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ひとりよがり日記

愛するが故に戦う 倒すことが愛

シン・エヴァンゲリオン劇場版で気付いたことその1

2021-03-21 17:49:00 | 日々雑記
※今回の投稿はシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みますのでご注意下さい。






















シン・エヴァンゲリオン劇場の終盤、マリが冬月に会いに行った際のことです。








冬月がマリのことを・・・




イスカリオテのマリア





と呼んでいました。


この『イスカリオテのマリア』は、二つの言葉が合わさった造語↓だと私は考えています。







んで、二つの言葉『イスカリオテのユダ』『聖母マリア』の意味はこんな感じ↓なのではと私は考えています。







つまり、『イスカリオテのマリア』とは・・・





裏切りの聖母





ってことじゃないかな~というのが私の考えです。

ただ、これだと『どういうこと?』となると思いますので、順を追って説明します。








まず、そもそも『聖母マリア』が聖母と呼ばれるようになったのは、キリスト教において、神の子と言われるイエス・キリストを処女受胎したと設定されているからに他なりません。

もうちょっと詳しく言うと、キリスト教において『①処女であるのに』『②受精という生命のルールを介すことなく』『③子を宿した』というのが、神の子を宿すに相応しい神秘性を満たしていたってことです。






しかし、現代・・・というかエヴァの世界においてもですが、これら①②③の条件を満たすことは技術的には難しいことではありません

それは・・・




クローン技術





です。

つまりは、『①処女であろうか無かろうが』『②体細胞の初期化という、生命のルールに背く行為により』『③子を宿すことができる』ということです。



でもね、『生命のルールに背く行為で子を宿す』ようなことをする人物が『聖母』と呼ばれるに相応しいでしょうか?






相応しい訳が無いですよね






だから、そんなことをする人物は『神の決めた生命のルールに反して受胎した母』ということになり、つまりは・・・




裏切りの聖母





ってことになるんじゃないでしょうか。





そう、だから私は、かつてマリがクローン技術により子どもを産んだという経緯があり、それを知っている冬月がマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼んだのではと考えています。




そして、その際に産んだ子どもは自らのクローンであり、そのクローンにオリジナルの魂を移植したのが新劇場版に登場するマリだと私は考えています。

つまり、『オリジナルのマリ = クローンマリ』という図式が成り立つのではってことです。



何故こんな推測が成り立つかというと、もし仮に新劇場版に登場するマリが単なるクローン止まりであるならば、冬月はマリのことをこう呼んだはずです↓





イスカリオテのマリアの娘





という風に。

でも、冬月はマリのことを『イスカリオテのマリア』と呼びました。

これは、冬月が『イスカリオテのマリアの娘 = イスカリオテのマリア』であると認識していたからではないかと考えています。




また、マリが去り際に『イスカリオテのマリアと呼ばれたのは久しぶり』的なことを言っていましたが、これはオリジナルのマリの時代の呼び名であったからではと私は考えています。

おそらくですが、クローンに魂を移して以降は、そう呼ばれたことは無かったのではないでしょうか。

だからこその『久しぶり』ということであり、つまりは、『イスカリオテのマリア』とは過去の呼び名であって、新劇場版のマリの属性というか立ち位置を示すものでは無いんじゃね? と思う次第です。













・・さて、気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、ここまで書いた内容は、実は以前マリの正体や目的について考察した内容に直結するものとなっています。

なので、未読の方は、コチラを一度目を通して頂けると、今回の私の言いたいことが伝わるのではと思います。たぶん。




まぁ、細部は色々と修正が必要ですが、クローンという着眼点は結構良い感じなのではと思うのですが、いかがでしょうか?






ということで、今回はここまでとしたいと思います。


ではっ!


シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想

2021-03-21 17:48:00 | 日々雑記
※今回の投稿はシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みますのでご注意下さい。























シン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきました・・・





(※序のパンフは、初日にも関わらず売り切れていて買えなかったんですよ。)




いや~、すごかった・・・






あれでこそエヴァ







という感じでした。マジで半端ない。


庵野監督ありがとう











・・・私には、エヴァのTV版の頃から1つの願いがありました。


それは、ゲンドウにシンジを抱きしめて欲しいというもの。
でも同時に、それは夢物語であり実現不可能なものだとも思っていました。






だって、漫画版に至っては、抱きしめるどころか
泣く息子の胸ぐら掴んで恫喝する有様↓








新劇場版だって、冬月からシンジの処遇について問われた際にこんなこと↓言う様な状態








そう、エヴァという世界においてシンジとゲンドウは基本的に相容れないもの。それは、どうしようもないことだと諦めていたんです。

















でも、シンエヴァの劇中においてゲンドウがシンジを抱き締めるシーンが不意に登場し、私号泣。


話の結末も含めて最高でした。
まさか全てを補完して幕引きするなんて凄過ぎる。






もう一度言います

庵野監督ありがとう













<今日の一言>

そうそう、私が書いてきたエヴァ考察シリーズですが、もう色々と大外れでしたね、読んでくれた方ごめんなさいです。

そんな状況なので批判の嵐かと思いきや意外にもそうでも無さそうなので暫くはこのまま残しますが、将来的には『目次ページの削除(各記事は削除しませんが、リンクで辿れなくなる)』『目次ページを目立たない位置に移動してひっそりとアーカイブ化』のどちらかの予定です。



あと、シンエヴァの内容についての考察は・・・BDが出たら検討してみますが、正直なところ私の手に負える内容では無い気がしています(苦笑)


ただ、一つだけ思い付いた内容がありましたので、私の最後の世迷い事になるかもしれませんがココに置いておきます。





ではっ!


エヴァで多くの人が気付いていないこと その11.5

2021-01-10 00:58:00 | 日々雑記
シンエヴァ公開まで2週間を切ったというのにまだ書いているエヴァ考察シリーズ~(自虐的)


今回は、『エヴァで多くの人が気付いていないこと その11』に関連する話を『その11.5』として少しだけ書きたいと思います。








んで、その内容は・・・





Qの登場人物が旧劇場版の登場人物だとすると、旧劇場版で死んだはずのミサトとリツコがQに登場するのはおかしくね?




と考える方がちらほらいらっしゃるようなので、全然おかしくないよということを簡単に説明しておこうかな、というものです。







まぁ、私のエヴァ関連記事って、Qを映画館で観た直後(2012/11/22)に書いた感想(当時の中途半端な内容のまま残してあるので粗探ししないでね♪)をはじめとして、考察の根っこである1本目(2016/2/25公開)から今に至るまで、一貫して『エヴァの世界は二つに分かれていて、Qの登場人物は旧劇場版の世界の登場人物の14年後の姿じゃね』ということを主張してきているので、そこはちゃんと説明しておかないとってことです。



・・・というのは建前で、正直なところ『あれ?書いたはずだけれど?』と思っていたのですが、実は書いてなかったので今更ですが追記することにしただけです。(おぃ)


ということで、折角の機会ってことなので細かいところまでガッツリ書いちゃう所存です。


















・・・
さて、ではそのカラクリを説明したいと思いまっす。




まず、『その11』において、私は、個体生命(人類)を形作るATフィールドは、ある強度(臨界点)以上のアンチATフィールドに晒されると中和されてしまい、個体生命の形を維持することができなくなっちゃう(ガフの部屋が開いちゃう)ってことを説明しました。










これをもっと具体的に説明すると、ATフィールドは心(魂)の壁なので、リリスの化身であるレイが対象者の大事な相手に変身して対象者の心(魂)を優しく解きほぐし(ATフィールドを弱体化し)、そこに一気にアンチATフィールドを作用させることで、簡単にLCL化しちゃおう↓っいうのが真相だと私は考えています。











尚、日向マコトの場合はこんな感じ↓です。(伊吹マヤの場合はLCL化が間接的な表現になっているので割愛)











ただ、青葉シゲルの様に、大事な相手が居ない場合↓には、ATフィールドを弱体化させることはできないので物量作戦(大勢のレイ)で無理やりLCL化するって寸法です(ひでぇw)














