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大学の授業にかかわる話題

授業日誌・キャリア・学びのスキルについて

「損」を恐れすぎると、結果「損」をする!?

2016年01月31日 23時26分52秒 | キャリア支援
「損」を恐れすぎると、結果「損」をする!?
01月09日 13:20
プレジデントオンライン

「損」を恐れすぎると、結果「損」をする!?


getty images=写真
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2015年3月30日号 掲載


損をしたくないと思うあまり、
知らぬ間に損をしていることがある。
どうしたらその損を減らせるのか。
行動経済学に沿って自分の数字力をチェック。
Q. 次の3つの新聞購読プランの中で選ぶとしたらどのタイプ?
[1]ネット版のみ 2000円
[2]印刷版のみ 5000円
[3]ネット版+印刷版 5000円

A. 「おとり効果」の罠にはまっています
選択肢の[3]はネット版と
印刷版の2つ合わせて通常なら7,000円のところ、
2,000円引きの5,000円という価格設定です。

実際にこの質問をあるグループに対して行ったところ、
[1]は16%、[2]は0%、[3]は]
84%という結果になりました。
[3]を得だと感じる人が多く、
[2]を選んだ人はいませんでした。

ところが別のグループで[1]と[3]の2つの選択肢だけで質問を行うと、
[1]は68%、[3]は32%と大きく異なる結果が出ました。
最初のグループへの質問で[2]を選んだ人は
0人でしたから、普通に考えると[2]という選択肢を設けなくても
結果は変わらないはずです。

結果に違いが出たのは「おとり効果」が理由です。
[1]と[3]だけの比較では
どちらが優れているかわかりにくい。
そこに[2]という、[3]との比較が容易で、
明らかに劣った選択肢を示すことで、
[3]が圧倒的に選ばれたわけです。
この場合の[2]はおとりなのです。

以上、行動経済学から人間が
非合理的な判断をしやすい場面とその理由を紹介しました。
非合理な判断による損を回避するには、
必要以上に損を恐れないこと、
前述したように市場価格を調べること、
そして買い物にルールを設ける「ルール化」が有効です。

たとえば買いたいものがあってもすぐ買わず、
1週間後に判断する。それで
最高の選択ができるどうかかはわかりません。
お得な商品を逃してしまう結果になるかもしれませんが、
少なくとも損が拡大することはなくなります。

もう1問応用問題にTRY!
Q. 旅行代理店で同じ値段のプラン「パリ7日間」と
「ローマ7日間」で迷っていたら店員が
「実はローマのプラン、今週から
お値段据え置きで朝食が付くようになりました」
と教えてくれたのでローマに決めた。
この判断は合理的か。

A. 合理的でない。
どちらの都市が旅行してより楽しめるかで判断すべき。

----------
大江英樹(おおえ・ひでき)
1952年、大阪府生まれ。
野村証券で個人資産運用業務、
企業年金制度のコンサルティングなどに従事後、
2012年オフィス・リベルタス設立。
日本証券アナリスト協会検定会員、行動経済学会会員。
日本経済新聞電子版で「投資賢者の心理学」連載、
その他『定年楽園』『その損の9割は避けられる』など著書多数。
近著に『老後貧乏は避けられる』。
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(大江英樹=監修 宮内 健=構成 getty images=写真)

“高学歴な負け組”たちの底知れぬ心の病み

2016年01月30日 16時39分33秒 | キャリア支援
他人をこきおろす“高学歴な負け組”たちの
底知れぬ心の病み

ダイヤモンド・オンライン
1月12日(火)8時0分配信

他人をこきおろす“高学歴な負け組”たちの底知れぬ心の病み
学歴は、人生が行き詰まったときに
自分を奮い立たせるための最終兵器なのかもしれない
 
今の日本には、学歴で個人を評価することに対して
「時代遅れ」という風潮がある。
しかし、表には出にくくなっても、
他者の学歴に対する興味や差別意識、
自分の学歴に対する優越感、劣等感などは、
今も昔も変わらずに人々の中に根付いている。



【詳細画像または表】


たとえば日本企業の中には、採用において人事部は
学生の学歴を問わない、社員の配属、昇格、
あるいは降格や左遷などの人事評価においては
仕事における個人の能力や成果のみを考慮する、
といった考え方が広まっている。
しかし実際には、学歴によって
選別しているとしか思えない採用や人事はまだまだ多く、
社内には学閥のような不穏なコミュニティも根強く存在する。

そうしたなか、会社員は「何を基準に人を判断すればいいのか」
「自分は何を基準に評価されているのか」が
わかりづらくなり、戸惑いや疑心暗鬼も生まれている。
このような状況は、時として、
人間関係における深刻な閉塞感やトラブルを招くこともある。
学歴は「古くて新しい問題」なのだ。

これまでの取材で筆者は、会社員をはじめ、
実に多くの人々の学歴に関する悲喜こもごもを見て来た。
学歴に翻弄される彼らの姿は、
まるで「学歴病」に憑りつかれているかのようである。
本連載では、そうした「学歴病」の正体を検証しながら、
これからの時代に日本人が
議論すべき「人生の価値基準」の在り方を考える。

人生に行き詰まった人々が自分を 奮い立たせる「学歴」という最終兵器
学歴は、人生が行き詰まったときに、
自分を奮い立たせるための1つの武器なのかもしれない。
連載第1回は、プロローグとして、
そんな思いを持つにいたった筆者の経験を紹介したい。

