スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

天主跡から三重塔へ

2010-05-16 15:50:34 | 日記
帰り道は、そう見寺本堂跡の方に行きました。ここも石段が続きます。

↑本堂跡から観える景色が良かったです。



↑室町時代に建てられた三重塔です。甲賀の長寿寺から移したものとされています。

ここから更に石段を降りて行くと二王門があります。



↑二王門(楼門)は元亀2年(1571)に建立、内門に安置されている金剛力士像の頭部内側に応仁元年(1467)因幡院朝作の造像名が残っており、甲賀から移されたものとなります。

(安土城パンフから文章抜粋)

三重塔と二王門は築城時から今も残っているところが凄いですよね。

二王門を出てから、山道を通り、秀吉邸跡の所を通り、大手道に戻るという帰り道となりました。

安土駅まではまた徒歩で向かいましたが、ここの道中でどっと疲れが出た気がします(苦笑)。

次は宿泊地の長浜へと向かいます。

安土城 天主跡

2010-05-16 12:34:02 | 日記


念願の安土城天主跡に到着しました。小学生の頃から好きだった歴史ですが、その歴史に登場する織田信長公のお城跡になるとあって感慨深いです。天主閣が無くても、この地に立っているだけで胸が一杯になりました。

信長公は自ら“天の主”と考え、天主を住まいとしたそうです。高さ33mの木造高層建築は、当時の日本では初めてとなります。また金箔を施した鯱も最初です。

絢爛豪華なお城を見せる為に、見物料も徴収したとの事で、信長公ご自慢のお城だったようですね。



↑天主跡から観た景色です。今は陸地ですが、当時は琵琶湖の内湖が近くまであったそうです。

天主跡では、先に居たご夫婦に構って頂き嬉しかったです。短い間でしたが、色々とお話しする事が出来、楽しかったです。

ご夫婦と別れ、三重塔方面から下山する事にします。

安土城 天主跡周辺

2010-05-16 11:01:39 | 日記
↑この石段を登りきると黒金門辺りになります。



黒金門の石垣の石は大きいもので3トン以上あるそうです。

天主跡に徐々に近づいてきます。

長谷川邸跡の奥には信長公の息子“織田信雄”とその子孫の供養塔があるのですが、目立たない所にある為に私は見逃してしまいました。



↑信長公の御廟です。二の丸跡に羽柴秀吉が天正11年に信長公の遺品を埋葬して御廟としました。厳粛な佇まいで、重い感じがしました。

本丸跡を通り、いよいよ天主跡です。

安土城 大手道 つづき

2010-05-16 09:43:38 | 日記
↑こちらの石仏の方が輪郭がはっきりして分かりやすいですね。石仏があるのは信長公の考えによるリサイクルだそうです。

資料によると「大手道は道幅8m両脇排水溝2m全長180mで、防御ではなく天下統一を示した“見せる道”にした」と書いてありました。

秀吉公や利家公の他に“伝徳川家康邸跡”もありました。またこの跡地に1854年に焼失した信長公の菩提寺である“そう見寺”が仮本堂として昭和7年に建てられました。寺宝として鉄鍔「まけずのつば」と陣羽織が残っています。

私が行った日は開いてなくて、中に入ることが出来ませんでした。どうやら入れる期間があるみたいです。

安土城 大手道

2010-05-16 03:28:53 | 日記
観音寺城跡と違って観光客がわりとに居ました。もっと人が少ないかと思っていましたが…。ここはやはり名の知れた信長公ゆかりの地ですね。老若男女の観光客が訪れていました。

石段の大手道は素晴らしいです。登りながら色々と妄想してしまいます(笑)。



↑大手道を振り返って撮った景色です。良い眺めです

大手道の途中には“伝羽柴秀吉邸跡”や“伝前田利家邸跡”が有り、また余計に妄想モードに入ってしまいます(笑)。信長公が「さる、犬千代」と名を呼ぶ声が聞こえてきそうです(笑)。

また大手道の脇には石仏がありました。



↑発見されたままの状態で保存していると説明書きがありました。