みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

トーダルが公式ブログ内でギターの画像を公開しています。

2008年05月17日 | トーダル
 トーダルが日本で買ったギブソンのギターの画像を、自分の公式ブログ内で公開しています。

http://todar-vojt.livejournal.com/9836.html#cutid1

 撮影したのは新聞「ソビエツカヤ・ベラルーシ」のカメラマン。このうちの一枚の画像が、同紙に掲載されました。(掲載記事については、このブログ内「『トーダルの新しいギターで大騒ぎ』の新聞記事」を参照。)

 うんうん、どうぞ自慢してください。>トーダル
 ベラルーシのトーダルファンはびっくり&そして喜んでください。
 うらやましいと思う人は、どうぞうらやましいと思ってください。(^^;)




「トーダルの新しいギターで大騒ぎ」の新聞記事

2008年05月15日 | トーダル
 3月21日付の新聞「ソビエツカヤ・ベラルーシ」の文化面を開いた私はあっと叫んだ。
 見開き2ページを使って、
「トーダルの新しいギターで大騒ぎ」
という特集記事がどーんと載っているではないか!!!
 そこには高松で買ったギターを持って、Vサインをするトーダルのカラー写真が・・・!
 この記事は現在ネット配信されています。写真を見たい方はこちらをクリック。記事本文はロシア語です。 

http://www.sb.by/post/strunoy_serdtsu/


 他にも4人の有名ベラルーシ人ミュージシャンの写真がどどどどーんと掲載されている・・・。
 これは一体何事か? あわてて記事を読んでみた。

 ・・・つまりは、こういうことだった。
 トーダルが日本でギブソンのギターを買ったことが、ベラルーシ音楽界で大きな話題となり、新聞記者が
「お、そうだ、そういや、ベラルーシ人のミュージシャンはどんなギターを使っているのかな? 一度にたくさん載せたら、おもしろいネタになる。今までこういう記事、載ったことないもんね。」
と考えたらしく、さっそくベラルーシの有名ギタリスト4人に
「どんなギターを使っているか?」
「どのギターが一番のお気に入りか?」
「そのギターにまつわるエピソードがあれば、ぜひ。」
といった質問をしているのである。
 「トーダルのことがうらやましいか?」などという質問まである・・・!

 全部翻訳するのは大変なので、大事なところだけ、ご紹介します。
 まず、記事の冒頭。
「日本へ公演のため滞在していたトーダルは、そこで高価なギブソンのギターを買った。噂によれば、その値段は3000ドル以上。
 このギターを持ったトーダルのミュージシャンとしてのステイタスは一気に上がった。
 それではトーダル以外のベラルーシ人ロックギタリストはどんなギターを持っているのか? 高価な楽器が売られていないこの国の現状をどう見ているのか?」
 
 最初にミュージシャンのアトモラビにインタビュー。
「僕が使っているアコースティックギターはマーティンのD-15で、1100ユーロしました。この系では最も安いものです。」
「トーダルがギブソンのギターを買ったことをうらやましく思いますか?」
「ギブソンのアコースティックギターなら、僕も買いたいと思うよ。音楽にとって楽器の音は重要でしょ?
 しかし、この国ではそういう大事なことに関心が払われていない。だから、トーダルの新しいギターのせいで、大騒ぎになったんですよ。
 こんなギターは、今までベラルーシのステージでは使われることがなかったんです。
 ベラルーシの楽器屋についてはノーコメント。15年間、ギターやそのほかの楽器を探しているけど、いい楽器はミンスクでは買えません。
 モスクワに住んでいるミュージシャンなら、何とかいい楽器を手に入れることがでるだろうけど・・・。何もかも貧困が原因です。」

 次にミュージシャンのセルゲイ・プクスト(トーダルの友達)にインタビュー。
「あなたのグループのメンバーからきいたんですが、あなたが使っているギターは安かったそうですね。楽器にお金をかけないんですか?」
「それは違うよ。今、僕が使っているスクワイア・ストラトカスターは、高いギターと言っていいよ。・・・会場によって、音が変るんだよね。」

 次に人気グループ「J:モルス」のギタリスト、ロマン・オルロフにインタビュー。
「僕が持っているのは、フェンダーのストラトカスター・カスタムボディです。
・・・このギターはモスクワでは3500ドルすると思います。このギターを買ったのは音がいいからです。それ以上のことは言えません。
・・・ワインと同じでギターは古ければ古いほどいいものです。」

 最後に(たぶんこの5人の中で一番ベラルーシ人の間で人気がある)グループN.R.M.のリーダー、リャヴォン・ヴォリスキーが登場。
「僕はギターを一つではなく、四つ持っています。
 一番大切にしているのはN.R.M.結成時に、友達からもらったイバニーズ(アイバニーズ)のジャズギターで1974年製のもの。このギターには僕自身は値段はつけられません。
 フェンダーの安いギターも持っています。値段は700ドルから800ドルあたりかな。
 ・・・アトモラビはちょっと言い過ぎてるよ。コンサートに来た観客にとっては、そんなに音の良し悪しは重要じゃないと思うよ。大事なのはミュージシャン自身が気分よく演奏することさ。そういうのが観客に伝わるからね。
 いい音がする高い楽器を持っていても、ミュージシャンが自分自身を信じていなかったら、だめなんだ。
 ・・・でも最近、ベラルーシのギタリストが一斉に高い楽器を探し求めるようになったね。いいことだよ。成長するのをやめていないんだから。」
「あなたにも夢のギターがありますか?」
「トーダルが日本で買ったのは珍しいモデルのギターだから、少しばかりトーダルのことがうらやましいね。ギブソン、これが夢だよ。
 キエフにとてもいいギターがあるって知ってね。友人のグループ『リャピス・トルベツコイ』が近いうちに、そのギターを買ってきてくれることになっているんで、楽しみに待っているんだ。」

