映画『personal song』を観て …孤独と自由と…

2014-12-09 | 本・映画・音楽・芝居など
師走だって言うのに!
大掃除どころか
小掃除もしてないのに!
観に行っちゃった




そりゃ地味な映画かもしれない
だけど観客6人は寂しすぎる
いい映画なのに…

観ながら
私のpersonal songは何だろう?
って考えてた

小学生の頃は家にはラジオがあるだけで
音楽と言ったら
NHKの音楽番組のクラシックや
夕方の子供向けの歌
父がマンドリン抱えて歌ってくれた
カンツォーネやフォスター
叔母の家のオルガンと叔母の賛美歌

中学生になっても家にはTVも無くて
友達の家でレコードを聴かせて貰った
カウシルズ(?)の「悲しき雨音」とか
ニニ・ロッソのトランペットとか
自分の好みは関係なし!
あの頃はどんな音楽でも心に響いた
そう言えばTVは買ってくれないのに
何故かフルートは買ってくれて
一生懸命練習したっけ
そうだ!ピエール・ド・ランパル!

あらら~
好きな音楽に辿り着く前から
どんどん思い出が蘇ってくる

音楽って確かに不思議だね
でも聴覚の無い人が認知症になったら
どうしたらいいのかしら?
匂い?

そんな事も考えてしまった…

音楽療法は確かに素晴らしいけど、
それ以前に介護施設の在り方が
問題じゃないの?
ノーマライゼーションなんて言うけど
そんなのどこにあるのかしら?

音楽の素晴らしさより
切なさの方が心に沁みた

老いてもボケても
今日まで生きてきたと同じように
明日も普通に暮らしていきたい
そう、私の父kintaのように
最期まで普通に暮らしたい

父kintaのpersonal songは
クルト ワイルの「ユーカリ」
カザルスの「鳥の歌」
2曲ともいやと言うほど聴かされた

それなのにアルツハイマーになってからは
殆んど興味を示さなくなった
この映画に出てくる老人たちのように
音楽で感情を揺り動かされる事は無くなった


何が違うのかと考える…

父は自分の希望通りに
自分の暮らしたい場所で
今まで通りに生きていた
自分の起きたいときに起き
食べたいときに食べ
寝たい時に眠った
独りぼっちだったけど
「自由」を愉しんでいた

だから音楽で「癒す」必要が無かったのか!

「自由」と「孤独」は2つで1つ
「自由」の無い「孤独」なんて
考えるだけでゾッとする

「家族」や「恋人」が出来て
「孤独」じゃなくなると「不自由」になる
「愛」と引き換えに「自由」を差し出す

アレ?何だか話がそれてきた

何を言いたいかと言うと…
私がうんとお婆さんになって
もし独りぼっちになったら
自由に生きさせて欲しい!ってこと

食べることも歩くことも出来なくなったら?
さて、困ったね…
そしたら介護施設でイヤホンつけて
好きな音楽聴くしかないか

自分の歌聴いて泣くのだけは
御免蒙るけどね♪


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