こころの平和から社会の平和へ

水島広子の活動報告や日々思うことを述べさせていただきます。この内容はメールマガジンで配信しています。

アメリカ報告1―――カリフォルニアにやってきました!

2005年12月21日 | 活動報告
 米国に到着してちょうど一週間がたちました。どうなることかと思ったアパートも見つかり、今日ようやく入居しました。家具はこれからガレージセール(家の車庫で中古品を売り出すもの)やインターネットで物色していくことになりますので家の中はまだガランとしています。

 サンフランシスコは米国でも最も不動産の高い地域として知られており、その郊外のマリン市(私が住んでいるところ)の家賃もかなり高いのですが、その住環境は日本とは比べものになりません。広さや自然環境といったことだけでなく、安アパートであっても気の利いたものが備え付けられていることには感激します。

 ちょうどすべてがクリスマス休みに入るところなので、こちらも本格的な活動は年明けからとし、それまでは生活の基盤作りに費やそうと思っています。すべてがSocial Security Number(社会保障番号。国民総背番号みたいなもの)を中心に回っている米国では、この番号がないといろいろな不便があります。また、家賃や公共料金の支払いなど、外国人にはいろいろと不便なこともあります(これは、支払手段の不便ということだけで、日本の一部に見られるような「外国人オコトワリ」とはまったく違います。ちなみに私がアパートを借りた不動産屋さんの女性も、ドイツ国籍の人であるということが昨日判明しました)。

 そのような制約の中でも、一般市民はとても親切で、何とかしてあげようという気持ちが温かく伝わってきます。また、公共サービスに従事する人であっても、冗談好きで、一言は笑いが出ることを言ってくれるので、基本的に明るい気分ですごすことができます。 

 よく、日本人は礼儀正しいと言われますが、少なくとも「人を見たら挨拶する」ということは、アメリカ人の方が徹底して実践していると思います。このちょっとした声かけや笑顔がどれほど良い生活環境を作り出すか、ということは、かねてから感心して見ていました。スーパーで買い物をしていても、カートに乗って歌を歌っているうちの子どもたちを見た女性が「まあ、歌っているわ。なんてかわいらしいんでしょう」などと言ってくれるので、子育て支援にもなります。

 幸い、子どもたちにもとても良い学校と保育園を見つけることができました。すでに下の子は保育園に通い始めました。やはり米国でも公立の保育園では待機児童になってしまいますが、幸い、モンテッソーリ式教育をしている保育園に空きがあったため、お願いすることにしました。空きがあるから、という消極的な理由で入ったモンテッソーリですが、実は現地では「心と頭に良い」と評判の保育園でした。

★ チャータースクール ★

 上の子の学校はチャータースクールにしました。チャータースクールというのは、親が公立学校を作る、というタイプの、アメリカ独自の制度です。私を含めて、教育行政に関心の高い人なら、コミュニティスクール同様に大変心を惹かれる制度です。チャータースクールはまだ歴史が浅いのですが、カリフォルニアはその中では歴史の長い方です。公立学校と同じ敷地にあり、はじめは公立学校への入学をお願いして帰ろうとしたのですが、帰りに立ち寄った教育事務所で「隣にはチャータースクールもありますが、見ましたか」と言われて存在を知りました。個人の選択を重視するアメリカでは、役所であっても、案外面倒くさがらずに選択肢を提供してくれます。

 チャータースクールを保護者として体験することはとても貴重なことだろうと思ったのですが、校長先生がとても理解のある方で、早速、日本語と英語がともに話せる市民を2人、娘のためのボランティアとして見つけてくれました。そもそもチャータースクールでは私たち保護者も年間55時間学校のためにボランティアすることが要求されていますので、人々のボランティアによって成り立っている学校なのですが、英語がまったく話せない娘にとってはこれほど心強いことはありません。ほかの先生たちは、「英語のハンディがあるからまずは1年生に編入して、あとで2年に移ったらどうかしら」と言ってくれたのですが、そこは校長先生が毅然として「ボランティアを見つけたから言葉は何とかなります。彼女は2年に編入するのが最も自然なのだから」と、方針を決めてくださいました。

