こころの平和から社会の平和へ

水島広子の活動報告や日々思うことを述べさせていただきます。この内容はメールマガジンで配信しています。

2017年6月のツイートより(抜粋)

2017年07月06日 | ツイッター抜粋

2017年6月のツイートより(抜粋)

2017年6月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。


 6月2日(金)

著書『「他人の目」が気になる人へ 自分らしくのびのび生きるヒント』増刷のお知らせ。この本が多くの方に読まれることは希望につながると思う。ありがたい。http://amzn.to/2rrbjop

私の人生における発生頻度は低いのだが、あるきっかけによって、私は昨夜から今日にかけて、結構落ち込んでいる。でも「自分最悪」と思っているときに限って「著書を読んで救われました」というメールがいくつも届く。私と距離が遠い人でも、励ましのメッセージはいつでも大歓迎です!

応援メッセージにも力を借りて言わせていただくが、私は政治を敬遠する気持ちがよくわからない。エセ三流政治屋を疎ましく思う気持ちは全く同感。しかし、政治こそ、自分の払った税金が首相の個人的親友に使われるのか、本当に必要がある子どもたちなどに使われるかを決めるもの。頑張らなきゃ。


6月3日(土)
今日は、ゆるしについて考えるAHワークショップの日でした。AHの中核でありながら、わかりにくい「ゆるし」についてみんなで考え、いろいろな発見をしました。涙あり、楽しい笑いありの、AHらしい温かい一日となりました。AH仲間の皆さま、ありがとうございました。

「頑張る」について私が思うこと。「頑張れ」も「頑張らなくてよい」も、その本質はアドバイスなのかなと。私が患者さんによく言うのは、「もう十分頑張っているんですよ」ということ。頑張りを認められることで、人は少しやすらかな気持ちになれる。

(1)「政治色が強い」と思って敬遠される、というのは、私がAH活動を真剣に始めるにあたってまずは党派を背負う国会議員をやめよう、と決めたことと共通します(そういう意味で郵政解散は本当に恵みでした。選挙は真面目にやりましたが。あまりにも選挙が急で、後継者を決められなかったので)。

(2)「政治色」ってなんだろうと考えてみると、「自分の正義を押しつける」「反対意見を攻撃する」というイメージなんだろうなと思います。でも今の私も政治にはものすごく関心が高くて、自分の政治活動はAHだと思っている。つまり、相互理解なしに、政治なんてあり得ないと思っているんです。

確かスタンフォードの研究でしたでしょうか。頑張った成果をほめられた群と、「頑張った」ことをほめれた群を比較すると、成果をほめられた群は、やはり「成果」にとらわれて臆病になる。でも「頑張った」ことをほめられた群は自由に頑張る。スタンフォードでなければ、訂正してください。


6月4日(日)
昨日の「ゆるし」のワークショップ参加者の方から。「みなさんの暖かさとかやさしさが伝ってくる安心安全な場所は、生きていく上で、あるとないのでは大違いだと、改めて感じました。」という感想が届いた。ここのところ自己嫌悪気味の私にはものすごく温かく効きます。


6月7日(水)
相手がした不適切なことを「大目に見る」ことと、AHで言う「ゆるし」とは全く違うものです。両者が同時に起こることももちろんありますが。この二つの違いについては、ワークショップで一日かけて皆さんに腑に落ちていただいたこと。書籍化できるとよいです。難しいテーマですが。

少し。相手のひどい行為を「まあ、仕方なかった」と「大目に見る」のは漢字の「許し」、それとは全く関係なく自分の本質が損なわれていないことを確認するのがひらがなの(AHの)「ゆるし」だと私は思っています。 http://amzn.to/2sfTBqu に少し書きました。


6月8日(木)
官僚になる人は、本当に国民のために働きたい人と権力欲ゆえの人と、それらの混合型がいる。今回の文科省の騒動は、その両者に辛い思いをさせているのではないか。前者はもちろんだけれど、権力欲の人も、こんなばかげたことを肯定した過去があったら、必ず出世に響くだろうな。


6月9日(金)
私が尊敬する米国の超一流精神医学者に相談があってメールしたとき、「お互いの国のリーダーがましになるといいですね」と書いたら、「Yours is bad. Ours grotesque. 」という返事が。笑ってはいけない深刻な話だが笑ってしまった。


6月10日(土)
(1)思春期の患者さんと話していて、AHと正反対の世界観・人間観を押しつけている教師がいることを知った。即刻教師をやめてほしい。でも無理だろうから、AHをもっと頑張りたい。執筆も。私は幸い(?)小3からあらゆる教師を信じずに生きてきたから、よい影響も悪い影響も受けていない。

(2)私にも「もっと素直に学生生活を楽しみたい」と思った時期はあった。今、まっすぐに学生生活を満喫している息子を見ると、羨ましい。でも、変な教師の価値観を素直に吸収してしまうということを考えると、自分という人間を確立する上で、教師不信はプラスだったのだなと妙に納得。

私は人間の本質は温かいこころだと信じている。AHやIPTをやっているのは、そういうエネルギーに触れる時間を増やしたいからだと思う。AHが温かいのは当たり前。症状に縛られている患者さんは怖れに満ちあふれているけれども、信頼関係の中で、本質である温かさに触れると「大丈夫」と思う。

AHでは、原則12により、「強く叱責して直そうとするような人」は、「助けを求めている人」と見ます。そう見ることで、自分自身の心の平和が保たれるからです。人を変えることはできない。責任が持てるのは、自分自身の心の姿勢だけ。人が変わるのは、その人のタイミングで。


6月11日(日)
不勉強な私が知る限り、時の中曽根康弘首相に堂々と「私は閣議でサインしない」と反対意見を述べて首相に断念させた官房長官が後藤田正晴さん(私がとても尊敬する政治家)である。そんな国会議員としての良心や胆力を菅官房長官に期待するのが間違いなのだろうか。


6月19日(月)
トロントの国際対人関係療法学会から帰ってきました。学術的参加に加えて理事としての会議やポスター審査などもあり、早朝から夜遅くまで、1分でもあれば眠りたい、という感じの過酷なスケジュールでした。でも学びも交流も濃厚で、よい集まりでした。

「国境なき医師団」で、現在バグダッドで活動しているブラジル人精神科医(女性)もイラクからの参加で、対人関係療法を「国境なき医師団」にも取り入れたいと意欲的でした。いろいろ話しました。

ポスター発表で私たちが最優秀賞に選んだのは、モザンビークでの研究で、同じくポルトガル語を話すブラジル人治療者が現地の治療者を4日間トレーニングする、というものでした。筆頭著者は日系ブラジル人で、見た目は日本人です(日本語は一言も話せませんが)。前からの友人です。

日本でもそうですが、対人関係療法を専門にしている人たちの集まりは、とにかく温かく気持ちがよいです。学術的なレベルは高く妥協はありませんが、「べき思考」がないのも特徴です。それぞれの人の現実をよく知って治療していく対人関係ならではの、他者尊重というのでしょうか。

基本的には学会の枠の中で行動していましたが、一夜だけ、創始者ワイスマン夫妻に誘ってもらって3人で食事しました。どちらの国も政治的な問題を多く抱えていて、そういう話をしたかったみたいです。いつも私の話を「おもしろい」と聞いてくれます。お孫さんの写真等もたくさん見せてくれました。

いろいろと新しいアイディアを持って帰ってきましたので、また仕事が増えそうです(いつも自発的に仕事を増やし、忙しい忙しいと文句を言うパターンですが)。とにかく、「ちゃんとした対人関係療法」を日本にしっかり普及させたいです。

対人関係療法家相手には政治を安心して語れるのは、基本的に皆リベラルだから。人の事情を知れば知るほどリベラルになる。今の政治的対立点はもはやイデオロギーなどにはなく「どれだけ知っているか」「知らないか」だと思う、と言ったら、兄貴分は「知りたいか、知りたくないか」だ、と。

実はちょうど30年前、19歳だった私はカナダ、バンクーバー近郊に3週間のホームステイをした。初めての、全く一人での海外体験だった。ホストファミリーとの親交は続いており今年の2月も東京でもてなしたばかり。カナダ30年記念であると同時に、カナダ東部初体験だった。

今回の学会の日本人参加数は過去最多。若い精神科医の参加もとても心強い。また理事会でチェックしたところ、ちゃんと会費を払っている人数は、英語が苦手なはずの日本でかなりの人数。国際学会の現在の認識では、日本は「かなり普及している国」。あとは治療者の養成と保険適応。


6月22日(木)
驚く嬉しいお知らせ。細川貂々さんとの共著「それでいい。」が発売後すぐなのに重版になったそうです。貂々さん、嬉しいですね! http://amzn.to/2sTCNWt

(1)デング熱。私の人生を大きく変えた病気です。2010年に罹患しました。ウイルスは4つあり、それぞれは終生免疫を獲得するものの、他のウイルスにかかると重篤化してデング出血熱になると。2010年の私はデング出血熱で、おそらく2つめのウイルスの感染でした。

(2)ものすごい出血量で、氾血球減少症となり、あと0.1血小板数が下がれば輸血、というところまでいきました。原因がよくわからない嘔気がひどく膿盆を抱え込む生活。血小板数が0.1上昇したところから出血はぴたりと止まり、生存の世界に帰ってきました。

(3)他の感染症の可能性も否定できませんでしたから、国立感染症研究所が私の抗体を調べた上での確定診断ができるまでは隔離されていました。頭痛と不眠がすごいので夜の巡回の際に看護師に伝えるのですが、私より若い当直医は何もできず。あらゆる薬が、血球を減らすリスクがあるからです。

(4)私は2回目だったのでデング出血熱でしたが(熱は40度くらいまで上がります。私はその状態で3日間の診療をし、その後1日CS放送に出演して、その2日後に済生会中央病院でデング熱?と言われ入院となりました。近医は「急性喉頭炎」と見事に誤診。「喉痛くないんですけど」と言ったけど。

