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 総合計画策定プロセスの゛体験゛

2007-03-17 08:09:58 | 社会・経済

 『ひと・まち・自然が出会う郷』-自立を目指す多様な地域が、交流し共生するふるさと。合併後の新伊予市の総合計画、2014年度を目標とする将来像・基本構想・基本計画が策定された。「三位一体改革」による厳しい財政状況、少子高齢化・人口減少のもとで「参画と協働」をキーワードとした中期的な計画指針がまとめられたといえる。2005年8月から審議会に公募委員として参画し、2007年3月まで1年半の間、この総合計画・自治基本条例の策定に関わった。かつてシンクタンクに勤務していた頃、大阪府下自治体の行財政調査や総合計画に多く携わってきたが、人口規模の小さいまちの、また合併後の計画づくりのプロセスを久々に体験させてもらったことは様々な意味で勉強になった。

 そもそも1969年に自治法上に「基本構想」が導入されたのは、70代の高度成長政策によるもの。国・県のいわゆる「上位計画」という国土計画に自治体計画を組み込ませるという中央集権的な意図があった。「基本構想」「基本計画」「実施計画」の三本立ても、旧自治省の「策定要領」(1969)にもとづくものである。内容は公共事業呼び込みのために夢のようなビジョン、補助金頼みの事業計画、数値目標もなくごまかしができる記述型、計画の評価(総括)・見直しもないまま首長が変わればロッカー入りという例も多かった。

 しかし地方分権の流れの中で、実効性の乏しい計画づくりを改める自治体が増えてきた。武蔵野市や多治見市のように目標・戦略・戦術を明確にした計画づくり、10年の「基本(長期・総合)計画」の前期5年を「実施計画」あとの5年は展望計画とし市長・議会の4年任期に対応させる手法、検証しやすい個別・具体の施策プログラムによる体系化など自律的な計画づくりが取り組まれるようになっている。国・地方の財政危機を背景としながら、地方分権の時代にふさわしい計画行政が定着できるのかどうかが問われているといえる。

 合併前の旧3市町の総合計画をみると、コンサルに丸投げした施設プロジェクト中心のもの、分野別施策の総花的な寄せ集め作文というもの、小さな町らしく目標と手段が明確にされて住民参加によって実効性を高めようとするものとそれぞれの゛個性゛があらわれている。これまでの旧市町の総括にもとづき、どのような合併後の総合計画を展望するのかが今回の課題であった。また、合併に伴う政治的公約ともいうべき「新市建設計画」の基本方向 ① 地域の特性や多様な地域資源、地域づくりの経験・蓄積を生かすこと ②一極集中でない分散型のまちづくりをすすめること ③地域内分権・行政内分権を基本とした行財政改革 をベースとすることも必要であった。しかし現実の旧市町関係者の関心は、合併協議にもとづく個々の地元要望事業が、新市の総合計画・実施計画に盛り込まれるかどうかに集まっていたのではなかろうか。

 総合計画の策定は、政策内容とともに政策決定プロセスである審議会でどのような議論がされてきたのかが重要である。伊予市の場合、旧合併協議会委員・議員・職員・公募市民という審議会構成もまたユニークなもので、それぞれの立場がよく見えてくる。合併協議以来、資料・会議録がHPで公開されるようになり審議内容の公開度が高まった。今回の審議会では、意見の文書発表とともに「パブリック・コメント」という自主レポートを毎回発行しながら、委員及び事務局とのやりとりを記録してきた。市町村の総合計画づくりの実際はどのようなものだったのか、いずれまた紹介したいと思う


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