 ・・・以上です。
 ・・・これを読んだ捨平は
「ベラルーシの新聞の文化面は、他に載せるようなニュースはないのか。」
と少々呆れ気味・・・。
 ちなみにこの新聞「ソビエツカヤ・ベラルーシ」は発行部数、約40万部で、ベラルーシでは発行部数が多い新聞の一つである。
 
 ところで、この投稿自体にくっつけた画像はトーダルの公式ブログから許可をもらって、添付したものです。(トーダル、浮かれポーズだな・・・)
 これは3月8日にミンスク市内で行われたコンサートを取材したベラルーシのマスコミからの提供です。その記事はこちら。
 記事はベラルーシ語ですが、画像や動画が見られますので、クリックしてみてください。

http://generation.by/news2215.html


 3月8日のミンスクコンサートについては、別に投稿した記事「トーダルがミンスクのコンサートで日本の歌をはっぴを着て歌いました」をご覧ください。

・・・・・

 おまけ

 7月18日付の新聞「ソビエツカヤ・ベラルーシ」にまたトーダルがギターを持った写真が載っていた。(これしか編集部にトーダルの写真はないのか・・・?)

http://sb.by/post/slushay_pesnyu_vetra/


 今年で3回目になったベラルーシエトノ音楽祭(エトノとは、エスノ・ミュージック、つまり民族音楽のこと。)の記事で、出演したトーダルやトロイッツァというベラルーシのエトノ音楽の草分けグループ「トロイツァ」のイワン・キルチュークの画像が載っています。
(もう一人写真で載っているのはロシア人の著名音楽評論家。しかし音楽祭1日目、ずっといねむりしてらしい。ばかもん。)
 インタビューを受けたトーダルはエトノ音楽について「風の歌の聴け」とか答えていて、それがそのまま、この記事のタイトルになっているんだけど、もしかして、村上春樹の本、読んだ? (^^;)

トーダル初来日・ベラルーシのマスコミのインタビュー記事 4

2008年05月14日 | トーダル
「ベラルーシ・ニュース」3月21日付 ベラルーシ語

http://naviny.by/rubrics/opinion/2008/03/21/ic_articles_410_156176/

 トーダルによる「日本キーワード辞典」スタイルの記事。
「芸者」の項ではトーダルは「芸者は見かけませんでした。」などと答えている。
 つまらんことをきかないでください。>ベラルーシのマスコミ
 ベラルーシ人が抱いている日本のイメージは分かりましたけどねえ・・・。

・・・・・

 記事のタイトル
「トーダル WZ. Made in Japan」

<日本>

「日本行きのことはとても信じられなかったです。だってとても遠い国だから。そして非現実的だったから。日本人は僕の日本公演のために多額の予算を組んでくれました。夢は叶うものですね!
 11時間のフライトでは僕は眠れませんでした。ちょっと飛行機が怖いのと、満月と星の幻想を見たかったからなんです。
 日本へ行くまでの僕が抱いていた日本のイメージというのはステレオタイプ的なものでした。つまり、空手、サムライ、コンピュータといったあんばいです。
 今の僕にとって日本は緑に包まれていて、広々としていて、光あふれているイメージです。」

<日本人>

「普通、ベラルーシ人は日本人のことをロボットみたいに思っているでしょう? でも違います。普通の人間なんです! 
 われわれヨーロッパ人は人生にプラスとマイナスを見つけようとしています。愛と憎しみ、黒と白、善と悪といったような。日本人もこういったことに同じように反応しています。」


<富士山>

「特急列車に乗りました。富士山が近づいたとき、起こされました。というのも、長いフライトの後、全ての力が尽きていたからです。目にしたのは高い山だけではありませんでした。雪、太陽、そして富士でした。」


<畳>

「僕が泊まったホテルには畳はありませんでした。でも旅行に行ったときに泊まったホテルにはありました。日本の旅館には畳がしいてあって、それ以外にはテレビと高さの低いテーブルと海が見える窓しかありません。
 畳の上に座ってお酒や緑茶を飲んだり、小さな舟が魚を釣ったりするのを眺めるのは本当に楽しいことです。
 日本では太平洋の水に足をつけました。これが僕にとって重要な意味を持っていたんです。どうしてかは分からないけど・・・。」


<寿司>

「僕たちベラルーシ人が知っている日本料理はごく一部です。皆さん、僕が日本で食べたものをお見せできないのが残念ですよ。僕は鍋の中身を釣り上げては食べました。鍋料理というのは鍋の中に醤油とかいろいろのものを入れて煮る料理です。他にも豆腐から海草、鯨の脂肪から湯葉まで食べました。
 唯一食べられなかったのはゆでた玉ねぎ。これはベラルーシでも日本でも食べられません。嫌いなんです。でも生魚は好物の一つになりました。」


<箸>

「日本にいた2週間、フォークとナイフを手にしませんでした。実は日本に行く前に箸をつかむ練習をしていましたが、いらいらしてうまくいきませんでした。しかし、一度うまくいけば何でも食べられるようになりました。日本酒を飲みながら、タコの足をコウノトリになった気分で捕まえるんです。」


<酒>

「最高! ほとんど毎日飲みました。飽きたりなんかしません。『乾杯』につぐ『乾杯』! こうして男にならなくっちゃいけません。
 日本のウオッカも飲んでみましたが、あまり度数が強くなかったです。」


<芸者>

「日本では芸者は見かけませんでした。芸者のことはちょっと聞いたことがあるだけです。
 タトゥーのような格好の子どもはいました。見かけたけど知り合いにはなりませんでした。日本人の女の子たちは歌手の僕を評価してくれましたから、日本でも自分自身をスターだと思えましたよ。」

<日本人女性>

「コンサートにはたくさんの日本人女性が来ました。ステージ終了後も彼女たちと話をしたりしました。でも彼女たちが何を考えているのか、僕には分からなかった。ヨーコ・オノには出会えませんでした。
 日本人女性はみんなとてもすてきです。・・・でも、僕は多くを期待しすぎていたようです。
 でも、僕はそのために日本に行ったのではありません。今回の日本公演で最も大事だったのは、ベラルーシと日本とがコンタクトを取ること。僕と日本。そう、ヨーコ・オノとジョン・レノンとの関係のように。」

・・・・・

 日本にいるとき、そんなに一生懸命ヨーコ・オノを探していたのか?
 ・・・と言うか・・・私は言いたい。
 ヨーコ・オノがジョン・レノンと出会ったのは、日本じゃない!
 ・・・アメリカだ!

