スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

江戸城(皇居東御苑) その4

2010-11-27 03:04:18 | 日記
↑石室です。大奥御納戸脇という場所柄、非常の際に大奥用の調度品を納めたところと考えられます。内部の広さは20平方メートルあります。





↑松の大廊下跡です。1701年、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央を斬りつけて刃傷事件を起こし、赤穂浪士の討ち入りへとつながったところです。忠臣蔵で有名ですよね。ちなみに、3月に赤穂城に行き、大石神社内にある資料館で赤穂浪士に関する展示物を観ましたが、本当に泣きそうになりました。討ち入りした47義士全員は自害しています。

廊下に沿って松と千鳥の襖絵があり、江戸城で2番目に長く畳敷の廊下でした。



↑富士見櫓です。現存する唯一の三重櫓で、明暦の大火で天守が焼失した後、その代わりとされていました。



↑展望台から観た白鳥濠と汐見坂です。

江戸城 天守台

2010-11-26 02:53:52 | 日記




↑「最初の天守閣は1607年に2代将軍秀忠の代に完成しました。その後大修築され、1638年、3代将軍家光の代に江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きい天守閣が完成しました。外観5層、内部6階、地上からの高さが58メートルありました。しかし、19年後の1657年に明暦の大火の飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした」…と説明板に書いてありました。

江戸城の天守閣は3回(慶長、元和、寛永)建造されました。今現在の天守台は、最後の3代目の天守閣が大火で焼失した翌年の1658年に加賀の前田家が担当して再築されました。しかし、城下の復興を優先させる方針により、天守が建てられることはありませんでした。

切込接の石垣が素晴らしいですよね。石は花崗岩だそうです。本当に大きい天守台でした。



↑天守台に上がり、天守台から観た景色です。大都会を象徴するビルが建ち並んでいます。



↑北の丸の方向です。分かりにくいかと思いますが、武道館の屋根が見えます。

江戸城(皇居東御苑) その3

2010-11-23 12:21:50 | 日記
↑百人番所です。「鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組で同心100人ずつが配属されてました」…と説明板に書いてありました。



↑中之門跡です。カッチリとした切込接(きりこみはぎ)の石垣が素晴らしいですよね。



↑中之門跡から見た百人番所です。この建物から100人の同心がこちらを睨んでいると妄想するとやっぱり恐いですね…(汗)。



↑中之門跡の奥にある大番所です。他の番所よりも位の高い同心や与力が警備に当たっていました。

本丸まではかなり厳重に警備されていた事がよく分かり勉強になりました。



↑中雀門跡です。本丸の入り口になります。

江戸城(皇居東御苑) その2

2010-11-23 10:10:07 | 日記
大手渡櫓門を通り抜けて行くと受付があり、そこで入園票をもらいます。↑



皇居東御苑は皇居東地区の旧江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部が、宮中行事に支障のない限り一般公開されています。休園日は月曜日と金曜日です。



↑三の丸尚蔵館です。代々皇室に受け継がれた美術工芸品類が、順次、展示公開されています。私が行った9/25現在では“皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品”が展示公開されていました。展示物の一角に観光客が群がっている所があり、人が少なくなってから覗いてみると“薩長同盟裏書(木戸家文章)”でした。NHK大河ドラマの“龍馬伝”の中のシーンで、坂本龍馬が制作して、裏に自分の名前を朱書きしたあの書状です。グッドタイミングで本物を観た時は本当に興奮しました(笑)。ここまで来た甲斐がありました!!

ちなみに今現在(11/22)は“近代の洋画家 創作の眼差し”が、平成23年1月10日まで展示されているようです。





↑“同心番所”です。同心(与力の下で警察の仕事をした下級役人)が登城する大名の監視をしていた所です。

江戸城 (皇居東御苑) その1

2010-11-17 03:04:01 | 日記
9/25、大阪から東京に着いたのは午後12時前です。10年前ぐらいに東京に行った事があるのですが、やはり10年以上も経つと東京駅も様変わりしていて、おまけに改修工事もしていて、皇居に行く方向(出口)はどこなのかさっぱり分かりませんでした…。駅員さんや作業服を着たおじさんに道を教えてもらって、やっと大手門に到着しました。↑

この日はお天気も良く、土曜日で会社等お休みの所が多いせいか、たくさんの観光客が居ました。





↑江戸城正門に当たる大手門で、外側にあるのが高麗門になります。高麗門の外からと内からと撮った画像です。近代的な建物との調和がなかなか良い感じですよね。



↑そして、内側にあるのが大手渡櫓門になります。1968年に再建されました。



↑1945年に戦災で焼失した大手渡櫓門の屋根に飾られた鯱です。