(5)何よりもお伝えしたいのは、デンパサール空港に注意ということ。私はバリで、日本人など一人もいないひなびた漁村に泊まっていました。デング熱を媒介する蚊は都会暮らしだそうです。バリにずっと住んでいる人でも日本で発症している、ということからも空港が怪しいのでは、と思っています。

(7)ちなみに、WHOでは、「蚊」をとても重要な位置づけにしている。普通の日本人の感覚では、「刺されてもかゆさに我慢する」べきもの、という程度だが(私もそうだった)、病気の媒体として無視できない存在。日本の虫除けはパワーが足りないと聞いている。
まあ、デング熱で1週間強制入院になったおかげで、患者さんに迷惑をかけ、「身体を大切にしないと人に迷惑がかかる」ということをいやというほど学び、ランニングとかを始めたので、悪くはないのですが。


6月25日(日)
「ここまで言葉を尽くしても、どうしてそんなふうに受け取ってしまうのだろう?」とかなり悩んでいた問題があったのだが、言葉を尽くした上での相手の理解に悩むというのは、相手を変えようとしていることなのだなと気づいたら楽になって手放せた。


6月26日(月)

私は自分の文章のエネルギーへのこだわりが強く、どうしても「ライターに書いてもらう」という仕事ができない。そういう意味では初めてメッセージを託したのが貂々さん。もちろん漫画部分の文字のチェックはさせてもらったけれどもほとんど修正なし。それだけ信頼できたということ。


6月28日(水)
私が人の「事情」を強調するのは、あくまでも個人の心を平和にするため。組織におけるパワハラなどを、「まあ、上司にも事情があるから」と言ってお目こぼしするために使うようなことはくれぐれもしないでくださいね。

 


2017年5月のツイートより(抜粋)

2017年06月07日 | ツイッター抜粋

2017年5月のツイートより(抜粋)

2017年5月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。


5月3日(水)
テレビは本当に作り込まれたものとそうでないものの違いを感じる。質の悪いテレビに出た後は「世捨て人」になりたくなる。でも、作り込まれたテレビに出ると、本当にみんな頑張っているなと感謝の気持ちを抱く。


5月4日(木)
細川貂々さんとの共著「それでいい。」の再校を仕上げて送ってきた。これで一連の「校正地獄」が終わり、原稿を書けない言い訳が一つ減ってしまった…(でも今年は国際学会もあって本当に忙しい)。

そういえば昔、知事選で一緒に活動した「市民派」の宇都宮市議が、選挙カーでの私の冷えを心配してくれた女性スタッフに、「もう二人も子ども産んだんだから産めなくなってもいいだろ」と言っていた。彼の言う「市民」には女性は入っていなかったのだな、と今頃実感。


5月5日(金)
国際対人関係療法学会のメーリングリストにメールを送ったら、創始者のワイスマンから私に対して激励的な政治的コメントが。学会と政治は通常は別世界。でも対人関係療法はあくまでも平和を目指すものだな、と再確認。あるいは日本がそれほど政治後進国と思われているか(私もそう思うが)。


5月9日(火)
米国在住の友人から。トランプ政権になって保険条件が悪化するので、いずれ受けなければならない手術を前倒ししなければと。マイケル・ムーアのSickoの冒頭で、機械の事故で指2本を切断してしまった人が、どちらか1本安い方を接合させる選択をする、というシーンが現実になる、と。

ヒタヒタと戦前に戻りつつあるような日本と、ドラスティックな変化を迎えている米国。どちらがどれだけひどいのか即断できないが。ブッシュ政権後にオバマ政権を迎えた米国の「揺り戻し力」にはある程度の信頼がある。私はブッシュ時代に米国に在住していたが、そういうエネルギーを感じた。


5月10日(水)
日本の国民皆保険は守るべき重要な制度だと思います。それをうまく運用するためにも、医師の尊厳を守ること。敬意をもたれていれば、それだけ努力しようという気持ちになります。誠実な医師を見つけること。むやみに訴訟を起こさないこと。それが重要なことだと思います。現実的に。

新刊「精神科医が見つけた 運のいい人、悪い人の心の習慣」刊行しました。詳しくは http://bit.ly/2pyO0XM


5月12日(金)
医療トラウマは本当に難しい。特に拒食症の場合、「命に関わる」と言われれば、家族もトラウマを助長する側になる。確立された医学データはもちろん重要だが(カリウム値などはさすがに私も青ざめる)、「どちらとも言えない範囲」については、治療者や家族の考えが反映される分難しい。

私は「体現」という言葉がとても好きだ。口でどんな理想論を述べようと、自分自身が「それ」になっていなければ説得力がない。マハトマ・ガンジーは、「社会に変化を起こしたければ、自分自身がその変化となる必要がある」と言っていた。同意。


5月14日(日)
「現代用語の基礎知識」のメンタルヘルスの執筆、逃げようとしたが捕まってしまった(笑)。名誉な話なのですが、とにかく忙しくて。

インドでビリヤーニを食べていた頃が懐かしい。私が今日食べたもの(肉が表に出ている)と違って、北インドでは、ご飯の中から素手で羊肉を掘り起こす、という食べ方だった。デング出血熱になってから暖かい地方に行かれなくなったのが本当に本当に悔しい。

食事をしようとしたら椅子が倒れて左顔をしこたま打った。左目がボクサーみたい。明後日は講演。メイクに詳しい娘に「何とかならない?」と聞いたら「無理」。そうだ、絆創膏をしよう。写真撮らないでくださいね。


5月15日(月)
尊敬する政治学者に「マクロン」のことを「マカロン」と書いてしまった(超赤面)。でもこれには言い訳があって、私のスタッフが書いた文章のコピペだったんです。

「受験と教育の総合サイト inter-edu」に、「怒らない ですむ子育て」の紹介記事がアップされています。
インターエデュ「エデュママブック」
http://www.inter-edu.com/article/book/book-170512/

3年近くぶりにiPhoneの機種変更に行ったら、何と私が「電話かけ放題」プランに入っていたことが判明。固定電話を探したり、ラインやスカイプを使った努力は何だったのか。脱力。あまりにしつこくauショップの人に「本当にいくらかけても大丈夫なんですか?」と聞いたので心配されたかも。

今書いている本は、「女子の人間関係」の続編とも言える(版元は違いますが)「女子の自分関係」(タイトルは変わるに決まっていますが)。美醜、加齢、女子力。女子は自分とのつきあいも大変。そのあたりに少し光明をさせれば。頑張って書いています。

怒らないですむ子育て~そのイライラは手放せます~ (水島広子) が、10%OFFでKindle化されました。金曜配信。
http://j.mp/2ri4jti


5月16日(火)
今日は中高生の保護者向けにLGBTの講演をした。この学校で学べる子どもたちは幸せだと思った。今帰途についたところ。

今日講演に行った学校では、(カミングアウトした生徒には)アイデンティティに合った制服を許可している。校長先生(年輩の男性)は、LGBTを「人権問題」ととらえて熱心に取り組んでいる。トランスジェンダーは自殺につながるほどの悩みをもたらす。理解者である校長先生に感動の涙。

あるデータによれば、米国では一生の内に一度はうつ病にかかる女性は10人に1人。性的マイノリティ(LGBT等)は13人に1人。今、うつ病が「どこにでもある病気」と思われるのと同じように、LGBTも将来的には「人間に普通に起こること」と思われるのだろうか、と前向きな思い。

今日の講演で出た質問の中に「有名人がカミングアウトする影響を受けて、自分ももしかしてLGBT?」と揺らぐのでは、というのがあった。そんなことはない。ファッションとして一時的に揺らぐのはかまわないが(思春期なんてそんなもの)、本質は自殺してしまうくらい深刻な問題なのだ。


5月17日(水)
今日患者さんと話していていよいよ自分の中ではっきりしてきたのが、病気の症状と、人間としての本質の区別。私はAHが言う「人間の本質は温かいこころ」を信じている。でもトラウマ症状などによって対人不信や警戒感が出てくる。それでも、温かい本質を感じる瞬間は確かにある。

ランニングについて言えば、生体リズムから言うと夕方以降がよい。朝のランニングは実はあまりよくない(前、心筋梗塞で亡くなった有名人がいましたね)。でも寝る前4時間は本当は運動しない方がよい。もちろん食後もよくない。というわけで、時間を見つけにくい。

日焼け止めを塗って夕方毎日ランニングしていたこともあったが、最近は日焼け止めも面倒くさい(私の性格)。というわけで、運よく夕食を早く食べられた日の夜にしか走れない。ただ、大学時代運動部だったこともあり心肺機能が強いので、時々走るのでもちゃんと走ることはできている。

私が運動を真剣に考え始めたのは、デング出血熱で入院してから。自分の健康がどれほどの人(家族だけでなく患者さんとか)に影響を与えるかを真剣に考えたからです。ウォーキングを始めてみたけれど、かつて運動部だった人間には物足りなく、結局ランニングになった。


5月18日(木)
延々と運転して穂高養生園に来ました。ともこさんの天才的発想により、眠気対策にコーヒーをコーヒーメーカーのポットごと持って来ました! ずっとしゃべっていたので眠くなりませんでしたが(笑)。

厚労省の友人から情報提供。5/15、「体罰によらない育児を推進するための啓発資材」を研究班で作成し、全国の自治体に周知したとの由。好ましい方向。


5月20日(土)
とりあえず実践ワークショップの前半が終わり、あとは夕食とハーバルサウナ。富士山と浅間山の溶岩にハーブの煮汁をかけるハーバルサウナは、私にとって養生園のハイライト。ちなみにドライサウナは嫌いだし長風呂もしないタイプですが、これだけは特別。