 ところで、トーダルのプロフィールも紹介されています。何年生まれで・・・というような紹介がされているのですが、それに続いて書いてある内容はこのとおり。
「・・・人生と自分のネマンやしきを愛し、そこを日本風に改装しようと計画中。そこで日本風に座って、日没を眺めたいそう。」

 ・・・本当に実現するのだろうか・・・。


(内容については後日若干補足します。)

トーダル初来日・ベラルーシのマスコミのインタビュー記事 3

2008年05月09日 | トーダル
「ウエスト・レコード ニュース」 3月21日付 ロシア語

http://www.camarade.biz/page/1/bo/9701/article.html


 トーダルが所属するウエスト・レコードによるインタビュー記事。
 この記事の内容が一番まともです。。とても詳しくて、どうせ読むなら、この記事をお勧めします。(他のマスコミももっとまじめなことをきいてほしい。)

・・・・・

 記事のタイトル
「トーダルは日本人にベラルーシを見せた」


記者「日本ではどのように出迎えてくれましたか?」

トーダル「とても暖かく迎えてくれました。それは2月の明るい朝のことでした。
 今回の旅は非現実的なことのように思っていました。いつか日本へ行くだろう、ということを信じられずにいたんです。日本公演の話は2年前から進められていました。ビザが下りたと知ってから、出発を現実として待つようになったんです。今まで11時間も飛行機に乗ったことはありませんでした。
 日本での最も鮮やかな印象、それは観客の皆さんでした。日本では2回ステージに立ったのですが、観客がみんな日本人なんです。会場にはわざわざ東京から来た2人のベラルーシ人とカザフスタン人もいましたが。」
(←厳密には1人のベラルーシ人は大阪から来られていました。)

記者「出発前に何か準備をしましたか?」

トーダル「正直言って、何もしませんでした。僕はこういう性格で、旅に出てから、準備しておけばよかったと思うんです。たとえば会話集を持って行くとか。ときどき自分が恥ずかしくなります。」
(←確かにトーダルは、日本滞在中に
「ロシア語で書いてある日本語会話集を買って持ってくればよかった。」
と言っていました。しかも持ってこなかった理由を
「僕は怠け者なんだ。なぜなら、星座がかに座だから。」
と言っていた。・・・全世界のかに座生まれの人よ、これは本当なのか? トーダルにこんなことを言わせておいていいのか? 本当にいいのか?)

記者「すぐに体が慣れましたか?」

トーダル「何日間か眠くてしかたがありませんでした。飛行機の中で寝られなかったからです。どうしてかと言うと、まずちょっと飛行機が怖いから。それから、おもしろかったから。
 富士山のそばを通ったのですが、何とか目を開けて、何枚か写真を撮りました。時差ぼけは何日間か続いたのですが、それ以外には特に問題はなかったです。
 日本へはハートをオープンにして行きました。長くグループで演奏活動をしていると、こういうふうに真面目になるんです。だから、異国で何か慣れないことがあっても、日本人がやっていることを真似していればいいんです。日本人はとても丁寧で真面目です。オープンにすることによって、僕は日本人の邪魔はしなかったと思っています。
 滞在5日目、ホームシックになりました。家族に会いたくなり、この気持ちを伝えたいと思ったのです。しかし翌日から日本国内の旅行が始まり、そんな気持ちはなくなりました。」

記者「日本について以前はどんなこと知りませんでしたか? 日本に行って最初に心に開がったものは何ですか?」

トーダル「答えるのは難しいですね。日本へは心を開くためではなく、吸収しに行きました。
 分かったのはベラルーシ人が日本人について持っている考えというのは、相当間違っている、ということです。ベラルーシ人は日本人のことをプログラミングされている、と思っているでしょ? でも本当は全くそうじゃない。日本の映画や絵画、文学などに関心がある人は分かっていると思うけど、日本人はみんなそれぞれ個性的なんです。
 逆に日本人のほうが『ベラルーシ人はプログラミングされてるみたい。』と思っているんじゃないかな? とにかくベラルーシ人はステレオタイプ的な物の考えに慣れすぎているよ。
 日本人はベラルーシ人とは全く違うんです。日本人は伝統を大切にしています。それに京都だけではなく、日本中がとても清潔でした。
 狭い国土でこれだけの経済的構造基盤を持っていることは尊敬に値します。あちこちにこんな立派な高速道路やトンネルを建設したんですから。
 それに自然、そしてそれに対する日本人の態度には、ただただ感動しました。」

記者「日本の伝統については、どんな点に驚きましたか?」

トーダル「僕は偉大な哲学者ではありません。でも、いろいろと理解できるときもあります。
 日本で最も驚いたのは、お年寄りと子どもです。日本のお年よりはおしゃれです。子どもは宇宙的で、非現実的です。
 日本人の人生は子どもの誕生や定年退職で終わりになることではない、ということは喜ばしいことです。日本人は人生に新しい質を考えつくんです。」

