みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

トーダルの受賞歴

2008年01月31日 | トーダル
 トーダルの輝かしい受賞歴の数々。
 トーダルのプロフィールのほうに入れていたけど、ごちゃごちゃして分かりにくくなったので、ここで受賞歴だけ紹介します。
 でも、本人も全部覚えていないほど、たくさん受賞していて、ここにあるのは確認できたもののみ。
(画像ではめがねをかけていますが、トーダルです。)


1993年「ラジオ・フランス・インターナショナル」コンクールで東欧民謡ロック部門に当時参加していたグループ「パラーツ」が入賞。

1999年「ロック・カラナツィヤ賞」で当時参加していたグループ「クリヴィ」が「ベラルーシ最優秀グループ賞」受賞。
 トーダル自身は「ベラルーシ最優秀ロックシンガー男性ボーカリスト部門」優勝。(別名「ロック・キング賞」)
 
2000年 ドイツのベルリンで行われた音楽コンクール「Musika Vitale」で「クリヴィ」が優勝。

2001年 「ロック・カラナツィヤ賞」で、「2001年度最優秀ミュージシャン賞」受賞。
 
2002年 「ロック・カラナツィヤ賞」で、「伝統と現代音楽部門」優勝。
 アルバム「季節の香り」が「2002年度ベラルーシ語音楽最優秀アルバム部門」の2位に入賞。その収録曲「君の元へ」が「2002年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」4位に入賞。(「ヒット1ダース」主催)

2003年 ノルウェーで行われた「ヨーロピアン・ブロードキャスティング・ユニオン」コンクールの伝統音楽部門、抒情歌部門で「トーダル&WZ-オルキエストラ」が入賞。

 2004年 アルバム「愛の汽車」が「2004年度ベラルーシ語音楽優秀アルバム」のうちの1枚に選ばれる。その収録曲「春の日」が「2004年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」2位に入賞。(「ヒット1ダース」主催)

 2005年 アルバム「月と日」「MW」が「ベラルーシ語音楽アルバム・2005年の10枚」のうちの2枚に選ばれる。
 「2005年度ベラルーシ語音楽最優秀曲」に「月と日」収録曲「村祭」が3位、「MW」の収録曲「モルチャノフの恋人への手紙」が2位、そして「薔薇と踊るタンゴ」の収録曲「9番目の哀歌」が1位に入賞する。(「ヒット1ダース」主催)

 2006年「ロック・カラナツィヤ賞」で、「2006年度最優秀ミュージシャン賞」受賞。
 アルバム「薔薇と踊るタンゴ」が「ベラルーシ語音楽アルバム独立ジャンル部門賞」受賞。(ミステリヤ・ズブーカ主催。)

 2007年「ロック・カラナツィヤ賞」で「2007年度最優秀音楽プロジェクト賞」受賞。

2008年アルバム「LIRYKA」により、「ベラルーシ文化功労者賞」受賞。

トーダルのプロフィール

2008年01月31日 | トーダル
本名:ズィミーツェル・ヴァイツュシュケーヴィッチ(舌噛みそう。)

芸名:トーダル (1996年までの芸名は『フョーダル』)

生年月日:1971年(誕生日の日付は、マヤコフスキーの誕生日の次の日)

星座:かに座

出身地:現在のベラルーシ共和国グロドノ州ベレゾフカ市 (当時はソ連)

学歴:ベレゾフカの小学校と中学校 → リダの音楽専門高校(専門はクラリネット) → 国立ベラルーシ文化大学音楽部(専門はクラリネット)在学中にグリンカ名称ミンスク音楽専門学校にも入学。(専門は声楽。バリトンを専攻。)
 合計10年間音楽を専門的に勉強。

経歴:
 1992年 ベラルーシ文化大学在籍中だったに音楽グループ「パラーツ」に加入し、プロデビュー。パラーツのヨーロッパ公演に同行する。

 1996年 「パラーツ」を脱退し、「クリヴィ」結成。ドイツなど海外でも公演を行う。
 
 2000年  「クリヴィ」を脱退し、ソロ活動に入る。

 2001年 「トーダル&WZ-オルキエストラ」を結成。現在にいたる。
 活動拠点はベラルーシとポーランド。
 ポーランドでは“Todar & Cheremshina”“Todar & Kvartet YORGI”“WZ-Orkiestra & Verhovyna”といったポーランド人ミュージシャンとユニットを組んで活動している。
 主な海外公演先は、ウクライナ、ドイツ、スウェーデン、フランス、イタリア、ロシア、スロベニア、カザフスタン、エストニア、リトアニア、ラトビア。
 
 2007年から オートラジオ「簡単な言葉」というラジオ番組のパーソナリティを担当する。

 2008年2月にベラルーシ語歌手としては初の日本公演。
   
言語:ベラルーシ語、ロシア語、ポーランド語が完璧に話せる。
 歌うときはほとんどベラルーシ語。
 作品によってはロシア語や、ポーランド語、英語やイタリア語でも歌うことがある。
 日常会話レベルの英語ができる。

演奏できる楽器:クラリネット、フルート、トロンボーンなど吹奏楽器全般。
 ギター、打楽器も弾ける。
 作曲するときは鍵盤つきのPCを使用しているが、ピアノやバヤンのような鍵盤楽器の演奏はあまり得意ではないそう。
 専門はクラリネットで、本格的に高校と大学で学んでいるが、ギターは自分で練習しただけで、誰かに習ったりギター教室に通ったりはしていない。
 ジャンルもクラシック音楽が専門で、ベラルーシ民謡は専門に学んだことはない。ベラルーシ民謡は体にしみついた音楽だそう。
愛用のクラリネットは40年前に作られたフランス製。20年前に知り合いがベルギーで購入し、ベラルーシへ持ってきてくれたもの。

声域:3オクターブ プラス 裏声

好物:酢漬けのきのこ、ミンスクの製菓会社が作っている「ユージノエ・クッキー」 逆に苦手な食べ物はゆでた玉ねぎ。

趣味:森できのこを集めること。

スポーツ:週3回の水泳と散歩が健康の秘訣だそうです。観戦するのはサッカーが好き。

好きな色:赤

好きな歌手:シザエラ・エボラ。U2のボノ。ローリング・ストーンズ。フランク・シナトラ。

好きな女優:キーラ・ナイトレイ(「この人の顔が好き。」と言っていたが、名前をちゃんと覚えていなかった。)

ひそかに抱いている夢:絵画を真剣に学びたい。(今はそのための時間がない。)
 最近は執筆業にも手を出しているので、いつか作家デビューするかもしれません。夢は大きく「ノーベル文学賞受賞」! (夢、大きすぎ。まだ1冊も本を出していないのに。)

