〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

中村龍一さんから

2021-01-27 21:02:45 | 日記
国語教育研究者の中村龍一さんが、以下のような文章を当ブログに寄せて下さいました。
少し長いですが、全文ご紹介します。
これに対して、私のお返事は、次の記事にしたいと思います。


        小説と物語

                            中村 龍一

 思うところがあって初めて田中先生のブログに、食べ物をさがして里に突然迷い込んだツキノワグマのように、参入してしまいました。お許しください。追い払われることも覚悟しております。さて本題に入ります。
 私は、田中先生のご論文から、私自身の「〈第三項〉論」が深まったという強い衝撃を受けた経験が何度かあります。「そうか ‼」と思ったようなことだと思ってくださってけっこうです。今回ご紹介するのは、そうした忘れられないものの中の二つの論文です。

➀「物語童話「ごんぎつね」の読み方」(『語り合う文学教育 第10号 創刊十周年記念号』 2012.3 語り合う文学教育の会) 2010年8月21日、三重県尾鷲市尾鷲小学校で講演したものを全面的に書き直され掲載されました。講演当日のタイトルは「小学校教材を読んで―「ごんぎつね」と「きつねのおきゃくさま」―」でした。

② 「安房直子の『初雪のふる日』と『きつねの窓』」(『国語の授業 2017.夏』児童言語研
究会編 子どもの未来社) 児童言語研究会はこの田中論文を受けて、全国大会「54回夏季アカデミー」(8月4日・5日)での共同研究の提案授業をし、『国語の授業2017.秋 ●アカデミー特集―ファンタジーを読む―『初雪のふる日』 』に討議も含め掲載しています。

 私のタイトル、「小説と物語」を見て、「ああ、また、あのことか!」と思われた方も多いことでしょう。「小説と物語はどう違うのか」は、田中先生がいつも話されることですから。

しかし、私は➀の論文を読んで、「小説を読むときには、作中人物と作中人物の関係を読むにとどまらず、作中人物と〈語り手〉の相関関係を読むことは大切だ・・・・・そこに〈仕掛け〉があるからです。物語はそうではない、作中人物と作中人物の関係でできごとが進行していきます」、この「作中」の意味することを、この時初めて得心できた気がしました。
 田中先生は、私にいつも「田中を疑いなさい」、「田中の論を引用して論じなさい」というのですが、引用して一言一句辿ることが、本当になぜ必要かがここでも得心できた経験でした。「田中を疑う」ことは私の中の〈本文〉である「田中」を壊し続けることだと、今は思っています。

 しかし、今回は、②「安房直子の『初雪のふる日』と『きつねの窓』」の話がしたくてブログにお邪魔したのです。この論文はわずか6ページの分量で書かれたものです。しかし、お読みになればわかりますが、大切な箇所にサイドラインを引こうとすれば、すべてに引いてしまうほど、そぎ落とされた凄さのある文章です。しかも、読者に小学校の「第三項」論に触れたこともない方々を想定していますから、私には浸み込むような箇所が多々ありました。とにかく皆さんにぜひ読んでほしい論文です。この論文で書きたいことはいくつかあるのですが、あまりに長くなりますので、私が、「そうか ‼ 」と、思わずうなった中から、一つだけをご紹介します。

 ここでは、安房直子の『初雪のふる日』と、『きつねの窓』、そして、あまんきみこ『おにたのぼうし』が取り上げられています。「第三項」論を少しでも学んだ方にとって、『初雪の降る日』と『きつねの窓』が物語童話であり、『おにたのぼうし』は他者性がある小説童話であると区分できるでしょう。私もそうでした。しかしこの論文で、私のこれまでの小説と物語を区分する観念がいかに空虚なものか、分かったつもりの概念に過ぎないものであったかを、思い知らされました。

 小説と物語の問題では、田近洵一先生と田中実先生の命がけの論争史があります。この論文で取り上げられている対談でも、私の恩師である田近先生の国語教育学者としてのギリギリの発言がありました。(「文学の〈読み〉の理論と教育―その接点を求めて」 『文学の教材研究―〈読み〉の面白さを掘り起こす』2014.3 教育出版 )
この「田近洵一×田中実」の歴史的対談で私は司会をさせていただきました。

 「私は、語り手をして、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせているところに「虚構の作者」を読まなければならないと思っているのです。」

