内向的性格を生きる

不安と共に生きる
  by mo-ri-tan
(対人緊張・抑うつ感・劣等感を持ちつつ)

「自覚」の重要さ

2008-11-07 06:44:51 | 水谷啓二先生の本
 昨日に引き続き、水谷先生の本「あるがままに生きる」から。

 『お互いに私どもには、自分を他の人びとに立派そうに見せかけようとする傾向があるものですね。そういう傾向があるということを、自ら正しく認めさえすればよいのです。そうすれば、なんとなく自ら恥ずかしくなりますから、ひとりでに謙虚になってくるものです。』(p.68)

 『ノイローゼの人について、ほとんど例外なしにいえることは、甘えもしくは自己中心的であって、物の見方・考え方に偏りがあるということである。偏りがあるために、対人関係も日常生活も、うまくゆかず、行き詰まりを生じて、苦しくてたまらなくなってくるのである。その自分自身の偏った見方や誤りに、自らハッキリ気がつくことを、<自覚>というのである。この<自覚>は、<体験的な人間性の目覚め>といってもよい。そして、自覚すれば、その人の生活はしだいに正しい人間らしい道にひとりでにもどってくるのである。それが、仏教のことばでいえば、<自然法爾>である。』(p.58)

『このように、自分の心の表裏を、ごまかさずにハッキリ見抜くのを<自覚>といい、仏智のはたらきであり、それによって間違った生活の束縛から、ひとりでに解放されるのである。』(p.57)

『彼女は、出戻りとなって実家へ戻ったが、その後、彼女の症状はひどくなる一方であった。その彼女が、苦しみ抜いたあげく、あるがままに自らの非を認めたことから心機一転し、不潔恐怖も一ぺんに治ってしまったのである。』(p.38)


 水谷先生の本を読んでいて、自覚というのがとても大切なんだなあと思いました。正しく自覚すれば、その後は自然に変わっていく。変えよう、変わろうとしている間は、変われないのかもしれません。

 森田理論学習で「行動の原則」というのを学びますが、意識して行動していくというよりも、じっと「見つめ、感じて」さえいれば自然と行動が起きてくるということがあると思います。汚れているのを見れば、手を出そうと思う前に「手が出る」。

 自覚ということも同じようなことで、自分の至らないところをちゃんと見つめてさえいれば、治そうとしなくても、水谷先生の仰るとおり、自然に治ってくるのでしょう。

 行動の原則①に「見つめ、感じる」というのがありますが、これは物を見つめ、感じるだけではなく、自分を含めた「事実」を「見つめ、感じる」ことだと思います。自分だけ得しようと考えている自分。人と会った時に緊張する自分。
「ああ、自分はこんなふうに緊張するんだ」「こんな考え方をするんだ」という事実を批判せずに見つめ、自覚を深めていく。
 『自覚すれば、その人の生活はしだいに正しい人間らしい道にひとりでにもどってくるのである。』(再掲)



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