※今回の投稿はシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みますのでご注意下さい。
シン・エヴァンゲリオン劇場の終盤、マリが冬月に会いに行った際のことです。

冬月がマリのことを・・・
と呼んでいました。
この『イスカリオテのマリア』は、二つの言葉が合わさった造語↓だと私は考えています。

んで、二つの言葉『イスカリオテのユダ』と『聖母マリア』の意味はこんな感じ↓なのではと私は考えています。

つまり、『イスカリオテのマリア』とは・・・
ってことじゃないかな~というのが私の考えです。
ただ、これだと『どういうこと?』となると思いますので、順を追って説明します。
まず、そもそも『聖母マリア』が聖母と呼ばれるようになったのは、キリスト教において、神の子と言われるイエス・キリストを処女受胎したと設定されているからに他なりません。
もうちょっと詳しく言うと、キリスト教において『①処女であるのに』『②受精という生命のルールを介すことなく』『③子を宿した』というのが、神の子を宿すに相応しい神秘性を満たしていたってことです。
しかし、現代・・・というかエヴァの世界においてもですが、これら①②③の条件を満たすことは技術的には難しいことではありません。
それは・・・
です。
つまりは、『①処女であろうか無かろうが』『②体細胞の初期化という、生命のルールに背く行為により』『③子を宿すことができる』ということです。
でもね、『生命のルールに背く行為で子を宿す』ようなことをする人物が『聖母』と呼ばれるに相応しいでしょうか?
だから、そんなことをする人物は『神の決めた生命のルールに反して受胎した母』ということになり、つまりは・・・
ってことになるんじゃないでしょうか。
そう、だから私は、かつてマリがクローン技術により子どもを産んだという経緯があり、それを知っている冬月がマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼んだのではと考えています。
そして、その際に産んだ子どもは自らのクローンであり、そのクローンにオリジナルの魂を移植したのが新劇場版に登場するマリだと私は考えています。
つまり、『オリジナルのマリ = クローンマリ』という図式が成り立つのではってことです。
何故こんな推測が成り立つかというと、もし仮に新劇場版に登場するマリが単なるクローン止まりであるならば、冬月はマリのことをこう呼んだはずです↓
という風に。
でも、冬月はマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼びました。
これは、冬月が『イスカリオテのマリアの娘 = イスカリオテのマリア』であると認識していたからではないかと考えています。
また、マリが去り際に『イスカリオテのマリアと呼ばれたのは久しぶり』的なことを言っていましたが、これはオリジナルのマリの時代の呼び名であったからではと私は考えています。
おそらくですが、クローンに魂を移して以降は、そう呼ばれたことは無かったのではないでしょうか。
だからこその『久しぶり』ということであり、つまりは、『イスカリオテのマリア』とは過去の呼び名であって、新劇場版のマリの属性というか立ち位置を示すものでは無いんじゃね? と思う次第です。
・・さて、気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、ここまで書いた内容は、実は以前マリの正体や目的について考察した内容に直結するものとなっています。
なので、未読の方は、コチラを一度目を通して頂けると、今回の私の言いたいことが伝わるのではと思います。たぶん。
まぁ、細部は色々と修正が必要ですが、クローンという着眼点は結構良い感じなのではと思うのですが、いかがでしょうか?
ということで、今回はここまでとしたいと思います。
ではっ!
↓
↓
↓
↓
↓
シン・エヴァンゲリオン劇場の終盤、マリが冬月に会いに行った際のことです。

冬月がマリのことを・・・
イスカリオテのマリア
と呼んでいました。
この『イスカリオテのマリア』は、二つの言葉が合わさった造語↓だと私は考えています。

んで、二つの言葉『イスカリオテのユダ』と『聖母マリア』の意味はこんな感じ↓なのではと私は考えています。

つまり、『イスカリオテのマリア』とは・・・
裏切りの聖母
ってことじゃないかな~というのが私の考えです。
ただ、これだと『どういうこと?』となると思いますので、順を追って説明します。
まず、そもそも『聖母マリア』が聖母と呼ばれるようになったのは、キリスト教において、神の子と言われるイエス・キリストを処女受胎したと設定されているからに他なりません。
もうちょっと詳しく言うと、キリスト教において『①処女であるのに』『②受精という生命のルールを介すことなく』『③子を宿した』というのが、神の子を宿すに相応しい神秘性を満たしていたってことです。
しかし、現代・・・というかエヴァの世界においてもですが、これら①②③の条件を満たすことは技術的には難しいことではありません。
それは・・・
クローン技術
です。
つまりは、『①処女であろうか無かろうが』『②体細胞の初期化という、生命のルールに背く行為により』『③子を宿すことができる』ということです。
でもね、『生命のルールに背く行為で子を宿す』ようなことをする人物が『聖母』と呼ばれるに相応しいでしょうか?
相応しい訳が無いですよね
だから、そんなことをする人物は『神の決めた生命のルールに反して受胎した母』ということになり、つまりは・・・
裏切りの聖母
ってことになるんじゃないでしょうか。
そう、だから私は、かつてマリがクローン技術により子どもを産んだという経緯があり、それを知っている冬月がマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼んだのではと考えています。
そして、その際に産んだ子どもは自らのクローンであり、そのクローンにオリジナルの魂を移植したのが新劇場版に登場するマリだと私は考えています。
つまり、『オリジナルのマリ = クローンマリ』という図式が成り立つのではってことです。
何故こんな推測が成り立つかというと、もし仮に新劇場版に登場するマリが単なるクローン止まりであるならば、冬月はマリのことをこう呼んだはずです↓
イスカリオテのマリアの娘
という風に。
でも、冬月はマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼びました。
これは、冬月が『イスカリオテのマリアの娘 = イスカリオテのマリア』であると認識していたからではないかと考えています。
また、マリが去り際に『イスカリオテのマリアと呼ばれたのは久しぶり』的なことを言っていましたが、これはオリジナルのマリの時代の呼び名であったからではと私は考えています。
おそらくですが、クローンに魂を移して以降は、そう呼ばれたことは無かったのではないでしょうか。
だからこその『久しぶり』ということであり、つまりは、『イスカリオテのマリア』とは過去の呼び名であって、新劇場版のマリの属性というか立ち位置を示すものでは無いんじゃね? と思う次第です。
・・さて、気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、ここまで書いた内容は、実は以前マリの正体や目的について考察した内容に直結するものとなっています。
なので、未読の方は、コチラを一度目を通して頂けると、今回の私の言いたいことが伝わるのではと思います。たぶん。
まぁ、細部は色々と修正が必要ですが、クローンという着眼点は結構良い感じなのではと思うのですが、いかがでしょうか?
ということで、今回はここまでとしたいと思います。
ではっ!