 なお、このチャータースクールは、アティテューディナル・ヒーリング・センターのすぐ裏手にあり、センターのスタッフが学校の中で活動しています。ですから、校長先生はセンターの良き理解者で、私の研修もとても楽しみにしてくださっています。

 学校にしても、保育園にしても、私の子どもたちはまったく英語が話せませんので、受け入れてもらえるのだろうか、ということを渡米前には心配していましたが、どこに行っても、「本人が気分よく過ごせるのであれば、こちらはまったく問題ありませんよ」と同じように言われました。これは、個を重視するアメリカの価値観もあるのでしょうが、同時に、英語が第二言語である子どもたちを日常的に多く引き受けているという事情もあるようです。娘が入る予定の2年生のクラスをちらりとのぞかせてもらいましたが、各人種がそろっているという感じで、多様な雰囲気を好ましく思いました。

★ アティテューディナル・ヒーリング (AH)★

 アティテューディナル・ヒーリング・センターでの私の活動は1月から本格的に始めることになりますが、まず、私がなぜアティテューディナル・ヒーリング(AH)に興味を持ったのか、という背景を少々述べさせていただきたいと思います。

 政治活動の中で、私のテーマは往々にして「不安」でした。
 不安は、社会の中でいろいろなマイナスを作り出しています。たとえば、社会の仕組みに変化を起こすことができないのは、不安によるところが大きいものです。夫婦別姓を認めると家族の絆が壊れるのではないか? というのは、まさに典型的な例でしょう。これは私の専門である「対人関係療法」が扱う問題領域の一つでもあるのですが、人間は、何らかの変化を乗り越えようとするとき、新しい環境に関して強い不安を感じる傾向があります。この不安が、変化をしようとする人の足を引っ張ることになります。

 また、不安は、人に「与える」ことにもブレーキをかけます。「自分も苦しいのに、人のことどころではない」と思っている人は多いものです。実際には、客観的に見てもっと「苦しそう」な人の方が他人に惜しみなく与えていることもあり、主観的な「苦しさ」が問題だということがわかります。

 「老後の心配」という不安も、特に日本では大きな社会的テーマです。老後が心配だから、と、亀が手足を引っ込めてしまうように、何もできなくなってしまうのです。確かに、ころころと言い分が変わる政府のありさまを見ていると、手足を引っ込めたくなる気持ちもわからないではないですが、それでは、政府をもっと誠実なものに変えることもできません。

 不安と双子のような関係にあるのが「罪悪感」です。罪悪感も、社会のいろいろな面を支配しています。特に、働く母親などは典型的な被害者でしょう。子育てによって職場に迷惑をかけているという罪悪感、仕事のために良い母親でいられないという罪悪感、子どもの世話を頼んでいろいろな人を巻き込んでしまう罪悪感・・・、と、一日中罪悪感を抱いているような人も少なくありません。罪悪感が何を生むか、というと、プラスのことは生まれません。罪悪感は仕事の生産性を落とし、対人関係をゆがめ、子どもと一緒にいても「心ここにあらず」になってしまいます。アティテューディナル・ヒーリングでも、「今このときを生きる」ということを大切にしていますが、特に子育てにおいては、「今」が一番大切です。子どもの将来のために、と、子どもには目もくれずに仕事に明け暮れたり子どもに過度な要求をしたり、というふうにしてしまうと、結局は「今」の子どもをネグレクト(育児放棄)してしまう、という皮肉な結果になってしまいます。罪悪感ばかり抱いてしまうと、子どもと一緒にいても、心のかなりの部分が自分を責めることに使われてしまいますから、子どものために使われる心の量がそれだけ少なくなってしまいます。

 罪悪感というのは、他人との関係の中で生まれることが多く、本人の自覚と十分なコミュニケーションによってかなりの程度克服できる、と私は思ってきましたが、不安についてはそんなに簡単なものでもありません。「だって老後がこれだけ心配なのだから、不安になって当たり前でしょう?」と言われてしまうと、それもそうだと思ってしまいます。このような不安を自然なこととして認めた上で、不安に飲み込まれてしまわないよう、できるだけの客観視につとめる、というのが、一言で言えば、現実的な精神医学のアプローチです。

