1986年、チェルノブイリ原発事故が発生。放射能が拡散し、原爆ではなく原発事故によって数えきれないほどの人が被曝しました。その多くはベラルーシ人とウクライナ人です。
被曝や白血病が身近な問題になりました。
このころから放射能被曝による健康被害について、身をもって体験する、そして深く考えるベラルーシ人やウクライナ人が増えたと思います。
広島や長崎の原爆という言葉が、今までとは違う響きを持つようになったのは1986年以降でしょう。
白血病で命を落とす子どももベラルーシやウクライナで増えていきます。
こうして子ども向けの文章で「サダコと千羽鶴の物語」がロシア語で紹介されることが増えました。
例えば1988年5月31日付の新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」紙に「サダコの千羽鶴」という記事が掲載されています。
プラウダというのはソ連共産党機関紙で1912年創刊。ソ連政権樹立後は最大部数を誇る新聞となりソ連中で購読されました。そのプラウダの姉妹紙で、子ども向けの新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」がありました。ピオネール対象の新聞ということです。つまり、対象年齢は小学校3年生以上高校生までという設定です。
そんな子ども向けの新聞などで、「サダコの千羽鶴の物語」は紹介されますが、チェルノブイリ原発事故後は、「原爆や戦争の犠牲になった子」という面ではなく「核や放射能の犠牲になった子。ベラルーシやウクライナでも白血病で死んでいる子がいる。」という面でとらえられるようになったと思います。
画像は1988年5月31日付の新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」紙に掲載された「サダコの千羽鶴」の記事です。子ども向けに折り鶴のイラストも添えられています。
Статья в газете «Пионерская правда» от 31 мая 1988 года «Тысяча бумажных журавликов Садако»
(13)に続く。
被曝や白血病が身近な問題になりました。
このころから放射能被曝による健康被害について、身をもって体験する、そして深く考えるベラルーシ人やウクライナ人が増えたと思います。
広島や長崎の原爆という言葉が、今までとは違う響きを持つようになったのは1986年以降でしょう。
白血病で命を落とす子どももベラルーシやウクライナで増えていきます。
こうして子ども向けの文章で「サダコと千羽鶴の物語」がロシア語で紹介されることが増えました。
例えば1988年5月31日付の新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」紙に「サダコの千羽鶴」という記事が掲載されています。
プラウダというのはソ連共産党機関紙で1912年創刊。ソ連政権樹立後は最大部数を誇る新聞となりソ連中で購読されました。そのプラウダの姉妹紙で、子ども向けの新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」がありました。ピオネール対象の新聞ということです。つまり、対象年齢は小学校3年生以上高校生までという設定です。
そんな子ども向けの新聞などで、「サダコの千羽鶴の物語」は紹介されますが、チェルノブイリ原発事故後は、「原爆や戦争の犠牲になった子」という面ではなく「核や放射能の犠牲になった子。ベラルーシやウクライナでも白血病で死んでいる子がいる。」という面でとらえられるようになったと思います。
画像は1988年5月31日付の新聞「ピオネールスカヤ・プラウダ」紙に掲載された「サダコの千羽鶴」の記事です。子ども向けに折り鶴のイラストも添えられています。
Статья в газете «Пионерская правда» от 31 мая 1988 года «Тысяча бумажных журавликов Садако»
(13)に続く。