熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

バラエティ豊かな名短編集『ジーン・ウルフの記念日の本』

2015年12月25日 | Wolfe
待望のジーン・ウルフ第2短編集が邦訳された。
連作長編のケルベロスや日本独自の編集でえり抜きの傑作を抱き合わせたデス博士に比べると
バラエティに富んだ内容で、難解な技巧派というウルフのイメージを覆すような作品も多い。
基本的には本人が楽しんで書くタイプだと思うので、読者もまずは想像力の広がりや屈折したユーモア、
言葉遊びのセンスなどを楽しむつもりで構えずに読めばいいだろう。

しかしウルフの作品に多少なりとも親しんでいるなら、この作家が繰り返し取り上げるモチーフや
テーマにこだわって読むこともできる。
何か引っかかりを感じたら、ネット検索などで情報を調べてみるのもいいと思う。
そこから得た知識によって読者自身が変貌を遂げ、結果として新たな物語を見出す可能性が生まれるからだ。
こうした読み方は小説の面白さとは別物との声もあるようだが、そもそも物語を読んで楽しむことに
ルールなどなく、各自が好きなように読めばいいと思う。
そしてウルフの作品には、多少の手間をかけてでも作品の奥底まで覗き込みたくなるような魅力、
あるいは魔力があるのだ。

「まえがき」
これ自体が著者による優れたガイドであり、また番外短編「返却期限日」を含んでいる。
まさか読み逃す人はいないと思うが、必ず目を通すこと。

「返却期限日」
ユーモア短編だが、図書館から本を借りっ放しの人にとっては一種のホラーでもある。
魔女的な存在感を発揮する図書館司書の女性が、文字通りチャーミングだ。

「鞭はいかにして復活したか」
本編の巻頭を飾る傑作。一読するといわゆる奇想系、奇妙な味の短編という趣きがあるが、
実はウルフが繰り返し書いてきた経済と道徳についての寓話でもある。
人道的、経済的な理屈で論じられる奴隷制の復活については、見かけとは別の理由があり、
ヒロインの妄想で出てくるブランド名がそれを示唆している。
またタイトルのwhipは票のまとめ役の意味も持つ、という解説の一文は本作を楽しむ上で
大変重要だが、ここで一考すべきはwhipが誰を指すかという点だろう。
そこに気づいたとき、物語の結末はがらりと様相を変える。実にウルフらしい仕掛けだ。
なお、赤と緑は投票の賛否を表す色であり、国連でもこの色によって採決を行う。
これはまた、カトリックの聖職者が身に着ける祭服の色でもある。

「継電器と薔薇」
タイトルはLily and Rose(百合と薔薇)のもじりだろう。
コンピュータを使用した世界的ネットワークとマッチングサービスは今や現実の話だが、
それらが転職や離婚といったアメリカ的文化を脅かすという展開が面白い。
主人公が呼び出された聴聞会は非米活動委員会と思われるが、アメリカ的な価値観を否定することが
そのまま反米活動とみなされるのが滑稽であり、また恐ろしくもある。

「ポールの樹上の家」
ウルフは子供だけに見える世界を何度も書いてきたが、ここでは大人の視点で世界を描いている。
米国で勃興するナチズムに無頓着な親たちは、テレビの画面を超えて徐々に迫りつつある暴力にも気づかない。
息子のポールだけが高い樹上に木造の砦を構えているが、これはアララト山頂に乗ったノアの方舟を思わせる。
「ポールは石を投げるが遠すぎて届かない」というくだりは「取り替え子」にもあるので、何らかの含みを
持たされているのかもしれない。

「聖ブランドン」
長編『ピース』の一部を成す、いわば物語内物語。
世界を巡った聖人の逸話に見せつつ、実はアメリカ移民にまつわる創作寓話という趣向なので、
「記念日の本」に収録されたのも納得できる。
登場人物がブレンダンではなくブランドンなのも、そうした意図を込めているのだろう。
単体で読んでも短編として十分な完成度を持ち、随所に仕掛けられた様々な象徴をつなぎ合わせると、
全く別の「ピース」に関する物語が見えてくる。

「ビューティランド」
これもまた、経済と道徳についての物語。土地や自然の私有とそれを金に替えることへの皮肉であり、
人間の底知れない残虐と横暴さが何をもたらすかについての警告でもある。
真実に「気づかない」「見ようとしない」というのも、ウルフが何度も書いてきたテーマである。

