みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

トーダルの人生 2 「パラーツ」時代

2008年01月27日 | トーダル
<デビュー前夜>
 
 トーダルが学生だった90年代前半は、ソ連の崩壊、そしてベラルーシが独立したばかりで、経済の大混乱が続いていた。
 たとえば、母親が当時働いていたベレゾフカの老舗ガラス工場「ネマン」でも、給料の支払いが遅滞し、現金の代わりに給料がガラス製品で支払われていた。
 音大生トーダルは、実家の家計を助けるため、母親の給料であるガラスのコップや花瓶をかついで、ベレゾフカからは近い隣国ポーランドにときどき行き、ワルシャワ科学文化会館の前でガラス製品を売っては、現金に換えていた。
 さらにはミンスクにある最大の市場、カマロフスキー市場で、やはりガラス製品を売っていたら、「非合法的商売」をしている、と言う理由で警官に罰金を取られたことがある。

 あまりにも経済が混乱していた時期で、芸術方面の職業に進んでも、将来が非常に暗いという理由から、大学卒業後は音楽の道に進まず、故郷に帰ってガラス工場「ネマン」や建築関係の企業に就職しようかと悩んでいた。

<スカウト>

 ところが1992年のある日、大学の建物の入り口にある階段に腰掛けて、クラリネットを吹いていたら、「パラーツ」のメンバーの一人がやってきて、
「君、『パラーツ』のメンバーにならないか。」
といきなりスカウトされた。
 そして、そのまま芸能界入り。21歳のときだった。
 ・・・とトーダルはマーサに語った。
 が、実際にはそんな絵に描いたようなシンデレラストーリーではなく、パラーツの主要メンバーだったフランツ(本名はユルィ・ヴィドロナク)と前から面識があったのである。
(大学の階段でクラリネットを吹いていたときにスカウトされたのは本当の話。)

<パラーツ>

 ところで、「パラーツ」について。
 90年代前半はソ連が崩壊して経済的には混乱していたが、ベラルーシ共和国が独立したことから、ベラルーシ民族がベラルーシ固有の文化や歴史を見直す動きが一度に始まった時期でもある。
 そんな中で、ベラルーシ語で書かれた文学やベラルーシ民謡などが、急にブームになった。
 そこへ登場したのが音楽グループ「パラーツ」である。パラーツはベラルーシ民謡を民族楽器も取り入れたロックと融合させ、大胆な現代風アレンジを施した。
 このような音楽を「フォークロア・モダン」と最初に名づけたのもパラーツである。
 新しいジャンルの、しかもベラルーシの音楽が誕生し、たちまちパラーツは大人気グループになったのである。
 
 パラーツを結成しようと呼びかけたのは、フランツで、リーダーはボーカルのアレーク・ハメンカ。
 1992年の結成当時はトーダルはメンバーではなかったが、アレンジのときに吹奏楽器、特にベラルーシの民族楽器である笛、ジャレイカの演奏者を探していたフランツが、トーダルをスカウトしたのである。

 こうしてトーダルはサポートメンバーとしてパラーツに参加。
 ジャレイカやクラリネットを吹くほか、バックボーカルも担当する。
 またパラーツがヨーロッパの民族音楽フェスティバルに出場するのに同行した。若い音楽家としては非常にいいスタートが切れたと言っていいですね。
 
 こうして、トーダルは迷いを捨て、「やっぱり自分は音楽の道に進もう!」と決意。
 いやあ、本当にそうしてよかったよ。でなかったら、「月と日」も全然ちがう作品になっていたと思いますよ。トーダルじゃなしに他のミュージシャンに編曲を頼んでいたと思うからね。

 さて、パラーツでバックボーカルをすることにもなったトーダルは専門のクラリネット以外にも、声楽を専門的に学ぶことにした。
 そこで、大学4回生進級と同時に、ミンスク市内にあるグリンカ名称音楽専門学校の4年生に中途入学する。
 そこで、バリトンを専攻し、ベラルーシ文化大学音楽部との通学と平行しながら声楽を勉強した。
 昼間は文化大学と専門学校に通い、夕方はパラーツのステージに立っていたのである。
 2年後、文化大学と音楽専門学校を同時に優秀な成績で卒業。
 そしてそのまま、パラーツに就職する形となり、1995年にパラーツが発表したアルバム「フォークロア・モダン」の製作にも参加する。

 しかし、パラーツでの仕事だけで十分食べていけるほど、ギャラをたくさんもらっていたわけではなかった、とトーダルは当時の生活を振り返っている。
 パラーツなどの音楽の仕事がないときは、誰から頼まれたわけでもないのに、一人黙々と作曲をしていたそう。

 ところで、ベラルーシでも芸能界に入ると、芸名をつけることが多い。
 トーダルがパラーツに入ったときも、芸名をつけることになったが、そのときパラーツのほかのメンバーが
「お前はフョーダルって感じだな。」
と言ったので、芸名をフョーダルにした。日本人にはよく分からないけど、何でもフョーダルという名前には「優しくて親切な人」というイメージがあるそうだ。
 
 こうして、パラーツの新メンバー、フョーダル(後のトーダル)は25歳になろうとしていた・・・そしてまた大きな人生の転機が訪れたのだった。

(トーダルの人生 3 に続く。)

 画像は1996年のパラーツのステージの写真。分かりにくいけど右端がトーダル。左から2人目はリーダーのアレーク・ハメンカ。 

 パラーツ時代のトーダルの声はパラーツの公式サイトで試聴できます。

http://www.palac.org/


 分かりやすいのはこの中の、

http://www.palac.org/disc.htm


 2002年にパラーツが発表したベストアルバムの8番目に収録されている「メリークリスマス」と言う曲。
 これは英語で(Merry Christmas)と表記もあるので、ベラルーシ語が分からない日本人でも見つけられると思います。
 この曲の間奏部分で、トーダルが一人、英語でラップの歌詞を歌っています。
 コーラス部分でも歌っているけど、他のメンバーといっしょに歌っているので、トーダルの声は聞き取りにくいですが、ラップは一人で歌っているので、分かりやすいですね。
 リードボーカルのアレーク・ハメンカの声も聴いてくださいね。
 マーサはハメンカさんのファンなのだよ。

 しかし、日本人がイメージするクリスマスソングとはだいぶイメージが違いますね・・・。
 間奏のラップ歌詞と「メリークリスマス」という歌詞以外は、ベラルーシ語です。
 聴いてていつも思うけど、ああ、やっぱり「パラーツ」はゴージャスだわ。