みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

トーダルの人生 1 デビューまで

2008年01月26日 | トーダル
 トーダルの今までの人生について、知っていることをご紹介します。

<誕生>
 1971年、ベラルーシ共和国グロドノ州リダ地区ベレゾフカ市(当時はソ連)で生まれる。
 大変な難産の末、生まれたそうで、お母さんの話によると、2日間陣痛が続いたのに生まれないので、ふらふらになっていたら、当時は非常に珍しかったチューインガムをどこからか手に入れた親戚が差し入れてくれた。陣痛がくるたび、そのガムを噛み締めていたら、やっと生まれたので、親戚の間から「チューインガムの申し子」というあだ名をつけられた。

<幼稚園>
 3歳のとき、父親が交通事故のため死去。その後、いわゆる経済的にあまり恵まれない母子家庭に育つことになる。
 ちなみに兄弟はなく、一人っ子である。母親が仕事で忙しかったため、おばあちゃんに面倒をみてもらうことが多かったそうである。
 父親の記憶はほとんどなく、周囲の人から
「あんたのお父さんは歌がうまかった。」「ええ声しとった。」
と小さい頃から言われ続けたため、自分も歌が得意かも、と思い込み、家の外で大声で歌うようになったそうだ。
 ちなみに父親は生前、ベレゾフカの歌好きの有志が集まる歌唱団の団長をしていた。

<小学校>
 音楽の才能があることに気がついた母親が、音楽学校(公立の小学校だが、音楽の授業が多い)に入学させようとする。
 しかし入学説明会で、ピアノを買うことが必須条件であることを知り、経済的な理由から、(つまり母親の給料ではピアノが買えなかった。)入学をあきらめる。
 地元の小学校に入学。この小学校は英語学校で、英語の授業が多かったため、基本的な英語を学ぶ。

 小学3年生のとき、学校のレスリング部に入り、30キロ級地区大会で優勝したことがある。
 その後は吹奏楽部に入り、さまざまな楽器に挑戦する。
 吹奏楽部ではフルートを担当していたが、それを習おうと思ったのはフルートを教えていた先生が若くて美人だったから。(^^;)
 その後はサックスを習っていたが、学校にあったロシア製サックスは音がろくに出なかったらしい。
 子どものときから楽器を演奏したり、歌ったりするのが好きだったが、音楽ばかりしていたのではなく、放課後は友達とサッカーをする普通の子どもだった。
 
 中学生のときには同級生とロックバンドを結成し、ドラムを担当し、文化祭で人気者になる。
 またベラルーシの民謡アンサンブルの舞台を聴きに行っては、民族舞踊や民謡をに感動し、自分も音楽家になりたい、と考えていた。 


<高校>
 1986年、日本でいうところの中学卒業時に、音楽の道に進むことを希望し、ベレゾフカ市から約20キロ離れたリダ市にある音楽専門高校(5年制)に進学。
 専門はクラリネット。そのほかの楽器や音楽についての専門知識を学ぶ。
 本当はサックスをしたかったので、入学時にそのことを言うと、
「うちの学校ではサックスは教えていない。」
と言われ、
「その代わりにクラリネットをやりなさい。」
と、本人の意思とは関係なく、専門はクラリネット、ということになってしまった。
 この学校でサックスを教えていたら、トーダルはサックス奏者になっていたと思われる。 

 学校の寮に入り、週末だけ、ベレゾフカの実家に戻るという高校生生活を送る。
奨学金をもらっていたが、土日には結婚式の披露宴で、クラリネットを演奏したり、歌ったりするアルバイトをして、家計を助けていた。
初めてベレゾフカからリダに出てきたときは、
「市バスが走ってる!」
と大都会に来たようなカルチャーショックを受けたらしい。
(でもベレゾフカって私も行ったことがあるけど、そんなド田舎じゃないぞ。)

高校生のときリダに国民的グループ「ペスニャルイ」がコンサートで来たので、聞きに行き、とても感動して、自分も
「ミュージシャンになりたい。」
と憧れた。「ペスニャルイ」のことをトーダルは「ベラルーシ人でミュージシャンを目指す者にとっての学校。避けて通れない。」と語っている。

 高校卒業間近になったある日、ロシアのペトロザボーツクにある音楽院で1年間学べば、サンクト・ペテルブルグ音楽院に入学できる、という話が本人に舞い込んできた。
 プロの音楽家を目指す者にとっては夢のような話である。
 が、断った。と言うのもそのころはソ連崩壊前夜のことで、食べるものを手に入れるのも難しくなっており(パン屋に行列3時間待ちなど)ベラルーシから見ればずいぶんと北のほうにある地方都市ペトロザボーツクで、1年間無事に暮らせる自信がなかったからだ。


<大学>
 1990年、国立ベラルーシ文化大学音楽部(5年制)に入学。ついに首都ミンスクへ。専門はクラリネット。作曲法なども学ぶ。
 当時はクラリネット奏者になるべく、毎日1日、6-7時間クラリネットを吹く、という猛練習を続けていた。
 このまま、何事もなければ、どこかのオーケストラに入って、クラリネットのソリストになっただけだろうと思われる。

 しかし、大学生のときに、芸能界に入るという人生の一大転機が訪れるのだった・・・。


(トーダルの人生 2 に続く。)


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