記者「日本滞在中のプログラムで印象に残ったものは?」

トーダル「僕はいくつかの町に行きました。東京はほとんど乗り換えだけしたのですが、残念には思いません。東京はベラルーシにいてもテレビで見られます。
 美しい場所がたくさんあるのは京都です。京都は天皇の都なんです。世界的に有名な名所がたくさんあります。金閣寺に石庭、御所。苔に覆われた庭園はそれだけで一つのテーマです。苔に日本人は根気よく向かい合っています。苔が名園において重要な役割を果たしていると考えています。
 町についての第一印象は『おもちゃの町みたい。』でした。とにかくすみずみまで、行き届いていて、ちょっといらいらするぐらいです。
 名所以外にもいろいろなところへ行きました。本物の日本の森を見ましたよ。」

記者「日本の森はベラルーシの森とどう違うんですか?」

トーダル「まず日本には山がたくさんあります。これはもちろんベラルーシ人にとって印象的です。
 4人がかりでも抱えきれないような巨木が生えています。伐採する木の数は最小限に抑えているんです。森が持つ意味とその重要性を把握しているからです。日本はこんな技術大国なのにもかかわらず、自然から切り離されていない。」

記者「日本の小学校に行ったそうですね。」

トーダル「マーサのお母さんの母校へ行くことができました。その学校の校長先生はマーサのお母さんの同級生だった人です。
 その印象は、学校の先生はどこも同じということです。生徒たちを助けたいと考えているんです。日本とベラルーシの学校は大きな差はないと感じました。」

記者「コンサートはどうでしたか?」

トーダル「マーサが日本語からベラルーシ語に訳してくれました。日本人の観客もベラルーシ人の観客も大きな違いはありません。歌詞の日本語訳が配られましたが、それでもやはり僕を日本人観客のみなさんは理解しづらかったのではないかと思います。
 僕のことはCD『月と日』によって、すでに日本に紹介されていました。観客は日本の歌のベラルーシバージョンを聴きにきていました。
 僕は1曲は日本語で、1曲は着物(←はっぴ)を着て歌いました。ステージでは心を込めて歌いました。ちょっとずうずうしいぐらいに。」

記者「どうやって日本語の歌詞を覚えましたか?」

トーダル「正直言って歌詞を暗記することはできませんでした。紙を見ながら歌ったんです。観客の反応は普通でした。後で泣いていた人がいた、と言われました。これは本当だとそのときすぐ思いました。」

記者「日本人はベラルーシやベラルーシ人のことを知っているんでしょうか?」
トーダル「少ししか知りません。ミンスクの名を聞いたことがあっても、それがベラルーシにあることを知らない、そんな感じでしょうか。
 もちろんチェルノブイリ原発事故のことはよく知っており、そのため放射能被害については他人事のように感じないんです。
 ベラルーシへ来たことのある日本人はベラルーシ料理が好きです。それに日本人は月に1回ぐらい西洋料理を食べにレストランへ行くんです。イタリアンとかフレンチとかが好きなんですが、ベラルーシ料理のレストランへ行くのは、まだ定着していません。」

記者「あなたにとって日本料理は独立した一つのテーマだそうですね? どうしてですか?」

トーダル「ベラルーシ人は海産物や新鮮な魚から切り離されています。僕は日本へ胃袋もオープンにして行きました。何でも食べられる用意をしていたんです。滞在中の2週間、箸だけを手にしていました。そして不便だとは全く感じませんでした。
 多くの料理は今まで食べたことのないものばかりで、日本にまた行かなければ、もう二度と食べられないものもあるんじゃないかと思っています。何と言っても日本料理は見た目がきれいで、そしておいしいんです。
 日本酒はとてもおいしかったです。温めた状態で飲んで、すごく酔っ払うことはないんです。
 もう一つ言いたいのは、日本人が痩せている民族だと言うことです。
 何の料理か分からなくても、さっきも言ったように、日本に行ったら日本人のまねをして食べてみることです。それに何でも質問していいし、日本人は外国人にいろいろ説明するのが好きです。」

記者「日本人女性の印象について教えてください。」

トーダル「着物を着た日本人女性が気に入りました。着物を着てレストランへ行ったり、散歩したりするんです。着物にはいろんな色や模様があって、それぞれの模様が意味を持っています。
 日本人女性はみんなそれぞれ違っています。きれいな人もいれば、個性的な美人もいます。
 簡単にコミュニケーションが取れた人もいましたが、英語ができる人は少なく、これは僕にとって問題でした。」

記者「今回の日本公演についてまとめと、今後について。」

トーダル「まとめとしては、ギターを買いました。僕の夢だったギターです。今まで探したけど見つからなかったものです。
 公演は成功でした。一番大事なのはもう観客を恐れることはない、ということです。つまり、今後どんなステージに上がるとしても、もう緊張はしません。
 世界中探しても、マーサのように日本式で僕を紹介している人はいません。(←よっしゃ、よう言うた。)
 今まで発表したアルバムのうち約半分は、収録曲の歌詞が日本語に翻訳されました。(←がんばって訳しましたよ。)
 これは将来のために重要な事実です。ベラルーシと日本の関係は違う段階に進歩すると思います。もちろん、『月と日』プロジェクトのことや、ベラルーシ文学の詩の分野についてもです。(←確かにベラルーシ語の詩は、私が翻訳したもの以外はほとんど日本語に翻訳されていないでしょう。今のところ。)
 日本の新聞社(←朝日新聞のこと)に2回インタビューを受け、ベラルーシのことやベラルーシ人のことに質問されました。とにかく日本で100万人の日本人がベラルーシの記事を読み、待ってくれているんです。これはベラルーシ人にとってとても喜ばしいことでしょう。」

