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先日、姉と電話した。「お互い、自分を表現してないね。」と嘆き合った。と、いうことで始めたブログです。

憶えた言葉は…(最終日)

2005-09-05 20:02:54 | フィリピン旅行記
前日に引き続き二日酔いです。

まぁ、前日ほどではありませんでしたが…。



今日は日本に帰る日です。

大急ぎでマニラ空港に向かいます。

マニラまでの行程は全部寝ていたため、記憶なしです。



マニラに到着し、『wendy's』で食事をしました。

食事をしていたら、日本からマニラ空港に到着した際、迎えに来てくれたジョングのおじさんが、再度、車で送ってくれるために、姿を現します。

ありがたい限りです。

ジョングのおじさんが僕に何事か話しかけ、写真を渡してきます。

端整な顔立ちのフィリピン人少女が写っています。

後輩Sに訳してもらうと、「おじさんの娘で、今度、日本に行きたいと言っている。電話をしてやってくれ」とのことです。

写真の裏には住所と携帯の電話番号がありました。

年齢を聞いてみると、16歳!! 高校1年生じゃん…

さらに、おじさんは僕の年齢を尋ねてきます。

僕が、「twentyseven」と答えると、一度、がっかりしたような表情をしたのち、考えを変えたのか、もう一度、「電話してやってくれ」と念押しをしました。

たぶん、彼は僕を20歳くらいと勘違いしていたのではないかと思います(日本人は年齢よりも若く見られがちです…)。

それで、「27歳である」と聞いて、僕と彼女をくっつけるのを諦めかけたけど、「いやいや、それぐらいならいける!!」と判断したのではないのでしょうか…

僕は苦笑するしかありませんでした。

後輩Sは、「写真もらうだけでいいよ。」と言ってくれたので、もらうだけもらっておきました。

その写真は現在も僕の財布の中に入っております…



ところで、マイクが前日、ミンドロ島の僕達のいるビーチに来るためにかかった費用は彼の月収のほぼ6分の1でした(夜遅くであったため高額な費用がかかる交通機関を利用したため)。

ただ、僕らと飲みたいだけにそんなに使ってしまうなんて…

正直な話、僕には自信がありません…

彼らが日本に来た時に、それに相当するもてなしができるかどうか…

僕らは余ったペソを後輩Sに渡して少しでも充ててもらうようにお願いしました。

マイクに受け取ってもらえたかなぁ…



そして、とうとう空港に到着しました。

車を長時間、停車することができなかったため、すぐにお別れです。

名残惜しさ、感謝の念を込めて、握手したり、肩を抱いたりしました…

本当に、本当に、

『サラマッ ポ…』



彼らの車は出発してしまいました…



そして僕らはマニラ空港に入りました。

ここで、僕は自分の体調が悪いことに気づきます。

どうやら、発熱してしまったようです。

後輩Zに、またもや心配をかけてしまいました…



空港のレストランで出会った、品の良さそうな中国人親子…

飛行機の中で後輩Zの隣に座った、「絶対ヤクザじゃ!!」と思ってしまうような風貌のおじさんのこと…(Zさんは楽しく話をしていました。)

日本に帰って大阪の歓楽街の真ん中のビジネスホテルに泊まったけど、そのホテルに到着するまでに、声をかけられた客引きの兄ちゃんに「NO!」と英語で断ってしまったこと…

空港に入ってからも楽しかったです、本当に…




僕達と飲むために高額なお金を使ってまで来てくれたマイク


僕達を招待してくれ、もてなし、常に通訳をしてくれた後輩S


玄関に置いてある置物より役に立たない僕に対して、嫌な顔一つせず各種手続きをしてくれた後輩Z


ありとあらゆるお金の管理をし、仕事を休んでまで、僕達の旅が安全かつ快適になるように尽力してくれたジョング



心の底から、あなたたちに感謝いたします…

本当に、本当に、『サラマッ ポ』




憶えた言葉はたった二つだけ…

たった二つだからこそ、この旅行における、僕らの楽しさ、感謝の念、思いやり、友情が、ぎっしりと詰まっています。

この二つの言葉は僕にとっては、それ自身がもつ意味以上のものを持っています…




憶えた言葉は『ラッシーン』と『サラマッ ポ』のみ…


憶えた言葉は…(三日目 夜)

2005-09-03 12:03:47 | フィリピン旅行記
昼間、ベッドで過ごして、軽く自己嫌悪に陥ってしまいましたが、夕方には何とか回復しました。

そこで、食事に行く前に少し雑貨を漁りました。

やはり、なにもかもが安いです!!僕もいくらか買い物いたしました。



途中、一週間くらいで消えるタトゥーをジョングと後輩Zが入れることになりました。

ジョングはよくわからない柄、Zは蝶の柄を入れてもらっていました。

すこうしラメが入っていてキラキラしていました。



さて、晩ご飯です。

豚肉、イカ、魚、鶏肉、蟹とコーンのスープなどを注文しました。

最後の晩餐なので、なかなかに豪勢です。

後輩Sに普段の食事を尋ねてみました。

「私がNGOで働いている時は、小魚1匹にご飯とか、豆の煮たものだけとかだったよ、だいたいそんな感じだと思う」とのことです…

ありえん!!そんな食事、聞いたことがない!!