信仰:スラブ正教徒。

プライベート:2児の父。
  
外見について

 目の色:ブルー 
(眼球から光線のような光が出ている。この光が出ている間は彼の音楽人生は安泰であると見た。)

 髪の毛の色:ダークブラウン 
(ただし染めるため変わることがある。髪型やひげ型はしょっちゅう変わる。)
 いきつけの美容院はなく、知り合いの女性にカットしてもらっている。その女性の職業は服飾デザイナーで、プロの美容師ではない。

 服装:普段はとても地味なので、街中を歩いていても芸能人だとは気づかれない。でもベラルーシではスーパースターである。
黒縁の眼鏡をかけるときがあるが、おしゃれ(イメージを変える)のためで、視力が悪いわけではない。

その他の特徴:歩くときの速度がやたら速い。
 話すときの速度も速い。
 金銭感覚と時間感覚が普通の人とはかなり異なる。(芸能人はみんなそうか・・・。)
 死んだ後、たてる自分の墓の場所をもう決めている。
 携帯の着メロに自分の曲を入れているのかと思いきや、ナイチンゲールの鳴き声を入れている。
 歌手なので風邪をひかないよう、体調にいつも注意している。
 いつも枕元に水を入れたコップを置いて寝ている。喉が渇いたらすぐ飲むんだそう。
(1回だけ、風邪のためステージの上で突然がらがら声になったことがあったが、断りを入れてから一応最後まで歌い通した。)
 風邪を引いたら、ジャガイモをゆでて、その湯気で喉を温めて治すらしい。

 作品については「トーダルの作品リスト」やそれぞれの作品解説を参考にしてください。受賞歴については「トーダルの受賞歴」をご覧ください。

(内容に追加することがあれば更新します。)

トーダルの人生 2 「パラーツ」時代

2008年01月27日 | トーダル
<デビュー前夜>
 
 トーダルが学生だった90年代前半は、ソ連の崩壊、そしてベラルーシが独立したばかりで、経済の大混乱が続いていた。
 たとえば、母親が当時働いていたベレゾフカの老舗ガラス工場「ネマン」でも、給料の支払いが遅滞し、現金の代わりに給料がガラス製品で支払われていた。
 音大生トーダルは、実家の家計を助けるため、母親の給料であるガラスのコップや花瓶をかついで、ベレゾフカからは近い隣国ポーランドにときどき行き、ワルシャワ科学文化会館の前でガラス製品を売っては、現金に換えていた。
 さらにはミンスクにある最大の市場、カマロフスキー市場で、やはりガラス製品を売っていたら、「非合法的商売」をしている、と言う理由で警官に罰金を取られたことがある。

 あまりにも経済が混乱していた時期で、芸術方面の職業に進んでも、将来が非常に暗いという理由から、大学卒業後は音楽の道に進まず、故郷に帰ってガラス工場「ネマン」や建築関係の企業に就職しようかと悩んでいた。

<スカウト>

 ところが1992年のある日、大学の建物の入り口にある階段に腰掛けて、クラリネットを吹いていたら、「パラーツ」のメンバーの一人がやってきて、
「君、『パラーツ』のメンバーにならないか。」
といきなりスカウトされた。
 そして、そのまま芸能界入り。21歳のときだった。
 ・・・とトーダルはマーサに語った。
 が、実際にはそんな絵に描いたようなシンデレラストーリーではなく、パラーツの主要メンバーだったフランツ(本名はユルィ・ヴィドロナク)と前から面識があったのである。
(大学の階段でクラリネットを吹いていたときにスカウトされたのは本当の話。)

<パラーツ>

 ところで、「パラーツ」について。
 90年代前半はソ連が崩壊して経済的には混乱していたが、ベラルーシ共和国が独立したことから、ベラルーシ民族がベラルーシ固有の文化や歴史を見直す動きが一度に始まった時期でもある。
 そんな中で、ベラルーシ語で書かれた文学やベラルーシ民謡などが、急にブームになった。
 そこへ登場したのが音楽グループ「パラーツ」である。パラーツはベラルーシ民謡を民族楽器も取り入れたロックと融合させ、大胆な現代風アレンジを施した。
 このような音楽を「フォークロア・モダン」と最初に名づけたのもパラーツである。
 新しいジャンルの、しかもベラルーシの音楽が誕生し、たちまちパラーツは大人気グループになったのである。
 
 パラーツを結成しようと呼びかけたのは、フランツで、リーダーはボーカルのアレーク・ハメンカ。
 1992年の結成当時はトーダルはメンバーではなかったが、アレンジのときに吹奏楽器、特にベラルーシの民族楽器である笛、ジャレイカの演奏者を探していたフランツが、トーダルをスカウトしたのである。

 こうしてトーダルはサポートメンバーとしてパラーツに参加。
 ジャレイカやクラリネットを吹くほか、バックボーカルも担当する。
 またパラーツがヨーロッパの民族音楽フェスティバルに出場するのに同行した。若い音楽家としては非常にいいスタートが切れたと言っていいですね。
 
 こうして、トーダルは迷いを捨て、「やっぱり自分は音楽の道に進もう!」と決意。
 いやあ、本当にそうしてよかったよ。でなかったら、「月と日」も全然ちがう作品になっていたと思いますよ。トーダルじゃなしに他のミュージシャンに編曲を頼んでいたと思うからね。

 さて、パラーツでバックボーカルをすることにもなったトーダルは専門のクラリネット以外にも、声楽を専門的に学ぶことにした。
 そこで、大学4回生進級と同時に、ミンスク市内にあるグリンカ名称音楽専門学校の4年生に中途入学する。
 そこで、バリトンを専攻し、ベラルーシ文化大学音楽部との通学と平行しながら声楽を勉強した。
 昼間は文化大学と専門学校に通い、夕方はパラーツのステージに立っていたのである。
 2年後、文化大学と音楽専門学校を同時に優秀な成績で卒業。
 そしてそのまま、パラーツに就職する形となり、1995年にパラーツが発表したアルバム「フォークロア・モダン」の製作にも参加する。

 しかし、パラーツでの仕事だけで十分食べていけるほど、ギャラをたくさんもらっていたわけではなかった、とトーダルは当時の生活を振り返っている。
 パラーツなどの音楽の仕事がないときは、誰から頼まれたわけでもないのに、一人黙々と作曲をしていたそう。

 ところで、ベラルーシでも芸能界に入ると、芸名をつけることが多い。
 トーダルがパラーツに入ったときも、芸名をつけることになったが、そのときパラーツのほかのメンバーが
「お前はフョーダルって感じだな。」
と言ったので、芸名をフョーダルにした。日本人にはよく分からないけど、何でもフョーダルという名前には「優しくて親切な人」というイメージがあるそうだ。
 
