みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

ミュージカル「預言者」⑥  後日談

2007年11月19日 | その他
 8月30日の初演の後、ベラルーシ人の間からも賛否両論が巻き起こった「預言者」。
(やっぱり表面上の理解しかできないと「よく分からん。」という作品になってしまうのだな。)

 でも、出演者のレベルは高かったですよ。ロシア・ベラルーシ・ポーランドの3カ国から厳選しただけのことはあります。
 特にダンサーのレベルはすごく高かったと思うのだけど。それを見られただけでも高いチケット代払ったかいがあると思う。
(一番高い席は日本円にして4500円。一番安い席は1500円。値段で5段階の席があった。はっきり言ってベラルーシ人の感覚からするとめちゃくちゃ高い。よっぽど見たいと思わないと買えないぞ、一般人は。)

 これだけのお金をつぎこんで作られた舞台。さあ、これからベラルーシを公演して回ると思っていたら、公式HPの公演予定に30箇所ぐらいを予定しています、とある。
 でもその多くの都市ではあの馬鹿でかい舞台装置が入るような会場なんてなさそうな、小さな地方都市なのである。
 本当にこんなにたくさん公演できるのかなあ、と思っていると、10月初めにモギリョフで公演予定のお知らせがHP上で出た。
 ところが、結局9月の末になってもモギリョフ公演のチケットの発売は開始されず、やっぱり大きい会場がないのでは・・・と思っていると、10月上旬に「ミンスクの屋内サッカースタジアムで10月23日から5回連続公演します!」というポスターが貼られ始めた。
 それぐらい大きい会場でないと上演不可能なんだな、と改めて思った。

 そして5回連続公演ということはそのうちの何回かは、トーダルが預言者の役をするのだろうと思って、どうせチケットを買うなら、トーダルが出る日のチケットを買おうと思って、確認しようと思い、トーダルに電話をした。
 すると・・・驚愕の事実がトーダルの口から・・・。
「僕は出演しません。」
「え・・・どうして?」
「喧嘩したから。」
「喧嘩って誰と?」
「ミュージカルとだよ。」
 一体全体何が起きたのか???

 つまりトーダルはミュージカル「預言者」のプロデューサーと喧嘩したのである。
 馬鹿でかい舞台装置が入る会場を探す作業に難航し、いつどこで公演があるのか、まるで分からない状態が続いていたらしい。
 トーダルは自分の音楽活動も平行してしているため、ちょうど10月25日にポーランド公演を予定していた。もちろんポーランドでポスターを貼って宣伝したり、前売りチケットを売ったりしていたのである。
 ところが、いきなり「10月23日から『預言者』をミンスクでするから、出演するように。」とプロデューサーに言われたらしい。
 トーダルが「23日にはポーランドに行くから、出演できません。」と返事をすると、「自分のコンサートより、ミュージカルのほうを優先しろ。」とプロデューサーに言われ、「コンサートのチケットを買ったお客さんにどうやって説明するんですか? 自分のコンサートを優先します。」「それは契約違反だ!」「そんな大事なこと、もっと早く言っておいてくださいよ。こっちにだって都合があるんだから!」
・ ・・という喧嘩になったらしい。

「あ、あの・・・喧嘩はよくないよ・・・。」
「喧嘩じゃないよ、僕は自分の意見を言っただけだ。」(←さっき喧嘩したって言ったじゃん。) 
「じゃあ、もう『預言者』に出ないの?」
「分からない。」
「そんなあ・・・! オレイニコフさんが演じる預言者は私はもう見たから、おもしろくないよー。私が見たいのはトーダルの預言者なのに・・・。」
「でも、どうなるか僕にも分からないんだ。」
 呆然・・・
 そして彼は予定通り10月23日にポーランドへ出発し、1週間ばかりベラルーシに帰ってこなかった・・・。そしてその後すぐにスウェーデンに行っている。

