昨日、「愛知医大」に行った。
父が一昨日、心筋梗塞で入院、
その日のうちに緊急手術。
病室の前に着いた時、廊下まで聞こえてきた
父の声は、意外にも先月、会った時より力強い。
<意識はあるのだろうか?話せるのだろうか?>
来る途中のバスの中での杞憂が消えた。
「2.3週間で退院できそうだって・・・。」
前日、手術に付き添っていた姉から、いろいろ聞く。
父の日頃、今回、今後・・・日々大変だろうに、
駐車場で気がひけつつも、上の写真を獲っている私に
「Blog? いいのあるよ。
ヘリコプターを撮っていきなさいよ。」
と姉は、建物の裏手を廻る気遣いをしてくれながら、
最寄り駅まで送ってくれた。
父は、2年余り前から姉の家の近くに住み、
姉家族、義兄・姉や子供たちに日をおかず
見守られ、援けてもらている。
今回の「命拾い」も、義兄の親族の告別式の為
外出の日の朝にも、マメに父の様子を覗いて
くれた姉夫婦のおかげだった。
+ + +
建物を見上げて姉がいう。
「憶えてる?サッちゃんが生まれた時、来てくれた病院だよ。」
姉が長女を出産した時、偶然盆の帰省をしていた私が
生まれたての『自分の姪』に始めて対面したのが
この病院だったというのだ。
あきれたことに私には、どんな病院だったかという
記憶がカケラもない。
けれど、いつもと違う表情の姉と乳児室のガラス越しに見た
姪のことはよく覚えている。
大きな感動と「私のおねえちゃん」が確実に「姉自身の家族」を
形成しつつあることへの一抹の寂しさも。
でもそんな感情にも浸っていられない位、私自身も上京し
希望の仕事に飛び込んで、夢中だった頃だ。
今その姪は、その時の私の年齢とほとんど変らない。
その頃すでに「老い」を意識して同居を希望していた父。
でも、私達は、新生活にいっぱいいっぱいで
「いまは、勘弁してよ。」と、断れる若さがまだ父にはあった。
これから何度「転機」をむかえるのだろう。
どんな風に、それはやってくるのだろう。
いつか又、・・・10年おきぐらいに
「あの頃はさぁ~」と、
肩を並べて話をしよね。おねえちゃん。