 こうして、パラーツの新メンバー、フョーダル(後のトーダル)は25歳になろうとしていた・・・そしてまた大きな人生の転機が訪れたのだった。

(トーダルの人生 3 に続く。)

 画像は1996年のパラーツのステージの写真。分かりにくいけど右端がトーダル。左から2人目はリーダーのアレーク・ハメンカ。 

 パラーツ時代のトーダルの声はパラーツの公式サイトで試聴できます。

http://www.palac.org/


 分かりやすいのはこの中の、

http://www.palac.org/disc.htm


 2002年にパラーツが発表したベストアルバムの8番目に収録されている「メリークリスマス」と言う曲。
 これは英語で(Merry Christmas)と表記もあるので、ベラルーシ語が分からない日本人でも見つけられると思います。
 この曲の間奏部分で、トーダルが一人、英語でラップの歌詞を歌っています。
 コーラス部分でも歌っているけど、他のメンバーといっしょに歌っているので、トーダルの声は聞き取りにくいですが、ラップは一人で歌っているので、分かりやすいですね。
 リードボーカルのアレーク・ハメンカの声も聴いてくださいね。
 マーサはハメンカさんのファンなのだよ。

 しかし、日本人がイメージするクリスマスソングとはだいぶイメージが違いますね・・・。
 間奏のラップ歌詞と「メリークリスマス」という歌詞以外は、ベラルーシ語です。
 聴いてていつも思うけど、ああ、やっぱり「パラーツ」はゴージャスだわ。
 

トーダルの人生 1 デビューまで

2008年01月26日 | トーダル
 トーダルの今までの人生について、知っていることをご紹介します。

<誕生>
 1971年、ベラルーシ共和国グロドノ州リダ地区ベレゾフカ市(当時はソ連)で生まれる。
 大変な難産の末、生まれたそうで、お母さんの話によると、2日間陣痛が続いたのに生まれないので、ふらふらになっていたら、当時は非常に珍しかったチューインガムをどこからか手に入れた親戚が差し入れてくれた。陣痛がくるたび、そのガムを噛み締めていたら、やっと生まれたので、親戚の間から「チューインガムの申し子」というあだ名をつけられた。

<幼稚園>
 3歳のとき、父親が交通事故のため死去。その後、いわゆる経済的にあまり恵まれない母子家庭に育つことになる。
 ちなみに兄弟はなく、一人っ子である。母親が仕事で忙しかったため、おばあちゃんに面倒をみてもらうことが多かったそうである。
 父親の記憶はほとんどなく、周囲の人から
「あんたのお父さんは歌がうまかった。」「ええ声しとった。」
と小さい頃から言われ続けたため、自分も歌が得意かも、と思い込み、家の外で大声で歌うようになったそうだ。
 ちなみに父親は生前、ベレゾフカの歌好きの有志が集まる歌唱団の団長をしていた。

<小学校>
 音楽の才能があることに気がついた母親が、音楽学校(公立の小学校だが、音楽の授業が多い)に入学させようとする。
 しかし入学説明会で、ピアノを買うことが必須条件であることを知り、経済的な理由から、(つまり母親の給料ではピアノが買えなかった。)入学をあきらめる。
 地元の小学校に入学。この小学校は英語学校で、英語の授業が多かったため、基本的な英語を学ぶ。

 小学3年生のとき、学校のレスリング部に入り、30キロ級地区大会で優勝したことがある。
 その後は吹奏楽部に入り、さまざまな楽器に挑戦する。
 吹奏楽部ではフルートを担当していたが、それを習おうと思ったのはフルートを教えていた先生が若くて美人だったから。(^^;)
 その後はサックスを習っていたが、学校にあったロシア製サックスは音がろくに出なかったらしい。
 子どものときから楽器を演奏したり、歌ったりするのが好きだったが、音楽ばかりしていたのではなく、放課後は友達とサッカーをする普通の子どもだった。
 
 中学生のときには同級生とロックバンドを結成し、ドラムを担当し、文化祭で人気者になる。
 またベラルーシの民謡アンサンブルの舞台を聴きに行っては、民族舞踊や民謡をに感動し、自分も音楽家になりたい、と考えていた。 


<高校>
 1986年、日本でいうところの中学卒業時に、音楽の道に進むことを希望し、ベレゾフカ市から約20キロ離れたリダ市にある音楽専門高校(5年制)に進学。
 専門はクラリネット。そのほかの楽器や音楽についての専門知識を学ぶ。
 本当はサックスをしたかったので、入学時にそのことを言うと、
「うちの学校ではサックスは教えていない。」
と言われ、
「その代わりにクラリネットをやりなさい。」
と、本人の意思とは関係なく、専門はクラリネット、ということになってしまった。
 この学校でサックスを教えていたら、トーダルはサックス奏者になっていたと思われる。 

 学校の寮に入り、週末だけ、ベレゾフカの実家に戻るという高校生生活を送る。
奨学金をもらっていたが、土日には結婚式の披露宴で、クラリネットを演奏したり、歌ったりするアルバイトをして、家計を助けていた。
初めてベレゾフカからリダに出てきたときは、
「市バスが走ってる!」
と大都会に来たようなカルチャーショックを受けたらしい。
(でもベレゾフカって私も行ったことがあるけど、そんなド田舎じゃないぞ。)

高校生のときリダに国民的グループ「ペスニャルイ」がコンサートで来たので、聞きに行き、とても感動して、自分も
「ミュージシャンになりたい。」
と憧れた。「ペスニャルイ」のことをトーダルは「ベラルーシ人でミュージシャンを目指す者にとっての学校。避けて通れない。」と語っている。

 高校卒業間近になったある日、ロシアのペトロザボーツクにある音楽院で1年間学べば、サンクト・ペテルブルグ音楽院に入学できる、という話が本人に舞い込んできた。
 プロの音楽家を目指す者にとっては夢のような話である。
 が、断った。と言うのもそのころはソ連崩壊前夜のことで、食べるものを手に入れるのも難しくなっており(パン屋に行列3時間待ちなど)ベラルーシから見ればずいぶんと北のほうにある地方都市ペトロザボーツクで、1年間無事に暮らせる自信がなかったからだ。


<大学>
 1990年、国立ベラルーシ文化大学音楽部(5年制)に入学。ついに首都ミンスクへ。専門はクラリネット。作曲法なども学ぶ。
 当時はクラリネット奏者になるべく、毎日1日、6-7時間クラリネットを吹く、という猛練習を続けていた。
 このまま、何事もなければ、どこかのオーケストラに入って、クラリネットのソリストになっただけだろうと思われる。

