goo blog サービス終了のお知らせ 

星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

幽霊たち 観劇メモ

2011-08-12 | 観劇メモ(演劇・ダンス系)
劇場     森ノ宮ピロティホール
観劇日    2011年7月18日(月・祝)12:00開演 
座席     N列

1か月近く前に観たのにアップが今頃になってしまった。

ポール・オースター作品シリーズの観劇はこれが2回目。
「偶然の音楽」の初演以来だ。
前回と同じく、ほんとにまったく同じようにそれはやってきた。
主人公が最後の台詞を言い終える直前、胸の奥から突然熱いものが
つきあげ、もうちょっとで嗚咽しそうになった。
予期せぬ涙の正体はまたしても喜怒哀楽のどれにもあてはまらない。
あえて言うなら「満」だろうか。
迷うことのないスタオベ。
これが演劇。小説にも映画にも表現できない、演劇だけがもたらし
てくれる充足感をかみしめながら、こんな舞台に挑んだ人たちに、
ありがとう、お疲れさま!と心から拍手を贈りたかった。

原作/ポール・オースター → 翻訳/柴田元幸 → 演出/白井晃
この幸せな巡り合わせに再び出会えたことに感謝したい。



<キャスト・スタッフ>
ブルー  佐々木蔵之介
オレンジ・ヴァイオレット・他  市川実日子
レッドマン・他  有川マコト
グレー・グリーン・他  細見大輔
ゴールドの少年・他  斉藤悠
ブラウン・他  原金太郎
ホワイト・ブラック  奥田瑛二

作/ポール・オースター 演出/白井晃


<観劇前>
書店店頭で読み始めるや忽ち引き込まれ、貪り読んだ『ムーンパレス』 。
ポール・オースターとの、それが最初の出会いだ。
だけど『幽霊たち』は違う。読んでも読んでも睡魔に負けた。
正直言って、これが芝居になるのだろうかと大いに疑問だった。
ちなみに、作品中に出てくる「ウォールデン」とは、ソローの「森の
生活ウォールデン」のことだと思う。30年程前に日本でもブームにな
り、書店で平積みされていたのを買った覚えがある。
これまた退屈な人には思いっきり退屈な本のはず。
こんなほとんど動きのない、ひとつ間違えると退屈になりかねない話
を白井さんはいったいどう料理するんだろう???

<演出・舞台装置など>
始まりは音楽。アメリカの60年代、70年代頃の探偵ドラマを彷彿とさ
せる音楽がかかると、壁(スクリーン)に人間のシルエットが映し出
された。リアルな男の姿がそれに重なり、続いて街のモノクロ映像が。
そこに男が溶け込み、舞台の上はニューヨークの探偵事務所に。
ブルー、ブラック、ホワイト、ブラウンなど、色の名前が登場人物の
名前でもある。(さしずめ青木、黒田、白井、茶川という感じだ。)
名前と舞台衣装の色が一致しているので一目瞭然。

場面転換が素晴しい。
主人公のブルーが移動する間に交差し、行き交う通行人。その人間た
ちが舞台のセッティングを変え、たとえば歩きながらブルーに帽子を
渡し、小道具を整える。その全員の動きのスタイリッシュなこと。
人間たちの動きがそのまま時間経過や、ブルーと他者の関わりを表現
し得ていることにも感心した。

<これは僕の物語。そして観客自身の物語だ>
ここを書いておかなければ、私自身が次へ進めない。
ラスト近くで、ブラックが書いた小説に目を通したブルーが言う。
「これは僕の物語だ!」と。
原作にはない台詞だった。直前に原作を再読したのですぐに気づいた。
この台詞を言うブルーの表情がひときわ明るくて希望を感じさせてく
れた。喪失した自分の時間をそこに見つけたブルーの、無上の喜びが
にじみ出ていてとても印象深いシーンになった。