ハーバルサウナ終了。私にとって一番の楽しみなので、女子チーム男子チームそれぞれとご一緒し、計2時間。目の腫れとアザが改善したのではという指摘あり。これだけたくさん汗をかいても入浴せずに寝ると(サウナ前に入浴ずみ)、明朝は臭くもなく、サラサラぴかぴかの肌になるのが不思議。

明日のワークショップでプログラムが終わり、帰京する。AHは1日一緒に過ごすだけでも温かい繋がり感が得られるが、宿泊プログラムはほとんど家族的距離感。

ちなみに今年の養生園のAHプロジェクト、男性参加者が過去最高。キャンセル待ちの方にも男性が多かったそう。他の養生園の催しでも見られない現象のよう。AHがじわじわと、しかも着実に広がってくれるのはとても嬉しい。しかし原点は、あくまでも自分自身の心の平和が唯一の目標。


5月22日(月)
養生園の自由時間に私のくだらないおしゃべりにつきあわされた方たちには「え?」だと思うが、私は社交が嫌いだ。話をするのなら自分にも相手にも面白くしたい、という気持ちはあるが。社交不安が病気を含めて社会的テーマだが、私は人生の間ずっと「社交不安」ではなく「社交嫌い」だった。

来月はカナダの国際対人関係療法学会のためトロントに行く。理事なので、社交的場面から逃げ出すことも許されない。私が特に嫌いなのが、米国風社交。表面的に明るく親しげに社交してもねえ。私には人生の無駄遣いとしか思えないのだが。

『誰と会っても疲れない「気づかい」のコツ 』増刷のお知らせ。気遣い=疲れる、ではない、ということは、今回の穂高養生園でのワークショップで自分自身が強く体験。自分なりに気遣いしていたけれども、結果として元気に。http://amzn.to/2r68gEO

専門分野を持つ人がそれ以外のことを専門家面して話し始めると「終わった」と思う。多くがプロダクションとかの思惑によるようだけれど(当然私は無関係)。専門を究める努力を知っているはずの人が専門でもない領域について簡単に話すなんて「そもそも本当に専門家だったの?」と思われて当然だろう。


5月23日(火)
【本日発売!】「Kiite! 6・7月号」(69頁)に、梅雨時の精神状態への付き合い方をお答えする水島広子の記事「こころの応援談 第17回 」が掲載されています。全国の郵便局でお買い求めいただけます。(ゆ) https://pic.twitter.com/ccOe3NnU2m

私はわが子たちに「かか」と呼ばれている。もともとは成長に伴い「お母さん」に変える予定で始めた呼称だったが見事に失敗して固有名詞化している。しかし最近ある知人から「音としての響きと、そこにあるであろう信頼感のようなものを感じて、癒される気がする」と言ってもらって嬉しかった。

先日、養生園から帰宅したら、私が出演しているテレビを子どもたちが見ている、という状況だったが、娘からは「こういう自分を見て恥ずかしくない?」と鋭い質問が。はい、恥ずかしいです。でも同時に娘は「収録が、顔を怪我する前でよかったね」とも言ってくれて、親ばかの私はその優しさにじーん。

私は子どもとか動物とかが大好きなのだが(愛犬にもメロメロ)、20代の頃までは敢えて嫌いだと言っていたし子どもを持つつもりもなかった。それは、ジェンダーの影響。「子どもが好きなのはやはり女だからだ」と言われるのを極度に嫌っていた。自由に発言できるようになって幸せ。


5月24日(水)
「図書館教育ニュース」(少年写真新聞)5月18日号に水島広子著『10代のうちに知っておきたい折れない心の作り方』(紀伊國屋書店)が掲載されました。
http://amzn.to/2ryuKy5   https://pic.twitter.com/hfCbjJi4Br

先程まで、娘と「モハメド・アリとか、チェ・ゲバラとかすごいよね(ゲバラについては、必要悪とわかりながら暴力的部分に違和感が残るが)」話していた。子どもが大きくなると甘ーい喜びはなくなっても、平和的・人道的価値観がちゃんと育っていることが確認できたりする喜びがある。

私は子どもたちが小さい頃から政治についてわりと本質的な話をしていたので、今、思春期の子どもたちが「かか(私)が好きそうな考え」をベースに、自分たちの価値観を作り上げている様子が何よりも嬉しい。勉学はあまりぱっとしなくても(ごめん)。


5月25日(木)
雰囲気的に、保守的で良識的な人たちが、少しずつ発言を始めているという感じなのかしら。まだまだこの国に政治的良心があるという安心感が芽生える。それにしても、本来週刊誌ネタであるはずの「出会い系バー」とか報道してしまう新聞って「社会の木鐸」返上ですな。

ちなみに読売新聞はかなり強引な勧誘に来る。私は「読売は困るんですよ」と答えている。販売員も「あ、お困りになる事情があるんですか」と聞く。「はい、まさにそうなんです」と答える。そうすると案外あっさり帰ってくれる。

本当に。古いと言われるかもしれないけれども、未だに毎朝指を黒くしながら新聞を読む私は、新聞に「社会の木鐸」を期待しています。デジタル版にすることも何度も考えましたが、新聞のない環境で子どもを育てたくない。その思いで、指を黒くしています。新聞、頑張れ。


5月26日(金)
私はそう思っています。基本的に、攻撃的なエネルギーをもったツイートは(理屈はその通り!と思っても)リツイートしない。社会問題を指摘するとしても、自分の心の平和は最も大切にする。そういう小さな努力の積み重ねが、社会を変えるのだと、信じています。

私が子どものことをよくつぶやくのは、決して「リア充」系の自慢話ではない。産後休6週間しかとらず、仕事人間だった私でも、子どもと強い信頼関係を築けていることから、親達に勇気を持ってほしいだけ。我が子も不運には遭遇しているし、反抗期もちゃんと経験した。でも、信頼関係は本物。

親による子どもの体罰について、当時の福田康夫官房長官と国会で。親による体罰は残念ながらまだ違法ではない。福田氏は「米国でも、悪いことをすればスパンクしてもらうためにお尻を出すじゃないですか」。私は「うちの子は、お尻を叩かなくてもちゃんと謝ります」。記憶に残るやりとり。

ラインのスタンプについては、私はずっと「はあ?」という立場だったが、大学2年の甥が本当に私の気持ちに添ったスタンプを送ってくれるので、とても癒されるようになった。兄は苦手だが甥は大好き。人生わからないものだ。

先程の、福田官房長官とのやりとりは、ここにあります。
http://www.hirokom.org/sitsumon/seisyonen/seisyonen020411.html

今まで、ツイートしたかどうか忘れてしまった(年のせいか、酔っぱらっていたのか)が、私はやはり映画「チョコレートドーナツ」が好きだ。落ち込んだときにみると、必ず涙を流すし、「私もできることをやらなきゃ」という気になる。


5月27日(土)
6月トロントで開かれる国際対人関係療法学会(ISIPT)は、かなり忙しい日程になることが確定。引退モードの私は基本的に「もういいや」なのだが、ここまで私を支えてきてくれた国際的先輩(創始者含む)への感謝と、今後も日本のプレゼンスを失わないために、できるだけ頑張ろう。


5月28日(日)
政治のことを書くと、「私が今現職議員でないことくらい確認してからコメントしてよ!」と思うような感情的な決めつけ反応が通り雨みたいにやってきますけど・・・。しょせん通り雨ですので。

対人関係療法は、絶対に普及させたい、という強い意志のもと私のアカデミックな人生のほとんどを費やしてきたものだが、かなり孤独な作業だったのが、先輩やユーザーの方など多くの理解者を得て、今では次世代も育ち「私がいなくなっても大丈夫」な雰囲気になってきている。達成感。

私は、医学部進学も精神科の選択も、実は「行き当たりばったり」で全く計画性がなかった。ただ、その後はだいたい「やりたいこと」を決めて生きてきている。政治もAHも対人関係療法の普及も。また「やりたいこと」を決め直すと思うが、常に守ってきたのは「それまでの人間関係を絶たない」こと。

どれほど医学部進学が不本意だったかを示すエピソード。私は大学5年のときに学務課?に行って「もう4年も大学に通ったのだから、学士の学位(大卒の資格)くらいはください。医学部の最後の2年は修士課程のはず」と頼み込んだ。結局それは不可能で、「あと2年だから頑張って」と慰められた。

なんか、今とても不安になった患者さんがいるかもしれないので追加しておきますが、精神科医に実際になってみて、「これは私の天職だ」とすぐに感じました。

今日研究会に参加した後輩と話したこと。私はもともと人に貴賤をつける天皇制に反対だったけれども、最近の日本を見ると、国家セクターとして天皇夫妻「だけ」が国際社会において日本の品格を保ってくれていると、その存在に感謝している。


5月29日(月)
先日穂高養生園の食事のときの雑談で、私はショッピングが面倒で嫌いだ、と言ったら驚いている人もいた。でもともこさんが「水島さんは好き嫌いがはっきりしているからじゃないですか」と言ってくれて、私もすごく腑に落ちた。確かに、私は好きなものを切らさないための買い物しかしない。

タクシーの運転手さんとの会話は総じて「メディアが何を伝えているか」の指標になると感じる(あくまでも総じてであるが)。私が出会ったタクシーの運転手さん(多数)は多くが政権寄りであり、反中国である。朝日新聞は反権力的記事も敢えて載せているが、最近は萎縮しすぎだと思っている。


5月30日(火)
「あったものをなかったものにできない。」からもらった勇気
http://bit.ly/2r6Cgxn


2017年4月のツイートより(抜粋)

2017年05月02日 | ツイッター抜粋

2017年4月のツイートより(抜粋)

2017年4月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。


4月1日(月)

肥満を恥ずかしく思わない人の方が、メタボリックシンドロームが少なく中性脂肪が低い。肥満を恥ずかしく思う人の方がむちゃ食い行動が多い傾向や運動モチベーションが低い傾向と関連か。 http://bit.ly/2nsHeBZ