 いやはや。もったいない話だ。ポーランドの缶詰稽古、アメリカ人ボイストレーナーのしごき、今年の夏の猛暑の中、汗だくになりながらオレイニコフさんに代わって、預言者の役を稽古でしていたトーダル。(スポ根漫画みたい。)
 その姿を少しだが知っているだけに、一回もトーダル預言者を舞台上でお披露目することなく、お蔵入りになってしまうのか・・・と思うともったいない。(見たい・・・。)

 それに出演すれば、高額ギャラ&世界的知名度アップにつながるのに・・・。公式HPの出演者人気度ランキングでもトーダルはダントツ1位なのに・・・。
(人気度ランキングの候補にオレイニコフさんなどが入っていないのはなぜ? 人気ナンバー1になるのが分かっているから? 人気が実はなかったことが分かるといやだから? 人気なんかどうでもいいから?)  

 もしかすると今後、喧嘩の仲直りをして、トーダルが「預言者」の舞台に戻ってくる可能性はある。
 本人は「出たくない。」と言っているのではなく「分からない。」「たぶん出ない。」と言っているので。(繰り返すようだがもったいない。せっかく台詞もダンスも覚えたのに。)

 しかし本人は今後全く「預言者」に出なかったとしても、ミュージカルの稽古は貴重な経験になった。と話している。
 そして資金さえあれば、ベラルーシ人だって「預言者」のようなミュージカルは作ることができる、と豪語。
「音楽の担当はもちろんトーダルで。」
とも付け加えていたよ。

 「預言者」どうなるのかなあ・・・。
 私の希望はあくまでトーダルの復帰です。


トーダル in スウェーデン

2007年11月13日 | トーダル
 トーダルは今(2007年11月9日現在)スウェーデンにいる。
 どうしてかというと、スウェーデンの詩人が書いた詩をベラルーシ語に翻訳したものに作曲する、というプロジェクトが進行中で、その関係でストックホルムでコンサートをすることになったからだ。
 何だか「月と日」のようなことをしているね。国際派歌手と呼んでいただきたい。(^^;)

 今日いきなりストックホルムから「こんにちは、マーサさん」というメールが届いた。(忙しくてそんなもの送ってこないと思っていたので、驚いた。)
 スウェーデンでは「すべてハラショー」ということだった。そうだろうね。しかし、
「娘のはちの子ちゃんと、だんなさんのコーリャによろしく。」
とメールの最後に書いてあった。私のだんなの名前はコーリャではない。釣りキチ捨平だ!

(帰国後、電話がかかってきたため、「ところでコーリャって誰?」ときいたら「あっ・・・。捨平さんだったね・・・。ごめん。飛行機の移動で疲れて頭が動いてなかった。」と謝っていた。しかし、その後、「でも、大丈夫、大丈夫。」と自分で言っていたぞ。それはこっちのセリフじゃないか?)

ちなみに後でこちらの音楽ニュースサイトを読んだところ、コペンハーゲン経由で行ったら、預けた荷物がコペンハーゲンで行方不明になったらしい・・・。
 ストックホルムでは20年前にアーラ・プガチョワが泊まったホテルに泊まったそうです。どれがどーした、という内容のニュースだね。
 でもスウェーデン語の原詞を書いた詩人と会ったり、CD化実現への話をしたり、充実した滞在だったようです。
 スウェーデンでの画像はこちらのトーダルのブログ内フォトギャラリーをどうぞ。

http://todar-vojt.livejournal.com/2814.html#cutid1
 

 そもそも今年5月から6月にかけて、ベラルーシではスウェーデン文化週間というイベントが催されていた。
 スウェーデン映画がたくさん上演されたり、ミンスク中央児童図書館でスウェーデン児童文学のプレゼンテーションが催されたりしていた。
 そのイベントの一つで、「スウェーデン文学と音楽の夕べ」というものが5月30日にミンスクで行われたので、行ってきた。
 もちろん、スウェーデン文学よりも、トーダルが「音楽」のほうに出るというので、聴きに行ったのである。
 会場はスウェーデン大使館のある建物の中庭。屋外だったので、風が気持ちよかったです。今年ベラルーシは猛暑だったので。

