神経症に何故なるか。
『私は神経質という病名をたて、その本態的条件としては、ヒポコンドリー性基調があり、その症状発展の条件としては、精神交互作用があるという説をたてて、これを説明してきたが、これによりはじめて治療上の着眼点も得られたし、的確な治癒成績もあげることができるようになったのである。』(神経質の本態と療法 p.21)
森田先生は、「ヒポコンドリー」について以下のように説明しています。
『ところでヒポコンドリーとは、心気性すなわち疾病を恐怖する意味であって、人間の本性である生存欲のあらわれである。したがって、これはすべての人が持っている性情であるが、その程度が強すぎるときに、はじめて精神的傾向となり、異常となり、ますます神経質の複雑、頑固な症状を呈するようになる。』(p.25)
ということなので、結局森田療法とは、以下のようなものということになる。
『このように神経質の病理が定まれば、その療法は、その本性であるヒポコンドリー性基調を鍛錬しまたは破壊するという手段に、その着眼点をおかなければならない。』(p.27)
このヒポコンドリーの語源は、『hypo(ヒポ)は下で、chondor(コンドル)は軟骨であって、胸骨端の心か部(みぞおち)ということである。心配、不安のときには、ここに普段と変わった感じをうけるのであるから、ヒポコンドリーとは、本来ものを気にするという意味から起こった言葉である。』(p.25)
私が毎日、不安を感じる場所が、まさにこのヒポコンドルの部分です。まさに言い得て妙。
「ヒポコンドリー性基調を鍛錬し破壊」するのは、やはり現実に即した具体的行動ということになるのでしょう。社会に出てのいろんな経験も、たとえそれが落ち込み経験であったとしても、きっと鍛錬に役立っていることと思います。
『私は神経質という病名をたて、その本態的条件としては、ヒポコンドリー性基調があり、その症状発展の条件としては、精神交互作用があるという説をたてて、これを説明してきたが、これによりはじめて治療上の着眼点も得られたし、的確な治癒成績もあげることができるようになったのである。』(神経質の本態と療法 p.21)
森田先生は、「ヒポコンドリー」について以下のように説明しています。
『ところでヒポコンドリーとは、心気性すなわち疾病を恐怖する意味であって、人間の本性である生存欲のあらわれである。したがって、これはすべての人が持っている性情であるが、その程度が強すぎるときに、はじめて精神的傾向となり、異常となり、ますます神経質の複雑、頑固な症状を呈するようになる。』(p.25)
ということなので、結局森田療法とは、以下のようなものということになる。
『このように神経質の病理が定まれば、その療法は、その本性であるヒポコンドリー性基調を鍛錬しまたは破壊するという手段に、その着眼点をおかなければならない。』(p.27)
このヒポコンドリーの語源は、『hypo(ヒポ)は下で、chondor(コンドル)は軟骨であって、胸骨端の心か部(みぞおち)ということである。心配、不安のときには、ここに普段と変わった感じをうけるのであるから、ヒポコンドリーとは、本来ものを気にするという意味から起こった言葉である。』(p.25)
私が毎日、不安を感じる場所が、まさにこのヒポコンドルの部分です。まさに言い得て妙。
「ヒポコンドリー性基調を鍛錬し破壊」するのは、やはり現実に即した具体的行動ということになるのでしょう。社会に出てのいろんな経験も、たとえそれが落ち込み経験であったとしても、きっと鍛錬に役立っていることと思います。