【発売中】WITH5月号 195ページ 「VIVA!新生活 "女子間コミュ力"ください!」に水島広子のインタビュー記事が掲載されています。女子同士のコミュニケーションは何故こうも複雑にこじれやすいのか、その理由と対処法を、分かりやすく解説しています。(ゆ) https://pic.twitter.com/tbXrgpBGbr

確かに、誰にでも一回は読んでほしい記事だと思う。 https://goo.gl/2ZuqFS


4月4日(火)

前からずっと気になっていたことだけれど、「親を大切にするよう、教えるべき」などと主張している人たちは、現実の子どもを知らないのではないかな。

そもそも、教えられなくても、子どもは親を大切にしている。大切に育てられた子はもちろんのこと、ひどい育てられ方をした子も。だからこそ虐待親に対して「自分が悪かったのではないか」という思いを否定しきれないのだと思う。 https://goo.gl/WMxWpA


4月5日(水)

「また宣伝か」と思われるのもうんざりだが、「現実の子ども」をぎゅっと詰め込んだ一冊が、4月20日刊行予定の「怒らないですむ子育て」。思春期用には「10代の子をもつ…」を勧めるが、反抗期の影響を受けない子どもの本質を知るには「怒らないですむ子育て」の方がむしろよいかも。

日本も英国のように、青少年の行動について学術的調査(オクスフォード大学)と政策決定がリンクしていればずっとよいのに。教育や子育てのことになると、どうしても「子ども」「子育て」を知らない人が机上の空論を述べている感が強すぎる。 http://bit.ly/1FA2nez

例えば同じコーランに基づいていても、穏健派イスラム教徒の人たちとISは全く違った人たちだ。私たちが目を向けるのは、なぜその違いが生じたのか、ということであって、コーランそのものの内容ではないはず。

「教育勅語」の再登板などには、二つの可能性がある。一つは政治的なもの。もう一つは、子育てについての不安。少なくとも後者は対処可能だし、データも経験もたくさんある。子どもの現実と関わっている人間から、もっと情報を得てほしい。私も著書などを通して、できるだけ発信しているつもり。

ちょっと言葉足らずだった。確かに私は思春期の患者さんを多く診ているし、子育てを通して多くの子どもを知っている。「今時の子」を知っている人たちが増えてほしいとも思う。でも、親を思う気持ちは、欠点のある親に対する自分の複雑な気持ちを振り返ることで実感可能なのでは。

親もできるだけのことをやるしかできない。それがそのまま子どもに伝われば意味があるのだと思う。完璧な親を目指す必要はない。「もっとうまくやりたいけど、うまくいかなくて」ということを率直に子どもと共有できる時間でもあれば。子どもを変な完璧主義から救い出すと思う。

SNSも、子どもや若者は見ている。相手が誰であろうと無礼なツイートはリツイートしないとか、攻撃的なエネルギーを持つものはリツイートしないとか、決めつけはリツイートしないとか、そういうのも「SNSリテラシー」の一部かもしれない。

「親が何を言ったか」ではなく「親が何をしたか」を見て子どもは育つ、というのは本当にそうだと思う(子どもに対して愛情あふれる言葉を言うのも「親が何をしたか」の一つ)。子どもに道徳教育を押しつける前に、まずは大人が自分の心の姿勢に責任を持つ、ということが肝要だと思うが。


4月6日(木)

なぜ「テロ」が起こるのかを検証することもなく、単に「テロ防止」という名をつければ何でも許される、というのは、民主主義や、学術活動の否定のように思う。

アレン・フランセス。つい最近彼のツイッターを知ってフォロー開始。私の恩師大野裕先生の恩師。常に励ましてくれるし私の話に大笑いしてくれる。とても常識的で温かい人。DSM-IVの責任者。精神科の過剰診断に警鐘を鳴らす貴重な人。「正常を救え」は好著。 @AllenFrancesMD


4月7日(金)

勘違いした人がいるみたいだけれど、私とムスリムの交流は、あくまでも彼らが居住する現地においての話。自分の土地で自分の宗教に従ってとても穏やかに暮らしているムスリムの人たちはたくさんいる。平凡で幸せな家庭生活を守りたいという点では、明らかに私たちと類似性が多く、ISとは違う。

トルコ滞在時、リビア経由でチュニジアに行こうと計画したけれども、リビアの領事館で「ビザの値段などは、明日くれば教えよう」などあまりに不透明なことを言われてやめた。結局モロッコでクスクスは食べたけれど。パキスタン領事館では夫婦別姓を認められずビザが取得できなかった。 https://goo.gl/6RH5Rq 


4月12日(水)

【ラジオ出演】J-WAVE『JAM THE WORLD』に水島広子が出演します!
日時:4月18日(火)20:00~22:00
【テーマ】
「コミュ障」って何?
上手にできるコミュニケーションを取るコツとは?
詳しくはこちら→http://hirokom.org/blog/?p=844 https://pic.twitter.com/q2bS5NEj5z

【新刊】amazonで予約受付が始まりました!!
『それでいい。:自分を認めてラクになる対人関係入門』
http://amzn.to/2nYOwN3
“ネガティブ思考クイーン"の漫画家・細川貂々が、
精神科医で「対人関係療法」の第一人者・水島広子に会いに行く、等身大の成長物語”


4月13日(木)

「Kiite! 4・5月号」(71頁)に「学びたい私。夫をどう説得したらいいのか分からない」読者からのご質問に対する水島広子の記事「こころの応援団 第16回 」が掲載されています。全国の郵便局で5月22日までお買い求めいただけます。(ゆ) https://pic.twitter.com/xSJDiYGfFL


4月14日(金)

ありがとうございます。嬉しいです。ちなみに、現在、光文社知恵の森文庫の『「他人の目」が気になる人へ』として改訂版(文庫)が出版されていますので、ご関心を持たれた方はそちらをお読みいただくと、価格も安いですし、よりアップデートされております。 https://goo.gl/zxRAkj

自民党で出馬したいけれどもすでに選挙区に候補者がいて…という人が存在したのは事実ですが、中核となる人たちが、リベラルな勢力を作ろうと、不断の努力をしていたことも事実なのです。本当に、皆さん、一度政治家経験をされてみたらよいのに、と思います。 https://goo.gl/dKGt58

わくわくは今後も可能だと思いますよ。リベラルに焦点を当てれば。ただ、「政権交代」に集中しすぎた結果、歪んだ小選挙区制が生まれ、本来一緒にやっていけない人たちが一緒になった。北欧のように、それは連立政権でバランスをとっていけばよいものだと私は思っています。 https://goo.gl/Gaei5K

おっしゃるとおり、きちんとしたリベラル勢力を作ることにわくわくしていました。同時に、「政権交代」にこだわりすぎているとも感じていました。今も私はリベラルです。しかし、リベラルとか保守とかの言葉が、本来の定義を逸脱して使われている今、別のアプローチを試しています。https://goo.gl/1pnwAc

私は今年からは完全に、党派性のあるツイートをやめた。そもそも民進党とは何の関係もないし。心配なのは、立憲主義と民主主義が侵されることだけ。システムについての問題しか指摘しない方針なので、民進党への悪口を私に言っても無駄ですよ。


4月24日(日)

これは嬉しいご報告です。ありがとうございます。(それにしても、いつまでたっても「スルー力」が「するーか」に見えてしまう私です…「スルーりょく」なのですが) https://goo.gl/eYCjSO

寺町東子@teramachi_toko

1年前の記事が全く古びてない。/なぜ、「親の責任」を指摘する男たちは愛人・隠し子を作るのか?https://goo.gl/fFHTsj # @HuffPostJapanより

講談社 withオフィシャルサイト | 水島広子先生が指南! 女子同士のコミュニケーション、複雑でこじれやすい理由って!? http://withonline.jp/lifestyle/5554


4月25日(火)

資本主義と民主主義を同一視することが、多くの問題を見えにくくしていると思う。

5月に刊行する「運」の本で、ポジティブ思考の暴力性について触れましたが、結構暴力だなって思うんです。 https://goo.gl/ylAZKn


4月26日(水)

実は。今日のシニア向け取材でも、貂々さんとの共著については結構触れたんです。ネガティブをそのまま受け入れることによって、結果としてポジティブ(わざとらしい、まぶしいのではないですよ)にすらなる、ということを。ありがとうございます。

小学館の「DAKKO」@n_dakkoに水島広子のインタビュー記事が掲載されました。
『ママのイライラは手放せます!「怒らないですむ子育て」のコツ伝授』
https://goo.gl/e8jjQm
書籍の購入はコチラ→http://amzn.to/2p32Jg1 https://goo.gl/0sQoGY

母が料理を教えてくれなかったので、外で食べたおいしいものを、自分なりに再現するんです。青椒肉絲も含めて(レシピなしに、味覚便りに)。子どもたちもそんなだめな私のことはわかってくれているのですが、「病気のときはかか(私)のおじやが食べたい」と言ってくれます。

今日は診療後、シニア向け雑誌の取材。「歳をとることは失うことばかりでなく得ること」という趣旨で、いろいろ話していたら、私も歳をとることに前向きになってきました。

なんか本の宣伝になってしまいますが(図書館で借りていただいても本当によいのですよ)、5月刊行予定の「運」の本にそういうことを書いたのと、今まさに、原稿段階ですが、女性、加齢、恋愛市場、などに関連した本を書いています! お役に立つとよいです。


 4月29日(土)

「怒らないですむ子育て」にも書いたけれど、私は子どもを叩いたことがない(怒ったこともない)。緊急事態のときの特効薬は「くすぐり」だった。危機回避もできるし、みんな笑ってしまうし、とてもお勧め。 http://amzn.to/2qhrMdP

ちなみに私自身はものすごく叩かれて育った。そのことを知っている我が子からは、「かわいそうだね。自分は叩かれたのに、子どもは叩かないんだから、一番損しているよね」と同情されている。損?と言えば損だが、我が子を叩かないですむ、というのは幸せだと思っている。

