9月26日の「神経質の分類」のところで森田先生の「精神の葛藤がなければ、強迫観念はない」という言葉を取り上げましたが、私自身は以前に比べてずいぶん葛藤が少なくなってきたように思います。
例えば、職場でどうしてもでなければならない飲み会があるような場合には、昔は何日も前から憂鬱になり、「どうしよう、どうしよう」と頭の中はそのことで一杯になっていましたが、今はあまり乗り気ではないものの、心配しても仕方ない、なんとかなるでしょう、というように思ってしまっているところがあります。
職場のことでも、昨年の年初は、入社以来一番の不安な気持ちで迎えました。職場異動があったためで、年末いったい自分はどうなっているんだろう、と将来の自分が全然見えてこない状況でした。それでも、年末を迎えたら、なんとかやれてました。こうした経験から、どうなりたいとかどうしたいという執着が少なくなってきたように思います。
そういう意味で、生きるのが以前より大変楽になってきたということがあります。小さな恐怖突入を繰り返してきた結果でしょうか。。
例えば、職場でどうしてもでなければならない飲み会があるような場合には、昔は何日も前から憂鬱になり、「どうしよう、どうしよう」と頭の中はそのことで一杯になっていましたが、今はあまり乗り気ではないものの、心配しても仕方ない、なんとかなるでしょう、というように思ってしまっているところがあります。
職場のことでも、昨年の年初は、入社以来一番の不安な気持ちで迎えました。職場異動があったためで、年末いったい自分はどうなっているんだろう、と将来の自分が全然見えてこない状況でした。それでも、年末を迎えたら、なんとかやれてました。こうした経験から、どうなりたいとかどうしたいという執着が少なくなってきたように思います。
そういう意味で、生きるのが以前より大変楽になってきたということがあります。小さな恐怖突入を繰り返してきた結果でしょうか。。