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Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

エッセイ2冊

2007-08-08 09:43:22 | 



         

手もちの時間          
1999年11月10日 著者:青木 玉 ㈱講談社 





 近ごろ好きな言葉―夜明けの新聞の匂い
平成12年5月1日 著者:曽野 綾子 ㈱新潮社


『手もちの時間』
 祖父・幸田露伴、母・幸田文と暮らした十年を描いた『小石川の家』でデビューした著者はご本人の控えめさに反して、芸術選奨文部大臣賞受賞という華々しいスタートを切っている。

 そういった血筋の良さ、恵まれた環境に無意識に反発して、タイトルに惹かれても今までこの人のものを読んだことがなかったけれど、いざ紐解いてみるとなんとも静かな物腰の優しさ、周囲の人に対する暖かい視線、生きていくうえで1本筋の通った知恵のようなものを感じて、心地よかった。

 こんな人がお母さんだったら、いえ、せめて身近な親類のおばさんの中に一人いたらどんなにかステキだったろう。

 そういえば、この人が、きもの雑誌で志村ふくみの工房を訪ねたときの対談を呼んだ時も、とても心に響くものがあって、「一度、読んでみよう。。」と思った事があったっけ。
 次回は『幸田文の箪笥の引き出し』を覗いてみよう。

『近ごろ好きな言葉―夜明けの新聞の匂い』
 少し読んで、思わず「クッ。」。 ―笑ってしまった。
青木玉さんの柔らかい美しい文に入り込んで、
「図書館の本では物足りない。コレは一冊買っておこう。」
とまで感激した後で、このストロングな書きっぷりにも快感を感じるんだから、我ながら面白い。
 話は身内の病から海外情勢・政治にまで言及。大勢の意見ではない私見もズバズバ書いてある。
 行間で「えーえー。どうせ反論はあるでしょうよ。だからなんだっていうの。私は裏からも下からも見て触って、コウ思ったのよっ!」と著者が胸を張っている。

 日常からかけ離れたことも、著者の心の温かさ誠実さというフィルターを通してきっちり語られるので、興味深く読んだ。






冷血

2007-06-11 13:41:27 | 





冷血
トルーマン・カポーティ (著) 佐々田 雅子 (翻訳) 新潮社



 凄惨な事件が現実の社会でひんぱんに起こっている今、
一家4人の惨殺事件を主題とするノンフィクション小説を
通常は、あえて読みたいとは思わない。

 映画『カポーティ』を見逃して、残念に思っていた直後
この本を図書館で偶然見かけて借り出した時は、不快なら
読みきらなくても・・・といった気持ちだった。

 読み終えて、スキャンダラスな作家の書いたエキセントリックな
ノンフィクション小説ではなく、本物の作家の書いた年月に
磨がれてもますます輝きを持つであろう普遍的な小説の品格を感じた。

 被害者・加害者が一人ひとり描写されながら徐々に「事件」に
むかって時が流れていく。冒頭からぐいぐい引き込まれた。
犯人が主人公というのではなく、事件後は犯人の家族・追う立場の人や
街の人々に事件がもたらしたものにも焦点があてられる。
さらに、あっけない逮捕とそれに続く裁判や死刑制度についても。