・・・これが、エヴァの世界におけるLCL化の具体的な全貌だと私は考えています。












んで、このLCL化なんですが・・・












死者もLCL化されるんです↓















ただ、上に示した画像において死者の数よりもレイの人数の方が明らかに少ないことからも判るように、全ての死者が人類補完計画の対象になる訳ではないのではと私は考えています。


要はですね、死んでからある一定時間が経過すると魂が失われちゃうんじゃないでしょうか。

というか、『死』ってそういうものですよね。


だから、魂(心)が失われてしまった場合には、LCL化の際に心の壁を解きほぐす(ATフィールドを弱体化する)処理は不要ということで、その対象者の前にレイは登場しないのではと私は考えています。









つまりこれは、逆に考えれば、死者のLCL化の際に傍らにレイが立っているということは、その対象者の魂がまだ失われていないことの証明となる↓と私は考えています。











そして、魂さえ回収されてしまえば、元が生者か死者かの区別は無いはずなので、後は『その10』で説明したように、旧劇場版の最後で世界が二つに分裂した際に、ミサトとリツコもリリスに新たな肉体を与えられて元(生きていた頃の姿)に戻ったんだと私は考えています。







こんな感じで、旧劇場版における人類補完計画の表現をストレートに読み解くと、旧劇場版で死んだはずのミサトとリツコは他の登場人物と同じように扱われて魂が回収されているので、Qに登場しても何もおかしい所は無いという結論になっちゃうんですよ。


結構納得できる話だと思いませんか?














※2021年1月12日追記

そうだ、ゼーレのLCL化について書いてなかった。





旧劇場版においてゼーレがLCL化される場面において、彼らの傍らにレイの姿は映っていないのですが、画面範囲の外側(上方)に、ゼーレにとって大事な相手の姿が既に出現している↓んだと私は考えています。







これは、『その10』で説明したように、ゼーレとは世界の超越者であり、そんな彼らにとっての大事な相手とは、それ相応な存在であるため、神秘性を高めるためにあえて描写しなかったのではと私は考えています。

ゼーレが順にLCL化して消えていくという、印象的な演出を製作側が優先しただけという可能性もあると思います。





・・・尚、『その12』で説明したように、正確な理由は不明ですがゲンドウはLCL化されていないので、今回のルールに当てはめるのは難しいです。















<今日の一言>

丁度というか何というか、今回話題に出した旧劇場版が2021年1月8日~22日の期間限定で映画館で上映しているとのこと。

折角の機会なので映画館で観るのもアリかもしれませんね~♪




ではっ!!











エヴァで多くの人が気付いていないこと その12.5

2021-01-01 22:58:00 | 日々雑記
さて、今回は『エヴァで多くの人が気付いていないこと その12』に関連するような気がするような話をちょこっとだけ書きたいと思います。

まぁ、そんな大層な話では無いってことで、外伝的に『その12.5』として御送りします。












・・・
んで、今回話題にしたいのは、シンエヴァの全ての撮影・編集作業が終了したことについて↓







毎回かなりギリギリまで作っているイメージだったので、1か月以上前に完成するってのはかなり余裕を持った完成じゃないでしょうか。
Twitterにも、関係者の喜びや安堵の声が溢れていましたね~♪









・・・そんな中、副監督の谷田部透湖氏からDATの写真投稿↓がありました。





まぁ、エヴァのS-DATを意味しているんだとは思うのですが、このDATの写真を見たとき、なーんか違和感があったんですよね。
(※SONYが実際に発売したのはDATで、エヴァの世界では架空の商品であるS-DATとして描かれている。つーか、区別して書くの面倒くさいので以下では便宜的にDATのこともS-DATと呼ぶんでそこんとこヨロシク



確かにね、エヴァのTV版・旧劇場版・新劇場版にはS-DATが何度となく登場しており↓重要なアイテムなのは間違い無いんですけれど・・・



※GoogleでS-DATに関して画像検索した結果





・・・でもね、だからといってこのS-DATが物語の最後を締め括るシンボルと言われると、何かちょっと違うんじゃね?って感じたんですよ。

しかも、ネタバレ厳禁の箝口令が出ているはずの中で副監督自らが公開した情報となると、何らかの重要な意図が込められている可能性だってあるはずです。






それならばということで、このS-DATって何だろうと改めて考えてみると、新劇場版において、S-DATは何度もシンジの手から離れているにも関わらず、その度に他の登場人物の手によってシンジの元に戻る描写になっている↓んですよ。













