褒められてキレル

2011-01-03 | 介護日記

きっかけは些細な事だったのだ。

朝、着替えながら父が私の料理を褒めたのだ。

「○○○がこんなに料理上手なんて知らなかった!天才だね!!」

冗談じゃない

今までどんな料理を出しても必ずケチをつけてたくせに、急に人の好いジイサマ面してオベンチャラ言うなんて許せない

母が生きていた頃・・・

実家の冷蔵庫や食器棚の中にはダシの素やツユの壜がゴロゴロしていた。

昆布も煮干も粉末も!スーパーの棚にあるものはほとんど我が家にあった。

どれもこれも封がきってあって、でも殆どが使い切ってなくて、

何てだらしがないんだろう、と私は呆れかえっていた。

勿論歳をとって家事を上手にこなせなくなっていた事もあっただろうが、

母が死ぬ前後の1,2年間で本当の理由がわかった。

何を作っても父が美味しい、と言わなかったからなのだ。

美味しい、と言わないのならまだいい。

「二言目にはお袋はこうじゃなかった、って言うのよ。いやんなっちゃう・・・」

母が亡くなる前のほんの何週間か、実家に帰った私が料理を作ったときのことも忘れられない。

口のうるさい父の為にしっかり出汁をとった蕎麦つゆも、

ていねいにホワイトソースから作ったグラタンも、

カロリーを気にして作った豆腐ハンバーグも、

父はパクパク食べながらこう言い放つのだ。

「いやあ、銀座の○○で食べた●●●のおいしかった事と言ったら!思い出すなあ!」

 

若いときから好き放題したい放題生きてきたくせに、歳をとったら世間並みのジイサンになるなんて許せない

自分はなにひとつ我慢したこともなく、家庭に金も入れず、急に機嫌が悪くなると私をぶっ飛ばしてたくせに

「忘れちゃった・・・」なんて許せない。

 

私の作った料理を「美味しい、美味しい」と喜んでくれた母。

悲しそうに「私は料理が下手だから・・・」とベッドの上でため息ついてた母。

「そんなことないよ、オバアチャン料理うまかったじゃん!」「でも、オジイチャンが・・・」

 

思い出すと悲しくて悔しくて、腹が立って、やはり父を赦せない私に気付く。

 

 

 



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