先月、東京大学地震研究所の准教授だった
都司嘉宣(つじ・よしのぶ)さん(68)
(現在、深田地質研究所客員研究員)を取材したとき、
こんなことを語られていた。

「どこの学校をどのような成績で卒業した、ということは、
その後社会人になってから、大きな影響を与えるものではない
と私は思います。私は人をみるとき、
学歴は一切、無視します。
研究者の力を判断するときも、
論文や学会などでの活躍だけに興味がわきます」
 
筆者もその通りだと思う。しかし、
企業社会を二十数年取材していると、
学歴にいつまでもしがみつく人たちがいることもまた、
事実なのである。中には、
「高学歴でもなかなか認められない」と嘆く人も多い。
その姿は、どこか哀れで悲しみを誘う。

その一例を挙げたい。
2010年の暮れ、筆者はある忘年会に参加した。
主に出版界などで仕事をするフリーライターや
フリーの編集者、デザイナーなどが集う場だった。
30人ほどの中で、テーブルの隅に、
異様に盛り上がっている女性3人がいた。
筆者はその横に座っていた。

3人は互いに最終学歴を名乗り合い、
権威を確かめ合うような挨拶をする。
彼女たちの最終学歴は、
北海道大学文学部大学院修士、
上智大学文学部大学院修士、
早稲田大学第一文学部大学院修士だった。

平均年齢は30代後半。
現在の仕事の話をすることはほとんどなく、
出版社で働く編集者の人事について盛り上がる。
彼女たちが一緒に仕事をしている編集者たちだ。
忘年会よりも数ヵ月前の9月~11月、
いくつかの出版社で人事異動や昇格が発表されたのだという。

女性たちは自らの思いを伝えようと、
上半身を前のめりにするほどだった。
「(出版社に勤務する編集者が)人事異動を命じられて、
その場で“はい”と返事をするのは甘えじゃない? 」
「編集者は、自分(の考え)を持っていないよね」
「(編集者は)主体性がない! 」
「(編集者は)自分を持たないと!  
2本の足で立って生きないと!  
プライドを持つべき! 」
「どこの大学を出ているのかな? 」
「立教とか明治ならば、編集長なんかなれないよ」
「早稲田は、今は局長になるのは無理」
「あの人は東大?  局長はともかく、
役員は無理じゃない? 」
「私たちみたいな(大学)院を出ている人なんて、
あのクラスにはいないよ」
「今は、院ぐらいは出ていないとね」
こんなやりとりが、その後も延々と続いた。

筆者は疑問が尽きなかった。
そもそも、出版社に勤務する編集者が
人事異動を受け入れることがなぜ、
「自分を持っていない」ことになるのか。
「主体性」「プライド」とは、
こんな文脈で使う言葉なのだろうか。
ましてや「学歴」などということが関係あるのだろうか。
そもそも、生活を夫に養ってもらいながら、
著者として本を1冊も書いたことがないこの女性たちに、
そんなことを語る資格があるのだろうか――。

3人は高学歴かもしれないが、
実際フリーライターとしての実績は限りなくゼロに近い。
それだけに、理解ができぬものだった。

早稲田卒の同期をバカにする 一橋出身の負け組コンサルタント
もう1つの事例を紹介しよう。

2011年、一橋大学(学部は不明)を卒業した
40代半ばの男性を取材した。男性は、
十数年前から経営コンサルタントをしている。
その前は、大手メーカーなどに勤務していた。
その頃の話になると、男性は
同期の人たちを徹底的にけなした。

「早稲田を卒業した連中のほとんどは、
部長になるのが精一杯。それも部長とはいえ、
出世コースから外れた部長でしかない。
本部長、役員になるコースは東大か、一橋出身」
「早稲田の連中と今会うと、多くは白髪が目立ったり、
禿げている。会社員は本当にみじめだね」

確かに同期生には、早稲田大学卒の社員が
比較的多かったようだ。仮に
その会社で東大卒と早稲田卒の社員の昇格に大きな差があったとしても、
それがこの男性に何の関係があるのだろうか。
「髪の毛が薄くてみじめ」だと言うならば、
この男性もまた、額の生え際は禿げ上がっている。
自分自身もみじめではないか。

彼ははるか前に退職し、小さな会社に勤務し、
そこも退職した。コンサルティング会社に移ったものの、
1年で退職し、数年前からフリーのコンサルタントをしている。
残念ながら、大活躍するレベルにはいたっていない。
40代半ばという年齢を考えると、
前途は厳しいかもしれない。

その意味で、不満を感じているようだった。
「一橋を卒業している自分がなぜ、
認められないのか」と言いたいように私には見えた。
童話に出てくる子どものように、
疑いのない表情で真剣に、かつての同期生をけなしていた。
胸には抑えることができない焦りや、
自分を認めない世の中に対する復讐心があるように思えた。
一方で、言いようのない空しさに
打ちひしがれているようだった。

今50歳を前に冷静に見渡すと、復讐の牙で噛む相手もいないし、
闘う場すら与えられえていないのが現状だ。
言いようのない空しさに打ちひしがれているようだった。

「会社員」を徹底的にこきおろす 高学歴な負け組たちの6つの共通点
前述した3人の女性たちとコンサルタントの男性には、
いくつかの共通点がある。

(1)超高学歴である(全員が名門大学の修士課程修了)