 3人の現代スウェーデン文学を支える若手作家2人と詩人1人が招かれており、
自分の作品をスウェーデン語で朗読。(全く分からない・・・。)
 その後、それをベラルーシ語に訳したものをベラルーシ人が朗読。(少し分かる・・・。)
 司会はベラルーシ語堪能な(しかも若い)スウェーデン大使。(しかし近くでよく見ると、しめているネクタイの柄が葛飾北斎の富士山の浮世絵だった。話はしなかったけど、日本通?)
 スウェーデンを紹介するきれいなパンフレットもたくさん印刷してただで配り、お冷は飲み放題だったし(本当に暑かった。)作家や詩人をスウェーデンから呼んでくるだけでも、スウェーデン、がんばってるなあ、と思いましたよ。自国の文化をベラルーシなんていうヨーロッパの田舎で、一生懸命紹介しているわけですよ。

 で、文学作品の朗読を聞いている間、(お礼としてベラルーシ人側からも詩人が数名壇上に上がり、自作のベラルーシ語の詩を朗読。)トーダルはお冷を飲みながら、会場の後ろを腕組みして、なぜかクマのようにうろうろしていた。
 ようやく日本人の私には非常に難しい文学が終わり、ようやく音楽の始まり、始まり。

 そこでトーダルが登場したのは、スウェーデンの詩人の作品をベラルーシ語に翻訳して(翻訳作業を行ったのはもちろんトーダルではない。)作曲したためで、そのうち数曲をスウェーデン関係者の前でお披露目したのである。
 CD化も予定されているので、完成が楽しみ。
 スウェーデンでも多くの人に聴かれるといいな。と思ったよ。

 その後、トーダルは自分の作品を歌い続けて、はっきり言って、「スウェーデン文学と音楽の夕べ」とは全然関係ない「トーダルワンマンショー」になっていた。(^^;)
 というのも、自分の作品を朗読したベラルーシ人の詩人の中に、レアニード・ドラニコ・マイシュークとウラジーメル・ニャクリャエフがいたから。
 トーダルはドラニコ・マイシュークの詩に作曲して「オモチャヤサン」というアルバムを、ニャクリャエフの詩にも作曲して「薔薇と踊るタンゴ」というアルバムを発表している。
 作詞家と作曲家のような関係ですな。
 その二人が来ていたので、「オモチャヤサン」と「薔薇と踊るタンゴ」収録曲から何曲か選んで歌っていた。

 自慢にはならないが、私はドラニコ・マイシュークさんのサイン入り自作詩集を持っている。
 さらに自慢にならないが、マーサはニャクリャエフさんから「美人ですね。」と言われたことがある。詩人はやっぱりお世辞がうまいんだね。(笑)

 それはともかく「スウェーデン文学と音楽の夕べ」は5月の夕暮れの空の下、とても耳に心地よかったです。

ミュージカル「預言者」⑤ 感想

2007年11月08日 | その他
 そもそもマーサ一家は「預言者」に出ているトーダルを見に行ったのである。
 しかし、作品の内容の強烈さに彼のことをすっかり忘れていた。(^^;)
 前にも書いたけど、トーダルは主役のダブルキャストであって、もう一人の主役オレイニコフが出演しているときは、彼は「その他大勢」のうちの一人の役をやっている。
 しかし、この「その他大勢」がやたら多い。しかもみんな歌いながら踊っているので、どこにトーダルがいるのか分からなかったのです。(双眼鏡持って行けばよかった。不覚!)