 この発言だけを取り出したならば、田中先生の発言かと勘違いしそうな文言です。田近先生は主人公〈ぼく〉しか読まない主人公主義者であり、田中先生は「子ぎつねが何故「ぼく」に鉄砲となめこを交換させているかを、その意味を問題化する必要」があり、「この決定的に重要なことを田近先生は対象化していない」という立場である、私はこのように漠然、かつ曖昧に理解していたのだと、今は分かるところがあります。

 田近先生の発言の文脈です。
ア、・・・・・・それだけだったら、昔からの物語のパターンの中の作品でしょう。ところが語り手は、さらに、過去への郷愁にとらわれている。「ぼく」を「変なくせ」の上に突き放して、語っているのです。『きつねの窓』はロマンを破る近代の児童文学とみています。
イ、この作品は鑑賞に流れようとする読者を拒絶し、読者に孤独に生きる「ぼく」を他者として突き付けてくる作品だと思います。
ウ、今、田中さんが話された「きつねの窓」にしても、私は、語り手として、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせているところに「虚構の作者」を読まなければならないと思っているのです。それが、「機能としての語り手」とどうちがうのか、そのことをさらに突っ込んでみたいと思います。

 田中先生はこの論文の中でこう反論しています。
「そもそも人の「心」とはいかに現れるか、人は人との関係において人になるとすれば、「心」をどう考えればよいのか、人間が人間である、人類が人類である、その根底の問題が問われ、それを放置すれば、それは物語への敵対行為です。正直、田近さんの反論には目のくらむ思いが沸き起こって前掲都留文科大学紀要掲載に向かい「「物語の重さ「心」のために―安房直子『きつねの窓』・太宰治『走れメロス』を例にして―」を論のタイトルにしました。(中略)『きつねの窓 』の「ぼく」は自分の家族のことは思うが、ユダヤ人虐殺には心が痛まないアイヒマンと何ら変わりはない、「ぼく」は子ぎつねに無関心です。アイヒマンがそうであったように。」
 この短く読点で畳みかける田中先生の息遣いが聴こえる文体は、私が好きな田中先生の文章です。日頃、田近先生は自分の師だと公言していた田中さん(こう呼ばせてせてください)の無念さが、この言葉で私に突き刺さりました。
 田近先生は、「語り手をして、きつねの窓の物語の中に、母親を殺された子ぎつねを語らせている」で、何を言っているのでしょうか。私はこう思います。登場人物「子ぎつね」は変容していない。変容するのは「ぼく」だけであるという遠近で読まれているのです。「子ぎつね」の内面には激しいドラマが隠されているのに、「子ぎつね」は「ぼく」の状況になってしまっているのです。(「八 物語の構造分析(その一)物語の〈読み〉の成立 1 人物の〈読み〉(2)人物の役割を読む」『読み手を育てる―読者論から読書行為論へ』 田近洵一 明治図書1993.10)
「母親」、「妹」、「好きだった女の子」も、「ぼく」が生きている状況の中の役割なのです。だから、田中先生が指摘した、「鉄砲を奪い取って撃ち殺し、母親の仇を取ってもおかしくない場面で、「なめこをお土産に渡す高徳の僧のような子ぎつね」の行為に、田近先生は立ち止まれなかったのだと私は考えています。

 この論文での私の強烈な衝撃は、「これでは子ぎつねの、母親を殺される子どもの思い、殺した相手のこと、などなど恨みを愛に転換させる意味も物語として雲散霧消して、ドラマ・劇は不発、物語は中断しているのです」という、田中先生の読みでした。そうか、『きつねの窓』は「物語が中断しているのか」、失敗作なのかという衝撃でした。私には思いもよらない田中先生の鋭い読みでした。

 愛の反対語はやはり無関心、憎悪ではありません。「心」のための物語、そのための〈ことばの仕掛け〉を構造化することが必須で、それは自身の中の「心」の働きを見つめること、物語が拉致する遠くの遠く、「彼方」にあることを見出したら、それは私たちの“ここ”、私たちの「心」にあることを知るのです。『初雪のふる日』は女の子の自然の脅威から帰還の物語、これから彼女は「おにた」のように他者と出会っていくでしょう。「物語の重さ」による「心」の問題はまだ始まっていません。そうした境界領域の内側の物語であることを教師が受け止めることで、『初雪のふる日』の真価が発揮されるのです。

 論文の結末の「それは私たちの“ここ”、私たちの「心」にあることを知るのです」も取り上げたかったのですが、またの機会に譲ります。
 今回、「第三項」論に学ぶ田中先生のブログの読者の方々に、あまり目に留まることのないかもしれない田中先生の二論文、しかし、私は強い衝撃を受けたご論を紹介いたしました。


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