(2)学部卒でいったん卒業し、会社員になるが、数年で退職・就職を繰り返し、30歳前で3~4つの会社に籍を置いた経験を持つ

(3)そのいずれの会社でも、さしたる実績を残していない

(4)会社員を辞めて、社会人として大学院の修士課程に進む

(5)修士号を得て、また社会に戻るが、大きな活躍ができない。めぼしい実績もない

(6)「母校」を愛するが、大学教授などとして迎えられることはない

この(1)~(6)に加え、会社員を徹底して否定することも共通項と言えよう。
冒頭で述べたように、本連載では、
このようなトリッキーな言動をとる人たちを
「学歴病」と捉えることとする。
 
なぜ、高学歴の人たちが「学歴病」になってしまったのか――。
その理由は今後、この連載で解き明かしていくのだが、
それに関して手がかりとなる文献がある。
『日本的経営の編成原理』(岩田龍子・文真堂)という学術書であり、
40年近く前に書かれたものだ。
筆者がここ二十数年の間に、
20~30回も読み込んだものである。

著者の岩田龍子氏は、この本を著した1977年当時、
武蔵大学教授だった。
終身雇用や年功序列など日本的経営の課題について、
文化論の側面からアプローチすることで注目を浴びていた。
日本的経営の研究者として名高い
小池和男氏(当時、法政大教授)などにも論争を挑む、
気鋭の学者だった。
 
岩田氏は、学歴云々を論じる前に、
日本社会の能力観には2つのニュアンスが含まれていると言及する。
「(1)能力は、ある漠然とした、
一般的な性格のものとして受け止められることが多いこと、
(2)能力は、訓練や経験によってさらに開発されるべき、
ある潜在的な力であり、したがって、
ただちに実用に役立つ力、つまり“実力”とは
考えられていないこと」(150~151ページから抜粋)である。

一方で氏は、米国の能力観を
「訓練と経験によって現実に到達しえた能力のレベル」(149ページから抜粋)
と捉えている。そしてこれらの能力観から、
米国では日本の競争とは違った意味合いを持つ競争になると説く。
「米国社会では、人びとは、いわば
局部的にしか競争にまき込まれていない」
「競争における個々の勝敗は、人生における長い一連の“戦い”の局面にすぎない」(149~150ページから抜粋)

さらに日本の能力観に基づくと、
人々が次のような意識を持つことになりがちだと説く。

「“できる人”は潜在的により
すぐれた一般的能力を賦与されており、
彼がその気になりさえすれば、
いかなる領域においてもすぐれた力を発揮するのであり、
逆に、“駄目な奴”は乏しい潜在的な能力しか
もちあわせていないために、
何をやらせてもうまくゆかないのである」(151ページより抜粋)

高学歴者が“潜在的な能力”を持つと “想定”する日本企業の能力観
岩田氏はこう論を進める。
「わが国では、一流大学の卒業生達は、
その“就職戦線”において、他の卒業生よりは
かなり有利な立場に立っている。
このことは、彼らが、“実力”において
他に抜きんでているからではない。
むしろ、これは、彼らがよりすぐれた
“潜在的な能力”をもっていると“想定”されるからであり、
入社後の長期にわたる訓練の結果、
次第にその“能力”を発揮すると期待されているからである」(151ページより抜粋)

岩田氏の指摘を踏まえると、
前述した4人の超高学歴な人たちは、
それぞれが経験した20~30年前の大学受験という競争では、
“勝利者”だったと言える。そして、
就職戦線では“潜在的な能力”を持っていると“想定”された。
ところが会社に入り、一定の月日が過ぎると、
その想定は誤りだった可能性がある。
4人とも、実績を残すことなく、明確な理由もなく、
数年で転職を繰り返した。30歳前で、
その数は3~4つになった。
その転職の流れやキャリアに一貫したものがない。
こうなると、通常はキャリアダウンであり、
労働市場においての価値は著しく下がって行く。

一方で、4人の同世代の会社員の中には、
30代前半~後半で早々と課長、部長などに
昇進した人もいたはずである。その中には、
4人よりも難易度の低い大学を卒業した人も少なからずいるだろう。

岩田氏の言葉を借りれば、
「“能力”を発揮すると期待されていない人」が、
「潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されていて、
いかなる領域においてもすぐれた力を発揮する人」
をはるかに追い抜かしてしまったのである。
4人は、この現実を素直に受け入れることができないのではないか、
と筆者は思う。だからこそ、「自分を持っていない」
「彼は、早稲田しか出ていない」
「白髪が……禿げ頭で……」などと、
他人をこきおろすのではないだろうか。

前述の能力観をベースにして考えると、
4人は拭い去れない劣等感を持っている可能性がある。
それは言い換えると、「恐怖心」なのではないか。
自分が「実は潜在的な能力が低い人」
とレッテルを貼られることに怯え、
ささやかなプライドを守るために、
会社員をけなし、否定するのではないだろうか。