「カー・シニスター」
タイトルの意味は解説に書いてあるとおり。
さらに付け加えるなら、アメリカ自動車業界のビッグ3(GM、フォード、クライスラー)を
種牡馬の三大血統に見立てているのだろう。
実際にアメリカの自動車メーカーの多くはビッグ3を起源に持ち、盾の紋章で知られるキャデラックも
フォードの設立した会社がGM傘下へと収まった歴史を持つからだ。
しかし何よりユニークなのは、Automationを「自動車の交尾」と読み替えたウルフの言語感覚だと思う。

「ブルー・マウス」
青は国際連合のシンボルカラー。解説にも書かれているように、米軍在籍中のウルフは朝鮮戦争で
国連派遣軍の一員として戦っており、自伝的色彩が強い作品と思われる。
戦場で主人公が耳にするneverの音を、ウルフも実際に戦場で聞いたのかもしれない。
そして終戦後に帰国したアメリカで、彼は同じ音を別の意味で聞くことになる。
その成果として書かれたのが「取り替え子」だろう。
なお、この物語における国連は独立国家を否定して併合のための軍事介入を行っているようだ。
戦場がどこかは明記されていないが、この図式を朝鮮戦争における南北分断に当てはめると、
近未来で再び南北に分裂した合衆国が舞台とも考えられる。
その場合、主人公は五大湖のそばで生まれたと書いてあるので、北軍の所属ということになる。
彼らが勝ったあとに来る「色の浅黒い連中」とは、石油資本と結託したアラブ人を指しているのか。

「私はいかにして第二次世界大戦に破れ、それがドイツの侵攻を防ぐのに役立ったか」
第二次世界大戦が起きなかった世界における国際情勢の1コマを取り上げた作品。
表題をWorld War ⅡではなくSecond World Warとしたのは、架空史に対する作者のこだわりだろう。
戦車の開発史を自動車の開発競争に見立て、ある米国人が目にした各国による売り込み合戦の顛末を
史実を絶妙に交えながら描いている。
楽しい作品だが、科学技術の発展が軍事技術の開発と互恵関係にある点を皮肉ってもいるようだ。
なお、主人公のゲーム相手であるランズベリーを「太鼓腹」と読み替えれば、この人物のモデルは
フルシチョフであると推測できる。
二人の危険な火遊びが世界地図を丸焼けにしなかったのは幸運だった。

「養父」
SFらしさは薄く、現代社会で父親としての実感を持てない男の葛藤を素直に書いたようでもある。
団地を本棚、落書きのある扉を表紙に見立てると、登場人物があらかじめ用意された物語から飛び出して
新たな物語を作り始めるようにも思える。この開放感はよかった。
閉ざされた部屋から見つかる子供のイメージはイエスと重なるが、彼に特別な力があるわけではなさそうだ。
むしろウルフにとって、孤独な少年は常に特別な存在なのである。

「フォーレセン」
シュールなイメージの連続する不条理劇は、ディッシュなどの書いたニューウェーブ作品を思い出させる。
この手の作品の主人公は不条理な世界に対して反発し抵抗するのが定番だが、フォーレセンという人物は
大人の体に子供の意識が入り込んだようなキャラクターであり、この世界が異常だという感覚すら希薄である。
このアイデアが後に『ウィザード・ナイト』へと発展するのだろうか。
hourとour、plantとplanetのような言葉遊びが随所に見られそうだが、これは原文を読まないとわからない。
第一世代にアダムやエイブラハムの名があるので聖書にちなんだ読み解きもできそうだが、そうした憶測すら
最後の一節であっさりと打ち砕かれてしまう。

「狩猟に関する記事」
熊を人間と同様か、あるいは神聖な存在とみなす文化は世界中にあるそうだ。
人と獣の中間的存在をたびたび書いてきたウルフが取り上げるには、絶好の題材だろう。
熊の正体については解説で指摘されているが、書き手の文章のひどさは単なる無能では説明できず、
知性そのものに問題があるようにも思われる。
また関係者についても物忘れのひどさや粗暴ぶりが見られ、さらには穴にもぐったりマーキングをするなど
動物まがいの行動を取っていることから、この世界では化学物質に汚染された食品を日々摂取し続けた結果、
人類全体が知的退行を起こしている可能性が疑われる。