つまり、ストーリー的な観点で言うと、S-DATはバトンの様なものであり、最後には必ずシンジの元に戻るようになっているんじゃないかと私は考えています。










・・・んで、その考えを念頭に置いた上で、上述のシンエヴァの完成のメッセージとしてS-DAT(正確にはDATだけど)の写真がわざわざ公開された↓という事実をあらためて考えてみると・・・







物語は完結したはずなのに、何故、このS-DAT↑はシンジの元から離れてこんな所にポツンと在るんだろ?





・・・って疑問が湧く訳ですよ。












でもね、あくまで私の考えですが、このS-DATはちゃんとシンジの元に戻ると思っています。







それは・・・











ココです↓


























要はですね、『序』→『破』→『Q』→『シン』と受け継がれてきたS-DATというバトンが漫画版(愛蔵版)のシンジに受け継がれることを示唆しているんじゃないかってことです。





そしてこれは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版は漫画版に話が繋がるんじゃね?』という私の考えを後押しするものではないかとも考えています(『その12』を参照)。










・・・と書くと、


『シンジがS-DATを持っている構図なんて珍しくもない。いくら何でも考え過ぎじゃね?』









という意見が出てくると思うんですよ。

でも、実は・・・















漫画版のエヴァには
S-DATは登場していない






んですよ。


まぁね、漫画版でシンジがイヤホンをしている描写は幾つかある↓のですが、不思議とS-DATを示唆する描写は無いんですよ。













※クリックで拡大↓











どうです? 漫画版にはS-DATが登場しないのに、その新たに発売される愛蔵版の1巻の表紙にS-DATを持ったシンジ↓が描かれているということの違和感を、感じ取って頂けたでしょうか?
















・・・
実際のところ、2021/1/26に1巻から順に刊行される『愛蔵版「新世紀エヴァンゲリオン」』には不思議な点が多いんですよ。





まず、本来であれば2020/6/26から刊行されるはずだったのに、映画の公開延期に合わせて発売日も延期されたという点。


単に話題性に便乗させて売り上げを伸ばしたいだけであれば、映画の延期に合わせる必要は無いと思うんですよ。


むしろ、映画の公開前に漫画版を読もうという顧客層に買ってもらえることを考えれば、既に発売しておいた方が売り上げは増加するはずだと私は考えています。


また、映画の公開延期の際には話題性を維持するためのマーケティングが重要となりますが、この愛蔵版を発売しておけばすげー楽だったと思うんですよね。


それなのに、発売を映画の公開よりも後に設定しているということは、映画の内容に関する何かが含まれているからだと勘繰りたくもなるってものです。







次の不思議な点は、『愛蔵版「新世紀エヴァンゲリオン」』は全7巻なのに、その表紙は1・2・3・6巻のみ公開されており、4・5・7巻の表紙は現時点(2020/12/31)で未公開↓だということ。






上で説明しましたが、本来であれば2020/6/26から刊行する予定だったので表紙は既にできているはずなんですよ。それなのに公開されていないのは不思議だとは思いませんか?


特に、6巻の表紙がカヲル君だということは判明しているのに4・5巻の表紙が未公開なのが想像以上にヤバいです。


だって、普通に考えれば、1巻シンジ → 2巻レイ → 3巻アスカ → 4巻? → 5巻? → 6巻カヲル君と順にEVAパイロットが並んでいるので、4巻と5巻にもEVAパイロットが入ると思うじゃないですか。
(※尚、7巻は最終巻なのでそれに相応しい表紙が用意されていると思ってます。)