岩田氏が唱えるような旧態依然とした日本の能力観が、
日本の企業社会の隅々に浸透しているがゆえに、
様々な問題が生じることをこの連載では考えたい。
たとえば、新卒の採用方法が時代の変化についていけない理由の1つも、
このあたりにあるのではないだろうか。
社内では、職務給や成果主義がフェアな形で浸透していない。
グローバル化が進まない壁の1つも、ここにある。
社内でのいじめやパワハラ、セクハラ、
長い労働時間、過労死などが発生する大きな理由も、
実はこの能力観にあると筆者は考えている。

あなたはどう感じるか?  日本社会に巣食う「学歴病」の正体
冒頭で紹介した東京大学地震研究所の都司嘉宣・元准教授は、
取材の最中、こんなことを語られていた。
「3ヵ月もあれば、大学の学部を卒業した学生たちの力を確実に見定め、
研究者としての適性の有無などがわかります。
特に、基礎学力や英語力、論文を書く力、
(専攻である)地球物理への興味や関心の程度、
ビジネスマンとしての行動力、
意志疎通する力などは、かなり正確にわかります。

民間企業も、新卒のとき、たった一度の採用試験で
内定を出そうとするから、学歴を重視した形
にならざるを得ないのだと思います。
多くの会社が、一定期間のインターンシップなどを設けて、
その過程で学生を選ぶようにしたほうがいいと私は考えています。
そのようにすると、東大を中心とした高学歴層の学生を重視した採用も、
やがて変わっていくのではないかと思います」
 
あなたは、この指摘をどのように受け止めるのだろう。
次回からは、具体的なケースを挙げながら、
日本社会に巣食う「学歴病」の現状と、
その向こうにある闇に迫る。

吉田典史

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160112-00084419-diamond-soci

“天職難民”に共通する7つの特徴

2016年01月23日 17時43分02秒 | キャリア支援
あなたも当てはまってない? “天職難民”に共通する7つの特徴

01月08日 17:24リクナビNEXTジャーナル



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働く人なら誰しも自分にぴったりと合う職業、
“天職”と出会いたいもの。
しかし世の中にはそんな天職を見つけられる人がいる一方で、
ずっと自分の天職を探り続けながら年を重ねてしまう
“天職難民”も多くいます。

そこで今回は、
「天職とは、得意なやり方でできて、
かつ、心が喜ぶ仕事のこと」と語る
天職コンサルタントの梅田幸子さんに、
天職難民に共通する特徴と、
天職を見つけるための方法について伺います。

天職がなかなか見つからない人に共通する7つの特徴
梅田さんによれば、
天職難民には主に7つの共通する特徴があるそうです。

1. 「消費者としての好き」と「仕事としての好き」を混同している
テレビが好きだからテレビ局や制作会社、
スポーツが好きだからスポーツメーカー、
珈琲が好きだからカフェオーナーなど、
よく好きなこと・ものと仕事を直接的に結びつけて
天職と考えがちですが、好きなことに関わる仕事が
必ずしも天職になるとは限らないと梅田さんは言います。

「テレビを見るのが好きであることと、
企画・構成・リサーチ・キャスティング・シナリオ作成・備品や
お弁当の手配・取材撮影交渉・撮影・編集といったテレビ番組制作の業務は、
まったくの別物。消費者としての好きと、
仕事としての天職は異なるので、
そこを混同すると仕事が務まらないのです」

2.「知識」は多いが、「体験」が少ない
「天職がなかなか見つからない人には、
『真面目で勉強熱心』という特徴がある」と梅田さん。
しかし、頭で学ぶこととそれを実際に行動に移すことの間には、
大きな違いがあるのだそうです。

「本を読んだり、ネット情報を収集したり、
スクールやセミナーに通ったりと
学びに対して真剣に取り組みますが、行動に移さないため、
『わかった』と『できる』の溝を埋めることができません。
また、体験量が少ないということは、
好きか・嫌いかを判断する材料が少ないということです。
そのため、『したいことがわからない』
状態に陥るのです」

3.損か得かを判断基準にしている
「有利な資格」「ニーズが高まる業界」のように、
目先の損得で学びや仕事を選ぶことは、
「天職難民まっしぐら」だと梅田さんは言います。

「いくら有利な資格を持っていても、
業界のニーズが高まっていても、
適性がなければ天職にはなりません。
また、最近は就職先を『成長できそう』という理由で選んだり、
『成長できない』という理由で勤め先を退職したりする人が増えています。
上司やお客様から頼まれた業務を
『成長できそうにない』と断る人の話も
よく聞くようになりました。

そのような基準で仕事を選んでいると、
表面的な知識やスキルしか身につきません。
実際に取り組みながら、
自分らしさを活かした仕事のやり方を磨いていないと、
天職だと思える仕事と巡り合ったときに、
力不足を感じる原因となってしまいます」

4.苦手の克服に時間を費やしすぎている
「苦手なことは、いくら頑張っても
『それなり』にしかなりません。しかも、
それが好きでなおかつ得意な人と比べると、
スキルを習得するまでに何倍もの時間がかかります。
苦手克服に時間を費やしていると、
好きなことに取り組む時間がなくなってしまうので、
なかなか才能を磨いて、得意な状態にまで
伸ばすことができないのです」

また、梅田さんによると、
嫌いなことを我慢しながら頑張っていると、
自ずとストレスを最小限にしようと防御機能が働き、
感情にフィルターがかかってしまうのだそうです。

