熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

ケルベロス第五の首(9首目)

2004年09月15日 | Wolfe
ブラント夫人の話からの検証を続けてみる。

話の順番が前後するが、「移民船と妊婦」の例えから考えると、
フランス人の姿のアボとは逆に、損傷のない身体を持つフランス人と
掠奪される恐れのある若い娘が「彼方の向こう」へと自主的に逃げたという
可能性も浮かび上がってくる。
このとき妊娠していた娘が子を産めば、その子は元フランス人であり、「沼人」であり、
「丘人」であるとも言えるのではないか。
(もちろんここはフランスではないから、フランス人ですらないけれど)
そしてそもそもの「丘人」についても、314ページの記述では、
「沼人」を起源に持つようにもうけとれる。

これは地球から異星を目指して星を渡ってきた移民の姿に重なりはしないだろうか。

極論を承知で言えば、守旧派ではなく、新しい世界を求めてさまよう者こそ
「自由の民」の名にふさわしいのではないだろうか。
そしてどこかの土地に根をおろし、その地の者となった時に「彼ら」は消えてしまう。
後にはその土地を名に持った「現地人」たちが残り、「歴史」はそれを繰り返す。
もうこうなるとルーツもへったくれもなく、世界も歴史もまた循環的であり、自己のコピーを
産み出しつづけているのだという見方もできる。もちろんそこには多くの「バリエーション」も
含まれるわけだが、根本的には同じものなのだ。

余談ですが、百四十三号独房の隣の「文盲で盗癖のある女性」は、ひょっとして
VRTの母ではないかと思ったりして。

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