大野先生、ありがとうございます。何歳になっても、恩師からの激励は嬉しいです! https://goo.gl/kMZe6q

水島広子の『ダイエット依存症』電子版の予約販売が始まっています(5/12配信)。
amazon kindle版http://amzn.to/2qhOLVZ
Apple iBooks版https://goo.gl/yoWCAV https://pic.twitter.com/8dkzLCebRP

水島広子先生が教える「女子同士のコミュニケーション、複雑でこじれやすい理由」 [with](講談社 http://JOSEISHI.NET) - Yahoo!ニュース

https://goo.gl/lWQvPf@YahooNewsTopics

大野先生は私の本当の恩師。「精神分析は嫌いなんですけど」と言ったときに「そういう若い人材がほしいね」と言ってくさたった。また、漢方も同時に勉強していた私に「精神科医は、浅く広くがいいんだよ。僕の研究室に入るからと言って、やめるのはもったいないな」と言ってくれた。


 4月30日(日)

ソラ@SoraBluespice

今日は対人関係療法研究会実践応用編だった。今日もとても学びを深めた。参加者の方数人に声をかけられ、嬉しかった。勉強の場でさえあたたかく、困った時に相談できたり学べたりと自然にできる環境を嬉しく思う。IPT治療者の方々は謙虚で明るくあたたかい。対人関係療法がますます好きになる。

そう言えば、以前の対人関係療法研究会のアンケートで、「こんなに家庭的な雰囲気の勉強会は初めてでびっくりした」というのがありました。

AHにしろ、対人関係療法にしろ、私がワークショップをアットホームな雰囲気にしたいのは、私がそういう場が好きなだけでなく、その温かさを皆さんの臨床や私生活に持って行っていただきたいから。「親の会」でも、「知識よりも、この温かい雰囲気を持って帰ってください」とお願いしている。

研究会は、おいしいお菓子、コーヒー、無農薬紅茶、オーガニック緑茶は常備。AHはオーガニックハーブティーも。参加者が持ってきてくれる各地の名産もあります。もちろん内容も負けていないけれども、どうぞお気軽に。雰囲気はとても温かいです。


2017年3月のツイートより(抜粋)

2017年04月11日 | ツイッター抜粋

2017年3月のツイートより(抜粋)

2017年3月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。


3月2日(木)

文庫「『他人の目』が気になる人へ」が増刷になるとの連絡。この本はタイトルを決めるときにしつこく粘って受け入れてもらえた本。副題通り「自分らしくのびのびと生きるヒント」になりますように。 http://amzn.to/2mcGNOy

 

地方でのAHのワークショップのときに、現地だけでなく隣県とかからもお手伝いに来てくださる方がいるのは、何となく根っこが太くなったような、心強い感覚をもたらしてくれますよね。

 

「女子の人間関係」を除いて、私の本は、「ベストセラー」ではなく「ロングセラー」。すっかり忘れて、全く違う仕事を黙々とやっているときに増刷のお知らせなどが届く。これはサプライズで結構嬉しい。つまり、「ロングセラー」を認めてくれない版元とは相性が悪いということでもある。


3月3日(金)

ポリティカル・コレクトネスも、「形」であって、どういうエネルギーで扱うかが大切なのだと思う。言葉狩りのように排除や批判という「怖れ」のエネルギーで扱うと、結局「怖れ」で自由や創造性もなくなるということなのだろう。人の多様性を尊重する温かいエネルギーで扱いたい。


3月4日(土)

(1)私はかつて、国際摂食障害学会(AED)のメディア対策委員会の日本代表を務めていたが、摂食障害についての日本のメディアのあまりのレベルの低さ(有名人が摂食障害になった、という程度のニュースしかない!)に、活動の意味を見いだせずに休職中。

 

(2)日本摂食障害学会が、メディアとより意味のある関係を作ると共に、私の代わりの人材を国際学会にも出してほしいということを当時の理事長に伝えたところ、「代わりが見つかるまでは評議員を務めてほしい」と言われて、会費の高い評議員に就任せざるを得なくなった。

 

(3)私は、対人関係療法を用いた摂食障害の治療にかなりの自信と実績があるが、日本摂食障害学会からは無視されてはいないものの重視もされておらず、いつまでも変わらない模様。最近、某セレブをめぐってだと思うのだが、「拒食症とは」の取材が増えた。時期性もあって全部断っている。

 

(4)ひとたび「摂食障害の専門家」を名乗ってしまった人たちにとって、「実は別のやり方の方が効果的でした」と認めることは難しいだろうと理解するが、認知行動療法で重度の摂食障害を治した治療者がいるのなら教えてほしい。既得権を守るため患者さんの利益を損なわないでほしい。

 

最近、私のクリニックで思春期の新しい患者さんを受け入れることを再開してますます思うのは、摂食障害の「治療」が、患者さんに新たなトラウマ体験を与えることにしかなっていないケースが目立つということ。治し方がわからなければ、確かに「怖れ」から不適切な対処をするのだろうな。


3月5日(日)

クリニックでの外来治療だけになってからの私は、チューブ栄養の患者さんを退院させて責任を持ってきたこともあるし、栄養剤を机の上に置いて1時間患者さんを説得して飲んでもらったこともある。強制栄養の受け入れも、その位置づけ次第だと思う。「命の危険が・・」だけでは不適切。

 

あーあ、私はますます日本国内の摂食障害治療者たちから嫌われていくのだろうな。でも私にとっては、常に患者さんの回復と成長が第一。それを共有してくれる治療者仲間が増えてきたことは、何よりの幸せ。

 

例えば、私にとって嬉しいニュースは、認知行動療法で開業した若い精神科医が、「摂食障害についてはやはり対人関係療法」という認識のもと、研究会に参加して学んでくれ、患者さんを引き受けてくれること。患者さんを第一に考えられる治療者には、こういう柔軟性がある。

 

摂食障害についての取材を受けにくいのは、例えば複雑性PTSDの人が、症状への対処法として摂食障害を発症する場合も多いことや、非定型発達の人が摂食障害を「こだわり行動」にしている場合も多いことが背景。シンプルな摂食障害の人は、拙著を読んで回復軌道に乗ることも少なくない。

 

今は、対人関係療法研究会の参加者が提出した症例を読んでいるところだが(当日に発表する人を決めなければならない)、皆さん、保険適応でもない対人関係療法を使って少しでも患者さんの役に立とうとしている姿が伝わってきて感動する。

 

治療者は私のことをさらに嫌いになるだろうと書きましたが、精神科医療全体のことを考えてくださっている尊敬すべき大御所たちは、対人関係療法の味方です。研究会の顧問リストの豪華さを見てください。私が尊敬する先生方です。 http://bit.ly/2lIpmRL

 

今日というか昨日というか、本の校正をしながら思ったのは、「いわゆる『炎上』というのは、評価の押し付け合いなのだな」ということ。

 

昨日~今日といろいろ書いてきて、ぐれていた私は健在なんだな、と改めて思った。長きに流されず、自分が思ったことを言う。若い頃に比べれば社会性も身につけたけれども、「どうしても」というところの態度は変わらないのだな。もちろん、礼儀はわきまえるつもりだけれど。


3月6日(月)
カルト関連の子の治療はとても難しい。本人は症状に悩んでいて抜け出したいと思う。でも、親や幼少期の「基本方針」を否定するだけの基盤がないし、今でも「べき」に縛られている。偏狭な価値観を持った親であっても「よかれ」と思ってやっていた、という事実もことを難しくする。 https://goo.gl/4gXMYy


3月8日(水)

今日知ったが、4月・5月・6月と続けて本が刊行されるらしく(原稿を書いた時期はバラバラなのだが)、にわかに校正地獄に陥ってきた。私は校正も丁寧にする方なので(逆に言えば赤字が多くて評判が悪い)、時間的に大丈夫か、不安。4月の本の校正は来週からと言うが、間に合うのかな。


3月9日(木)

どうして自分の場合校正の赤字が多いのかと考えてみたが、それは執筆時から校正時までの変化(進歩?)を反映しているのだと思う。例えば仕事をしながら1週間で書き上げ、すぐに校正→刊行と進んだ「トラウマの現実に向き合う」は、校正の赤字がほとんどなかったと記憶している。

 

「行き過ぎた自由」などというものはなくて、むしろ被害者意識などの「怖れ」に縛られた不自由のことを人が「行き過ぎた自由」と呼んでいるのだと思う。私はもっと「怖れ」を手放して自由になりたい。そうすることでもっと温かい存在になれると思う。

 

対人関係療法は期間限定の治療法だが、幼少期にひどい虐待を受けた人やカルトに洗脳された人が、16回の治療で「完治」することはない。親が発達障害という場合も、親の行動についてのフォローが必要なので、治療は長引く。でも対人関係療法的アプローチは結果的にとても有効だ。

 

だからと言って、認知行動療法のように対人関係療法が溶けてしまうことを望んでいるわけではない。私は常に「なぜこの患者さんの場合、対人関係療法的アプローチをとりながら治療期間が長引いているのか」の報告書を書ける状態である(どこにも提出を求められていないが)。

 

私は絶対にワーカホリックではないが(むしろ怠け者)、仕事をする程度に時間とエネルギーがあれば、やっぱり仕事をする。かつて後輩が、「仕事が趣味」の先輩を見て「ああはなりたくない」と言っていたが、そんなのどうでもいいんじゃないの?と思う。意義のあることに時間を使いたい。


3月10日(金)

私は、自由とは人間に与えられた当然の権利(本質)であり、だからこそ、他人を思いやったりする主体的な態度が可能になるのだと思います。「やらされている」のは、自由とは全く違う方向のものですよね。


3月11日(土)

今日はAHの「劣等感について考えるワークショップ」でした。一日中劣等感のことばかり考えた日ということになりますが(笑)、いつものAHと同じ、温かく明るく深い場になりました。参加者の皆さまに感謝します。