ストレスや嫌だという気持ち、辛さを感じにくくなる代わりに、
喜びや楽しさ、好きな気持ち、
幸福感も感じにくくなってしまっては、
自分のしたいことがわからなくなるのも当然ですね。

5.「もったいないから」と無理に過去を活かそうとする
仕事を選ぶときに「大学院まで行って建築の勉強をしたのに、
他の仕事をするのはもったいない」
「大企業を辞めるなんてもったいない」
「成果を上げて周囲に認められているのに、
この立場を捨てるのはもったいない」
「勉強したんだから、知識を活かさないともったいない」
と考えてしまってはいないでしょうか。

しかし、このように “過去のリソースを活かす”ことを軸に
未来を描くのは、天職難民の特徴なのだそうです。

「過去のリソースを無理に活かそうとするのは、
嫌いなデザインの洋服やサイズの合わない洋服を
無理やり着たりするのと同じことです。

天職だと思う仕事に、これまでの知識や経験が
役に立たないと思っても、
巡り巡って必ず生きる時がくるものなので、
無理やり活かそうとする必要はありません。
逆に、したいことをするためにリソースが足りなければ、
今から身につければいいのです」

6.常識にとらわれすぎる
「世間の常識」だと思っていることも、実は、
人によって大きな違いがあるのだそうです。

「天職難民は、人よりも『常識』の縛りがきついため、
身動きが取れず、可能性を限りなく小さくしてしまっています。
多くの方とお会いしていると、
『常識はずれだから』と自分を律していることが、
他人にとっては常識の範囲内だったというケースに
しょっちゅう出会います。
このように『常識』とは、あるようでない、
あやふやなものなのです」

アインシュタインは、
「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」
という言葉を残しているのだとか。
天職を見つけるには、自分が「常識」だと思っていることを
疑ってみる必要がありそうです。

7.「これは、天職ではない」というサインに気づかない

天職に気づくきっかけ、天職に近づいていくヒントは、
さまざまな形で現れます。それは、
「苦しみ」という形でやってくることもあるそうです。

「ひとつ課題をクリアしたら、通常は、
次の課題がきます。しかし、中には、
何度乗り越えても同じような課題に直面することがあります。
そんなときは、要注意。それは、
『ここは、あなたがいる場所ではありませんよ』
というサインかもしれません。
天職難民は、このサインに気づかず、
ずっとその場にとどまっています。

もちろん、目の前に立ちはだかる壁を乗り越えるチャレンジも
素晴らしいです。しかし、
その壁に背を向けて後ろを向いたら、
そこに求めていた景色が広がっていることもあるということも、
知っておいてください」

天職は「心が喜ぶ」かつ「得意」なことのなかにある
「天職とは、得意な“やり方”でできて、かつ、
心が喜ぶ仕事のこと」と梅田さんは言います。

下のマトリクスでは、
右上の「心が喜ぶ」×「得意」ゾーンの仕事です。


図:天職のマトリクス

f:id:tyo-press:20151224155832p:plain
(「天職のマトリクス」『あなたの天職がわかる最強の自己分析』
梅田幸子著、中経出版、15頁 を元に作成)

「右上の『心が喜ぶ』×『得意』のゾーンは、
自分らしく得意な“やり方”なので無理がなく、
結果が出やすいです。大きな喜びが得られるので、
多少大変なことがあっても、がんばることができます。
また、得意な上に楽しいので、成長も早く、
まわりの人から感謝されることが増え、
ますます仕事がおもしろくなります。

さらに、『心が喜ぶ』×『得意』ゾーンのことをしていると、
不思議と応援してくれる人が集まってきますし、
経済的にも安定するのです」

天職を見つけるための4つの方法

では、どうしたら「心が喜ぶ」×「得意」ゾーンの仕事を見つけられるのでしょうか。
梅田さんによれば、4つの方法を
実践することが大切だと言います。

◎好きな「理由」を考える
心が喜ぶ仕事を見つけるには、好きなこと、
夢中になって取り組んでしまうこと、
心穏やかでいられることの「理由」を考えるのが、
コツなのだそうです。

「例えば『サッカーが好き』という人たちに、
その理由を聞いてみると、
『一瞬、一瞬の自分の判断が試合をつくること』
『メンバーの実力や個性にあわせて、
練習メニューや作戦を立てること』
『新しい技術を繰り返し練習して覚えること』
『チームメイトと真剣に話しあって、
チームがひとつになること』など、
人によってさまざまであることがわかります。

“好きなことの理由”こそが、喜びの源泉。
それを満たすことが、天職の条件です。
つまり、サッカーとは関係ない仕事でも、
『自分で判断できる仕事』『メンバーの実力や個性にあわせてマネジメントする仕事』など、
サッカーを好む理由と同じ満足感を得られる仕事なら、
サッカーと同じように心が喜び、夢中になれるのです」

◎目の前のことに全力で取り組む
「今仕事をしている人は、まずは
目の前の仕事に精一杯取り組みましょう。
成長は、夢中になって何かに取り組んだときや、
『なんとか達成したい・実現したい』と創意工夫したときに、
自然とするものです」

また、「効率化したい」「ミスを減らし正確性を高めたい」
「どうしたら感じよくできるだろう」
「美しく完成させたい」など、
目の前の仕事に対して自然にしてしまう工夫は、
その人の“得意なやり方”のひとつだそうです。