 しかし、大学生のときに、芸能界に入るという人生の一大転機が訪れるのだった・・・。


(トーダルの人生 2 に続く。)

ベラルーシの音楽ニュースでトーダル初来日

2008年01月23日 | トーダル
 ベラルーシの音楽ニュースでトーダルの初来日のことがすでにニュースになっています。(まだ行ってないのに。)
 共演するオルケステル・ドレイデルさんのことも記事になっています。おお・・・
(ただし、記事は全部ベラルーシ語。)そして、ついてる画像は、・・・変。(まあ、日本を意識してこの画像にしたんだろうな。

http://music.fromby.net/article/1036/
 

 これは日本へ出発する前に行われたインタビュー。(ベラルーシ語)

http://generation.by/news2098.html

 ここでも「日本に行ったらヨーコ・オノに会いたい。」と言っている。そんなにヨーコ・オノが好きなのか? 知りませんでしたよ、トーダルにそんなに好きな日本人がいたなんて。と言うか、ジョン・レノンが好きなんだろうな。

 こちらはロシア語のニュースサイト。画像はありませんが、ロシア語読める方は、こちらをどうぞ。内容は両方のニュースともほぼ同じです。

http://www.puls.by/news/2868/

トーダルにインタビュー 「月と日」について・後編

2008年01月12日 | トーダル
(前編からの続き)

P:今ベラルーシでは日本の文化が流行っていますよね。村上春樹といった文学、映画とか詩。このような流行に合流したいと思いましたか? あるいは現代日本文化に対する興味を興したいとは思いませんか?

トーダル:このアルバム自体は何も興さないよ。ただ、とっても美しい・・・僕はそう思うな。すごくうれしいのは、僕がついに他の作曲家と交わることができて、自分が作ったわけじゃない歌を歌ってるってことなんだ。(* 確かに自分以外の音楽家が作った歌をトーダルが歌うのは、非常に珍しいことです。)
 この曲を聴いてみたら、たぶん10曲中8曲がメジャー調の明るい歌で、2曲だけがマイナー調の哀しい歌だと多くの人は思うでしょう。でもね、僕にとっては正反対なんです。8曲がマイナー調で、2曲だけがメジャー調の歌なんです。
 日本文化の流行のことだけど、どうなんだろ、そんなこと考えもしなかったな。もちろん現実に流行に合流できたらいいと思うよ。でも一番大事なのは、このCDはベラルーシ人のために作った、ということなんだ。この文化をみんなで分かち合えたら、と思って作ったんです。(* トーダル、よく言った! えらいぞ。拍手!)

P:アダム・グリョーブスは俳句を朗読しているのですか?

トーダル:いいえ、ただ自作の「日本風」な詩を朗読しています。(* あの挿入詩はベラルーシ人が感じるところの「日本風」なんだそうです。)
 話し合って俳句はやめておこう、ということに決めました。俳句はない代わりにいろんな詩を入れました。ベラルーシの類似点もある詩もいくつかありますよ。そうしたら、本当に日本とは不調和なものができました。(* この不調和性をトーダルは成功と捉えています。何せ「対比」がテーマですから。)
 僕はいつも自分の音楽の中に、独自の映画やイラストが加わっているような、そんな音楽を作りたいと思っているんですが、今回それができたと感じています。
 ところで、アダム・グリョーブスは日本について、いろいろ知っていますよ。その点、僕はほとんど素人。おもしろいと思うのは創作活動とその過程だね。

P:冗談でこのCD「月と日」はNeuro DubelのCD「タンキ」と比較されるのではないでしょうか? 「タンキ」も日本の美術観にどこか関連しているでしょう。ですから、同系統の分野という意味では、「月と日」はベラルーシ初の日本の歌のアルバムとは言えないのでは?

(* Neuro DubelのCD「タンキ」についてですが、ジャケットデザインをここで、ご紹介できないか検索したのですが、見つかりませんでした。「タンキ」とは「短歌」と「戦車」(ベラルーシ語で「タンク」)の複数形です。
 ジャケットデザインを言葉で説明すると、表ジャケットの真ん中に戦車が2台、そしてその周りに桜の花が描かれていて、縦書きでバンド名やCDタイトルが書かれています。裏ジャケットは、灰色の筆文字で「ベラルーシはあなたのために ベラルーシはわたしのために」と下手な字で一面びっしり繰り返し書かれています。中を見ると、リーダーが中国風の衣装を身に着け、茶碗を手に持っている写真が・・・(茶道のつもり?)
 正直言って、このジャケットデザインを見たとたん、購入する気が失せ、収録曲「タンキ」も私は聴いたことがありません・・・。
 Neuro Dubelなんて、ブラックユーモア系コメディ・バンドなのに、「月と日」といっしょにしないでほしい。)(怒)

トーダル:Neuro Dubelのリーダー、サーシャ・クルリンコビッチに、日本の歌のCDを作ることについて、電話したんだ。でも彼は何も反対しなかったよ。(* クルリンコビッチに反対されたら「月と日」は作らなかったのか、トーダルよ! 反対されても作っていただろう!)
 僕は日本のオリジナル曲を演奏したわけだしね。確かに東洋をテーマにする作曲家は今までにたくさんいたよ。彼らは作品の中で
「ほら、このように自分は日本を見ていますよ。」
と言っている。でも僕が歌う曲は、もともと本当の日本人が作曲したものだからね。まあ、いろいろ言ったけど、もちろんこのアルバムには、僕の日本の芸術観に対する考えが存在しています。
 マーサがくれたカセットテープに録音されていた歌のほとんどは、子どもが歌っていて、とても短かくて、簡素で、かわいらしいものだった。それはみんな、とても変っていて、それでいて、とても感動的な曲だった。
 その後、僕は分かったんです。ベラルーシ人は、日本人とは違う! そして日本人は、ベラルーシ人とは違うんだって。(* 「そんなの当たり前じゃん。」なんて言わずに最後までお読みください、皆様。)これが分かったときの陶酔状態! 
 これらの日本の歌はとても奥深くて、その中にすごく真剣なものがあるんです。
 そんなわけで、二つの文化が音楽を通して「出会う」・・・こういった方法を採ることにしました。

P:アルバムのタイトルは、どのようにしてつけたんですか?