3月13日(月)

船田氏がこの件について適切な発言をしてくれることを望むが、船田氏が経営する作新学院が、船田氏の選挙運動について衆議院政治倫理審査会で問題とされた事実、そしてそれが地元紙に掲載されなかったという事実は消えない。 

 

作新学院についての先程のツイートは、あまり本意ではなかったが、今回の森友学園をめぐる騒動を見て、教育機関が政治に乗っ取られる問題を痛感したので敢えて書くことにした。国会関係者(民進党関係者ではない)にも念のため相談してのこと。


3月14日(火)

ひどい育てられ方をしてきた人たちですら「親孝行」を諦められないという現実をたくさん見てきて、必要なのは、「親孝行」を徳目として押しつけることではなく、ひどい育てられ方をする子を減らす努力だと心から思う。現場で努力している人たち、親たちの支援をもっと。

 

明日のあさイチは、6時にNHK集合なので早起き。しかし、男性もメイクしてもらうのに、女性の方が集合が1時間早いんですって。


3月15日(水)


今朝あさイチの待ち時間に私のスタッフから時事・政治関係のニュースの受け止め方を質問された。まずは、自分の意見と合致するニュースだからと言ってそのまま受け入れないこと(メディア・リテラシーの話)。また、ニュースによって感情的になっている自分を見つけたら「怖れ」を見いだすこと。

 

テレビでは言いたいことの0.1%も伝えられない。本なら、かなりの程度伝えることができる。でも、テレビなら、無関係な人にでも伝えられる。本は、手にとってくださった方にしか伝わらない。こういう現実にこれかも向き合っていくのだろうな。自分の年齢や体力も考慮に入れて。

 

今朝のあさイチの感想で「断ればよい、というコメンテーターの意見に共感」が多いのは、今回の企画が「断るのは難しい」を元に作られていて、今朝の生スタジオに入るまで、「断ればいいじゃん」などおよそ禁句だったからだと思う(実際私がそう言ったときはスルーされた)。なんかずれていた。


3月16日(木)

昨朝のあさイチ。私が事前に私が見たママサークルの録画は、NHKの「やらせ」だが、実際の人間関係を使っているので、日頃の信頼関係などが反映されて心情的にとても複雑なものだった。それを1~2分切り取って、コメンテーターが「友達にお金を頼むなんて」と切り捨てる、とはいかにもテレビ的。


3月18日(土)

AHは自分の心への取り組み方であって決して他人を変えようとするものではないので、そもそも宣伝になじまない。でも「もっと早くこういう考え方を知っていれば」「義務教育で教えてくれていれば」という感想を聞くと、人に知らせる機会がもっとあってもよいと思う。名案があったら教えてください。


3月19日(日)

ここがいつも争点となるところなのです。「問題がすっきり解決される!」というタイトルでないと売れないと思っている編集者さんが多く、「それではむしろ読者をバカにしているようだ」派の私とよく対立します。ただ、「すっきり」本に飛びつく人が多いのも事実で、象徴的だと思います。

 

ヤマトの宅急便の方が見えたので「大変ですね。ヤマトさんはあちこちで話題になるでしょう?」と聞いたら「ええ。でもこの辺の方は再配達を入れてくれるのでとても助かっています」「それはよかったです。お身体お大事に!」。再配達の連絡をすることがとても大切なようです。

 

もうオープンにしてよいのではと思うのですが、4月に刊行するのは、すでに入手できない拙著「怒らない子育て」の大幅リニューアル版です。ニーズは確実にあるのに爆発的に売れる性質のものではない…という事情の中、小学館が拾ってくれ、すてきな写真入りの新装版にしてくれます。

 

今日は、新装版「怒らない子育て」(タイトルは決まり次第お知らせします!)の校正をしていたのですが、ちょうど息子が中学を卒業して子離れを本格的にしなければならない今、小さい子どもの子育て本は「できればあの時代をもう一度」感をもたらす、何とも言えない複雑な作業でした。

 

私自身、「子どもっぽくない」「かわいくない」と言われ続けた子どもなので(それ以外にもいろいろあったが)、自分が子どもの頃に家庭生活を楽しむことはできなかった。でも、自分自身が親として子どもを持つことで、小さな子どものいる家庭を楽しむことができた。

 

私の父は74歳で急死したので、93歳のお父様がご存命とは羨ましい限りです。父は死ぬまでカボチャを食べませんでした。「カボチャ=戦争」だったからです。他の方に聞いても「戦争=飢え」という色彩が強いです。飢えるわけがない立場の人たちが、戦争を決めるのは絶対におかしい。


3月20日(月)

うちの子どもは、脱・子どもの年齢ですが、ちょっと前までは「何でそんなにお子ちゃまなの?」と聞くと、「子どもなんだから、仕方ないでしょ」と答えてくれるくらいに健全で、嬉しいです。親→私への子育ては取り返しがつかなくても、私→子どもの子育てで取り返しがつくのだな、と。

 

今回校正をしながら改めて思ったのは「悪いと思ったら謝罪できる親こそ、尊敬される」ということ。そしてそれが、子どもにも「悪いと思ったら謝罪する」という人の道を示すということ。謝罪は、人間関係に信頼をもたらす、貴重なこと。政治に当てはめるとどうだろう?

 

よい編集者というのは、著者の立場に立つ人(著者になりかわって、勝手に内容を変えたりする人)ではなく、読者の立場に立つ人(ここは一般読者にわかりにくいよ、ということを伝えてくれる人)なのだな、とつくづく思う。

 

私はかつて、ギョッとするほど原稿を書き換えられたことがあって(怖れのエネルギーに!)、しかも印刷されたゲラで渡されたので手書きで赤を入れなければならず、時間さえあれば常に取り組んでいて、自動ドアにも挟まれた(講演前だったのに口の中が出血した)。もちろん売れなかった。


3月21日(火)

おもしろいもので、娘だけでなく父方祖父とも誕生日が同じです。40を過ぎてからは何となく憂鬱な日になっていましたが、少し前に年をとることへの怖れを手放したので、さわやかな誕生日でした。反抗期が完了した娘からもちょっと泣ける手紙をもらい、嬉しかったです。


3月22日(水)

水を差すつもりはないのですが。学術、政治の世界に身を置いて思ったのが、「日本は本当に層が薄い」ということ。研究にしても、政治的追及にしても、基本的に一人でやらなければなりません。まあ所詮は三流国ということなのでしょうが、もっと生産的な解決法が知りたいです。 https://goo.gl/OsZ6mY

 

私が羨ましいなと思ったのは、米国では学会発表用のスライドを、手書きで簡単に書くだけで立派なスライドに仕上げてもらえるのに、私は(当時パワーポイントが一般化していなかったので)スライドを自分で撮影する機器を研究費で買って、全部自分でやった。研究も、スライド作りも自分で。

 

私の学位論文は、完全に私一人がやった研究。たまたま国際的な一流誌に「着眼点がおもしろい」と取り上げてもらったのでラッキーだったが、人的資源は私一人のみだった。こういうのって何なんだろう?


3月23日(木)

AH創始者ジェリー・ジャンポルスキーと早朝の長電話終了。私生活のこと、政治のこと、今書いている本のことなど、いろいろ話した。

 

枝野衆院議員について。私は議員になる前、多くの野党議員が「なあなあ」で質問をしていると思っていた。でも薬害エイズに関する枝野さんの質問を見て考えを変えた。その後自らが議員となって枝野さんと個人的に親しくなり、信頼感が増した。優秀で誠実な人だ。今日の証人喚問もさすがだった。

 

私は3月21日に49歳になった。ジェリー・ジャンポルスキーが、AHの基盤「奇跡のコース」に出会ったのが50歳。その後彼の人生は大きく変わった。だから、50歳というのは一つの希望の年なのだけれど、という話を今朝ジェリーにしたら、「もちろんいいことが待っていると思うよ」と。


3月27日(月)

私が「日本人は卑屈だな」と感じるのは、外国語表記するときに平気で自分の名前を名・姓の順にするようなとき。そのくせ日本語表記では日本式の姓名の順にしない(ドナルド・トランプとか)。自国文化にもっと誇りを持ってよいと思うのはそういうときなのだが。


3月28日(火)

かつて、「え?」と思うような、「スピリチュアル」な場所で(私のスピリチュアルの定義とは異なる)、嬉しそうにスライドの写真に収まる安倍昭恵さんを見たことがある。もちろん宣伝材料にされていた。


3月29日(水)

今朝は6時から国際対人関係療法学会の電話理事会。4月からはサマータイムなのでスケジュールが変わる!と楽しみにしていたが、どういうわけか今のスケジュールのままの方がよいらしく、私は引き続き6時からの会議。今のメインの議題は、対人関係治療者としての認定システム。

 

認定システムは目安にはなるが、決して万能ではない。マンパワーを考えても、「これだけのトレーニングを受けた」という証明にしかならないと思う。個人的に見れば、「この治療者ならOK」はわかるのだが、システムにするのはとても難しい。まずは調査から。

 

またしても、司法と精神医学の接点での問題発生。未だに精神病理の大御所は、器質的な問題がなければ患者の責任能力あり、という立場のようだが、ひどい虐待やいじめのために解離症状を呈するようになった患者が、解離中に(全く別人格で記憶もなく)起こしたことの責任をどうして問えるのか。

 

虐待やいじめによるトラウマ症状を呈する患者の多くは、社会規範意識が高い。違法行為をしてしまったというショック、(本来自分の責任でないことへの)自責感、収監されたときの環境などを考えると、この領域は司法が人の生死を左右すると思うのだが。


3月30日(水)

今朝は6時から国際対人関係療法学会の電話理事会。4月からはサマータイムなのでスケジュールが変わる!と楽しみにしていたが、どういうわけか今のスケジュールのままの方がよいらしく、私は引き続き6時からの会議。今のメインの議題は、対人関係治療者としての認定システム。


3月31日(金)