目の前のことに全力で取り組むことで、
成長するだけでなく、天職の片鱗を見つけることができると、
梅田さんは言います。

◎苦手なことを手放す勇気を持つ
一方で、一度は全力で取り組んでみて、
それでも苦手であったりするのであれば、
無理に固執せずに手放す覚悟も必要なのだそうです。

「したくないことや、苦手なことは、
他人の出番。世の中にはあなたがしたくないことを
『したい!』と思う人もいます。
あなたが苦手なことが得意で、
サクッとこなす人がいます。
したくないこと、苦手なことは、
人に任せましょう。

そうやって、あなたがその仕事を手放すことで、
他人の天職をひとつ実現することができます。
苦手なことを手放すことで空いた時間や心の余裕をつかって、
『心が喜ぶ×得意』なことに取り組みましょう」

◎失敗することを恐れない
「小さな失敗をたくさん経験しましょう。
例えば、いくら才能があっても、
本を読んだだけではスキーが滑れるようにはなりません。
何度も転んではじめて上達します。
いろんなコースに出て、うまくいかない経験をするから、
自分にとってどんなコースが快適か、
どんな雪が合うかが見えてきます。

このように、『次どうしたら良いか』という実践的なアイデアは、
失敗を経験することで生まれるのです」

失敗するからこそ、向いていないこと、
嫌いなこと、自分にとってのストレスが何かに気づき、
方向修正ができるというもの。
早いうちにたくさんの失敗の経験を積むことが、
天職への近道なのだと梅田さんは言います。

まとめ
ストレスや苦手を手放し、
「心が喜ぶ×得意」を見つけることで巡り合える天職。
まずは自分の「好き」と向き合って、
それを好きである理由を
考えるところから始めてみてはいかがでしょうか。

取材協力:梅田幸子
2005年からキャリアコンサルタント/
採用育成コンサルタントとして活動中。
東証第一部上場企業からベンチャー企業まで3社にて、
採用・研修を中心に人事業務を経験。
現在は、就職・転職コンサルティングやキャリア講座の講師をしながら、
複数の企業で、面接や研修をおこなっている。
応募者、企業双方の視点を踏まえたコンサルティングに定評がある。
『だから内定をのがす! もったいないカン違い45』
(日本経済新聞出版社)、
『あなたの天職がわかる 最強の自己分析』
(中経出版)など著書多数。

なたが「物欲」に負ける理由

2016年01月15日 14時05分47秒 | キャリア支援
「最大70%OFF」の誘惑
結局あなたが「物欲」に負ける理由

09:20プレジデントオンライン

「最大70%OFF」の誘惑 結局あなたが「物欲」に負ける理由
(プレジデントオンライン)



PRESIDENT Online スペシャル 掲載

お正月のバーゲンセールが始まった。
福袋や初売りの割引品は確かにお得だろうが、
ちょっと待て。ふだんは購入するモノを厳選しているのに、
なぜ人はしばしば衝動買いに走ってしまうのか。
その心理メカニズムは何か。FPの筆者が分析する。

なぜ、あなたは物欲に敗北するのか?
「need(必要)とwant(欲しい)を区別して、買い物をしよう」
家計管理の心得としてよくいわれる言われるセリフです。
このセリフ、私もはじめて聞いたときは、
「うまいこと言うもんだ」と思いましたが、
最近少し見方が変わりました。

このセリフ、意外と核心をついていない気がしないでもありません。
抜け穴があるのです。
冒頭の言葉は、needはよしとして、
wantはダメな買い物として語られることが多いです。
欲しいものばかりを買っていたらキリがないですから、
確かに至極もっともな話に聞こえます。

とはいえ、正直に言えば欲しいものは
やっぱり欲しいと思うんです。
私も欲しいものがあれば買います。
買えば気持ちは満たされますし、
人生に潤いを感じることもあります。
本当に心から欲しいものは、
生活を豊かにする上で大切でしょう。

ただし、そこに問題がないとは言いません。
もし、自分に「足るを知る」節度が備わっていないと、
欲求は際限なくなり、いくらお金があっても足りません。
当たり前な話、欲は無限で、お金は有限です。
そもそも合致しません。

冒頭の言葉は、「need」なものは買ってもよいが、
「want」なものは我慢しましょう、という戒めです。
私が疑問に思うのは、「want」が悪者扱いされてしまうのは
しかたないにしても、「need」なものは
買ってよいという論理は本当に「善」なのかということです。
最近はむしろ、「need」は意外とくせ者で、
むしろ「悪」の要素も含まれているのではないか
と感じるのです。

「本当に必要なもの」の9割は不必要?
「必要(need)な買い物」というと、
しっかり大義名分があって、
「ムダづかい」とは正反対、
"正しい買い物"かのような印象を抱きます。
確かに、本来はそのはずです。

“正しい買い物”を象徴する言葉として、
私は「必買(ひつがい)」という言葉を使います。
造語です。「節約」という言葉がどうも好きになれず、
つくり出したのが「必買」でした。
「必要なものだけを買う」から、「必買」。
まさに「need」の買い物を指します。

買うものを必要なものだけに限定する行為は、
いわば節約といえます。
お金を使わないように努めるわけですから、
お金は貯まります。
節約という言葉自体はあまり好きではなくても、
その「効果(お金が貯まる)」は否定できません。
なんとかこれをもっと前向きな言葉で
表現できないかずっと考えていて思いついた言葉でした。