「取り替え子」
収録作中のベスト。これまで読んできたウルフの中短編でも五指に入るのではないか。
表題のChangelingには取り替え子の他に、捕虜交換や思想的な転向の意味も含まれている。
日常の中に陽炎のごとく立ち上がる幻想を描いたファンタジーであり、合衆国が抱える問題を
鋭く切り取ってみせた同時代文学の傑作でもある。
ピーターとは誰なのかを繰り返し考えることで、この作品の多面性に触れることができるだろう。

「住処多し」
動く住居という設定から、まずバーバ・ヤーガの民話を思い出した。
単性生殖世界が進んだ母星と成熟による変身を選んだ植民星、どちらの文化も奇妙すぎて唖然としてしまう。
ストレートなホラーSFでありつつ、一種のポスト・ヒューマニズムSFともいえそうだ。
ただし語り手が複数の上に話が細部で違っているので、どこまでが本当なのかわからない。

「ラファイエット飛行中隊よ、きょうは休戦だ」
フォッカー三葉機をこよなく愛する主人公が、塗料だけを除いて限りなくオリジナルに近い機体を完成させる。
骨董品のようなメカへの思い入れとその背後にある物語への愛着、空を飛び英雄の物語を演じることへの喜び、
そして思いがけない存在との出会い。
ウルフの中にいた孤独な少年が、ここでは大人として自らの夢を存分に謳歌しているのが実に清々しい。
また複製とオリジナルの関係も、ウルフが繰り返し書いてきたテーマのひとつだ。
塗料までオリジナルであれば事態は違ったかもしれない、と主人公は言う。
では彼が出会った娘は、果たして本物だったのか?
フォッカー三葉機を愛用しラファイエット中隊のライバルだった実在の人物は、レッド・バロンこと
マンフレート・フォン・リヒトホーフェンである。
それを模した機体の色を見た女性が、当時誕生したばかりのソフト・ドリンクのシンボルカラーを
赤く変更する原因になったのではないだろうか?

「三百万平方マイル」
合衆国には未知の土地が三百万平方マイルもある。そんな冗談めいた話がやがて強迫観念となり、
答えを求めてさまよい続ける男の物語。
日常から少しずつ外れていく人間の心理とその行き着く先の空虚さがいい。
これもSFというより、現代アメリカ文学として十分楽しめる。

「ツリー会戦」
ハイテク化されたおもちゃたちが、自分たちの生き残りを賭けて一夜の決戦に臨む。
実際の戦争にあるクリスマス休戦を逆手に取った作品だが、内容は幻想的でありながら
シリアスで強烈な印象を残す。
さしずめ残酷版「くまのプーさん」というところか。
結末の種明かしでは「デス博士の島その他の物語」の名文句「君だって同じなんだよ」が
まったく別の意味で響く。
その残響は後の「溶ける」で、また別の意味を伴って木霊する。

「ラ・べファーナ」
ベファーナはイタリアの魔女で、そのエピソードについては作中で語られるとおり。
隣家で生まれそうな子供は本当にイエスなのだろうか。異星人のゾズという名前にも
ジーザスの響きがあるので、あるいは彼こそがこの星に救いをもたらすのかもしれない。
その場合、支配者である人間はローマ人の立場に置かれることになる。

「溶ける」
溶けるといえば雪か氷だが、前者はコカイン、後者は覚せい剤の隠語でもある。
歴史と宇宙を股にかけた大晦日の乱痴気騒ぎが消え去ると、そこには孤独な日常と1冊の本がある。
そしてその本を読んでいた主人公も、雪や氷のように消える。
すべては戯れであり一夜の夢かもしれないが、それだけが人生の真実なのかもしれない。私にも、あなたにも。

なお、Book of Daysには暦の意味もあり、邦題候補として『ジーン・ウルフの暦』というのもあった。
現行のグレゴリオ暦は太陽暦であり、ユリウス暦を改良したことから新暦とも呼ばれることを考えると、
この作品集は短編により構成された『新しい太陽の書』の別バージョンであるとも言えるだろう。

収録作中で特に手ごたえを感じたのは「聖ブランドン」と「取り替え子」。
この二作については、改めて感想を書きたい。

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