は判決の日の彼の服装です。
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ありがとうございます
風の杜のクラシックを聴いたらどんなでしょう。
とにかくまた訪れなければなりません。
感謝。
ご覧になりましたかいな?
プロデューサーの力って凄いですね。
日本にも優れたプロデューサーはいますが、
なかには首をひねる方もいます。
卒業の映画は大学時代に見ました。
酢亭もボクの妹もまだ子供(?)だったでしょう。
妹は兵庫県の田舎で四国犬のさくらとたわむれながら
スローに暮らしています。
しかしアルバム自体は、発売初年度の売上がたったの3,000枚と惨憺たるものでした。
失意のポールはヨーロッパ放浪の旅へ出てしまい、アートもデビュー前に通っていた大学院へと戻って行ってしまいます。
ところが、おりからのフォーク・ロック・ブームに便乗して、プロデューサーのトム・ウィルソンが、サイモンとガーファンクルには相談なく勝手に12弦ギターやドラムをダビングして再度発売しました。
すると、このバージョンは1965年末からヒットし始め、翌年初頭にはトップに立ち、サイモンとガーファンクルにとっての初の大ヒットとなったのです。
また、1967年の映画「卒業」の主題歌にも使われ、再々度注目を集めたことは周知の事実です。
こうして「サウンド・オブ・サイレンス」は不朽の名曲として今日、人々に歌い継がれるようになったのです。
フィル・スペクターの人生です。
ジョン・レノンはこんなにハチャメチャではなく
もっとまともです。
ポチだけでけっこうです、っていうか
たいへんうれしいですよ。
パイプオルガンの演奏会の撮影は禁止なのですね。
そう、演奏の邪魔になりますよね。
立派なパイプオルガンに驚きました。
せっかく乳児院のボランティアだったのに
とんだ災難でした。
でも新車になってよかったかも!
お金は誰が出すんでしょう?
春休みのデッサン室さま
昨日のも聴かせて頂きました。
やっぱり世代が違って私には馴染みの無い歌です。
でも、聴くのは好きですから昨日のも聴きました。
ポール・マッカートニーの歌は知っていました。
ジョン・レノンの人生を読ませて貰い
色々な事があったと解りました。
昨日もポチだけ押してからコメントを書かなくて
ごめんなさい。
パイプオルガンの音色は素晴らしいですが撮影禁止で
先日の音楽会が載せられなくて残念でした。
乳児院から帰りにポールに当たりミラーが壊れた
切っ掛けでラッキー新車になりました。