スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

法樹寺(寺町通り)

2012-03-20 19:35:34 | 日記
↑竹田城跡の麓には、表米神社と4軒のお寺が建ち並び、お寺の向かいには虎臥城公園があり、“寺町通り”と呼ばれています。4軒あるお寺の石橋は江戸に建造されたものだそうです。


その寺町通りを歩いていると竹田城を築城した太田垣氏の墓があるお寺の前を通りました。観た感じは、ちょっと中に入りにくそう…。


しばらく歩くと“赤松広秀の墓”と書かれた案内板が…。





↑法樹寺

「わぁ~、ちょっと参りに行きたいな…。でも…私独りやし…入りにくそうやな…」等と思いながら、法樹寺の前を通りかかるその前に、中から男の子が縄跳びを持って出てきました。

グッドタイミング! これはやっぱり「参りなさい」のお導きなのかも…。!(b^ー°)

勇気を出して男の子に「中に入って良いのかな? 赤松広秀の墓はどこにあるの? 教えてくれる?」と尋ねてみると「うん!」と良い返事。

男の子が赤松広秀の墓まで道案内をしてくれました。




↑お墓に行く途中に“観音石佛”が安置されていました。説明板には「安置する西国33所観音はここ赤松城主の屋敷(法樹寺)により竹田城に至る山道に奉讃しご加護を受け巡礼にもにて登城せしと云う…(以下略)」と書かれていました。


階段を登りきり、右側に行くと男の子が「これ」と指差してくれました。



↑赤松広秀の墓

最後の城主赤松広秀は関ヶ原の合戦に西軍に属し、田辺城を攻める。田辺城は落ちる事なく、関ヶ原の合戦では東軍勝利。その後、盟友亀井茲矩(かめいこれのり)の薦めで東軍に属し、鳥取城を焼き討ち落城させる。しかし、徳川家康に大火の責任を問われ、切腹を命じられる。鳥取城下の真教寺にて自刃。竹田城は廃城。


良かれと思い行動した事が逆に仇になって…何だか…。家康めっ(笑)。


しかし、タイミングは大事ですよね。ちょっとでもタイミングがズレていれば、男の子と遭遇する事はなかったのですから。赤松広秀の墓に参る事もなかったでしょう…。道案内した男の子は、その後は縄跳びをする事もなく、家に戻って行きました。

不思議な偶然…いや、必然的な導き…だったと思います。

100名城 56番 竹田城

2012-03-20 14:40:49 | 日記
↑観光案内所でゲット。ちょっと力を入れて押したら滲んで、デザインが分かりにくくなってしまいました…。(^_^;)




↑竹田城の縄張り平面図
パンフレットより抜粋

前の日記に「山名宗全が…」と書きましたが、正確には家臣の“太田垣”氏が築城に着手しました。

調べた所によると竹田城主は

太田垣氏が7代まで
8代目 羽柴小一郎秀長
9代目 桑山修理太夫重晴
10代目 赤松広秀

となり、最後の城主の赤松広秀の時に豪壮な石積の城郭が整備されたそうです。




竹田城跡を後にします



帰りは駐車場に出る山道を下山しました。



↑下山途中で観た景色。

先人も同じ景色を眺めたのかな~と思うとホントに歴史はロマンを感じますよね。

帰りは車道を歩いて下山しましたが、50分ぐらいかかり、腰が痛くなりました。(^_^;)


ところで、竹田城跡は“天空の城”と言われ、雲海が観れる季節の時は、たくさんの人が訪れるそうです。9月下旬~12月上旬の明け方から午前8時まで、雲海の観れる条件がバッチリと合えば、幻想的な景色が観れるそうです。

竹田城跡に登城 5

2012-03-11 17:18:27 | 日記
↑竹田城の本丸跡には天守台があり、上に登れるように梯子が備えつけられていました。



↑天守台から望む景色。南二の丸、南千畳。隅に見える白いのは雪です。雪が残っていました。



↑南二の丸から望む景色。人が立っている所が北千畳



↑正門跡



↑南千畳から望む景色。一段高い所が天守台になります。本丸跡から観た時は低いですが、こちら側から観るとやはり一番高いですね。

観光案内所の人が「南千畳の一番端から観るのも良い…」と教えて頂いたので、端まで行き画像を撮りました。

観る角度が変わると景色もかなり変わり、本当に素晴らしい城跡です。

竹田城跡に登城 4

2012-03-10 21:13:53 | 日記
竹田城跡の石垣の一部は復元されていますが、ほとんどは400年ぐらい前のものです。




↑石垣の角と眼下に望む町の景色



↑陽が当たらない所は雪が残っていました。




↑戦艦のように見える石垣群。



本当に素晴らしい城跡ですよね。城跡に来た人達が口々に「来た甲斐があるわ。ええ景色やね~」と言ってました。

竹田城跡に登城 3

2012-03-04 16:42:46 | 日記
約30分ぐらい登ったところで到着しましたが、何だか呆気なかったです。…というのも竹田城跡の前に高取城跡に登城したのですが、その時の辛さに比べると楽勝でした。ホントに高取城はしんどかったです。


楽勝だと思いながらでも、30分も山を登れば汗だくになります。高取城跡で、山頂に着いた時は汗でびっしょりに濡れた下着のせいで背中が寒くて寒くて辛い思いをしたので、今回は登山用の下着を身につけて行きました。登山用の下着は良いですね。保温性がありつつ汗の乾きが速くて、山頂に着いても背中が寒くならずに最適でした。




↑安土城や姫路城と同じ穴太(あのう)積みだそうです。



↑大手門跡




縄張りの規模は南北400m、東西100m 向こう側の数本ある木の所も石垣になっていますが、お分かりになるでしょうか?



↑城跡(山頂)から見た景色

山城に行くといつも思う事は同じですが、築城するには大変な労力が懸かったのかと思うと、心が打たれます。