トーダル:「月と日」というタイトルは、ちょうどベラルーシと日本の「出会い」を表しています。もっともこのシンボルマークはフランツィスク・スカリナのもので、普通、太陽と月と呼ばれるものです。スカリナの商標ですよね。マーサはこのマークがとても気に入っていました。日本語では、月と日という二つの漢字が「流れゆく人生」「時の輪」を意味するんだそうです。何かこう、静かで、永遠で、常に動きの中に存在するもの・・・。
 このシンボルマークの意味においてでも、二つの文化が出会ったことになるんです。
 でもまあ、何だかんだ言っても、このアルバムはとても日本的ですよ。ちょっとばかりロックンロールが入っているとしてもね。
  
P:ということは、このアルバムは、あなたの日本に対する熱い関心からではなく、実験したい、という願いから作られたのですね?

トーダル:これはとても難しいプロジェクトでした。でも、いつも僕はこのようなプロジェクトに心惹かれるんです。マヤコフスキーの詩に曲をつけたCD「MW」も同じ理由で作りました。これも簡単じゃありませんでしたよ。たぶん僕はエゴイスティックに自分自身のことを、音楽を通して「教育して」いるんです。
 今、僕は日本についてもっと知りたい、と思っています。つい最近、ふっと分かったんです。日本の曲はとても簡素。ところが、その音楽を他の言語に訳することは本当に難しいことなんです。

P:あなたはいつも何かとても難しい課題や境界や束縛を、自分に課していますね。でも人生は常に理想的であるとは限りませんよね。失敗については、どのように対応していますか?

トーダル:権力組織のある決まった範囲のためには、前もって失敗することを予測しておくようにしているよ。
 僕はよくステージに立つようにしていて、それで古くからの固定ファンもいます。難しいことをわざとしたくなるのは、心理的問題だね。つまり、僕は自分に地平線を広げさせ、自分自身の視界を広げるような企画が好きだっていう「問題」です。そして、そのために全てのプロジェクトを現実のものにしようとします。
 もちろん、自分自身を高めることは、おそらくないだろうと思われるテーマは最初から選びません。個人的な嗜好で選ぶようにしているんです。例えばマヤコフスキーと僕は誕生日がほとんど同じで、マヤコフスキーの人生は難しいものだったけど、僕の人生も「楽しい」もんですよ。
 確かに僕はいつも自分の目の前に、野心に満ちたプロジェクトを置くようにしています。でも、それを成功させるには、たくさん働いて、知って、読んで、感じて、常に自分の表現力を磨いていなければならない。それに僕には献身的なファンがいます。いっしょになって、表現力の進歩を手伝ってくれる、ファンの感想がね。
 多くのベラルーシ人リスナーは低品質の音楽に慣らされていっている。単純で原始的な音楽です。まじめな音楽を聴いたり、それについて考えたり、詩を読んだり、まじめな絵画などを見る人は減ってきています。
 芸術を理解すること、それは本当に大変な作業。それが分かっている人々も少なくなってきている。ミンスクにとっては、これは現代の問題だよ。僕の創る音楽が、何とかこの現状を変えることができれば・・・と僕は願っているんです。

・・・・・・・・・

 この画像も「РИО」からです。
 トーダル君インタビュー記事は全部で4ページに渡っていましたが、そのうちの最初の見開き2ページを撮影しました。(この画像の掲載は許可を得ています。)

 「月と日」プロジェクトがトーダルにとって、「地平線を広げさせ、自分自身の視界を広げる」ような企画であったことを祈ります!


トーダルにインタビュー 「月と日」について・前編

2008年01月12日 | トーダル
 トーダル&WZ-オルキエストラが2005年に発表したアルバム「月と日」について、当時ベラルーシのマスコミがさまざまな報道をしました。

 その中で最も詳しいのが、雑誌「РИО」(2005年第38号 9月19日発売)の記事でした。(雑誌名は「娯楽と休息」の略語。)
 これを読めば、他の報道の内容も大体網羅している(少々、くだらない質問もしていますが。)と思われますので、その日本語訳を公開します。(ただし、「月と日」に関する以外内容については若干省略しています。)
 また翻訳文中の(*)は私からの注釈。あるいはコメントです。

 原文は現在「Belarus Today」というサイト上でも読むことができます。(ただしロシア語表記のみ。)

http://www.belarustoday.info/?pid=20827


 この画像は「РИО」の表紙です。トーダルの横顔が表紙です。彼が向いている方角は当然右!つまり、東=日本!
 それにしてもバックに合成された日本語の古文書のようなものが、逆さまに印刷されているのが笑えますね。(^^;)
(この画像の掲載は許可を得ています。)


・・・・・・・・・

「芸術を理解すること、それは大変な作業」

 トーダルは最も多芸で、最も驚かされるベラルーシのミュージシャンだ。常に意外な、いや、かえって馬鹿げて聞こえるほど困難な計画を立てる。ジャンルからジャンルへと移動する、創作活動の放浪の旅を常にしているようだ。
 長い間その完成が待たれていたCD「月と日」をついに発表した。コンサートは本物の日本の歌がベラルーシ語で聴けるという、またとない機会となるだろう。ここにはサムライも羊男もいない。桜の花も富士五十夜景もない。(*「さくら」は収録されてますよ! それと「富士五十夜景」って「富嶽三十六景」の間違い?)

 日本文化愛好者がひけらかす標準的でステレオタイプ的な、そして陳腐な日本より、このCDはずっと難解で、繊細である。
 ここにはバラードがあり、カントリーミュージックがあり、ジャズさえある。しかし、このCDの持つ世界観は明らかに日本的であり、それにより独自の性格を持ち合わせているのである。

・・・ 

РИОの記者(以下、P):まずこのプロジェクトについて、はじめから話してください。CD完成まで2年もかかったのは、どうしてでしょうか?

トーダル:全ては日本人マーサに出会ったことから始まりました。プロデューサーをしているユーリー・ツィビンのおかげで会うことができたんです。二人は日本の歌をベラルーシ語に翻訳してみないか、と持ちかけてきました。そのときは、どんな曲ができるのか、まるで分かりませんでしたね。でもこのアイデアはおもしろそうに思えました。日本の歌をベラルーシ語で歌える、なんて今まで考えもしなかったし。
 マーサとは今後どのように話を進めたらいいか、話し合ったのですが、当時は別のアルバム(* 2004年発表のCD「愛の汽車」のこと。)を作っていて、忙しかったんです。日本の歌のCDは慌てて、間に合わせ的には作りたくなかった。
 その後、僕は詩人のアレーシ・カモツキーといっしょに翻訳を始めました。日本の歌が録音されたカセットテープと、歌詞をロシア語に翻訳されていたのをもらっていたんですが、作業はとても難しいものとなりました。
 まず、オリジナル曲を聴いたんですが、何だか二人とも変な気分になりました。というのも、日本のことについて伝統がある古い国で、サムライがいるといったイメージを持っていたけれど、収録予定の曲は現代西欧音楽に聞こえたからです! (* トーダル君たちは日本の音楽イコール東洋の音楽で、とてもニョロニョロした音楽を想像していたようです。)
 まあ、とにかく課題が難しければ難しいほど、働くのが楽しくなってくるんですよ。

P:このアルバムには何か構想はありましたか?

