みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

バフダノヴィチの詩 多言語翻訳プロジェクト

2016年12月25日 | マクシム・バフダノヴィチ
 ベラルーシの詩人マクシム・バフダノヴィチの詩を日本語に翻訳したことがあるのですが、昨年、文芸誌「マラドスツィ」編集部から新しいプロジェクトの参加のお誘いを受けました。
 
 編集部のほうからバフダノヴィチの詩を1点選び、それをいろんな国の言語に翻訳するという試みです。
 そのうち日本語への翻訳を頼まれましたので、試行錯誤しながら完成させました。
 
 英語、ドイツ語、中国語などに翻訳された作品が「マラドスツィ」2016年12月号特集ページで掲載されましたので、ご報告いたします。
 ロシア語には3種類の翻訳が掲載されていました。
 翻訳する人により、似ている言語に翻訳しても、違いがでてくるんですよね。
 それを見て、どの人の翻訳がいいとか悪いとか批評する人も出てくるのですが、詩の翻訳は簡単に甲乙つけがたいような気が私にはします。

 せっかくのなので、ベラルーシ語オリジナルと日本語訳はここで発表します。

 
Я хацеў бы спаткацца з Вамі на вуліцы
У ціхую сінюю ноч
I сказаць:
«Бачыце гэтыя буйныя зоркі,
Ясныя зоркі Геркулеса?
Да іх ляціць нашае сонца,
I нясецца за сонцам зямля.
Хто мы такія?
Толькі падарожныя, – папутнікі сярод нябёс.
Нашто ж на зямлі
Сваркі і звадкі, боль і горыч,
Калі ўсе мы разам ляцім
Да зор?»


あなたに会いたい、道の上で
静かな青い夜に
そして言います
「あの大きな星が見えますか?
輝くヘラクレスの星座が。
あそこまで私たちの日の光は飛んでゆき
地球が太陽を追いかけます。
いったい私たちは何者なのでしょうね?
旅人-せめて天空のさすらい人であれば。
なぜ地上では
いがみ合いに諍い、苦痛と嘆きに満ちて、
いつになったら星までともに
飛んでゆけるのでしょうか、私たちは?」 

("Маладосць" 2016, снежня / Звязда, Мінск/ С.11)

 ちなみにこの詩にバフダノヴィチはタイトルをつけていないようです。
 他の言語でもこの詩を読みたい、と言う方は「マラドスツィ2016年12月号」をご覧ください。

マクシム・バフダノヴィチの短歌

2012年05月24日 | マクシム・バフダノヴィチ
 2012年にベラルーシの詩人マクシム・バフダノヴィチがベラルーシ語で書いた短歌を日本語に訳して発表しました。
 詳しくはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c6f9c3b34bb09b5310df6af73fbc144f


 どちらかと言うと文学で、音楽ではありませんが、短歌なのでこのブログ上で日本語訳を発表します。
 
 外国語で短歌が書かれると五行詩の形式になるのですが、とりあえず直訳の日本語の五行詩にして、その後五七五七七になるようにしました。ベラルーシ語を日本語に訳すより、五七五七七に文字数を合わせるほうが難しかったです。

 一首目(直訳)
 
 ああ、何と鳴いているのだろう
 青い目の鳥
 恋の苦しみの中で
 静かに、小さい鳥よ、静かに
 疲れてしまわないように


 これを読んで私は勝手に「青い目をした女性(鳥と擬人化)とバフダノヴィチの恋愛のもつれ」(^^;)を想像してしまいました。
 これを短歌にしたのはこちらです。

 碧き目の 鳥鳴きもらす 苦々苦々と やむを請いたし 身沈まぬよう

 「苦々苦々」で鳥の鳴き声を表現してみました。(鳩みたいですが・・・。)
 「やむ」は「病む」そして「請い」は「恋」とかけてみました。
 ベラルーシ語の疲れるは沈む(体が持ち上がらない)というニュアンスがあるので、このように訳してみました。
 ベラルーシ語(外国語)の五行詩はどうしても短歌より文字数も言葉の数も多くなってしまうので、そのあたりを補うために掛詞で言葉の意味を層にしないと、元の詩の内容を訳しきれないなあ、と今回の翻訳作業を通じて思いました。


 二首目(直訳)

 かわいい君、当ててごらん
 暖かい春に息吹き、
 桜が咲いた
 私が枝を揺らすと
 あわれに色が私たちの周りに散った

 この作品は男性(バフダノヴィチ)が女性になぞなぞを出している詩なのだ、とベラルーシ人は言っているのですが、全然答えが分からない・・・。(^^;)
 今回訳した中ではこれが一番翻訳がうまくいかなかった(作者の意図を訳に反映できなかった)作品です。
 何とか短歌にしたのはこちらです。

 君知るや ゆく春息吹き 桜花 我が枝ゆらせば あはれ色散る


 三首目(直訳)

 驚くほど繊細で
 紅色で黄色くて
 青味がかった
 秋の葉が
 絹のように道を覆っている

 とても美しい秋の短歌ですね。しかしこれも文字数を合わすのが大変で言葉の順番を入れ替えたり、大変でした。

 秋の葉の 黄さす紅さす おぼろ青 道おおいしは 絹衣かな

 この「紅」は「あか」と読んでください。(でないと字余りになってしまう。)(^^;)
 「絹衣」も「きぬごろも」と読んでください。
 「おおい」で「覆い」と「多い」をかけてみました。
 ベラルーシ語は英語と同じで単数形と複数形があるのですが、日本語はない(1枚でも「葉」たくさんあっても「葉」)ので、このように掛詞で訳してみました。

 
 四首目(直訳)

 全ては消えてゆく
 跡さえ残さずに
 まるで灰色の灰のように
 黒いたき火から
 風が現れるように

 結核のため25歳でこの世を去ったバフダノヴィチの人生観が表れている詩ですね。黒いたき火という言葉から詩人としての情念を感じる作品だと思いました。
 
 跡もなく 諸行消えゆく 灰のごと 黒き炎も 風となるかな

 
 これらの「日本風の詩」はいつ書かれたものかはっきりしていません。詩集の中の作品として収録され、出版されたのはバフダノヴィチの死後です。
 しかし研究により、遅くとも1915年までには書かれていたことが分かっています。
 
 翻訳(文字数合わせ)は大変でしたが、何とかできました。日本人の目からするとよい訳(日本語の短歌として)ではないかもしれませんが、大目に見てください。(^^;)

 これを機にちょうど100年前に生きていたベラルーシ人の詩人に思いを馳せていただけたら、と思います。

(それにしてもどうしてバフダノヴィチは日本に関心を寄せていたのでしょう? タイムマシーンがあったら、ご本人に会いに行って直接きいてみたい!)