Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

父倒れる

2007-06-14 10:59:49 | 家族・人





昨日、「愛知医大」に行った。

父が一昨日、心筋梗塞で入院、
その日のうちに緊急手術。

病室の前に着いた時、廊下まで聞こえてきた
父の声は、意外にも先月、会った時より力強い。

<意識はあるのだろうか?話せるのだろうか?>

来る途中のバスの中での杞憂が消えた。

「2.3週間で退院できそうだって・・・。」

前日、手術に付き添っていた姉から、いろいろ聞く。

父の日頃、今回、今後・・・日々大変だろうに、
駐車場で気がひけつつも、上の写真を獲っている私に

「Blog? いいのあるよ。
    ヘリコプターを撮っていきなさいよ。」

と姉は、建物の裏手を廻る気遣いをしてくれながら、
最寄り駅まで送ってくれた。



父は、2年余り前から姉の家の近くに住み、
姉家族、義兄・姉や子供たちに日をおかず
見守られ、援けてもらている。

今回の「命拾い」も、義兄の親族の告別式の為
外出の日の朝にも、マメに父の様子を覗いて
くれた姉夫婦のおかげだった。



       + + +


建物を見上げて姉がいう。
「憶えてる?サッちゃんが生まれた時、来てくれた病院だよ。」
姉が長女を出産した時、偶然盆の帰省をしていた私が
生まれたての『自分の姪』に始めて対面したのが
この病院だったというのだ。

あきれたことに私には、どんな病院だったかという
記憶がカケラもない。
けれど、いつもと違う表情の姉と乳児室のガラス越しに見た
姪のことはよく覚えている。
大きな感動と「私のおねえちゃん」が確実に「姉自身の家族」を
形成しつつあることへの一抹の寂しさも。

でもそんな感情にも浸っていられない位、私自身も上京し
希望の仕事に飛び込んで、夢中だった頃だ。

今その姪は、その時の私の年齢とほとんど変らない。
その頃すでに「老い」を意識して同居を希望していた父。
でも、私達は、新生活にいっぱいいっぱいで
「いまは、勘弁してよ。」と、断れる若さがまだ父にはあった。

これから何度「転機」をむかえるのだろう。
どんな風に、それはやってくるのだろう。

いつか又、・・・10年おきぐらいに
「あの頃はさぁ~」と、
肩を並べて話をしよね。おねえちゃん。





コメント (8)
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