トーダル:構想を決める段階で、これは自分一人でできる仕事ではない、と分かりました。そう、いろんな楽しい、思いがけないプレゼントがつまった共同のプロジェクトなんです。それにアレーシ・カモツキーが参加するのは自然なことでした。そこへアリャクサンダル・パミドーラウがラップでもって合流する。さらにアダム・グリョーブスが詩を持って合流。ミハル・アネムパディスタウも僕たちを支えてくれた。文字通り総動員の状態です。
 そして一番大事なのは、(特に僕にとっては、これが自慢なんだけど)今まで誰も日本の歌をベラルーシ語に翻訳した人がいなくて、日本の有名な歌を編曲した人もいなかった、ということなんです。
 ところで、はっきり知っているわけじゃないけど、ベラルーシと日本の文化には共通するものがあるんですよ。例えば、日本にも日本のダジンキ(* 収穫祭のこと。日本で言うところの「村祭」)がある。
 曲は季節に合わせて順に収録されているんですが、日本固有の世界観で、並んでいるんです。だからCDは春の茶摘み式の歌から始まる。(* 収録曲最初の曲は「さくら」で、「茶摘み」は初夏の歌だから3番目です。)

P:このCDは日本とベラルーシの文化交流の促進につながる可能性はあるでしょうか?

トーダル:もちろん、どんな可能性もあるよ。経営の視点から対応すればね。でもそれはそんなに重要なことじゃない。このCDが日本人にとっても、おもしろい作品であれば、と思っているんだ。そして、僕は日本に行ってみたいけれど、単に「編曲の専門家」として行くのではなく、「ベラルーシ文化の公式代表者」として行きたい。(* 全くそのとおりです! トーダルは編曲しかしていない人だと、日本の皆様に勘違いされたくないと、私も思っています。)

P:編曲した曲はオリジナルとはだいぶ違っているのですか? 独自の「混合分野」を作りたいとは思いませんか?

トーダル:もしオリジナル曲を実際に聴いたら、どのように違うのか分かると思うよ。
 まず、歌詞が全く違うんです。マサカが書いた歌詞の逐語訳からアレーシ・カモツキーは非の打ちどころのない完璧な詩の翻訳をした。ロシア語訳には「この歌ではこういうことを歌っていますよ。」といったことしか書いてなくて(* 私としてはもっと詳しく翻訳したつもりでしたが。)言葉を拾って詩を作ったんです。でも、できるだけ元の歌詞を変えないように努力しました。反面、収穫祭の歌「村祭」は「ダジンキ」について歌っている歌詞もわざと加えました。
 大体において、僕たちはこんな印象を持ちました。日本の音楽家はモスクワ音楽院で教えることのうち必要最小限だけ学んだじゃないかって。ハーモニーはとても西洋風なんだけど、歌詞は日本の風土そのものです。そんなわけで、このCDでは対比というものを特色として出すことにしました。古くからある対比、です。例えば「静けさと嵐」「愛と憎悪」といったような。

(* トーダルは他の新聞

http://mk.by/archiv/30.09.2005/rub11.php

のインタビューで「日本の詩は人生そのものについて瞑想している。」と感想を述べています。
 このインタビューで語っている「対比」の発想は、そのまま日本の歌とグリョーブスさんの朗読する詩の構成にも当てはまります。他にも「○○とXX」という発想はあちこちに見られます。「日本とベラルーシ」「日本語とベラルーシ語」「音楽と文学」「春と秋」「夏と冬」・・・
 「月と日」というアルバムタイトルにも、これは言えることです。タイトルは私の発案によるもので、トーダルたちが作業を開始した時点で、すでにタイトルも決定していました。私は「対比」という発想は持ち合わせていなかったのですが、図らずもこのような意味づけが、作られていく過程で、このアルバムになされていったのでした。)
 
 (後編に続く)

「月と日」(2005年)

2008年01月11日 | トーダル
 トーダルがベラルーシ人アーティストとしては、日本で一番知名度を上げることになったアルバム。
(日本の歌をベラルーシ語で歌っているのだから、日本で知名度が上がるのは当然だけど。)

 さらに日本のラジオ番組でも収録曲がオンエアーされたベラルーシ語音楽。(まあ、当然ですね。)

 そして日本でもっともたくさん売れたベラルーシ語音楽のアルバムでもあります。(これも当然か・・・。ちなみに今までトーダルが発表したアルバムの中で、2番目にたくさん売れたのがこの「月と日」。ベラルーシ人は日本が好きなのだよ、きっと。)

 まだ聴いたことのない、と言うそこのあなた! 日本の歌のイメージが変りますよ! 必聴。

 「月と日」について詳しい情報はHP「ベラルーシの部屋」をご覧ください。
 やたら詳しく解説されています。裏話も盛りだくさん。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html
 

 CD「月と日」を買ったけど、歌の間の朗読している詩の意味が分からないよ、と言う方も、ぜひHP「ベラルーシの部屋」の「月と日」ページをご覧ください。全て日本語訳されています。

 またCD「月と日」は京都にあるヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」で購入できます。ネット販売もしていますので、詳しくはここをクリック。
 またネットショッピングでも購入できます。

http://vesna-ltd.com/shop/b_music.html


「MW」(2005年)

2008年01月10日 | トーダル
 2005年7月にトーダル&WZ-オルキエストラが発表したアルバム。
 このシンプルなジャケットデザインをご覧ください。白地にMとWの文字しかありません。
 (しかも色の配色と字体がロシアンアヴァンギャルド風、という凝りよう。)
「MW? 何だそりゃ? Man&Womanの略で『男と女』っていう意味のアルバムかい?」
と思われた方もいるかもしれません。
 実はそうではなく、「M」はマヤコフスキー、「W」はWZ-オルキエストラの頭文字のことです。

 ジャケットの裏を見て初めてアーティスト名などが分かるという仕掛けになっています。
 マーサはこのデザイン、トーダルの数々のCDジャケットデザインの中ではベストだと思うのですが、どうでしょう?

