MiddleDayTripperの徒然記

気ままな中年オヤジの独り言

日本じゃあ、もう売れないのかなぁ?

2012-10-27 16:08:38 | 閑話休題

【シドニーモーターショー12】日産 パルサー に「SSS」…1.6ターボ搭載

日産自動車がかつて、日本で発売していたコンパクトカー、『パルサー』。同車がオーストラリアで復活を果たすことは9月に発表済みだが、スポーツグレードとして、懐かしの「SSS」が設定されることが判明した。
これは10月16日、日産オーストラリアが明らかにしたもの。10月19日に開幕するシドニーモーターショー12において、新型『パルサー SSS』をワールドプレミアするとアナウンスされたのだ。
新型パルサーのセダンは、日本で10月5日に発表された『ラティオ』と基本的に共通。中国やタイ向けの新型『シルフィ』、北米向けの新型『セントラ』とは兄弟関係にある。これに対して、新型パルサーSSSは、5ドアハッチバックボディ。中国などで販売されている新型『ティーダ』がベースだ。
かつて、日本で『ブルーバード SSS』が一世を風靡したように、「SSS」は日産のスポーツイメージを連想させる称号。新生パルサー SSSも、その名にふさわしいパフォーマンスが追求される。
搭載エンジンは、新世代の直噴1.6リットル直列4気筒ガソリン。ターボチャージャーで過給することで、最大出力190ps、最大トルク24.5kgmを引き出す。トランスミッションは6速MTまたはCVT。専用エアロパーツなど、内外装もスポーツグレードらしい演出が施されている。

パルサーは日産初のFF駆動となった小型車「チェリー」の後継車で78年に登場。大型化したサニーの市場を担当していたが、小型のマーチが登場すると、82年に登場した2代目からはサニーと同等クラスとなった。セダンとクーペのサニーに対して、初代パルサーはファストバック3/5ドアとクーペのボディ構成だったが、2代目ではクーペがパルサー・エクサを名乗り、セダンも登場した。またセダンはリベルタビラ(販売不振で生産中止になったバイオレット・リベルタの後継車:ブルーバード販売店系列)の姉妹車となった。この頃の日産はアルファロメオと技術提携をしており、83年にHBモデルをベースにアルファ製水平対向4気筒エンジンを搭載した「アルナ」が登場した。86年の3代目からアジア・オセアニアでも「日産パルサー」(欧州ではサニー)となった。90年に登場した4代目では姉妹車のリベルタビラとラングレーが廃止され、パルサーはブルーバードとプリンスの販売系列でも取り扱いとなった。また3ドアHBにブルーバードSSS-Rのエンジンと4WDアテーサシステムを移植したスポーツモデル「GTI-R」が登場した。

GTI-Rは当時の日産が力を入れていたWRC参戦のためのモデルだった。しかし開発途中でレギュレーションが変更され、予定していたグループBやSが廃止され、グループAとなっていた。このためエンジンルームの狭さから冷却系の不具合が続出して成績は残せなかった。(日産ではグループSでミドシップ化を想定していた。GrAで活躍できたのはデルタS4の技術を移植できたランチア以外はトヨタ・セリカや三菱・ギャラン、スバル・レガシィ、フォード・シェラなど大きい車ばかりだった)このため日産はWRC撤退を決定した。

95年に登場した5代目ではコストダウンを目的にサニーと共通化が図られ、3/5ドアHBはサニーから派生したルキノと姉妹車となったが、99年に日産は販売チャンネルの統廃合を発表。プリンス・サニー・チェリー販売はレッドステージ、ブルーバードとローレル・セドリック系はブルーステージに統合される事となり、(07年からはレッド&ブルーとして一元化が進行中)パルサーは後継車のブルーバード・シルフィの登場によって00年国内市場で廃止された。オセアニア市場では「シルフィ」がパルサーとして継続販売されたが、04年にHBモデルは「ティーダ」となった。11年に中国で発表された2代目ティーダがオセアニアで「パルサー」として13年モデルから販売される事が発表された。国内では3ボックスセダンの「ティーダ・ラティオ」が今月初めに「ラティオ」(10年末に中国で新型サニー、11年春に新型ヴァーサとして発表済。タイより輸入)として発表され、ティーダは夏にFMCしたノートに統合され2代目の国内販売はない。

SSSはSuperSportsSedanの略で67年に登場した3代目ブルーバードで初登場したスポーツグレードで、01年に生産中止となるまで歴代モデルに設定された。

日産は60年代後半から大人4名が乗車できる4ドアセダンと派生モデルのクーペやHTにスポーツグレードを設定していたのに対しトヨタはカローラから派生した2ドアクーペのスプリンターやコロナHTなどのスポーツモデルを登場させてセダンにスポーツグレードを設定しなかった。セダンにスポーツグレードを設定したのは日産のターボ攻勢に対抗するツインカム化の始まる80年代になってからだった。他のメーカーはトヨタや日産の様にモデルラインアップを揃えられない事もあり、セダンのスポーツモデルを発売していた。三菱ではギャランにスポーティーグレードGSを設定していたが、スペシャルティーのFTOが登場すると消滅。80年代末期にWRC参戦を目的にターボ4WDのVR-4で復活した。マツダはコスモのロータリーをファミリアに移植したロータリークーペとセダンのファミリア・ロータリーセダン、後継モデルのサバンナを設定。サバンナはスカイラインGT-Rの連勝記録をストップさせた。いすゞはべレットのクーペ版にツインキャブエンジンを搭載しGTとしていたが、日本初のグランツーリスモとなった。また117クーペのDOHCエンジンを移植したGT-Rが登場。(但し-Rは『タイプR』と称した)スカイラインGT-Rが登場するまでは国内レースで無敵と言われた。またこのDOHCはオイルショックと排ガス規制で一度消滅するが、GMの世界戦略車Kカーの日本版「ジェミニ」に搭載されてZZと言うスポーツグレードになった。67年に登場したフローリアンにもTSはツインキャブエンジンを搭載していた。GMのJカーであるアスカと独自開発でFF化されたジェミニではGM系列のチューニングパーツメーカーのイルムシャーやロータス社のパーツを装着したモデルがあり、ターボ車に「イルムシャー」DOHC車に「ハンドリングbyロータス」が設定された。

その後スポーツグレードは70年代になるとオイルショックと排ガス規制によって姿を消して行った。その中でホンダは世界で初めてマスキー法をクリアしたCVCCエンジンを搭載したシビックにスポーツモデルRSを登場させた。80年代になると技術が進歩しターボやDOHCを搭載して復活し、バブル絶頂期には操舵技術も進化して公道では欧州製高級スポーツカーよりも速い国産車が多数登場した。しかしバブル崩壊で再び消え、RVやミニバンブームもありセダンタイプの乗用車そのものが少なくなってしまった。現在では三菱・ランサーエボリューション(ギャランフォルティス)、スバル・インプレッサWRX、ホンダ・フィットとフィットハイブリッドのRS位しか思い当たらない。

メーカーサイドは「市場のニーズが減った。変わった」と説明しているが、本当にそうだろうか?家族のイメージの少ない人気芸能人をミニバンに乗せて「仲間、家族の楽しさ」を強引にPRしているCMばかり目立つが、啓蒙活動を怠ってはいないだろうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。