勇気って貰うモンでよろしかったでしょーか?

2013-05-25 | 日記

24日付けの朝日新聞2面の「ひと」は12歳の俳人“小林凛”くん。

        生まれしを幸かと聞かれ春の宵

        いじめられ行きたし行けぬ春の雨

        仲直り桜吹雪の奇跡かな

        紅葉で神が染めたる天地かな

真っ直ぐな表現が心にグングン届いてくる。

ああ、わかるわかる、このツラさ。

言葉をこんな風に使えるあなたは本当に12歳?

写真の中で微笑む少年に思わず声をかけてしまった。

 

ところでトップニュースは三浦さん。

前日からテレビのニュースも新聞も「勇気を貰った」のオンパレード。

鍛錬を続け挑戦する情熱には敬服する。

単純にスゲエ!と感心する。

でもさ、とへそ曲がりの私が囁く。

「勇気を貰う」ってホント?「勇気」って貰うモン?

ましてや高齢者に勇気と希望を与えた、なんて聞くと怖くなる。

「三浦さんはエベレスト登れるのに私は2階の階段も足が痛くて上がれない、ああ情けない

「三浦さんは80歳でエベレスト登ったというのにウチのオジーちゃんはまったく…もっと頑張ってよ」 

なんてことにならないことを祈るわ。

彼を支える多くの人がいたから成し遂げられたんでしょ?

“高齢者が夢を叶えるには本人の強い思いだけではダメで、周りの人たちの理解と協力が必要なのです”

と誰か言ってくれないかしら。

あっ、脱線した。

言いたかったのは言葉のこと。

勇気や希望を貰いたがったり、与えたがったりするのも変だし、

簡単に言葉に出しすぎてやしませんか?

と感じる今日この頃。

 

 

 

 

 



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