先日テレビに出演したとき、6年前に同じくスタジオにいた男性出演者が「決めつけ体質」に変わっているのに驚いた。前はもっと受容的な雰囲気を醸し出していたのに。6歳も成長すれば普通は決めつけを手放すチャンスも増えるはずなのだが、環境の影響は大きいのだろうな。

 

「怒らない子育て」の新装版(素敵な写真つき!)、「怒らないですむ子育て」として、小学館から4月20日に刊行予定だそうです。より詳しくは、その頃にお伝えします。自分自身とても好きな本でしたし、絶版になって「手に入らない!」という声を受けていましたので、一安心です。

 

「運」の本(5月発売)の再校をしていて、「今は、これでよい」というのは、私の人生をかけて作り出したくらいのよい言葉だなと改めて感じた。私はいつか死ぬが、その言葉だけは残ってほしい。

 

民進党に組織としての力を期待する向きがあるようだが、少なくとも私が知っている昔の民主党にはそのようなものはなかった。むしろ、多様な議員がいることが、社会全体の多様性を代弁していると思っていた。もちろん「人権の尊重」「市民が主役」など、ミニマムの合意事項はあるとしても。

 

問題はむしろ連合の影響下で多様性が失われることだった。原発議論はまさに典型例。連合を責めているわけではない。連合の力なくして地方部で選挙に勝てるわけがない、という現実があるだけだ。蓮舫氏が代表であることに希望を感じられないのは、そんな地方での選挙体験がないからだ。


2017年2月のツイートより(抜粋)

2017年03月04日 | ツイッター抜粋


2017年2月のツイートより(抜粋)

2017年2月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。


2月3日(金)
珍しく2冊の本を同時に書いている。もちろん、まもなくどちらかに集中することになるが。それにしても、私はコンスタントに仕事していても、それぞれの版元の事情で、短期間にまとめて複数の本が刊行されると読者の方を混乱させるかな。せめて「運」の本、早くならないかな。

トランプ政権が誕生してから、自分の心がかなり「助けを求めている」状態にあるのは自覚しているが、そんなときだからこそ自分にできるのは、本の原稿はもちろん、診療、講演、ツイッターなど、人と接する機会にできるだけ温かいエネルギーを込めることだな。

あとは、伝達したい情報も、できるだけ「怖れ」で修飾されていないものを選ぶようにしている(かなり数が減ってしまうが)。

19歳のときに3週間ホームステイしたカナダの家族が今日の夕方から来日したので接待中。うちには泊まってもらうスペースがないので、自宅裏の宿泊施設に泊まってもらっている。接待要員の子どもたちが二人とも受験中なので一人で頑張り中。

一家の柱だったホストマザーが秋に急死したこともあり、いつも以上に心を込めたい。ほぼ30年続いている交流。ホームステイした当時まだ5歳で私が毎日パジャマのボタンを留めてあげていつも手をつないでいた男の子が今では30代の立派な男性。数年に一度会うだけだが、家族。

ホストファーザーは本当に優しい男性で、カナダのスーパーで荷物を持ってくれたときに私がお礼を言ったら「ヒロコ、これくらいは男性に頼む権利が当然あるんだよ」と温かく言ってくれた。いつもいつも私の味方で、妻を急に失ったときもいち早く連絡してくれて寂しい胸の内を打ち明けてくれた。

たった3週間のホームステイだったが、私は今でもカナダの国歌が歌えるくらい、カナダが好きだ。国際対人関係療法学会の理事長は米国人、副理事長はカナダ人。副理事長は、「カナダ人は米国人よりも謙虚だから日本人の気持ちもわかる」と言ってくれる。

ホストファミリーは、私の帰国後あまりにも寂しかったので、日本人のホームステイの受け入れを習慣化した。日本のあちこちに「子ども」がいる。娘はホームステイしていた日本人男性と結婚した。「偏見」という言葉がほど遠い、本当に温かい人たちだ。私の人生の中にいてくれてありがとう。

3月にNHKの「あさイチ」に出演することになりそう。テレビはいろいろと面倒なのだが、元気にやっていますという姿を見せるチャンスではある。詳細が決まったらお知らせします。私は頑固なのでつぶれるかもしれませんが。(今までも結構つぶしてきました)


2月4日(土)

私が人への関わり方を考える上で、精神科医としての知識を活用していることは事実だ。それは自分の第二の天性みたいなものだからだ。そのことと、治療を求めてもいない人を「診断」することは違う。政治上生じた問題は政治で解決すべきだ。そして私にとっての「政治」はAHだ。

AH創始者ジェリーにスカイプした。トランプに対する私の姿勢を全面的に肯定してくれた。怖れに基づいて行動しないということを約束した。ジェリーは2月11日に92歳になる。彼の死を怖れてはいない。でも直接会話できることはとても貴重。人類に可能な120歳まで生きてほしいと頼んだ。

な、なんと、ホストファーザーがインシュリンを忘れたというので早朝から大騒ぎ。何とかなりますように。

インシュリンゲットしました。一安心。関係者のものわかりがよくてすごく助かりました。


2月5日(日)
私は、自らの体験からも、政治の多くを「被害者意識」が動かしていると思っています。政治という場でやりとりしてもそこには届きません。敵・味方を作って攻撃し合うだけです。むしろ、「被害者意識」を含む「怖れ」に取り組む方が、よほど政治の質をよくするように思っています。

カナダ人を京都に送り出し、接待終了。カナダの政治の話もたくさんできて楽しかった。それにしても5歳で私がパジャマのボタンをとめてあげていた子(今は35歳くらい?)と政治の話ができるようになったとは。年はとってみるものですね。

選び直し。これこそ、AHの神髄ですよね。ちなみにカナダのAHコミュニティの名前は「Choose Again」。


2月6日(月)
私にはスタッフが3人いますが、今日はそのうちの1人とじっくり話し合い、とても有意義でした。雇用関係も一つの人間関係。その質がよくなれば、自分の人生の質もよくなると思います。大きな企業でも、それが応用できればと思います。

患者さんは「もう、いい大人なんだから」という言葉から受けるプレッシャーに相当苦しんでいます(苦しんでいる自覚もないくらい)。でも私から見ると、本当に純粋で、よく頑張ってきたな、と思います。裸の魂。まさにその通りですね。AH的には、私たちの裸の魂は、温かいこころなんです。


2月7日(火)

私は20代の頃かなり先鋭的で、医局内のジェンダー問題に相当取り組んでいた(それまでは女性研修医の仕事だったコーヒー作りを研修医全員の仕事にしたり)。言葉についてもうるさかった。そういう私を大野裕先生は「言葉にうるさい」と言わずに「言葉に詳しい」と言ってくれた。

私はもちろんトランプが嫌いだが、彼を「狂人」呼ばわりする精神科医とは同業とはとはとても思えない。トランプはただの「怖れのかたまり」。それを「怖れ」と見ずに、他者を攻撃しているだけ。「怒っている人は困っている人」。そし自己防衛が安全だと信じているおめでたい人。


2月8日(水)
著書「対人関係療法でなおす 気分変調性障害」重版のお知らせをいただき嬉しい。この本は、アメリカ精神医学会をはじめとする専門性の高い文献を引用して書いたのだが、「今まで聞いていたのはわがまま病」というような反響をいただくのは悲しい。医者の不勉強に惑わされないでほしい。

気分変調性障害の人が、多くは思春期に発症し、どれほどのものを失うのか。症状としては大うつ病より軽いとしても、世界観、人間観を作る思春期に慢性のうつになることがどれほどのことか。そんなデータも知らずに「わがまま病」扱いするような専門家は絶対に信じないでくださいね。

気分変調性障害の人の半分は、薬に反応します。もちろん「考え方のクセ」がありますから、サポートは必要です。薬に反応しない人たちは、トラウマが背景にあるようだと、自分の臨床経験から思っています。

私などの言うことは信じられない、と思う方は、英語ですが、
Interpersonal Psychotherapy for Dysthymic Disorderを読んでください。私の兄貴分です。 http://amzn.to/2kSs5eH

そもそも患者さんを「わがまま」呼ばわりする治療者は何なのか。そう言えば治るとでも思っているのか。「わがまま」に見えることの背景を見極めることこそ専門家の仕事であって、それをしない人は能力がないとしか言いようがない。 能力のなさを、自己防衛しているだけだと思う。


2月9日(木)

横入りですみません。怒っている人に優しくする必要は特にありません。全ては自分自身の心の平和のため。「やられた!」と思うよりも、「ああ、困っているんだ」と思う方が、自分がずっと平和でいられます。さらに余裕があれば、優しくしてあげるのももちろんOKですが。

自分に貼り付ける「わがまま」レッテルは、症状なのだと思いますよ。それを何とかするのが治療者の仕事であって。自分でできるのなら治療者なんていらないですよね。

学会の役などもやっている私の立場で言うのはどうかと思うけれど、裁判の証人として出廷した経験からは、「『専門家』は現実を知らない!」と思った。いじめ→トラウマ→違法行為の人にとって、裁判はいじめそのものだ。ちゃんと仕組みを作らなければ。

さらにしつこく横入り。「義憤」っていうのは、自分自身が困っているんだと私は思っています。「え?え?世の中でこんなことが許されていいの?」的な。

例えば双極性障害の躁状態で自己破産してしまう人。せめて初発くらいは(治療を受ける前くらいは)、何とかしてあげられる仕組みが作れないかな、と思う。一度治療に入れば、それを続けるのは本人の自覚と責任だとしても。

私が尊敬する北大教授遠藤乾さんの「欧州複合危機」が、今頃重版だなんて。ものすごく良書なのに。みんなそれほど欧州に興味がないのかな。でも今年の欧州は、日本にはねかえるくらいの問題が起こるような予感も。

