スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

ところてん

2012-12-30 03:20:36 | 日記
お昼ごはんはまだ食べてなく、天守横の売店で食べる事にしました。

何故か“ところてん”の言葉に惹かれてところてんを注文(笑)。



そして、店員さんが持ってきたところてんに違和感が…





何かおかしい…?





……


………


???


「えーーーーーーーーーっ  忘れてんのかな?


という事で、店員さんに

「すみません。お箸が一本足らないのですが…?」

と言うと店員さんは

「お箸一本で掛けて食べるんですよ」

とあっさり言われてしまいました(笑)。


↓ なるほど、説明板を見ると書いてありました。




マジですか、初めて知りました。

何だかちょっと軽いカルチャーショック~

食べにくいですや~ん(笑)。


それから、売店で犬山名物のげんこつあめをお土産に買いました。

げんこつあめは陣中食から始まったとか…。


後日、職場の仲の良い同僚におすそ分けをしたら、みんなから美味しいと言われ好評でした。

犬山城 天守最上階から望む景色

2012-12-30 02:31:47 | 日記
天守最上階の廻縁からは景色が一望。

360度景色を楽しめますが、今回は雨の為に廻縁の一周は出来ませんでした。 

廻縁に出てみましたが、木の造りで手摺が低く、そして高くて怖かったです。



↑ 天守のすぐ下には本丸御殿があったそうです。



↑ 木曾川



↑ 円錐のような形の良い山は伊木山城址。織田信長が犬山城を攻める時に築いた城址になる。



↑ 大きい白い建物の奥のほうあたりに見える小さい山が小牧山(間違っていたらごめんなさい)。

小牧山に陣を敷いた徳川家康と犬山城に入城した羽柴秀吉が対峙してたのを想像するとなかなか面白いですね。

「うむ…猿めっ」  「あの狸めっ

と言う様な感じで…(笑)。

最上階からは岐阜城が見えるらしいですが、どちらの方向だったか忘れました。


ところで、犬山城は三度も落城しているそうです。

一度目…信長のいとこにあたる城主織田信清は、美濃攻略をめざす織田信長に瑞泉寺を焼き討ちされ、戦いに屈した。

二度目…小牧・長久手合戦では、城主中川定成の出陣中に元城主だった池田恒興が渡河作戦に成功し奪取すると羽柴秀吉が入城、本陣とした。

三度目…関ヶ原合戦では、城主の石川光吉が徳川の圧力により明け渡し。援軍が東軍に内応したため。

三度も戦いがありながら、天守は炎上する事もなく残ったのが凄いですよね。本当に歴史の重みを感じます。

国宝犬山城に登城出来てよかったです。

犬山城 天守 最上階

2012-12-30 00:20:42 | 日記
最上階(4階)に上がる階段には赤い絨毯が敷いてました。



最上階、高欄の間は赤い絨毯敷きのせいか何だか特別な感じがします。今まで現存天守の最上階まで上がった事はありますが、絨毯敷きは初めての事でちょっとテンションが上がりました。



資料によると、赤い絨毯は7代城主・成瀬正壽(まさなが)がオランダ商館長と親しかったことから、この頃に敷かれたものらしいです。ちなみに4階は30畳の広さになるそうです。



↑ 四方に廻縁と高欄がめぐり、見晴らしがいい。

画像には撮らなかったのですが、桟唐戸(さんからど)の両脇には華頭窓が有りますが、天守の格式を高める装飾なので、窓の機能は果たしていないとの事。

ところで、1・2階と3・4階は建った年代が違い、3・4階は1620年(元和6年)に増築し今の姿になったそうです。


犬山城 天守内部 2階~3階

2012-12-27 00:33:41 | 日記
天守内部2階



↑ 2階は中央部分に武具の間があり、三方に武器や具足を置く武具棚がめぐっている。

戦国時代に築城されただけにあって“戦”を考えた造りになってますよね。姫路城や彦根城に登城したことがありますが、武器や具足を置く為だけの部屋はなかったような気がします…?

今の武具の間には日本100名城とされている各お城の写真が展示してありました。



↑ 武具の間の周りは2間巾の武者走りになっている。

画像では分かりにくいですが、高さ5メートルの天井になり、戦国時代は槍が主力武器だった為、それを有効に使えるようにと高くなっているそうです。



↑ 2階から望む景色


天守内部3階



↑唐破風の間

南北に唐破風の間を配置し、東西を千鳥破風となっている。天守築城当初はなく、1618年(元和4年)~1687年(貞享2年)の70余年の間に成瀬城主が装飾として増築したものと伝えられている。

3階は天井が低かったです。


以上。説明板や資料から抜粋しました~。


犬山城 天守内部 地下~1階

2012-12-25 02:39:11 | 日記
犬山城天守は三層四階地下二階の望楼型になります。

国宝の天守の内部はどんな感じなのかワクワクして中に入りました。

一応、お城の係員の方に写真撮影可なのかを聞くと「良いですよ」の返事。良かったです。


中に入るとすぐ横には石垣がドカーンと ↓



地下2階の部分になり穴蔵と云われている。小さなお城で穴蔵があるのは珍しいそうです。



↑ 穴蔵、地下1階になる踊り場。階段は90度向きを変える。



↑ 天守1階内部。奥に見えるのは外から見ると付櫓の部分。ここから横矢を掛け攻撃する場所になる。



↑ 天守1階内部。敷居が見られ、かつては引き戸があり、畳敷きの部屋として利用していたらしい。



↑ 天守1階 石落しの間 西北のすみにあたる。

ちなみに天守北側は絶壁であり、防御として高さ12メートルの切岸がある。



↑ 上段の間 ここの部屋だけが猿頬天井(竿縁に猿頬面をとった竿縁天井。普通の竿縁天井よりは上等になる)が張ってあり、最上の部屋(城主の居間)になる。奥には武者隠しの間があり殿様を守る武士が待機していた。