ポール・オースターのニューヨーク三部作のうち、他の作品を読んで
いて思ったのが、小説家と私立探偵を同義語、同質の仕事と考えてい
るのではないかということ。
だから、こんな小説「幽霊たち」が書けたのだと思う。
小説家が誰とも関わることなく黙々と何かを書いている間は、彼自身
は世の中に存在しない(と考えている)。
同じように探偵が誰か他人を調査し、他人の報告書を書いている間は
探偵自身は存在していないのも同然。
そういう不安から、作家であるブラックが思いついたのが、自分を誰
かに見張らせておいて、作品を書いている間の自分の事を報告させる
ということ。
一方、探偵ブルーは、ブラックを見張っている間にどんどん自分の時
間をなくし、恋人には遠ざかられ、自分が存在していることさえわか
らなくなってゆく。
そして、ついにブルーがブラックの部屋で見つけたのは、ブルーのこ
とを書いた小説。取り戻したのは、喪失したと思っていた自分だった。

その後、舞台はラストへと導かれる。ブルーのこんな台詞(というよ
りも佐々木蔵之介の語り)とともに。
「だが物語はまだ終わっていない。まだ最後の瞬間が残っているのだ。
それが訪れるのはブルーが部屋を去る時である。世界とはそういうも
のだ。一瞬たりとも多すぎず、一瞬たりとも少なすぎない。ブルーが
椅子から立ち上がり、帽子をかぶり、ドアから外に出てゆくーーその
ときこそが終わりなのだ。」
(ああ、なんて美しい言葉。素晴しい訳。柴田元幸さんの仕事だ!)
何かがこみ上げたのは「一瞬たりとも多すぎず、一瞬たりとも少なす
ぎない」とブルーが口にした瞬間だった。

舞台を観ている間、観客自身はどこにも存在していないのも同じ。
(チケットそのものが存在証明とも言えるが。)
この感想をブログに記録することで、私はその瞬間に生きていた自分
の物語を書くことができた。だけど、それで終わりではなく、ブログ
とは誰かに読んでもらわないと存在していることにはならない。
ツイッターでフォローしたり、フォローされたり、リプしたり、リプ
されたりするのも自分が生きていることの確認のためと言えなくない。
自分が生きていることは自分以外の人間と関わることでしか確認でき
ないのだから。
それを知ったうえで私たちは飛び出すしかない。世界へ。

<印象に残った出演者>
●佐々木蔵之介さん
主人公を演じながら、構成上、ストーリーの語り手でもある。
動きの少ない芝居ではあるけれど、オペラグラスで覗くと汗びっしょ
りだった。物語がどう進行しているかを観客に伝えるのは、ほぼこの
ひとの表情にかかっている。
ワケのわからない状況に主人公が飲み込まれてゆく時の憤慨し、落胆
し、憔悴している表情はほんとに素晴らしい。
大きく見開いた白目の中に浮かぶ黒目に宇宙を感じた。ときに大きく
広がり、ときにブラックホールのように引力を持つ変幻自在の目なの
かもしれない。気をつけよう。
●奥田瑛二さん
舞台にはあまり(?)出ていないそうだけれど違和感はなかった。
本当はブラックであり、変装した姿がホワイト。二面を演じている滑
稽さをじゅうぶん伝えておられたと思う。
相手をブルーと知りながら、自分を探偵だと語って話を伝えるときの
表情がつらそうで最も印象に残った。
「その男には私が必要なんだ。自分が生きているあかしとして、私を
必要としているんです」
ただ、私が原作を読んでいて涙があふれた台詞なのに、なぜか舞台で
はそこまで心を動かされなかった。

そのほか、元キャラメルボックスの細見大輔さん。
最近ではTV「新選組血風録」の新見役がよかった。
彼がバーテンダーになって「グリーンだ」「レッドだ」と言う時、
そのポップで唐突な言い方に客席から笑いが起きた。どんよりと物語
が進行している中ですごく効果的だったと思う。
シリアスもできて、こんな笑いもとれる。これからも活躍してほしい。
紅一点の市川実日子さんはオレンジの衣装を着て、外国人みたいな不
思議な存在感が印象に残っている。


●このブログ内の関連記事
偶然の音楽  観劇メモ
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御園座「好色一代男」 観劇... | トップ | 太夫道中メモ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

観劇メモ(演劇・ダンス系)」カテゴリの最新記事