私の「怒り」の本を読んでも満ち足りない人は、ぜひ、私が書いたトラウマの本を読んでください。トラウマの怒りは、通常の怒りとは桁違いなんです。図書館でいいです。販促の意図は全くありません。ただ、ああ、これはトラウマ症状なんだなと知っていただければ。全てが始まります。


2月10日(金)

今日は診療の後、スタッフミーティングで、その後新年会。もちろん仕事度が高いほど緊張感は増すが、どの状況でも裏表なく信頼していられる関係は貴重だ。少人数であることと、AHを基盤とした関わりであることが大きいと思うが。


2月11日(土)
なんと! 国際対人関係療法学会(ISIPT)で検索したら、本体の次に、ISIPT Japanが出てきた。感激。https://goo.gl/rpNkEW

ちなみにISIPTの次の理事長選が終わり、私が応援していたOguz Omayが当選した。彼はトルコのバックグラウンドを持ち、現在フランス在住。英語は堪能だが第一言語ではない。学会活動に熱心。人を包み込む好人物。国際学会の理事長にふさわしいと思う。もちろん仲良し。

日本でのIPTの学会化は、おそらく次世代の人の仕事になると思う。もちろん私の人脈を生かして手伝う。今の段階で学会化しても、私が望む学会にならないと思う(私が学会に求める水準はかなり高い)。研究会で専門家トレーニングを続け、保険適応もめざし、そのあたりで私の寿命かな。

今の私にできることは、国際学会ISIPTで得た情報を日本の皆さまに提供すること、理事として、英語が苦手な国(日本とか)にも情報がアップデートされる仕組みを作ること。これはだいたいできたので、今年は理事選に出ないことを考えています。

もう一度AHについて復習。「ぽかぽかとした温かさ」以外のものは全て「怖れ」。自己防衛、べき思考、被害者意識、等々。もちろん怖れている人が必要としているのは癒しだが、別に癒す必要もない。ただ、私たちが「怖れ」と見ることで自分の心の平和を守れれば大きな力になる。


2月12日(日)
3月26日(日)に、1年に1回程度しか開催しないロールプレイ編対人関係療法研究会特別編を開催します。かなり人気ですが、まだ空席がありますので、1年待ちたくない方は是非。 https://goo.gl/Voh94O


2月13日(月)

AHのファシリテーターのポストミーティング(ワークショップやグループの後のミーティング)でも、それが評価の場とならないように、「自分自身がその立場(ファシリテーター、スタッフ)において自分の心の平和の選択を実践できたか」だけに焦点を置くようにしている。


2月14日(火)

映画The Reluctant Fundamentalistを観た。アメリカンドリームを体現していたパキスタン青年が9.11後の米国で非人道的な扱いを受け失望し帰国するが、米国と同列の「原理主義者」になることは拒む。ヴェネツィアやトロントの国際映画祭では上映されたらしいが。

うちの子どもは18歳(反抗期を終えた娘)と15歳(頑張って反抗している息子)ですが、反抗期であろうとなかろうと、本当に親を愛してくれているな、と感じます。娘は「攻撃型」反抗期だったので当時はきつかったですが、私にしか見せていなかった姿みたいなのも何となく嬉しくて。


2月15日(水)

2/14を「女性が好きな男性にチョコレートをあげる日」と思っている人にとっては昨日は寂しい日だったかも。でも本来バレンタインデーの性質はそういうものではないし、私のように、小学生の頃から「チョコレート産業の陰謀に乗ってたまるか」と思っていた人間がいることも知っておいてほしい。

ツイッターは私にとっては信頼できる情報を得たり普段会えない人たちを近くに感じたりする至福の場だが、突然ものすごい攻撃(それも事実に基づかない)が来たりする。過去の経験からわかるが、人格攻撃して平和な気持ちに至ることはない。自分の発するエネルギーが自分の人生の質を決める。

昨日、敬愛する藤原帰一先生に何と言われるだろうかを気にしつつもThe Reluctant Fundamentalistを紹介したのは、それが小説に基づくものであれ一つ一つの「事情」を知ってほしかったから。著書にもよく書くが、それぞれの「事情」ほど大切なものはないと思っている。

多分、自分はこれでいいんだという無条件の温かい感覚を知っている人と、「他人よりも秀でないと自分には価値がないのだ」と思い込んで生きてきた人の違いがあるのでしょうね。前者の方が幸せであるのは間違いないですが、後者の方たちとも関わり続けたいと思います。まずは原稿を。

価値観のレベルならまだしも、私が今でも現職衆院議員だと思って攻撃してくる人は「???」と思いますよね。私も一応、誰かにコメントするときはその人のプロフィールを見ますし、誰かに会うときは、著作の一冊も読む。「保守」って、そういう人間尊重だと思っていましたけど。


2月16日(木)
藤原先生、コメントありがとうございます! 先生の知的な言葉をいただくことで、漠然と感じられていた「よさ」が落ち着き自発的気づきも促されます。映画評論の神髄を感じさせていただいた気がします。勇気を出してみたら、贅沢な体験を得ることができて、よかったです!https://goo.gl/y0A8lF


2月17日(金)

「普通」という言葉は人を救うことも追い詰めることも。対人関係療法はノーマライゼーションの治療なので「病気なのだから当然」「人間として普通」が基本姿勢。これは普通という名のもとに人を「べき」に追い込むのと違い、人間なのだから限界はあるよね、という優しい考え方だ。

私が研修中救急外来をローテートしていたとき、当時の助教授がECTについて「あんなの、壊れたテレビを蹴飛ばすのと同じだろ」と信じられなく非科学的・非人道的発言をしていて呆れました。そういう人はこれをどうせ読まないでしょうが、読んでいただきたいものです。 https://goo.gl/BUcErZ

電気けいれん療法(ECT)は、恐ろしく危険な治療法と思っておられる方も少なくないでしょうが、この治療がなければ人生の質が決して改善しなかった患者さんたちを多数知っています。決して「廃人化」のためのものではありません。「カッコーの巣の上で」の影響が強すぎるのかな。


2月18日(土)
「心がボロボロがスーッとラクになる本」の増刷と韓国語翻訳の連絡をいただいた。タイトルで出版社と相当争った本だが、私の提案「心がボロボロになったときに読む本」の方がもっと売れたんじゃないかな、という気持ちは今でも。http://amzn.to/2m3791Z

選挙に当選するのも、本が売れるのも、実は簡単なのです。人の怖れを煽り、ありえないほど簡単な解決策を与えれば。ただ、そう言う手法に飛びつくかどうかが、人の生き方であり、社会に何をもたらしたいのかなのだと思います。節約体質なので助かります。

私にとってのヒーローは、厳寒の時期にスーツだけで街頭演説していた私に「そんな格好では寒いでしょう」と言ってくれた男性。「栃木では、政治家はコート着用を許されないようです」と答えた私に、「新しい政治を作りたいのならそういうところも変えていかなくちゃ」と。


2月19日(日)
赤絨毯を踏むためには、どれほどの犠牲も払ってもらうよ、ということを味方陣営(労組、市議)から言われたこともある。なんか、目的意識が完全に違っていた。


2月21日(火)

私は、性教育の充実により「早すぎる妊娠」や性感染症を防いでいくのがよいという立場。禁欲教育が罪悪感を前提としたものである以上、実際のデータも悲惨なのは当然。「望まれない妊娠」という言葉を使うべきではないのと同様、実際生まれる命と生育環境は何としても守りたい。


2月24日(金)

大学病院、精神科病院、クリニック、保健所、企業等で働いてきたが、患者さんは常に私にとってVIPで、その中で私はadvocate(代弁者、権利擁護者)という言葉の意味を本当に理解できた。それは単なる権利の主張ではなく、自分が代弁する人が幸せに生きていける環境を作ること。


2月25日(土)

もしやこれは「例の本」のことでしょうか??
実はこのたび、貂々さんとの共著を出版できることになったのです。6月頃の刊行予定です。詳細はまだお知らせできないのですが、とても素敵な企画です。読んでいただくのが楽しみ。共著が出版される事実は公開OKと言われたので早速。

今日の研究会でも話題になったが、「PTSDに対して対人関係療法は安全で有効な治療法である」ということがもっと日本でも知られればよいのだけれど。エビデンスはこちら。Markowitz JC, et al. Am J Psychiatry. 2015

今までジョディ・フォスターは政治と関わらずにきたけれども、さすがに「ここで何か言っておかないと人間として悔いが残る」という瞬間が来たのだろうな。私の政治参加も、後で我が子たちから「どうしてあのとき何もしなかったの?」と言われたくなかったから、というのが最大の動機だった。

トランスジェンダーの子が追い詰められて自殺すらするということはすでに知られた事実。ようやく「自分のトイレ」に行けるようになったのに、大統領が変わったらそれも取り消されるなんて。私から見ると、それはまるでB型の人にA型の血液の輸血を強要するみたいなものだ。


2月27日(月)
私は「身体の性」と「アイデンティティとしての性」が一致しているし、同性愛傾向も全くない。この落ち着きを、LGBTの人たちにも同じように味わってほしい、と思うのは決して望みすぎではないと思う。人間として当たり前の権利だと思うから。

トランプ氏の「気に入らないメディア締め出し作戦」について。取材許可されたけれど辞退したタイム誌は立派だし、「締め出しを知っていたら参加しなかった」という声明を出したWSJも立派だと思う。便宜を与えられてもメディアの権利擁護のために発言できる会社は日本にあるのかな。

慢性PTSDに対する対人関係療法の有効性を示したNIMH研究のフォローアップは行っているのかと兄貴分Markowitzに質問したら、ちょうど論文投稿中とのことで「君は直観が優れているのか人の心を読めるのか、どちらかに違いない」と言われた。論文原稿をこっそり見せてくれた。


2月28日(火)

ようやく「運」の本のゲラが上がってきました。これから校正作業に入ります。今日は、後日出演するテレビ番組のためのロケだったのですが、例によってすっぴんの顔にカメラがアップで寄ってきてかなり恐怖でした。