 でも、もう少し確固たる価値観を作り出すことはできないのだろうか、ということを私はずっと考えてきました。特にここのところの日本では、弱者を見つけてバッシングしたり、政治がますますおかしなことになったり、と、ますます豊かな精神性からは遠ざかっているように思えます。そんな中、たとえば、老後を不安に思うことで人生の質が上がるのか、と言えば、決してそんなことはありません。むしろ、将来にばかり目が向いてしまって現在がおろそかになってしまう、というのは、子育ての場合と同じです。将来の保障もない上に、今このときまで不愉快な気持ちですごさなければならないという必要性はないのではないでしょうか。

 この疑問に答えを出してくれるのがアティテューディナル・ヒーリング(AH)です。不安や罪悪感を手放すことの重要性を教えてくれるものです。誤解しないでいただきたいのは、不安を手放すと言っても、決して、投げやりに刹那的な生き方をしようと言っているのでもないし、現実から逃避するような価値観にしがみこうとしているものでもないということです。
 
 最後に、余談ですが、米国に来て、「U.S. Post Office」(アメリカ合衆国郵便局)と書かれた立派な郵便局を地域のあちこちで見かけたときには、複雑な気分になりました。郵政民営化に賛成した方たちは、この事実を知っているのでしょうか・・・?
 

子どもの事件をめぐって

2005年12月12日 | オピニオン
 12月10日、子どもの村シンポジウムの帰りの新幹線で、相次ぐ痛ましい事件をめぐって朝日新聞の取材を受けたのですが、大阪にしか配られない新聞のようなので、少々ご報告します。

 子どもの安全をどう図るか、ということについて、私は、問題解決の柱は大きく二つだと思っています。一つは、学童保育の整備です。共働き世帯や片親世帯であっても、学童保育に入れていない子どもがまだまだいます。学童保育の充実をめぐっては毎年要請活動が続けられてきていますが、保育園に比べると明らかに出遅れています。保育園時代は何とかなっても、子どもが学校に上がると突如として「放課後問題」が出てくる、というのは、政策的にも整合性に欠けることだと思います。この一連の事件を見て、日本も欧米のように保護者に子どもの送迎義務をかけるべきでは、という意見を述べている方もおられ、私も理解できる部分がありますが、その大前提としては、学童保育で、せめて保育園なみの時間は預かってもらえる、という環境整備が必要だと思います(さらに言えば、ワーク・ライフ・バランスを改善させて、子どもの送迎を優先させられる職場環境も必要)。

 記者の方が心配しておられたのは、「送迎義務という話になると、やはり女が仕事などせずに家にいるべきだという話になるのではないか」ということでした。おそらく、一部の無理解な政治家はそのようなことを言うでしょう。でも、現実を見れば、少子化と地域の空洞化は間違いなく進んでいるのであり、その時代に、母親が子どもを迎えに来れば子どもは安全で充実したときを過ごせるのか、というと、それは違うと思います。私はかねてから、保育園と学童保育の整備を、「希望するすべての子どもたちに家庭と学校以外のコミュニティを」をスローガンに訴えてきましたが、学童保育の整備は、子どもの通学路の安全を確保する効果があるとともに、少子化時代の子どもたちに安全な遊び場を提供することにもなるのです。

 もう一つの柱は、やはり地域です。自分自身も子育てをしていて地域の方たちに助けられていますが、顔が見える関係の中での助け合いというのは本当にありがたいものです。そして、その「つなぎ役」をしてくれるのは、往々にして子どもたち自身です。「開かれた学校を進めていたら事件が起こったので、また閉ざすしかなくなった」というような話を時々聞きますが、不審者対策と、顔が見える地域の方に学校を開く、ということは、まったく別の次元の話であって、十分両立するものだと思います。

 また、子どもの安全という観点からは、商店街というのは貴重な存在です。開放的に子どもにも目をかけていただけるので、安全の拠点になります。商店街がシャッター通りになってしまっているところが多いですが、やはり、自分たちはどういう地域に住みたいのか、という地域づくりを真剣に考えなければならない時代だと思います。

