熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

ケルベロス第五の首(8首目)

2004年09月14日 | Wolfe
その後に思いついたこと。

「VRT」におけるブラント夫人の証言中で「フランス人は子供以外みんな
手足が欠けていたりひどい傷を」とあるが、これはアボの成人が満足に
道具を使えないことに対する、一種の偽装だった可能性もある。
(子供は不器用でもおかしくないし、変身能力が未熟ともとれる)
だとすれば、成人した「フランス娘」たちが入植者のいい男を奪っていくのは、
ヒトとの混血かアボの子を人間にもぐりこませる(同化させる)目的があったのかもしれない。
結局、アボは人間に「似た」のではなく、自らの意志で人間に「なろうとした」のだろうか。

ルェーヴの公理とはなんだろう。
ヴェールの逆であれば「人間がアボを絶滅した」なのだが、これが鏡像だとしたら?
この場合は、人間もアボも死んでおらず、そしてどちらも見分けがつかなくなっていると
いうことになるのか。トレンチャード父のように、お互いがお互いを真似ているのだろうか。
公理とは自明の理のことだという。確かにもうアボはおらず、入植者もいない。
アンヌに住む者はみなアンヌ人であり、アンヌ人になるのだ。

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