 しかし、このアルバム、なかなかすぐにCD店で販売されませんでした。なぜかと言うと・・・
 まずこのデザインを見てベラルーシのCD店が
「これじゃ何が何だかさっぱり分からない。」
つまり、「売れない。」ということで、店頭販売することを拒否するという、涙のいきさつがあったのです。
 さらに「MW」のほうが「月と日」より先に完成したものの、「MW」は特注ジャケットにコストが思いのほかかかって、販売価格が上がってしまい、流通にすぐ乗せられなかった、という事情が当時あったため、「MW」を一般店舗で買うこと
は発表当時できませんでした。
 ようやくCD店で販売されるようになったのは「月と日」より後で、しかも初めのうちは、裏ジャケットを表にして店頭に並べられていました。
(でも今は「MW」の認知度が上がり、普通に表を向けて、販売されています。)

 「月と日」完成後、私は「MW」をトーダルから直接プレゼントしてもらいました。(サインもしてもらったので、私のお宝。)(^^)

 中を開くと、トーダルの坊主頭の白黒写真が出てきてびっくりします。同じ物を見たいという方はこちらを参照してください。

http://westrecords.by/upload/x_photos-todar04.jpg


 どうして髪の毛を全部剃ってしまったかというと、マヤコフスキーの真似をしているからなのです。
 ちなみに坊主頭のマヤコフスキーの画像はこちらです。興味のある方は両者が似ているかどうか比べてください。(私から見ればどっちも坊主頭じゃないほうがいいよう・・・。)

http://www.tabiken.com/history/doc/R/R193C100.HTM


 マヤコフスキー(1893~1930)とは誰なのか?
 私がいちいち説明しなくてもご存知の方のほうが多いと思いますが、ロシア革命前後の時代を生きたソビエトを代表する詩人です。詳しくはこちらのサイト等をご参照ください。

 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/poet20/mayakovskiy/mayakovskiy.html


 さて、ソロ活動を開始して5枚目になるこのアルバムですが、トーダル自らが
「自信作です!」
と言うだけあります。
 そして初のロシア語で歌っているアルバムです。トーダルと言えば、ベラルーシを代表する、ベラルーシ語で歌うアーティスト、というイメージがとても強かったのですが、この初のロシア語CDの発表に、マスコミはびっくり。
「どうしてまた、今という時期に、ベラルーシ人のあなたがマヤコフスキーの詩に作曲を?!」
といった質問に
「僕はマヤコフスキーのことを天才詩人だと思っています。」
と答えたトーダル。
(ソロ活動4作目アルバム「愛の汽車」は詩人バラドゥリンの詩に作曲していますが、これについても「僕はバラドゥリンのことを天才詩人だと思っています。」とトーダルは語っています。よっぽど天才詩人が好きなんですね。天才の詩でないと、曲をつける気にならないのね。)
 
 もっとも、このアルバムの製作には2年もかかってしまったそうです。
 トーダルはマヤコフスキー全集全3巻を読んで、その中から気に入った詩12篇を選び、作曲することにしました。しかし、半分ほど作ったところで、作曲作業が止まってしまい、結局2003年から2005年まで模索が続きました。
 マヤコフスキーを日本語訳であるいはロシア語原文で読まれたことのある方は、すぐに分かると思いますが、マヤコフスキーの詩は、歌曲向けではないのです。
 私もマヤコフスキー全集全3巻から、トーダル君が選んだ12篇の詩を探してきて読んでみたのですが、いやあ~ベラルーシ語じゃなくて、ロシア語なのに、難しい難しい。
 「革命」「苦悩」「愛」「人生」といったテーマの詩が、すごく読みづらい階段状の改行とともに書かれており、マヤコフスキーの開いた口と鋭い眼光が目の前に迫ってくるような気がしてきて、ちょっと読んだだけでどっと疲れます。

「トーダル、マヤコフスキーの詩に作曲したアルバム作ったんだって。」
と捨平に言ったときの反応は
「そんなの無理だ! マヤコフスキーなんか歌えないよ。」
 ・・・それぐらい、歌いにくい詩であることが常識の詩人なのです。

 しかし、私は「MW」を初めて聴いたとき驚きのあまり、呆然としてしまいました。つまり私は「月と日」を聴いた後で、その前作の「MW」を聴いたことになります。
 その最初の感想は(表現が変かもしれないですが)
「トーダルよ、『MW』を作曲した後の『月と日』の編曲作業は、実に簡単だったろう。歌は・・・食事に例えると『MW』はメインディッシュで、『月と日』はデザートのようなものだったろう・・・。」
(ちなみにこの私の感想は「月と日」をトーダルが手抜きして作った、というわけではありません。)

 順番どおり「MW」を聴いてから「月と日」を聴いたベラルーシ人リスナーは、トーダルの音楽世界の広さに本当に驚いたと思います。トーダルの手にかかれば、時空も空間を超えるのも軽々です。
 トーダル本人には
「『MW』は金字塔的作品だと思います。」
と感想を伝えておきました。
 
 トーダルが今まで発表したアルバムの中で私が一番好きなのは、当然「月と日」なのですが、2位は「MW」ですね。ちなみに3位は「バラード」(2002年発表)。
 とにかく「MW」はトーダルの作曲家としての才能にも驚かされたのですが、シンガーとしての才能が最大限に出ているアルバムだと思います。前から
「トーダルって歌うまいよな~」
なんて思いながら、彼の歌を聴いていたのですが、「MW」を聴いたときは
「ええっ、この人ってすっごく歌うまい。」
と改めて思いました。

 収録曲はこのとおりです。
(*私はマヤコフスキーの詩の日本語訳をほとんど読んだことがなく、日本では定常となっている作品の題名の日本語訳が分かりませんでした。私なりにタイトルを翻訳しましたが、日本で普通呼ばれている詩のタイトルと異なっている部分が多々あると思いますが、どうかご了承ください。)

・・・・・・・・

トーダル&WZ-オルキエストラ「MW」 (2005年7月19日発表)

1 プロローグ
2 美女たち
3 このように私は
4 モルチャノフの恋人への手紙
5 愛の本質についてパリから同志コストロフへの手紙
6 ペテルブルグについて少し
7 リャザンの男の歌
8 ブロードウエイ
9 ブルックリン・ブリッジ
10 街
11 何について-これについて
12 財務監督官と詩を語る

詩:ウラジーミル・マヤコフスキー
作曲:トーダル(ズィミツェル・バイツュシュケビッチ)
編曲・演奏:WZ-オルキエストラ 

・・・・・・・・
 
 12曲の中で私が1番好きなのは7「リャザンの男の歌」ですね。とにかくトーダルの芸の細かさがよく分かります。
 1「プロローグ」のトロンボーンとトランペットのメロディーを聴くと、マヤコフスキーが生きていた時代に戻れます。
 他にもいろいろ曲について書きたいこともあるのですが、私の評よりも直接このCDを聴いて、トーダルが彼なりに作ったマヤコフスキーの世界に触れることをぜひお勧めします。