 計り知れない暗く重い部分を通り抜けた読後には、
それでも何かしっかりした希望の種子のようなものが残った。

 その種子は私自身が育てるもの。
社会や家庭、自分自身の暗部にのみ込まれる事なく
生きつづけていこうとする意志かもしれない。







六十代からの・・・

2007-06-01 11:16:47 | 





六十代からのエッセイ教室―エッセイ力は人生力
2006年4月12日 木村治美 海竜社


偶然、図書館の通りすがりの書架でこの本が目に留まった。

『六十代からの・・・』に喰いつく。

からの・・・』は、嬉しい。
このところ、年齢に関しては求人広告の『まで』ばかり目にして
いてうんざりしていたのだ。

エッセイ教室は、時折コメントを寄せてくださるたまむしさんも、
たまむし文章講座』を設けていらっしゃいますが。。。

Blogを書きつづけていると、
「もう少し伝わる文が書けたらなぁ。」と思う。
そんなわけで、たまむしさんの通信講座に
申し込みを考えもした。

ところが絵を習うことで、絵を描くことが苦手になって
しまったトラウマもあって、文章作法に関して
真剣に学ぶことを逡巡してしまう。

というわけで、この本のタイトル、
『六十代からの・・・』に惹かれて借り出ししたものの
正直、最後まで読み終えることが出来るか半信半疑だった。

ところが、暗に反して終始興味深く読み終えたのは
この本が単にエッセイの書き方のノウハウに留まらず
『書く』ことの効用・それを開示することの意義を
とても楽しく力強く語りかけてくれたからだろう。

それは、公開するということでBlogに共通する。

<なぜ、拙い文を書きつづけるのか?>
<きれいごとばかり書くことに価値はあるのか?>
<何をどう書き続けていこうか?>

日頃抱いていた疑問に対する明確な答えが
この本の中にあった。

「恨みも痛みもドロドロのまま流し込む」日記では
ないものを書いていこう。
「誰が読んでも(つまりあとから自分が読んでも)
傷つかない文章」を書こう。
「継続的に自分の世界を見せ合い、語り合う仲間」を
さがそう。
「書き手の思い込みが強くて、読み手に伝わらない」
ことのない文章を心がけよう。
「」内、引用。

最後に〔エッセイの効き目〕と題された一文の抜粋

ここには人生の真実がすべてある。
人と出会い、本と出会い、折にふれ、
繰り返し出会うことができる。
深く成長した自分自身と出会うことも。





今回返却した本

2007-05-02 21:15:29 | 



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ふと、思い出した。
子供の頃、本の選択基準はいかに文字の合間にステキな
挿絵のページが多く入っているか否かにかかっていた。

その基準を今持ち出してみるなら、該当はただ一冊。
『狐になった・・・』。
挿絵がとてもいい。
版画で文章の味わいにも合っている。

今はあれこれ濫読。
私が漁る本棚は『英米文学』で純文学もサスペンスも
新しいのも古いのも結構入り混じって並べられている。

なので、この並びになった。
私が読みたいものは『人生&老い方』。

子供の頃から5年・10年先を考えて、
思い通りにいかない「今」から目を背けていた。
30歳までは、それで支障なかった。
大概はいい方向に進んでいって
年月と共に自分を解放していくことが出来た。

ところが今又、未知の靄のかかった世界の
入り口に立って、いつの間にか足に重しでも付いて
いるような気分。

いままでのことがすべていいことも悪いことも
価値のない事に感じたり、時折実際以上に
これから先は何もできなくなっていくような
気持ちになってしまう。

私たちより年上の方の世代はタフな方が多いから
笑われて、叱られそうだけれど。。。
老いるという事は、辛く寂しく惨めな部分がだんだん
ポロポロ、どうしても出てきてしまう。

若い人と肩を並べて生きるのはたいへんなのだ。
気を張ってガンバっていないとずぶずぶと
沈んでしまう。
若い人は、時折とても残酷にまぶしい。

短編集『最後の一壜』の中の表題作に出てくる
富豪なんて・・・涙ぐましくがんばっている。
その冷酷さ迄、哀れで可愛く感じてしまうほど。

『秋の四重奏』の読後感はしばらく心に
残るだろう。





君はおりこう・・・

2007-04-25 13:43:04 | 


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角川文庫で平成8年に初版。


写真も文章もさりげなくて、・・・でもドキッとする。

「あなたはそれでいいんだよ。」とは言ってくれない。

それでいて、気が付かないでいた部分に入り込んだ
小さな棘までも手当てしてくれるような言葉もあれば、

突然、あまりにも厳しい言葉のいくつかに粛然とさせられる。