 12月13日から渡米することになりましたので、次号は、アメリカからの活動報告となります。今後ともよろしくお願いいたします。

子どもの村シンポジウム

2005年12月12日 | 活動報告
 12月10日、NPO法人 子どもの村を設立する会主催シンポジウム「傷ついた子どもたちの未来を創る ~子ども虐待防止のために、今こそ行動を~」に参加しました。子どもの村は、虐待を受けた子どもたちが人員配置の低い大規模施設にいつまでも置かれている現状を解決するための強力な手段として、私もその活動を応援しているものです。子どもの村について、詳しくは、私の国会報告その220(2005年2月26日号)http://www.mizu.cx/kokkai/kokkai220.htmlをご参照ください。

 この日のシンポジウムに私のほかにシンポジストとして参加された方は、フリーライターの椎名篤子さんと千鳥饅頭総本舗社長の原田光博さんでした。
 椎名篤子さんは、「凍りついた瞳」の作者として有名ですが、虐待の生き字引のような方で、虐待のことは椎名さんに聞けば何でもわかります。日本子ども虐待防止学会副会長も務められ、児童虐待防止法の制定・改正において大きな原動力となってこられました。
 もう一方の原田光博さんですが、皆さん、「千鳥饅頭」とか「チロリアン」というお菓子、と聞けば、ご存知だと思います。なぜ千鳥饅頭の社長さんがこんなシンポジウムに、と思われるかもしれませんが、実は、原田さんは福岡県二丈町波呂(はろ)に日本初の子どもの村を作るべく、準備中なのです。
 日本の「子どもの村を設立する会」を、国際NGOであるSOS子どもの村の日本支部にしてノウハウを活用しよう、と準備を続けてこられたのは、シンポジウムの主催者でもある金子龍太郎さん(龍谷大学教授)なのですが、これはどちらかというとソフト面での作業です。一方、原田さんは、有能な実業家らしく、「お金を集めたり土地を用意したりするハード面は得意」とおっしゃいます。その「ハード面」と、金子先生が持っている「ソフト面」がうまくドッキングしてこの計画が進められているわけですから、心強いことです。

 千鳥饅頭のように、子どもの福祉において社会貢献しようという企業がもっとたくさん出てくれば、と思っています。海外は先行しており、たとえば、サッカーのFIFAも国際NGOであるSOS子どもの村の支援をしており、来年ドイツで開かれるワールドカップの最終試合の収益の一部を子どもの村に寄付することが決まっているそうです。SOS子どもの村では、このお金で世界に6箇所の子どもの村を作ることにしています。
 日本でも、ソフトバンクの北尾さんが「子ども希望財団」を作り、グループ会社の利益の1%程度を児童福祉関連施設に寄付する、とし、初年度は1億7千万円近い額を全国の児童養護施設や自立援助ホームなどに寄付しています。
 こうした動きを通して、子どもの福祉にお金が集まると同時に、社会的な関心も高まることを期待しています。

 シンポジウムで、私は、虐待というテーマに関して国政がまだやり残していることとして、
1 民法。まだまだ親権が子どもの権利に比べると強すぎる日本の民法の改正が必要。具体的には、親権の多様で柔軟な制限のあり方を認める、懲戒権を見直す、など。

2 児童福祉関連の人員配置を増すこと。「お金がないからできない」のではなく、数十年後を見通せば、今、子どもたちに人手をかけておくことは、確実に有効な先行投資になる。

3 虐待を受けた子どもたちが家庭的環境で成長できるようにするためには、子どもの村のように子どもに家庭を提供する活動や、自立援助ホームなどを充実させていくのがもっとも効果的。そのためには、NPOに寄付をした場合に、それが控除対象となるよう、NPO税制を改正することが必要。現在、控除対象となる認定NPOはその要件がまだまだ厳しすぎて、社会の枠組みそのものを変えるには至っていない。

4 子どもの福祉関連の予算が高齢者予算に比べて桁違いに低い現状を見ても、やはり子ども家庭省が必要。

などという話をしました。