熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

アポロ神話としての『新しい太陽の書』

2008年01月19日 | Wolfe
『新しい太陽の書』全四巻を読み返してから結構な時間が経ったが、
自分の中でこの物語についての捉え方がなかなか固まらないまま、
長らく脳内放置の日々が続いてきた。
異世界ファンタジーとしての絢爛豪華なエキゾチシズム、とりわけ
主人公の視点から見る世界の驚異などを堪能すればよいのだろうと
思っては見るものの、それだけではウルフらしくない気がする。
というか、見た目の部分だけ読むと決して新しい話ではないので
その点だけではあまり昂揚感を感じないのである。
となると、自分にとって楽しめる読み方を探す必要があるのだが、
この長い物語の中で鍵となるべき部分をつかみ損ねてきたおかげで
これはというものを得ることができずにいた。

ようやくその鍵になりそうなものに思い至ったのは、つい先日。
それも何の事はない、「日の頭」という言葉からである。
ふとした拍子に「日の頭=アポロ」ということに気づいた時、
これは未来における「アポロ計画」の再話なのかもしれないと
今ごろになって思いついたのだ。

セヴェリアン以前の独裁者が宇宙へと旅立ち、その代償として
生殖能力を失うのは、彼らが歴代の「アポロ」だからである。
それは宇宙線による影響を意味するだけでなく、「男性のシンボル」
としてのロケットを失うことの暗喩でもあるのだろう。
そう考えると、図書館に掛かっていた「絵」の暗示するもの、そして
「拷問者の塔」の描写の意味などがより明確になってくる。
あれはみな「セヴェリアンの未来」を暗示する小道具だったわけだ。
これもまた「見せているのに気づかせない」という、ウルフお得意の
やり口に思えてならない。
相変わらず親切なんだか曲がってるんだか、よくわからない人である。

さて「アポロ計画」という「伝説」を思うとき、「未来の地球」として書かれた
ウールス世界にも「アメリカという国家」との類似性を感じるものがある。
それは別に地理的なことではなく、「南北による戦争」や「岩に彫られた顔」
などのイメージが、アメリカを象徴するシンボルに重なるのだ。
さらに南北の戦いというイメージを「朝鮮戦争」にまで広げれば、その現場に
兵士として居合わせたウルフ自身の物語としての要素もより強まるだろう。

とはいうものの、これらの要素をもって、『新しい太陽の書』という物語を
「アメリカ史の語りなおし」に限定しようという意図はない。
むしろ、それもまたより大きな物語の一面であると考えたほうがよさそうだ。

現代世界に生きる我々にとって唯一の神話にして、アメリカという国が成し得た
唯一の奇跡を「アポロ計画」とすれば、これを西洋文明における「日の頭」たる
キリストの物語になぞらえることによって、「伝説と史実」を等価の存在として
語れるのではないだろうか。
いや、より大きく言えば、世界のあまたに存在する「日の頭」たちの物語と
この『新しい太陽の書』をリンクさせることさえ可能だろう。
さらにその舞台を未来世界とすることによって、「過去と現代」さえも
ひと括りにして俯瞰することもできるのだ。
ウルフが「遥かな未来の地球」を舞台としたことには、単にヴァンスへの
オマージュに留まらない理由があったということである。

現代に英雄が登場したり、あるいは神が降臨するというレベルとは
比較にならないほどの「世界そのものの神話化」への企み。
やはりウルフの書くものは桁違いだ。
困ったことは、桁が違いすぎて全体像までは見通せないことだろう。

ある意味でウルフが著した「聖書」とも言えそうな本作、まだまだ
面白い読み方ができそうである。
長い上に難物ではあるが、多くの人に挑戦して欲しいし、より多くの
感想を読んで見たいものだ。
(とはいえ、またも版元品切れらしいのが気に掛かるのだが。)
自分も新たに気づくことが出てくれば、折に触れて書いてみたい。