みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

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(8) 歌「鶴(複数形)」(1968年)

2021年08月08日 | サダコの千羽鶴
 1968年には、ついに音楽作品が誕生します。
 タイトルは「Журавли」そのまま「鶴」です。ただし複数形なので「たくさんの鶴」という意味です。
 しかし、この歌の内容は佐々木禎子さんや「サダコの千羽鶴の物語」にはあまり関連がないように私には思えます。しかし、佐々木禎子さんに関係がある曲と言われています。

 作詞者はダゲスタンの国民的詩人、ルスラン・ガムザトフ(1923-2003)。
 ベラルーシのマクシム・タンクもそうなのですが、旧ソ連の国民的詩人は政治の世界に進出する人が多いです。日本人の感覚では分からないでしょうが、こちらでは、詩人のステータスは高くて、詩人はつまり言葉遣いが上手だから演説も巧みで、知的であり、作品の内容によって人格も判断できるとされ、大統領選挙に出馬する人もいるのですよ。

 原爆投下から20年目経った1965年に、ガムザトフも詩人としてではなく、ソ連ダゲスタン共和国の政治家として、招かれて広島を公式訪問しました。
 タンクは政治家になる前に新聞記事を読んで「佐々木禎子の鶴」を発表していますが、その後政治家になってから、公式来日しています。
 一方ガムザトフは政治家になってから広島を訪問し、それがきっかけで「鶴」という詩を書いています。
 広島の平和記念公園訪問中、「サダコの千羽鶴の物語」を聞いて、とても感銘したので、「鶴」という詩を書いたというエピソードが残されている割には、サダコという名前や千羽鶴といったキーワードは書かれていない作品です。

 ガムザトフはこの詩をアヴァル語(ダゲスタン共和国で使用されている言語)で書いたのですが、1968年にナウム・グレブネフによりロシア語に翻訳されました。やはりタンクの「佐々木禎子の鶴」のように、ロシア語に翻訳されることで絵、多くの人に読んでもらえる可能性を考えたのでしょう。
(ちなみにガムザトフは「サダコの千羽鶴の物語」はテーマにしていない「広島の鐘」という詩も書いています。)

 そしてヤン・フレンケリャによって曲がつけられ、マルク・ベルネスが歌いました。その結果、大ヒット。
 外国語にも訳され、世界に広がっていきます。
 日本語訳は複数の訳詞が存在します。その中でも一番有名なのは鮫島有美子が歌っている中村五郎訳です。

 ロシア語オリジナルも、日本語版もこの歌はYouTubeで検索すればたくさんヒットします。
 ハミングの部分がラララーだったりルルルーだったりいろいろありますね。

 しかし、歌詞の内容は戦争で死んだ兵士への哀悼です。鶴もロシア語だと当然複数形なのは戦死者がたくさんいるからです。千羽鶴だから、複数形ではないです。
 そして鶴は戦死した兵士の魂のシンボルとしています。
 歌詞の中で、「兵士は大地に横たわることなく、白い鶴の姿に変身した(あの世に飛んで行った)と私は思う。」とはっきり書いているのです。

 戦後10年経ってから病死した日本人少女のイメージはこの詩にはありません。
 この戦死した兵士も、人種などはっきり書いているわけでもありません。
 第二次世界大戦戦死者への哀悼の歌です。
 しかし、広島を訪問したとき、詩人が「サダコの千羽鶴の物語」を聞いて感銘を受けて詩作したエピソードがある作品だそうなので、広島平和記念資料館にも、この曲は資料として所蔵されています。
 明らかに「佐々木禎子」という名前が作品中に書かれているロシア語(あるいはベラルーシ語の)文学作品は広島平和記念資料館には所蔵されていません。

 一方でこの歌は世界的にも有名で、千羽鶴云々というより、戦死した全ての兵士への哀悼の歌、つまり平和希求の歌の一つと考えられているので、広島平和記念資料館で所蔵の資料になり、視聴もできるのは当然です。
 