記者「あなたは今までいろんな外国公演に行ってきましたが、ベラルーシへ帰った来たときの気持ちは?」

トーダル「よい気分でしたよ。家に帰るのはいつでも嬉しいことです。
 いろんな国へ行ったことがあるけど、そこに残りたいと思ったことは一度もありません。そんな必要性も感じたこともありません。僕には戻る場所があるんです。帰国の途上、人生について考えたり、旅の思い出を書き留めたりすることができるんですからね。」


トーダル初来日・ベラルーシのマスコミのインタビュー記事 2

2008年05月08日 | トーダル
「コムソモリスカヤ・プラウダ」紙 ベラルーシ版 3月7日付 ロシア語

http://news.open.by/505/2008-03-07/47914/

 コムソモリスカヤ・プラウダはマーサはあんまり好きじゃないです・・・。おもしろおかしけりゃいいって感じなので。しかし、コムソモリスカヤ・プラウダのスピードには驚かされる。他のマスコミがもたもたしている間、3日に帰国したトーダルのインタビュー記事、7日には印刷している・・・。

 記事のタイトル
「トーダル『僕は2週間ナイフとフォークを手にしなかった!』」

 トーダル「日本の思い出はとてもたくさんです。日本の自然はとても美しい。そしてお寺も。墓地にも行きましたよ。本物の日本の村にも行きました。」

トーダル「日本の家では入るとすぐに靴を脱ぎますが、(←ベラルーシでもそうだけど。)トイレすら、トイレ用のスリッパに履き替えます。(←ベラルーシでは履き替えない。)そして便器はコンピューター仕掛けです。」

トーダル「日本には日本車がたくさん走っていますが、ヨーロッパの車も走っています。そして日本人は西洋料理を食べるのが好きです。イタリアンレストランとかフレンチレストランがたくさんあって、箸じゃなく、ナイフとフォークで食べています。僕はこの2週間箸をずっと手にして、すごく幸せでした。」

トーダル「ベラルーシ人が知っている日本料理は巻き寿司と刺身ぐらいです。しかし日本で僕はいろんな種類の日本料理を食べました。海の幸はどれもこれもおいしくて、言葉では表せないほどです!」

記者「帰国するとき、ベルトを締めることができましたか?」
トーダル「大丈夫! 日本人はみんなやせています。日本料理では太りません。65歳の日本人男性は、酒を飲まない50歳のベラルーシ人みたいに若く見えます。だって、日本食は海草に豆腐・・・ミンスクでは手に入らないものばかりです。」

トーダル「日本人女性はみんな小柄で、黒っぽくて、髪型はギムナジアの生徒みたいです。」
(←ここでいうギムナジアとは、ロシア革命前にあった裕福な貴族の女子が通っていた規律の厳しい女子高のこと。要するにみんな同じような髪型にしている、とトーダルは言いたいわけです。)

トーダル「もちろんきれいな日本人女性もいました。ただ、日本人女性が表情を変えると、顔の印象がずいぶん変わってきてしまいます。そしてその表情で何を表そうとしているのか、僕には分かりませんでした。ベラルーシ人女性なら、何を考えているのか、表情から読み取れるんだけど。」
(←つまり、顔の表情・・・というかリアクション、ジェスチャーなどが、日本人とベラルーシ人とでは違うので、トーダルには日本人が何を考えているのか、どういう感情を表しているのか分からないことが多かった、ということです。逆に日本人が外国人のリアクションやジェスチャーが分からないことがあるのと同じ。)

トーダル「着物を着た女性も見ました。たとえば着物を着てレストランへ行ったりするんです。」

記者「映画に出てくるような、チェック柄のミニスカートに長い靴下を履いた女の子は本当にいましたか?」
トーダル「そういう女の子もいました。」

トーダル「日本人の観客はベラルーシ人の観客と大きな差はありません。年上の観客は静かに聴くし、若い人たちは叫びたいんです。日本人は細かいところまで意識が行き届いていますよ。コンサートでは曲目を印刷したプログラムを配っていました。」(←ベラルーシでもクラシック音楽のコンサートではプログラムを用意するけど、有料であることが多い。)

トーダル「コンサートでは日本語でも歌いました。紙を見ながらだったけど、ミュージシャンにとっては簡単なことです。それは感動的な歌で、泣いてた人もいたとコンサートが終わった後、言われました。」(←「十五夜お月さん」のこと。)

記者「サケ以外に何を持って帰りましたか?」
トーダル「ギターです! ギブソンの赤! 夢そのものです!」

記者「日本では曲を作りましたか?」
トーダル「いいえ。でもそのことをよく考えました。それに人生についても。ある神社に行ったんですが、そこでは少しお金を払うと占ってくれるんです。(←平野神社のおみくじのこと。)僕がひいたのは猫でした。それに詩がついた紙がついていて、ビジネスとか、家とか家庭とかいろんなことの占いの結果が書いてあるんです。そこにあったのは、全ての面においていい結果でしたが、『結婚はあわててするな。』と『引越しも急ぐな』でした。占いが当たるかどうか試すんじゃなくて、このアドバイスをきくことにしましたよ。」
(←さあ、どうなることやら。)

トーダル初来日・ベラルーシのマスコミのインタビュー記事 1

2008年05月06日 | トーダル
 ベラルーシのマスコミによる、トーダルへのインタビュー記事がいくつかネット配信されています。
 内容はどれも似たようなものです。せっかくなので、部分的ですが日本語に翻訳しますね。(←マークはマーサのつっこみ。あるいは注釈。)


