スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

名古屋城 遺構 その3

2013-03-31 18:16:01 | 日記
また久しぶりの更新です。

早く終われって感じかもですが、申し訳ないですが、まだまだ続きます


↑ 不明門(内側)

多聞塀の下をくぐる埋門で、本丸御殿の大奥へ通ずる秘門であり、常に鍵が厳重に施され、別名は「あかずの門」。外側の軒桁に30cm余りの槍の穂先を並べ“忍返し”にした剣塀になっている。昭和20年の戦災で焼失。昭和53年3月に再建。…と説明板に書いてありました。

この剣塀は大天守と小天守を連結する橋台の西面にもあります。

私は、肝心な剣塀の画像を両方とも撮っておりませんでした。チーン



不明門のところの石垣の前に…。枯れかかっているのかなぁ?


↑ 御殿椿 (2011.4.9現在)

本丸御殿南の庭にあった尾張藩秘蔵の銘椿。昭和20年の戦災で焼失したかと思われたが、焼けた幹の下から新芽が伸び復活。昭和30年頃から原木から接ぎ木、成育したもの。…と説明板に書いてありました。

これですな… こういう強い生命力のある植物を目の前にするとパワーがみなぎってきますよね。ある意味ここはパワースポットって感じがしました。


↑ 天守閣基礎石

旧国宝名古屋城天守閣の基礎土台石。昭和34年天守閣再建のときにここへ移し再現したもの。

その奥に何やら気になるものが…


↑ 石棺式石室

説明板によると…島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室。古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式石室…とのこと。寄贈者…名古屋市の長谷川氏

得たいの知れないものが中に居そうな感じが…(笑)。古代人が石器を持って出てきたらびっくりしますわなって有り得ませんがね。ところで、武将の幽霊とかは聞きますが、縄文人や弥生人の幽霊を見たっていうのは聞いたことがありませんよね。実際に居ればかなり貴重ですよね(笑)。





名古屋城 遺構 その2

2013-03-10 18:29:47 | 日記
トップの画像は大天守とはち丸くん。

私が行った時はちょうど桜まつりの開催時でした。

はち丸くんが膨らむまでじ~っと観ていた暇人です。

行った当時はゆるキャラの名前も定かではなく、一体何が始まるのかと興味津々でした(笑)。ワクワクしながら観てましたよ~。 結局、パンパンに膨らんで終わり、ちょっとガックリクリックリッでした。


さて、続きです。


↑ 正門 明治43年旧江戸時代の蓮池御門が移築されるが、戦災で焼失。昭和43年に再建。


↑ 実物大の金鯱(レプリカ)

西南隅櫓(未申櫓)は保存修理工事だったようで鉄骨に囲まれていました。(2011.4.9現在) よって画像はなし。東南隅櫓の鬼瓦などは葵の紋が見られるようですが、こちらの西南隅櫓の鬼瓦などは菊花紋が見れるそうです。それから石落しの屋根の破風の形が異なっているそうです。


↑ 表二之門(裏側) 門柱・冠木とも鉄板張り。土塀には鉄砲狭間


↑ 土塀の裏側 

こうして確認していくと本当に攻防的で堅固なお城ですよね。矢狭間が無かったような…。戦には鉄砲が主流な時代に造られたと改めて再認識しました。それから、気のせいか他のお城の櫓と比べると、こちらの方は櫓の窓が多いような…?

名古屋城 遺構 その1

2013-03-09 19:19:07 | 日記
また今頃になっての更新です。

天守台の事がもう一つありましたので追加。


↑ 黄色い丸で囲ったところは、出入り口跡です。

この画像では分かりにくいですが、出入り口の角が算木積みになっています。当初計画された天守は西側にも小天守を造る予定でしたが、あまりにも攻撃的な案のために中止になったとか…。


↑ ちなみにこれが算木積。石を互い違いに積んでいる。


さて、西之丸の方へと飛びまして


↑ 表二之門前の馬出し(南馬出し)の空堀

そしてその向かいには


↑ 東南隅櫓(辰巳櫓) 創建当時のものらしい。石落しを張り出して屋根を付けている。

当時はもちろん空堀の石垣の上には多聞櫓があり、この前を敵軍が通ると総攻撃される。横矢を掛けるですな。後ろから前から斜め横から矢や鉄砲の弾が飛んでくる。 敵軍は蜂の巣ですや~ん(笑)。


↑ 表二之門

実はこの辺りには埋められた堀があり、馬出し跡になります。


↑ 黄色で囲った所が南馬出し跡 点線の所が埋められた堀。

丁場割図で見ると埋められた堀の石垣は前田利常が担当のところ。あらら~。チーン

調べたところ、名古屋離宮時代に天皇の馬車の通行の妨げになるということで埋められたそうです。

もし現存していれば、当時の多聞櫓で囲まれた馬出しは四方八方からの攻撃を受けることになり、高い防御力だったというのが垣間見えるでしょうね。

城マニアとしては、是が非でも復元を願うところです。