でもそうすると、4巻と5巻のどちらかの表紙に3号機パイロットのトウジが入るのは順当として、残りの巻のパイロットは誰? ということになると思うんですよ。


でも、漫画版に登場しているパイロットは、シンジ・レイ・アスカ・トウジ・カヲルの5人だけ↓なので、マジで1人足りないんですよ。







ということで、あくまで個人的な意見ですが、この表紙の謎問題に、上述した映画との繋がりが隠されていると面白いのにな~ と期待しています。







最後の不思議な点は、漫画版の作者である貞本義行氏がシン・エヴァンゲリオン劇場版の制作に関わっていない↓ということ。






しかも、コミケまで休むという状況。




・・・あくまでひょっとしたらなのですが、私は、貞本義行氏がシンエヴァに参加せず、漫画版の手直しと場合によっては追加エピソードの執筆を担当していたのではと期待しています。



<※2021/2/20追記>
下の方にも書きましたが、結局のところ愛蔵版の1・2・3巻を確認したところ余白頁が沢山あるだけで追加頁はありませんでしたので、この部分については紛らわしいので削除線を追加しておきます。


この考え、与太話とは言えない可能性があるんですよ。




例えば、旧漫画版の13巻は180頁で構成され、これには口絵3頁、目次1頁、作者プロフィール1頁、奥付1頁を含むので、実質的には174頁分の漫画が掲載されています。

次に、旧漫画版の14巻は196頁で構成され、これには口絵3頁、目次1頁、作者プロフィール1頁、作者挨拶2頁、奥付1頁を含むので、実質的には188頁分の漫画が掲載されています。


ということは、この13巻と14巻を合わせて収録する愛蔵版7巻の頁数は、13巻分の174頁+14巻分の188頁+目次1頁+奥付1頁=364頁が最低ラインとなります。

この364頁に、例えば新規の口絵3頁を加えたと仮定すると367頁になるのですが、実際の愛蔵版7巻は376頁となるんです↓









つまり、計算上、愛蔵版の方が9頁程度多いことになります。


尚、他の巻についても同じ様に計算すると、どの巻も愛蔵版の方が頁数が多いという計算になります。




   愛蔵版1巻 1巻+2巻よりも9頁多い
   愛蔵版2巻 3巻+4巻よりも6頁多い
   愛蔵版3巻 5巻+6巻よりも9頁多い
   愛蔵版4巻 7巻+8巻よりも8頁多い
   愛蔵版5巻 9巻+10巻よりも7頁多い
   愛蔵版6巻 11巻+12巻よりも7頁多い
   愛蔵版7巻 13巻+14巻よりも9頁多い



この、増えたページにちょっと期待したくなりません?
まぁ、あくまで、インタビューとか設定資料集といった新規頁が他に無ければの話ですがね(笑)















・・・
という感じで色々と書き連ねてしまいましたが、要は、『その12』で説明した、『シン・エヴァンゲリオン劇場版は漫画版に話が繋がるんじゃね?』という私の考えが・・・あながち的外れでも無いかも? ってことが言いたかったんです。



まぁ、映画がこれで最後ということなので漫画版の映像化は無理そうですが、DQⅢの様に、『漫画版 新世紀エヴァンゲリオンにつづく』と最後に表示されて終わるというのも中々に乙かもしれませんぜ、旦那(誰?)


















<今日の一言>

そういえば、まさかこのタイミングで『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告↓が公開されるとは思いもよりませんでした。





内容については、あまりにも情報が断片的なので考察するのはちとキツイ感じです


まぁ、無理やり何か言うとするとですね、う~んと。










まず、この後ろ姿の少女↓は・・・





『その9』の考察に当てはめて考えれば、たどり着いた先で出逢うことになる式波・アスカ・ラングレーじゃないですかねー(当てずっぽう)







次に、この何か人間臭い動きをする第13号機↓ですが・・・





『その6』で述べたように、第13号機は『序』『破』のカヲル君を使って作られたと私は考えているので、そのカヲル君の意識が目覚めちゃって自発的に動いているだけとかじゃないですかねー (当てずっぽう)