 ニュース配信サイト「generation.by」 3月4日付 ベラルーシ語

 乗り換えのための待ち時間の間、ウイーン在住のベラルーシ人ジャーナリストから受けたインタビュー。
 日本の印象などを尋ねていますが、くっついている画像はウイーンのカフェで記者が撮影したもの。
 笑っているけど、トーダルお疲れ気味。(目がしょぼしょぼしてる。)トーダルが手に持っているのはマーサのカメラ。


http://generation.by/news2200.html


記事のタイトル「日本から戻ったトーダルの第一報」

トーダル「東京にはほとんどいませんでしたが、日本の各地へ行きました。日本の風景は信じられないほど美しいです。太平洋も見たし、村にも小学校にも行きました。そしてそこに住む人々は長い歴史とともに生きていました。」

トーダル「日本民族は違うんです! ドイツ人とも違うし、ポーランド人とも違う!(←当たり前だ。)どの民族にも似ていないんです! ヨーロッパからは全てが程遠い。しかし、アルバム『月と日』によって、ベラルーシと日本が少し近くなったと思います。」
 
トーダル「日本では2回ステージに立ちました。1回目のコンサートでは年配の裕福なご婦人方がたくさん来ていました。2回目のライブでは若い人が多かったです。2回目のライブハウスの雰囲気がとても気に入りました。」

トーダル「僕が外国人の歌手であるにもかかわらず、コンサートの後、1回目も2回目も日本人観客がやってきて、僕の周りを取り囲みました。日本人の女の子もです!」(←ご満悦。)

トーダル「僕には少し時間が必要です。日本であまりにいろいろなものを見たり聞いたりしたから、それを消化する時間がね。」

・・・・・

 この記事には動画もくっついていますが、音声がいまいちよくなくて(撮影場所であるカフェの雑音が邪魔。)トーダルが何を言っているのかよく分からないのですが、分かったところだけ訳します。

トーダル「日本から戻ってきました。トーダルです。もうすぐ3月3日に英雄都市ミンスクに到着します。今までの旅は順調。・・・日本はベラルーシ人にとって理解するのが難しいかもしれません。・・・今回日本に行って、民族や文化の違いを僕はもう恐れなくなりました・・・。」




トーダルが日本の思い出をラジオ番組で語りました

2008年05月05日 | トーダル
 3月14日、トーダルがパーソナリティをつとめるラジオ番組「簡単な言葉」内で、日本の思い出を自ら語りました。
 この番組はベラルーシのラジオ局で、毎週金曜日(土曜日と日曜日に再放送。)トーダルが音楽を交えながら、自作の作品やリスナーからのお便りをベラルーシ語で語る番組です。
 
 「日本の思い出」を語ったトーダル。その「滞在記」はもちろん自ら執筆したベラルーシ語の小作品。
 マーサの書く長い長い「"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」とはえらい違いです。(文章にやっぱり性格が出るよ。)
 散文詩みたいなんだよね。こういう文章は翻訳が難しい(でも訳しながら笑ってしまった・・・。)のですが、日本語に訳しましたので、どうぞご覧ください。
(途中の♪♪♪マークは放送中、音楽やCMが流れたところを表しています。)

・・・・・・

 四国という島にある高松という町は、日本の町の中では小さいほう。そこに屋根のついた商店街がある。長さは2キロメートル。車は通らないけど、人はたくさん歩いている。いろんな店。もちろんマクドナルドもある。マクドナルドがないわけないよね。
 僕はお土産はだいたい買っていたから、買い物はもうする必要はなかった。
 でも、職業病だ。
 楽器店を見つけてしまったら、もう入らずにはいられない。
 ああ、入らなければよかったよ。
 そこで、こんな感覚の真っ只中に落ちていった。その感覚は・・・真剣なもの。そう、愛。そう、冒険。そう、盲目。・・・そして前払い。
 アメリカのギターを買った。赤いギブソンを買った。たくさんのお金が両替された。
 今となっては、僕は自分自身を何が何でもスーパースターにしなくてはいけない。
 そう努力しないと、このギターにそっぽを向かれる。
 そんなギターを買ったんだ。
 この日、高松はソリストの自分にとっての聖地になった。

 本州に戻る車中の僕の隣にはギブソンのギター。
 この現実に気が狂いそうになった。
 これを見たら、みんな気が狂うんじゃないか。
 ここ日本で何かが起こったんだ。
 分かるだろうか。
 ベラルーシ人の僕が日本で、アメリカ人が作った赤いギターの持ち主になるなんて、現実のことなんだろうか。
 
 目の前に四国と本州を結ぶ世界最長の吊り橋。
 窓の向こうには森に覆われた高い山。
 こんな高い山の上に何か建てることは、僕にはできない。
 でも日本人はちゃんとした家をたくさん建てて、その中で幸せに暮らしている・・・。
 神よ、日本人に幸福を与えたまえ。
 ベラルーシ人にも幸福を・・・。

♪♪♪

 特別に日本料理の話をします! 約束します! この番組のリスナーのみなさん、本当に約束します!
 でも、僕が日本で食べたもの、全てについて話すだけの気力はない・・・。
 自分の持つ語彙を掘り返すようにして探さないといけないから。
 日本料理は種類が多い。そしてとてもおいしいんです。とにかくいろいろです。魚、肉、野菜、果物。
 ただ、ときどき日本人は洋食を食べます。休みの日なんかに洋食を食べて、特別な気持ちを味わう。
 日本人もベラルーシ人もそれぞれ、自分の国にないものを夢見てしまうわけですね。
 ・・・まだ、日本料理の話をしますよ! 後で必ずします!