 はちの子(4歳のとき好きだった芸能人:山下智久)はトーダルにあげようと、花束を持って行ったのだが、50人ばかりがいっせいに踊っているのを見ても、どこにいるのかまるで分からず、最後のカーテンコールでもどこにいるのか分からず、(分かったとしても、出演者が多すぎて近寄れなかったと思う。)仕方がないので、一番手前中央にいたオレイニコフに花束を渡した。
 オレイニコフは子どもから花束をもらってうれしかったらしく、ほっぺにキスをしてくれたのだが、その様子は画像となって、「預言者」の公式サイト内で見られるので、暇な人は探してほしい。
 
 さて、あまりにも考えることを要求するミュージカルであったため、家に帰ってからも、捨平と、ああだこうだと内容について議論したよ。
 はちの子(現在好きな芸能人:ウエンツ瑛士。母はどちらかときかれれば徹平ちゃん派)に
「おもしろかった?」
ときいたら
「また見たいよ。」
「何が一番おもしろかった?」
「赤い服の女の人とおじさんが火の中で歌うところ。」
どうやら「人妻との不倫デュエット」曲 がお気に召したよう。
 さらに不倫が発覚して、夫が妻を怒るシーンでは
「かわいそうだった。どうしてあんなに怒ったの?」
と心配していた。

 というような感想を後日、トーダルにはメールで送っておいたよ。
「『預言者』のテーマはずいぶん深刻で重いテーマだったね。でもこういうテーマは実はよくある内容で、要するに人間にとっての永遠のテーマだと感じたよ。
 でも、この作品を日本で日本人に見せるとなると、どうでしょう? 日本人はだいたいキリスト教のことはよく理解していないし、この作品を見ても深く理解できず、表面(例:人形とのダンス)だけ見て喜んで終わり、ということになるかも。日本公演が実現すればいいけど、日本人の観客に深く理解してもらうために、台詞は翻訳しておくとかしないとだめだろうね。次はトーダルの預言者が見たいです。」
と私は自分の感想を書いたよ。
(その後トーダルからは「預言者の感想、いいことを書いてくれてありがとう。」
というメールの返信がきた。)

 しかし日本で公演するとなったら大変だろうなあ。翻訳だけの問題ではなく、あの馬鹿でっかい舞台装置、どうやって日本まで運ぶんだろう。
 

ミュージカル「預言者」④ 初演と簡単なあらすじ

2007年11月07日 | その他
 本番前にはベラルーシのテレビでもCMが流れ、ミンスクの町中にポスターが貼られた。
 CMは「預言者」の公式サイト内でも見られるので、興味のある方はどうぞ。(うまく開かなかったらごめんなさい。)とにかくあやしいCMですわ。

http://www.pro-rok.ru/3_2.php


 そして8月30日当日。会場のスポーツ会館前には黒山の人だかり。とにかく人がいっぱい。そこへマーサは夫の捨平と娘のはちの子(好きな歌手:トーダル。3歳からトーダルのファンと言う変な子。)の3人で分け入ったのであった。

 しかしまあ、観客がこんなにいっぱいいるのに、子どもなんてはちの子(好きなお笑い芸人:よゐこの濱口優)を入れても二人しかいませんでしたね。
 内容はとてもじゃないけど子ども向けではなかったです。

 まず最初に新約聖書の「ルカによる福音書」第15章11節に出てくる、有名なイエスのたとえ話「放蕩息子の帰還」の冒頭部分が、ロシア語で朗読され、いろいろな外国語(ヨーロッパの言語)で、正面の大画面スクリーン(全部で3面ある)いっぱいに表示される。
 CMの最後のほうにちらっと出てくる絵もレンブラントが描いた「放蕩息子の帰還」の一部分で、このミュージカルのテーマは放蕩息子らしい。

 放蕩息子のたとえ話について、詳しくはこちらのサイトをご覧ください。レンブラントの絵も見られます。

http://www.worldfolksong.com/closeup/yellow_ribbon/page7.htm


放蕩息子がどうしたんだろう、と思っているうちに、そのたとえ話が載っている聖書がパタンと閉じて、よく見ているうちにゴミの山にその聖書が捨てられているのが分かる、というかなりショッキングなシーンが・・・。
 そしてそのゴミの中からいきなり現れる大勢のダンサーたち。彼らはこのゴミ山で自由を謳歌している住人なのだ。(ゴミ山でゴミを拾って生活することを自ら選んだ人たち。)
 そして両手にビニール袋を持って「ゴミ袋ダンス」を始める・・・。

