24日付けの朝日新聞2面の「ひと」は12歳の俳人“小林凛”くん。
生まれしを幸かと聞かれ春の宵
いじめられ行きたし行けぬ春の雨
仲直り桜吹雪の奇跡かな
紅葉で神が染めたる天地かな
真っ直ぐな表現が心にグングン届いてくる。
ああ、わかるわかる、このツラさ。
言葉をこんな風に使えるあなたは本当に12歳?
写真の中で微笑む少年に思わず声をかけてしまった。
ところでトップニュースは三浦さん。
前日からテレビのニュースも新聞も「勇気を貰った」のオンパレード。
鍛錬を続け挑戦する情熱には敬服する。
単純にスゲエ!と感心する。
でもさ、とへそ曲がりの私が囁く。
「勇気を貰う」ってホント?「勇気」って貰うモン?
ましてや高齢者に勇気と希望を与えた、なんて聞くと怖くなる。
「三浦さんはエベレスト登れるのに私は2階の階段も足が痛くて上がれない、ああ情けない」
「三浦さんは80歳でエベレスト登ったというのにウチのオジーちゃんはまったく…もっと頑張ってよ」
なんてことにならないことを祈るわ。
彼を支える多くの人がいたから成し遂げられたんでしょ?
“高齢者が夢を叶えるには本人の強い思いだけではダメで、周りの人たちの理解と協力が必要なのです”
と誰か言ってくれないかしら。
あっ、脱線した。
言いたかったのは言葉のこと。
勇気や希望を貰いたがったり、与えたがったりするのも変だし、
簡単に言葉に出しすぎてやしませんか?
と感じる今日この頃。
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