♪♪♪

 旅先から京都へ帰ったとき、何週間か過ぎたような気がした。この二泊三日はそれは内容が濃かったので。
 たくさんの思い出の収穫。いろんな地方のことを知った。僕にとっては普通じゃないものを見た。高速道路、トンネル、速く走る車、大きい寺、小さい寺。
 京都へ戻ったとき、家に帰ったような気がした。まるでネマン川のほとりに来たような気持ちがした。旅が終わりに近づいた。

♪♪♪ 
 
 友達がミンスクの空港へ僕を迎えに来てくれるって。でもそこまでの旅の延長線上に待つのは3台の飛行機。これがスーパースターの生活スタイル。これに早く慣れないと・・・。
 人生について考えないと・・・。
「なあ、トーダル、旅をするのは好きかい? 飛行機で飛んでいくのが好きかい? 船で泳いでいくのが好きかい? 新幹線の座席に座るのが好きかい?」
 比べよう。ベラルーシ人と日本人を。
 僕たち、日本人からたくさん学ばないといけないよ・・・。
 日本国内を1000キロも移動した。
 ベラルーシ人、そしてその近隣諸国の民族たちよ、君たちはきっとどうしてなのか理解できないだろう。
 ここ日本では造るのが不可能な場所に高速道路を造る。建設不可能な場所に家を建てて住んでいる。高い水準の生活だ。

 村の学校へ行った。生徒の数は250人。
 そこで僕が何を見たか・・・。言葉では表現できない。
 先生たちは、ベラルーシの村の学校の先生と同じだったけれど・・・。

 車の中で、日課であるロシアのユーモア短編集とポーランド語の詩集を読んだ。ふと窓の外を見て思った。日本での滞在はもうあと3日しか残っていない・・・。

♪♪♪
 
 僕のホテルはとてもいいホテルだった。窓から見える景色はすばらしかった。インターネットに繋がる宿泊客共同のコンピューターもあった。
 窓の外に漢字が見えた。山の木を少しだけ切ってつくった「大」という漢字。
 その山のふもとには二階建て、あるいは三階建ての木造の家が並んでいる。

 京都の通りはとても狭くて、日本の消防車も小さくて幅が狭い。
 ベラルーシのMAZ社のトラックは京都の道は通れない。
 でも、そんなこと、日本ではどうでもいいことなんだ。
 日本で最も重要なのは日本人。

 ベラルーシ人は日本人のことを、プログラミングされていて、機械の部品、ネジの一つのように生きていると思っているでしょう?
 でも、日本人はベラルーシ人と同じように、人それぞれに生きています。
 曇りのない目で日本人を見てください。
 特に日本のお年寄り、おじいさん、おばあさんを見てください。
 日本のおじいさんは80歳になっても、ベンツを運転しています。
 ビジネスマンの人もいます。
 日本のおじいさんは小ぎれいでおしゃれです。
 微笑んで、人生を楽しんで、可能性をあきらめず、世界中を旅行しています。
 トランクなんて持ちません。空港で預けて身軽に旅に出ます。
 遠い国のホテルに行きます。
 キャノンのカメラを巧みに操ります。
 今日はマイアミ。
 明日は北京。モスクワ、クラコフ、パリ、リオデジャネイロ、モナコ、リダ、ミンスク、ベレゾフカ、ネマン・・・という予定です。
 日本のお年よりはみんな若いですよ。
 日本人のことを、プログラミングされた機械だと思いますか?
 ところで、日本の水はおいしいですよ。水道の蛇口から出る水をそのまま飲めます。とてもおいしいですよ。

♪♪♪ 

 日本人はベラルーシに来ると、クリョーツキ(ベラルーシ料理。じゃがいものお団子)にカッテージチーズ、サワークリーム、マヨネーズを食べる。
 日本人はベラルーシのマヨネーズは日本のよりずっとおいしいと言っている。驚きだ。
「100年生きて、100年学べ」とはよく言ったものだ。ベラルーシ人は何も知らなさすぎる。

日本人は西洋料理が好きで、ちゃんとフォークとナイフで食べる。僕は2週間の滞在中、箸を手放さなかった。箸を手にすることが大好きなんだ。
 ミンスクで僕は黒パンとサーラ(豚の脂身の塩漬け)ときゅうりのピクルスを食べる。日本では海の幸を1年分ぐらいまとめて食べた。魚、えび、イカ、カニ、大きい貝、何か分からないけどすごくおいしいもの。生で新鮮なもの。日本で食べたもののことは一生忘れない。
 ベラルーシ人は日本へ行ったら、何でもたくさん食べてみよう。
 日本と友好関係を結ぼう!
 文化交流を! 食文化交流を進めよう!
 両国の友好を自力で進めよう! 
 ベラルーシ人は日本人にハラドニクを!(冷たいスープ)
 日本人はベラルーシ人に刺身を!
 ベラルーシ人は日本人にマチャンカを!(煮込んだ肉にホットケーキをつけたような料理)
 日本人はベラルーシ人に鍋料理を!
 鍋とは日本の「底なしスープ」料理のこと。
 ベラルーシ人は日本人にトーダルの音楽を!
 日本人はベラルーシ人に村上春樹の文学を!
 日本人はベラルーシ人にデリカテッセンを! 何事も最後までやり遂げる力を!
 日本とベラルーシの間に同盟を!
 アメリカはベラルーシのことを、ならず者国家と呼んでいる。でもそんなことは、もうほうっておいて、これからは日本と友情を!