 マヤコフスキーは革命詩人なので、その作品の多くは読者に対する「メッセージ」「語りかけ」であることが多いのですが、確かに歌っているように思えて、実は「語って」いる作品がこのアルバムにはたくさん収められています。
 でも革命を声高に語っている作品ではなく、トーダルの作品「MW」ではあくまでテーマは「人生そのもの」なんだなあ、と感じました。

 (おまけ)
 このアルバムを初めて聴いたとき、はちの子(最近好きな日本人の歌手:氷川きよし)はまだ3歳だった。
 聴いたとたんに彼女は曲に合わせて踊りだした。踊って踊って踊り続けた。
 翌日、勝手に自分でCDをプレイヤーにセットして、聴きながらまた踊り始めた。次の日もそのまた次の日も。
 1日に「MW」を5回もかけては踊るということをし続けた。これが半年、休みなく続いた・・・。
 同じ曲ばかり朝から晩まで聴かされ疲れた両親が、プレイヤーを止めると、怒って殴りかかってきた。(家庭内暴力。)
 あまりにもしつこく踊り続けるので、「うちの子は頭がおかしくなったのではないか。」と心配した。
 幸い半年後、幼稚園に入園してから
「子供向けに作られたかわいらしい歌もこの世に存在する。」
ことを知り、「MW」を聴く回数は減った。
 しかし、6歳になった今も、「MW」が人生で一番好きなアルバムらしく、聴いては新たな創作ダンスを披露してくれている。

 どうしてこんなに「MW」が好きなのか?! 
 子どもだから、マヤコフスキーの難しい歌詞の意味が分かっているとは思えない。
 きっと曲のほうに秘密があるのだろう。しかし、はっきりした理由は作曲したトーダル本人にも不明。


(CD「MW」はヨーロッパ輸入雑貨店Vesna!のネットショッピングで購入できます。詳しくはこちら。)

http://vesna-ltd.com/shop/mato.html

ベッラ・チャオ(2004年)

2008年01月07日 | ベラルーシ音楽全般
 ベラルーシのミュージシャンが集まって、イタリア語に翻訳した自作の歌を歌っているアルバム。
 トーダルがプロデューサーをしている。つまりベラルーシ語音楽をイタリア人に紹介するために作ったCD。
(日本の歌をベラルーシ人に紹介するために作った「月と日」とは、ちょっと違う。)

 「ベッラ・チャオ」という言葉はイタリア語からベラルーシ語さらに日本語に訳してみたら「お元気で」という意味になりました。マーサはイタリア語はさっぱり分からないのですが、これで合っているかな?

(詳しい内容については気長にお待ちください。)

「季節の香り」(2003年)

2008年01月07日 | トーダル
 2003年、トーダルはWZ-オルキエストラとしてのにセカンドアルバム(全12曲。40分14秒収録)を発表。それがこの「季節の香り」です。
 歌詞は詩人のアレーシ・カモツキーさんの作品を使っています。

 今までトーダルが発表したアルバムの中で一番売れたのが、このアルバム。(ちなみに売り上げ第2位は「月と日」)
 ブラックユーモアに満ちた「オモチャヤサン」や民謡色の強かった「バラード」とまたちがう音楽世界をこのアルバムで創ることに成功し、ある意味、このアルバムでベラルーシ人が思い描くところの「トーダル色」が定着した。
 もっともトーダル本人はその後そういう定着イメージを壊すようなことをしようとしている。(「月と日」もそういう意味での実験でしたね。)

 アルバムのタイトルは訳すと「季節」だけで、簡単すぎるので、日本語訳のタイトルをつけるとき「季節の香り」にしてみた。どうしてかというとジャケットに香水の瓶が描かれているから。
 しかし、「季節」なのにどうして香水なのだろう。別に香水に関連のある曲は収録されていないし・・・
 このCDをプレゼントしてくれたユーリー氏に
「で、なんで香水なんですか?」
と尋ねると
「それはトーダル本人にしか分からない。」
という謎めいた返事しか返ってきませんでした・・・(^^;)
 そして香水は瓶の半分しか入っていない。これにも何か意味はあるのか・・・?

 後日このことについてトーダルにきいてみた。
「どうして香水の絵なの?」
「ジャケットデザインはデザイナーさんに任せたので、どうして香水の瓶を描いたのか、僕には分からない。」
「どうして香水が半分しか入っていないの?」
「・・・・・。」
 この質問をすると、トーダルはジャケットをじっと見つめ
「本当だ! 半分しか入っていない! 今まで知らなかった!」
と叫んだ。
 ・・・・・ちょっと、君、大丈夫?
 自分が発表したアルバムでっせ。・・・・・。
 ・・・ということで、謎は全く解けませんでした。・・・
 
 さて、「季節の歌、と言われてもベラルーシ語の歌詞が分からないから、何が季節なのか分からないよ~。」という方へ。ここで、どの歌がどの季節を歌っているのかお教えします。
 何のことはない、1曲目が1月の歌、2曲目が2月の歌、と続き、それで12曲が12月の歌で終わるのです。分かりやすい。
 しかし、4月の歌が「雨が降るだろう」とは。日本だと6曲目に入るよね。
 ちなみにこのアルバム収録曲からロングランヒットした曲が7月の歌の「君の元へ」で、トーダルの代表作になった。
 でも、マーサが一番好きなのは4曲目の「雨が降るだろう」。雨が降る、という歌なのに、やたら明るい曲で聴いていて元気が出るから。

 ところで、歌詞を提供したアレーシ・カモツキーさんは、「月と日」でロシア語からベラルーシ語に美しく翻訳してくれた人でもあります。ありがとう、カモツキーさん!
 カモツキーさんはシンガーソングライターでもあり、自分の音楽作品も発表しています。
 カモツキーさんについてはまた別にこのブログでご紹介しますね。

 「季節の香り」は、耳に心地よく、ほとんどの曲をさらっと聴けます。ここが万人受けした理由ですね。
 一番トーダルらしい音楽で、さらにベラルーシ人が好きな音楽は何なのか、知りたいという人に一番お勧めのアルバム。
 
 ところでこのアルバムではWZ-オルキエストラのメンバーの数が10人に膨れ上がっていた。使用された楽器の種類もそれにともない増えています。1年前はたった4人だったのに。これからどう変化(進化)するのか、WZ-オルキエストラ。
 あんなリーダーによくついていけているよ、君たちは。(←注。ほめ言葉。)