 私が注目したのは、この歌の中に登場する鶴は折り紙などではなく、死んだ兵士の魂をシンボルであるということです。
 「サダコの千羽鶴の物語」を来日中に知って感銘を受けたので、この話をシェアしたくなったという立場で書かれた詩ではありません。
 日本人とロシア語圏の人を結ぶメッセンジャーとして詩を書いたタンクやクチンとは、種類が異なる詩です。

 今、千羽鶴は平和のシンボルになっていますが、それは佐々木禎子さんが亡くなって何年も経ってからです。意外と最近できた「伝統」で、そもそも日本では千羽鶴は願い事を叶えてくれるかもしれないラッキーアイテム(お守り)でした。
 また鶴は千年、亀は万年と日本では古来から言われていたから千羽の鶴は、長寿のシンボルでした。
 佐々木禎子さんだって、病室で「世界が平和になって。」と願いながら鶴を作っていたのではなく、自分の病気が治りますようにと思いながら作っていたはずです。
 世界平和を願って鶴を作るのは万人のためですが、自分の病気が治りますようにというのは、個人的な願いで、自分だけのためのものです。

 「サダコの千羽鶴の物語」がだんだんと1人の女の子の病気治癒や鎮魂のためのものではなく、平和のシンボルに変化していくわけです。
 しかし、1968年の「鶴」という歌に出てくる鶴は、大勢の戦死者の魂のシンボルです。
 私はこれは作詞者は「サダコの千羽鶴の物語」に触発されて書いたのではなく、1957年のソ連映画「鶴は飛んでゆく」などの影響のほうが強いのではないかと思います。

 映画「鶴は飛んでゆく」(ミハイル・カラトーゾフ監督。グルジア人)は第二次世界大戦中、恋人が戦争に行ってしまったロシア人女性の悲恋の物語です。この映画はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得し、日本でも上映されました。そのときの邦題は「戦争と貞操」です。(こういうダジャレみたいながっかり邦題をつけるのはなぜなのでしょう? 最初から原題「Летят журавли」をそのまま直訳して「鶴は飛んでゆく」でいいと思うんですが。)

 この映画のラストシーンでは、戦争が終わっても帰ってこない恋人を駅で待ち続けるヒロインが、とうとう戦死したことを知らされ、モスクワの空を見上げると、鶴が飛んでいくのを見た・・・ので、タイトルが「鶴は飛んでいく」なのです。
 映画の冒頭のデートシーンでも二人仲良く鶴が飛んでいくのを見ますが、これは楽しかった思い出でもあり、二人の不吉な未来を暗示させるものでもあります。

 やはりこの映画でも、当然鶴は長寿のシンボルでも平和のシンボルでもありません。
 鶴は「死者の魂」「美しく去っていくもの」「過ぎ去るもの」の象徴です。
 
 TouTubeのコメント欄でも映画「鶴は飛んでゆく」を見ると、歌「鶴」を思い出すという書き込みをしているロシア人がいます。
 映画は1957年に作られ、詩は1968年です。作詞者がこの映画を見て、「戦死した兵士の魂は白い鶴になって飛んでゆくと私は思う。」という詩の着想を得た可能性は大いにあります。

 逆に言うと、1957年の映画の監督は、鶴をモチーフに使ったのでしょうか。
 鶴はもともと、ロシアでは母国や夫婦愛のシンボルなのだそうです。
 だから、映画「鶴は飛んでゆく」で、登場するわけです。
 ロシアで平和のシンボルは、鳩だと思います。
 そしてコウノトリは、赤ちゃんを運んでくるので、生命や人間のシンボル(ベラルーシではコウノトリはもともと人間だったという伝承があります。)ですね。

 ロシアでは「戦士した兵士の魂は鶴になって祖国に帰ってくるという伝説があります。」という情報もネットで読みましたが、「兵士」という言葉に引っかかります。
 ソ連軍兵士のことなのか、中世時代の騎士のことなのかでずいぶん与える印象が変わります。そういう伝説があるとしても、20世紀に作られた伝説のように思えます。

 どちらにせよ、世界的に有名な歌ですが、「サダコの千羽鶴の物語」とは関連が非常に薄い歌だと思います。
 この歌がロシア語圏で「サダコの千羽鶴の物語」を広める役割を持ったとは思えません。

(9)に続く。


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