♪♪♪

 ブーン、ブーン・・・今、僕は飛行機の中。
 日本では全てうまくいったという感触。完璧だった旅。
 今こんな気持ちのときに、飛行機がシベリアなんかに墜落してほしくない。
 ウイーンまでまだ6時間。ノリリスク上空。
 僕は映画を撮りたい。映画をつくるって決めた。自分で、ベラルーシ映画を。
 東洋の日本が僕に言ったんだ。
「その手にカメラを持て。映画を撮れ。」
「そんなこと、できるだろうか?」
「ベラルーシ風のベイルマンか、クロサワのベラルーシ版。あるいはその両方。」
これが西洋のロシアが僕に言った答え。
 とにかく小さな作品をつくってみよう。それからどうなるか様子を見よう。
 映画の音楽は自分が担当しようかな。それとも、僕は監督で、作曲は誰かに頼もうかな。他の人にも稼ぐチャンスを与えないと。
 今日は人生で一番長い日だった。太陽を追いかけた、僕の人生の中で最初の最長の日。
 デビュー作品のタイトルはこれで決まった。
 「我が人生最長の日」
 僕のお母さんが窓辺に座って、眼鏡をかけて、孫にあげる靴下を編んでる映画でもいい。
 こんな作品、本業で映画監督やカメラマンをしている人たちに笑われるかな?
 世界はおもしろい。
 人間はおもしろい。
 京都もウイーンもミンスクもおもしろい。
 ブーン、ブーン・・・飛行機が飛ぶ・・・

 
・・・・・・ 

 以上です。
 ・・・まあ、私から言わせれば
「トーダルよ、君はギターの前払いなんかしていないし、両替もしなかったぞ! 君がしたのは・・・・・・借金だ・・・!!!」

 それから、文中の「MAZ社」についてですが、サイトはこちら。トラックやバスの画像が見られます。確かに大きい。

http://www.maz.by/


 それから、トーダルが文中に書いたベラルーシ料理ですが、日本人にはなじみがないものばかりなので、近いうちに画像だけでもアップします。

 

再びトーダルのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されました!

2008年05月04日 | トーダル
  3月13日(木)付『朝日新聞』京都版の朝刊「ピンスポット」コーナーで、トーダルの紹介記事が掲載されました。

  朝日新聞のWEBぺージでも記事が読めますので、ぜひアクセスしてみてください。

http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000170803130001


 しかし、、、この記事の本文中の
「・・・トーダルが歌うと聞いた時は『ラッキー』と思った」。「月と日」制作の仕掛け人で、首都ミンスク在住の辰巳雅子さん(37)が驚くほど、母国では著名な音楽家だ。・・・

 私、「ラッキー」なんて記者さんに言ったっけ? 
「・・・トーダルが歌うと聞いた時は『光栄』と思った」
 とインタビューで答えたはずなんだけど・・・(^^;)

 いや、でも、確かにラッキーでした!

 記者のS様、2回もトーダルのことを記事にしてくださって、本当にありがとうございました!
 2月23日のコンサートにはわざわざ三脚カメラを持ってきてくださって、写真撮影もしてくれました。
 朝日新聞で紹介されたこと自体が「ラッキー」です。(^^)

(画像はトーダルとはちの子。京都市内某所にて。)(^^;)

トーダルが公式ブログ内で日本の画像を公開しています。

2008年05月03日 | トーダル
 トーダルが公式ブログで、日本で撮った(あるいは撮られた)画像をアップしています。
 画像の数が多いので、3つのテーマ「自然と人々」「日本食」「コンサート」に分けてあります。

 トーダル自ら選んだ、日本の画像なので、見ていておもしろかったです。彼の視点が感じられます。日本で何が気に入ったのか、とかね。
 ただ、画像についての説明をつけていないので、ベラルーシ人からすれば「?」な画像がいっぱいあるでしょうね。
 日本人の皆さんからしても「?」な画像があると思いますが、「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」を読んでいれば分かると思います。「トーダルが撮ったニッポン」でアップした画像とも見比べてください。
 ではクリック!

「自然と人々」 

http://todar-vojt.livejournal.com/7065.html#cutid1
 

「日本食」

http://todar-vojt.livejournal.com/7323.html#cutid1


「コンサート」

http://todar-vojt.livejournal.com/7426.html#cutid1



写真共有サイト上でアルバム 「トーダルが撮ったニッポン」を公開しています

2008年05月02日 | トーダル
 画像や動画を公開できる写真共有サイト「フォト蔵」上で、トーダルが自ら撮影した画像や「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」では紹介しきれなかった画像を公開しています。
 
 題して・・・「トーダルが撮ったニッポン」

http://photozou.jp/photo/show/180896/8665898


 日本人と同じ感覚ではないベラルーシ人トーダルが、日本で何を気に入ったのか、これを見たら分かると思います。
 まだ全部更新していませんが、画像はたくさんあるので、ゆっくりご覧ください。
 できたら動画もアップする予定です。

(この画像はイズミヤ白梅町店1階食料品売り場で、お寿司を撮影しているトーダル。)


トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 最終回 「ラブ&ピース!」

2008年05月01日 | トーダル
 かくしてトーダルの日本の旅は終わった・・・
 「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」もめでたく最終回。
 ここまで全部読んでくださった皆様、ありがとうございましたあ! (^^)
 しかし、これで終わったと思ったら大間違い。
 まだまだ「トーダルの日本ネタ」が続くので、このブログの続きをご覧ください。

 でもまあ・・・この「日本滞在記」は一応これにて終了!
 「自分のヨーコ・オノ」は見つからなかったけど、(^^;) トーダルは日本のことを大好きなベラルーシ人の一人になったと思うよ。
 これが大事。
 では、ちょっとトーダルのまねをして・・・お開きの言葉にしましょう。

 愛の石の上に手を置いて誓いを立てよう!
 石のように固く揺るぎない信念を!
 日本とベラルーシの間に友情を! 相互理解を!
 お互いの知らないところを知って、もっともっとびっくりしよう!
 日本人はベラルーシのことをもっと知ろう! 
 トーダルに歌い続けてもらおう! その唇に歌を! 舌の上には日本料理を! 
 その喉を下から上に上がっていくのはバリトンの声。
 上から下へ下がっていくのは海の幸を!
 日本人もベラルーシ人も「月と日」を歌おう!
 世界に愛と平和を!


(画像は清水寺内、地主神社の恋占いの石「LOVEストーン」