私は家計管理で大事なのは、
節約よりもむしろお金の使い方、
つまり「必買」だと思っているのですが、
この言葉を使い始めてから、壁にぶち当たりました。

「必要」って何? ということです。
つまり「need」の中身です。
当初は、「必要」は「必要」でしょ。
多くを語る必要があるのかしら、と思っていました。
が、いろんな方の家計相談をしていくうちに、
「need」の中身・本質を深く考えたほうが
いいと思い直しました。

「need」には盲点があります。
「それ、本当に本当に必要?」と思う買い物が、
世の中にはすごく多いように思います。
もしかして、それ「want」だったのでは? 
と感じることもしばしば。

いま、私たちの「消費」はおかしくなっています。
乱れています。物質的に恵まれ過ぎたためでしょうか、
何が「必要」かが分からない、そんなご時世なのかもしれません。

ここで、「必要」と同時に考えてほしいのが
「便利」と「楽(らく)」です。
結論から言うと、「必要」と「便利」と「楽」を混同させて、
「必要」といってしまっているのではないか、
ということです。それが
乱れた消費の原因ではないかと思うのです。
どういうことなのか、
「エスカレーター」を例に考えてみましょう。

贅沢品が「絶対必要なもの」になるカラクリ
駅などにあるエスカレーター、
私はなるべく使わないようにしています。
なぜなら「必要」と思わないからです。
足と階段を使えば、階段の上り下りは達成できます。

でも、疲れて階段を上るのがツラいと感じる場面ではどうでしょうか。
重い荷物を持っている、なんてこともあります。
実際、出張などでスーツケースをころがしながらの移動や、
数時間の講演の後などは足がとても疲れているので、
エスカレーターを使うこともしばしばです。

がんばれば階段で上れるかもしれませんが、
エスカレーターを使ってしまいます。
それは、「便利」だからです。

では、まったく足が疲れていなくて、
重い荷物も持っていない場面でエスカレーターを使ったら? 
それは、単に「楽(らく)」をしたいからに他なりません。
仮に、足腰を痛めている人がエスカレーターを使うとしたら、
それは「必要」だからでしょう。
「急いでいるから」というのであれば、
それは「便利」だからですよね。
また、「ただ何となく」であるなら、
それは「楽(らく)」だからかもしれません。

同じ「エスカレーターを使う」場面であっても、
どういった「理由」で使うかによって、
「必要」か「便利」か「楽」なのかが異なってきます。

家計でいうならば、同じ「費目」であっても、
それが正しい買い物なのか、ムダづかいなのか
判断できないのと同じです。
「何(費目)」ではなく、
「なぜ(理由)」買ったのかのほうが重要なのです。

以前、こちらのコラムで「贅沢」に基準はない、
という主旨の文を書きました。
「必要(need)」も同じではないかと思うのです。
「必要」の明確な基準はありません。
人によって「必要」の基準はまちまちです。

実は、そこに「便利」や「楽」が潜んでいるにもかかわらず
「必要」とくくってしまうと、たちまち大義名分ができて、
「必要だから削れない」となりかねません。

一度、自身のお金の使い方が「必要」「便利」
「楽」のどこに該当するのか考えてみてはいかがでしょうか。

冒頭で「want」にキリがないと申しましたが、
「便利」や「楽」も同様でしょう。
「あれば便利」「これがあったらもっと楽」にも
キリがありません。どこかで「なくても平気」
という線引きが必要ではないでしょうか。

「贅沢」「want」「need」――。
ちょっと贅沢したい、これが欲しい、必要だ、
となれば、どれも正当な買い物のようでもあるし、
見方によってはムダづかいでもあります。

結局、「need(必要)とwant(欲しい)を区別して……」
というのは言葉遊びなのかもしれません。

言葉で理屈をどう説明しようが、自分のお金ですから、
最終的に自身の価値観で使うのは悪いことではありません。
ただし、人間は弱い生き物で、
歯止めが利かなくなることが
あることを知っておくべきでしょう。

「なぜ」買ったのか問われたときに、
自信をもって「(自分の人生に)必要だ」
「買ってよかった」と言えるかどうか。
それが、“正しい買い物”か
否かの境界となるのではないでしょうか。

(ファイナンシャルプランナー 八ツ井慶子=文)

http://news.goo.ne.jp/article/president/life/president_17026.htmlより

「寒中見舞い」を出す正しい時期と書き方

2016年01月12日 14時32分58秒 | キャリア支援
社会人だからこそ知りたい
「寒中見舞い」を出す正しい時期と書き方

ナナピ 2016年1月6日 08時00分 (2016年1月6日 10時11分 更新)


喪中と知らずに年賀状を出してしまったら…
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日本の古き良き風習として年賀状があります。
はがきに「今年もよろしくお願いします」と書いて送り合い、
人とのつながりを認識できる「縦横のつながり」を
重視する日本らしい習慣です。
近年ではパソコンなどのメールやLINE、Twitter、
FacebookなどのSNSが普及し、はがきの年賀状以外でも
年始の挨拶をする人は増加傾向にあり、
はがきでの挨拶は減少の一途をたどっています。
しかし、いまだに年賀状などのはがきは多くやり取りされています。
年賀状と近い時期に出すはがきの1つとして
寒中見舞いがあります。暑中見舞いと違い、
あまり聞き慣れない人も多いかもしれませんが、
暑中見舞い同様に1つの大切な時候の挨拶です。
今回は寒中見舞いの出す時期や
書き方についての基礎知識を紹介します。