真面目な話、パイロットがエヴァにわざわざこんな姿勢をさせる意味が不明なんですよ。

だって、パイロットが寛ぎたかったらエントリープラグ内で楽な姿勢をとれば済む話で、エヴァがどんな姿勢をとろうと全く無関係なはずですから。

だから、エヴァの中のカヲル君が目覚め、そのカヲル君が寛いだ姿勢をとっているという考えは、理屈としては筋が通っていると思うんですよ。


実際、『破』のカヲル君は似たような姿勢↓をしてたことだし、この考えは結構アリなんじゃないでしょうか?(笑)












最後に、この謎の少女↓については・・・







個人的には、幼少期の霧島マナだったら熱い展開で面白いなーと無責任に期待しています(笑)

両者とも眼が青いってところは一致していますがそれ以外は根拠無いんで、そこんとこヨロシク!



尚、幼少期のアスカだと言う人が多いとは思うのですが、「さようなら全てのエヴァンゲリオン」というキャッチフレーズが気になるので、私は大穴狙いでゲーム専用の登場人物である霧島マナを推したいと思う次第です。









・・・
という感じで、本当は2020年の大晦日に公開しようとしていて、結局新年になってからの公開になってしまった今回のテキストはいかがでしたでしょうか。


楽しんで頂けたとしたら幸いです。






ではっ!!














※2021/1/28追記

さて、皆さんもご存じのように、シンエヴァンゲリオン劇場版の公開が延期となりました。

んで、その一方で、上述した愛蔵版の1・2・3巻は延期されることなく1/26に発売されました↓




※私も購入しました




つーことで、『愛蔵版の発売はシンエヴァの公開後に設定されているんじゃね?』という私の予想は残念ながら外れてしまいました・・・








・・・と言いたいところでしたが、実は、4・5巻の発売日は2/26から3/26に延期され、6・7巻の発売日は3/26から4/26に延期されたんですよ。






いや~、こうなるともう、4巻以降の表紙に上述した映画との繋がりが隠されているという私の予想がいよいよ信ぴょう性を帯びてきたんじゃないでしょうか。

だって、映画との繋がりが無いんだったら延期する意味全く無いですから。




しかも、発売日未定ではなく、3/26という発売日(4巻・5巻)が具体的に決まっているということは・・・










3/26よりも前にシンエヴァの公開が予定されている






ってことを意味していると私は考えています。

んで、3/26の直前の休みは3/20(土)、3/21(日)となるので、具体的なシンエヴァの公開日は・・・








3/20(土)







になるのではと私は予想しています。
(※次点は3/13、ただ緊急事態宣言の解除からの期間との兼ね合いで少し難しいのではと考えています。)


また、この日であれば、3/31の年度末までに12日間もあるので、それなりの興行収入を2020年度内の売り上げとしてカウントできる可能性があるってのも大きいと思います。


なぜならば、『その9』でも述べたように、映画公開直後からの2週間程度の興行収入って、最終的な総興行収入の半分程度を占める↓んですよ。






つまり、3/20という日付は、延期に延期を重ねたけれども、それでも2020年度の決算に間に合うように売り上げを立てることができる最後のチャンスでもあるんです。


会社にとってはめっちゃ重要よ、これ。



ただし、遅くとも3月上旬くらいまでに非常事態宣言が解除されれば・・・という条件付きだとは思いますけれどね(これも重要)









・・・
尚、愛蔵版の1・2・3巻が予定通りに発売されたのは、『映画の公開延期を公表した段階で既に製造を開始しちゃっていたため、発売を延期できなかった』というのが大きいと思ってます。


あと、結局のところ、愛蔵版の1・2・3巻の内容は、旧漫画版の内容と何も変わるところは無かったので、無理やり発売日をずらす必要性も無かったんだと思います。



つーことで、内容に加筆あるんじゃね?という私の予想については見事に外れました

残念無念~♪








※2021/2/27追記


シン・エヴァンゲリオン劇場版の公開日が2021年3月8日に決定しましたね。




いや~、3月26日よりも前に公開されるという点は予想通りでしたが、まさか非常事態宣言の解除直後に持ってくるとは予想外でした・・・


これ、かなり本気で本年度中の売り上げ回収を目論んでいるんじゃないでしょうかね。