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9つの島を結んだ「しまサミット」 

2007-03-18 22:54:06 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0018_edited   松山市は旧中島町との合併によって、9つの有人島、27の無人島があるまちとなった。3月18日早朝、「松山しまサミット」に参加するため高浜港から高速船に乗る。昨年11月、道後で開催した「21世紀むらまちのかたち」シンポで報告いただいた松山離島振興協会会長・田中政利さんからも案内をもらっていた。真新しい中島総合文化センターに着くと、さっそく実行委員長である田中さんの顔を見つけ握手。ゲストの坂本冬実さんとの交流の話やらNHK「地域再生」特集番組の取材で中島がとりあげられる話など・・・。

Img_0006_edited  会場入口には惣那諸島9つの島から「しまのええもん市」のテントが所狭しと並ぶ。ちなみに9島とは、野惣那島・睦月島・中島・怒和島・二神島・津和地島・興居島・釣島・安居島。それぞれの島の特色あふれるサザエメシ・みかんもち・生ワカメ・しまうどん・たこ飯・干し物・なまこ料理・ひらめ丼・伊予かん・生ひじき・アオサノリ・魚介類・・・。゛寝ずに準備した゛「しまのええもん」は、昼前にはほとんど完売していた。

Img_0022_edited_1  パネルディスカッションでは、唐津市「加部島」の甘夏かあちゃん・山口めぐみさん、笠岡市「白石島」で修学旅行のプロモーションをする原田茂さん、「周防大島」で地域ポータルサイトで島を売り出す江良正和さんから、それぞれ素材にこだわった商品開発と販売、体験型ツーリズム、IT活用による島おこしなどの経験が報告。会場の中学生・高校生にも、都会人も羨ましがる「島に育ったことの優位性」を誇りにしてほしいとメッセージを送っていた。

Img_0024_edited  会場には、戦前からの惣那諸島の暮らしを記録した地理学者・村上節太郎の写真展も開催されていた。昭和20年代の由利島浜辺の集落写真。江戸期からイワシの豊漁場だった由利島には、夏の漁期に二神島から移り住んだ数百の集落があったという。

Img_0033_edited  そのなかに怒和島の獅子舞の写真を見つけた。「獅子だけでなく狩人や狐が登場する芸能は、郡中(伊予市)から伝えられた」とある。確かに郡中と同じ獅子舞である。怒和島と郡中とのつながり。これにはわけがある。江戸時代、惣那諸島は松山藩と大洲藩に領地が分かれており、惣那島(中島)のうち大浦・小浜・粟井・宇和間と怒和島・睦月島が大洲藩領、惣那島の残りの村と野惣那島・津和地島・二神島が松山藩領であった。同じ大洲藩領内の郡中と怒和島。「海の道」をつうじた交流がここにあった。そういえば藩医であった郡中の藤井道一(司馬遼太郎『花神』に登場する村田蔵六の親友)の生家が中島・粟井にあることが最近わかった。怒和島の田中政利さんに今回「しまサミット」を案内されたのも、そんな縁だったのかもしれない。

Img_0007_edited_1  松山離島振興協会によって9つの島が結ばれた。松山市のリフレッシュゾーンをめざして安居島・睦月島・野惣那島をめぐるクルージングなど新たな連携がすすめられようとしている。『しまはく(博覧会)』開催に向けたステップに。過疎化・高齢化の中でも「中島に何かが始まる」と田中さんは夢を膨らませていた。


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