寒中見舞いとは?
◎ 寒中見舞いの意味
寒中見舞いとは、寒さが厳しくなってきたときに送る
季節の挨拶状の1つです。寒い季節で
新鮮な野菜などの栄養があるものを手に入れにくく、
風邪が流行する季節でもあるので
相手の安否を確認するための意味合いと、
こちらの近況を伝えるための意味を持っています。
また他の意味としては以下のようなものがあります。

・喪中の人へ、年賀状の代わりに出す挨拶状
・喪中と知らずに年賀状を出してしまったことへのお詫びとお悔やみ
・喪中で年賀状を出すことができなかったときの年始の挨拶状
・喪中と知らずに年賀状を出してくれた人への報告とお詫びの挨拶状
・年賀状を出しそびれてしまった人への挨拶状と遅れてしまったことへのお詫び
・年賀状を出さなかった人から頂いた場合のお返事

主に喪に服しているときに出すことが多いですね。
年賀状を出しそびれてしまったときなどにも使うこともあり、
喪中以外の人も出す機会はありそうです。
年賀状は通例として1月7日までに届くものとなっているので、
これを過ぎたら寒中見舞いを書くと良いでしょう。
また、当たり前ですが
寒中見舞いのお返事は寒中見舞いで出しましょう。

◎出す時期

寒中見舞いは「寒中」とある通り、1年の中でも最も寒い時期に出すものです。
暦の上では、「小寒」から「大寒」がその時期とされていて、
年賀状の時期も考えると1月8日~2月3日頃までとなっています。
この期間に出すものが寒中見舞いとなります。

寒中見舞いの書き方

寒中見舞いにはこれを必ず書かなければならないというのはなく、
比較的自由に書ける手紙です。しかし、
いくつかのパターンがあり、
慣れないうちはそのパターンに従って書くのも良いでしょう。…

構成の1つの例としては以下のようなものがあります。
・寒中見舞いの挨拶
・時候の挨拶
・年賀状についてのお礼(年賀状をいただいた場合)
・書き手の近況報告
・今後も変わらぬお付き合いをしていただくための挨拶
・相手の体調を気遣う言葉
・寒中見舞いを書いている日付

これらの内容をすべて書く必要はありませんが、
書いたほうが丁寧で文章としてもまとまりがあるので、
書くべきか書かざるべきかと
悩んだ時は書いてみると良いでしょう。
下記では記入例があるものをそれぞれ項目ごとに紹介します。

◎寒中見舞いの挨拶

・「寒中見舞い申し上げます」
・「寒中お伺申し上げます」

などが決まり文句となっています。
これは暑中見舞いと特に変わりありません。

◎時候の挨拶
・「寒さ厳しき折、皆様いかがお過ごしでしょうか」
・「寒い日が続いておりますが、皆様お変わりございませんでしょうか」
・「松の内の賑わいも過ぎ、寒さも一段と厳しくなってきました」

上記のように、季節の言葉と相手の安否を気遣う言葉を組み合わせて使うと
すっきりとした文章になります。
後に相手の体調を気遣う言葉を入れるのだから、
二重になってしつこいと感じる人は
1番下のものを使うと良いでしょう。

◎年賀状についての挨拶

・「新年のご挨拶をいただきながらもご挨拶が遅くなってしまい、誠に申し訳ございません」
・「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきました」
・「この度はご服喪中とは存じ上げず、年始状を差し上げてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。ご尊父様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます」

年賀状をいただいた状況に応じて使い分ける挨拶ですね。
喪中と知らずに年賀状を出してしまった場合、
年賀状をいただいたのに出しそびれてしまった場合は、
失礼に当たるので特に急いで返事を書きましょう。

◎相手の体調を気遣う言葉
・「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」
・「まだしばらくは厳しい寒さが続くようです。どうぞご自愛くださいませ」
・「風邪などお召しになりませんようくれぐれもお体を大切になってください」

短い言葉で構いませんので必ず相手やその家族を気遣う言葉を入れましょう。

書くときに注意すべきこと
・相手が喪中の場合は「謹賀新年」などといったおめでたい言葉は使わない
・「拝啓」や「敬具」などの頭語や結語は使わない
・年賀状は使わない

この3点に注意して寒中見舞いを書きましょう。
年賀状を出しそびれた相手に余った年賀状を使ってしまったり、
「書き忘れた」などという言葉を使用すると、
かえって相手を不快にさせたりしてしまうので気をつけましょう。…

寒中見舞いを書き終わった後に見直すと間違いがなくなって良いでしょう。

寒中見舞いの基礎知識をおさえて、相手に失礼の無いように

出す時期や使う言葉をきちんと選んで、
「この人とは今年だけじゃなく来年以降も仲良くしたいな」
と思えるようなしっかりとした寒中見舞いを
出せるようにしましょう。

(著:nanapiユーザー・makotukotu 編集:nanapi編集部)

http://www.excite.co.jp/News/column_g/20160106/Nanapi_8700.html