熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

『虐殺器官』の存在意義

2007年09月21日 | SF
『虐殺器官』。このタイトルのインパクトと、帯に書かれた大森望氏による派手な紹介文
「イーガンの近未来で『地獄の黙示録』と『モンティ・パイソン』が出会う」という部分が
やたらと気になったので、読んでみた。

読後の感想を言えば、大森氏のあの惹き文句は嘘ではないが、適切とも言いかねる。
イーガンを引き合いに出すほどのぶっ飛んだ科学や難解な話はなく、エスピオナージュ的作風は
むしろアレステア・レナルズやチャールズ・ストロスのものに近いだろう。
『地獄の黙示録』も『モンティ・パイソン』も引用されてはいるが、前者は類型としての引用であり
後者は作中の遊びとしての要素が目立ちすぎ、皮肉として成立していないうらみがある。
といっても、別にこの小説がつまらなかったというわけではない。
事前に予想していたほど抽象的な話ではなく、より生々しいテーマを直截的に描いた作品だった、
というだけのことである。

本作を例えるなら、むしろパイソンズ出身のテリー・ギリアムが撮った『未来世紀ブラジル』のほうが
より相応しい例のように思える。
この『ブラジル』、テロの日常化する社会を先見的に描いたともされる映画だが、あれは20世紀の
英国もしくは北アイルランドにおける日常を未来世界に置き換えたものでしかなく、むしろ自分には
それらの事件を「演出している」存在の影がより興味深く、また不気味に感じられたものだ。
この『虐殺器官』は、その存在…いや、その理念そのものを、具体的に描き出そうとする作品である。
その意味で本作はパイソンズよりも、ギリアム個人に対するオマージュとして捧げられるべきであろう。

グローバル化とジェノサイドを直接に結びつける装置としての「虐殺器官」という発想は、その中身が
はっきりとは語られないにしろ、ディテールとしては有効だったと思う。
またシステムの中身がブラックボックスであるからこそ、SFでしか書きえない作品であり、SFとして
消費することが許される作品であるとも言える。これが実際に発見されたら、ノーベル賞か世界の敵の
どちらかに成らざるを得ないだろうから。
作風についてはゲーム『メタルギア』シリーズの影響を強く示唆する声が強いようだが、そちらに疎い
自分としては、むしろ最近の海外SF作品から強い影響を受けているように感じられた。
そのあたりは読む人の体験が如実に反映されるのだろう。人は見たいものしか見ないのだ。

あえて記すなら、それらの作品を書いたのはティプトリーであり、ヴァーリィであり、そしてエリスンや
ルーシャス・シェパードである。(主人公の名前はたぶんこの人から貰ったものだろう。)
参考となったであろう具体的な作品名は書かない。それを読むだけでネタが割れるかもしれないからだ。
特に某作家の某作品はアイデアの根本部分に関わるので、その作家の名前も書かないことにする。
まあ実際に読んだ人が海外SFのちょっとしたファンならば、一発でわかってしまうだろうけれど。
あとはやはり浦沢直樹の『MONSTER』だろうか。敵役であるジョン・ポールの名はある著名な要人
(というかその地位にある者)と同じだが、また『MONSTER』の敵役であるヨハンとも同じである。
さらにはビートルズの主要メンバーとの類似も思い浮かぶ。この史上最高の影響力を持つバンドを
虐殺器官の鏡像として連想するのは、別に不思議でもないだろう。

ラストの種明かし…というか虐殺器官の存在意義についての説明は、それだけ読むと物足りないようにも
感じられるのだが、そこに至るまでに延々と書かれてきた場面描写、例えば虐殺現場の焼死体の様子と
主人公たちがピザにビールで寛ぐ様子を並列で思い浮かべたとき、この両者に救いようのない相似性を
見出してしまって、なんともやりきれない思いになる。
それは別に道徳心や愛他精神ではなく、これが人間の生存についての根源的な風景かもしれないという
苦々しい認識によるものだ。
それを知ることで得られる感覚を偽善として否定されても、こちらとしては答えようがない。
それが偽善なのかマゾヒズムなのかも判らない自分としては、肯定も否定もできないからである。
ただ、このどうしようもない奈落を見下ろす感覚が、自分がSFを読む理由の一つであるということを
改めて思い知らされた作品だということは、間違いない。

メディアの一般的な情報や二次資料の引用が多く、他の作品から受けた影響もはっきり見えすぎるなど、
深みや独自性が足りないと感じられる部分も多いが、9.11以降に全ての世界が戦争とその意味について
自問せざるを得なくなった今、本作を日本SFにおける一つの結実と見てもよいだろう。
そしてその意義は、やはり読者にこそ委ねられる。各々の身内に抱えた「虐殺の器官」と共に。