 その後、よっ待ってました! ゴミのひとつである箱の中から預言者オレイニコフが「おっす!」と言いながら登場!(観客拍手。)
 そう預言者はこのゴミ山の世界の王様なのです。

 そこへ杖をついた盲目の「老人」がやってきて、預言者に頼む。
「私が死んだ後、この世はどうなるのか・・・。予言してくれ。」
するとどういうわけか、預言者(ロシア語では預言者も予言者も同意語。)は予言する引き換えに、老人が今までどんな人生を歩んできたのか話すように命令する。
 こうして老人の話が始まるわけだが、それが舞台上で次々と再現される。

 子ども時代、母の愛に背を向けて家出。(彼もゴミ山の出身。)
 そして貧乏ゆえにうらぶれた売春街で暮らすうち、出会った清純な娘との初恋。(シャガールの絵に出てくる恋人たちのように飛び回る。)
 その後有名になり富と名誉を手にした青年は、人妻との不倫の恋という罪を犯してしまう。
 そして殺人の濡れ衣を着せられ、投獄される。(この刑務所のセットが馬鹿でかい。)
 出獄した後、ようやく本当の愛とめぐり合い・・・

 とまあ、こういうふうにあらすじだけを書くと、全然おもしろくないですね。やっぱり見ないとだめだわ、何せミュージカルだし。

 それにこのミュージカルの中には暗示とか象徴が多くて、観客に考えることを要求する。考えない人からすれば、話の筋は陳腐でありきたりだし、この作品が何が言いたいのかよく分からないと思う。
(そういうマーサも、聖書のたとえ話「放蕩息子の帰還」とこの作品のテーマが頭の中でもう一つきれいにひっつかない。)

 たとえば、聖書(宗教)が捨てられているゴミの山は現代社会を表していて、私たち、特に都会に住んでいる現代人は、実はゴミ山の上で暮らしているようなもんではないか?と作者は問いたいわけですね。
 そういう具合に家出とは何なのか、清純な初恋とは何なのか、刑務所とは何なのか、この作品の中に出てくる要素を自分なりに「変換」しながら見ないといけない。
 ゴミはゴミと思って見ていても、この作品の言いたいことは伝わりません。表面しか分からない。

 こういうふうに紹介すると、何だか難しそうに思えるけど、実際にはダンスあり、歌あり、曲芸ありで、すごく楽しい舞台です。(しかし刺激が強すぎるかも。ダッチワイフダンスなんてのもあったぞ。ゴム人形が生きているように見えたけど。捨平はなぜか大喜びしていた。(^^;))
 舞台の様子は「預言者」の公式サイト内でたくさんの画像で見られるので、どうぞ。(しかしこの画像だけ見てもさっぱりわけが分からないかも。) 

http://www.pro-rok.ru/3_1.php?dir=_images%2Fgallery%2F008
 

 それから、この作品のハイライト、「人妻との不倫デュエット」曲(^^;)も公式サイトで視聴できます。

http://www.pro-rok.ru/3_3.php
 

 轟々と燃え盛る炎の中で罪な恋に落ちてしまう二人。この炎は罪人が焼かれる地獄の業火なのですね。うむむ。
 登場人物全員が人生という炎の中で悶絶しているように見えてくるわ。
 そして、見ているこっちも罪深い自分を感じて、地獄で焼かれている気持ちになってくる。
 
 美と醜、聖と罪、栄光と挫折という対比がそれこそゴミの山のようにぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
 音楽やダンスは明るいけれど、抱えているテーマはとても重い。
 きっとこの作品は21世紀初頭の歴史に残るものになると思うけれど、内容はすごく世紀末的。
 人生を語る盲目の老人が生きた時代が20世紀末だったのだから、当然なのだけれど。そして見ている観客のほとんどは20世紀末人なのですね。
 しかしまあ、極彩色に彩られたきれいなんだか、汚いんだかどっちともつかないゴミの世界がステージ上にありました。私たち20世紀末人は21世紀にかけて、ゴミの上の人生を転げつつ、生きているんだね。