友人F君の大学時代の食事以外ですけど…

僕ら日本人の当たり前はフィリピンの当たり前ではないのだなぁ…



腹も膨れたので前日と同じ店に行きました。

ここで、ジョングが、またもや「サケ飲もね~」と言います。

僕は、前日飲み過ぎた為、体調が完全ではないので「飲まない!!」と主張しました。

すると、ジョングが「明日にはお別れで、これが最後の夜なんだ…」と言います。

情に弱い僕は「じゃ、少しだけ…」と軽く付き合うことにしました。

今、考えると、これが過ち!

僕が『軽く』で終われる訳がありません!!



彼は『最後の夜』というだけあって、ガンガン飲みます。

僕にもガンガン注いできます。

「これはマズイ!」と判断した僕は、ゲームをしよう、と提案します。

日本でよくやる両拳を揃えて前に出し、皆が立てた親指の数を当て合うあれです。

「レッツゴー!three!」という感じです。

これにより飲むピッチが少し落ちたので少しホッとしました。



合間に後輩Zが「波打ち際に行きたい」と言うので一緒に行きました。

南国の島で、夜空に星…、波の音…、少し皆より離れた場所…

おいおい、すごいシチェーションだなぁ。

「ここは口説くには最高のシチェーションやねぇ。お互い、今度は好きな人と来なくてはなりませんねぇ…」と、僕が言うと、

「(好きな人じゃなくて、)すいませんねぇ」と笑いながら返してくれました。



皆がいる席に帰ると、ジョングがまたもや「踊ろね~」と言うので気持ちよく揺れ始めました。

前日、親交を深めたオーストラリア人たち3人組も現れ、お互いに前日のデジカメの画像を見せ合いました。

なかなか良い一時でした。



踊っていたら、後輩Zが

「あそこ(簡単なステージみたいなところ)で踊って!!」と言ってきます。

あなた、昼に『日本の恥』って言ってたやないけ!!

まだ、それほど酔っていなかった僕はすげなくZの要望を退け、トイレに行きました。

その帰りに、そのステージを見てみると…

なんと、バナナボートを一緒に乗った黒人の少年が踊っているではありませんか!

僕は彼と一緒に踊り始めました。

う~ん、やはりラテン系であるのか、踊りがしなやかです。

彼に教えてもらいつつ、踊ります。背中合わせに「down down up up」と彼の指示通り踊ります。

お酒も交換して飲みました。

話を聞いてみると彼は20歳で少年ではなく青年でパーウェルといいました。

踊っている途中、デジカメの電池を紛失してしまい、写真が撮れないことを非常に残念がっていました。

後輩Zが、いつの間にか僕のデジカメの画像をパーウェルに送信する約束を取り付けており、メールアドレスを僕に渡します。



この頃には、僕はすっかり出来上がってしまい、今晩もまたもや『ラッシーン』です。

すると、マイクが姿を現しました。

ドラクエⅡなら…

マイク到着で宴がさらに盛り上がります。

前日、仲良くなったオーストラリア人と陸上の話で大変盛り上がり、

「明日、一緒にジョギングしよう!」と誘われたのですが、朝早く出発する必要があったため、またもやお誘いを断りました。ごめんなさいね…



そんな感じで大はしゃぎしていると、パーウェルが波打ち際に行こう、と言ってきます。

皆から見える範囲なので、大丈夫である、と判断して一緒に行きました。

「異国の地でできた友人と星を見るか…、なかなか乙だな」と思いました。

そして、波打ち際に行って、かれが言った言葉は

「I want to kiss you」です。

はい?な~にを言っておるんだ、この若造は?と思っていると、

彼は、下腹部を僕にすり寄せてきました。



この人、勃起してるんですけど!!


僕は全てを理解し、すぐさま

「NO! Freinds only!!」と言いました。

今、考えると、この言葉を彼は

「Freinds (kiss) only」と解釈したらしく

「じゃあ、友達のキスをしてくれ」と英語で言いました。

僕は「友達で納得してくれたのか、良かった、良かった」と首筋に軽くキスをしました。

彼もお返しに僕の首筋にキスをしたのですが…



この人、舌を使ってるんですけど!!

そして、すぐさま、皆がいるところに戻り、何となく気まずいため、すぐに宿に帰りました。

今、考えると、僕が彼に口説かれた場所は後輩Zと「口説くには最高のシチェーションやなぁ」と言っていた場所です!!

全世界中、口説くに相応しい場所は共通であることを発見いたしました…

身をもって…



その後、ベランダで少し話をしました。

買出しに行ったジョングが戻って来なかった為、僕とマイクが心配して探しに行きました。

彼はビーチで昔の仕事仲間(ジョングは元モデル)を見つけて、話し込んでしまったそうです。

後輩Sはそんなジョングの行為を悲しんでいました…



そんなこんながありましたが、僕らもとうとう床に就きました。



翌日聞いた話ですが、マイクは後輩Zに振られたことでハートブレイクだったそうで、僕らが床に就いた後もジョングと起きており、海で泳いだりしていたそうです。

それを聞いた、僕は…



「飲んだら、泳ぐな!!泳ぐなら、飲むな!!」

死んだら、どうするんですか?まったく…

僕の幼馴染の友人が酔って泳いで死んでしまったらしく、周りの人の悲しみといったら、もう言葉では言い表せないほどの…

あれ?何で、マイク泳いんでたんだっけ?

ま、いいか!!


憶えた言葉は…(三日目 昼)

2005-09-02 23:36:57 | フィリピン旅行記
え~と、今までタガログ語で『酔っ払い』に相当する言葉を『ラッシングッ』と表記していましたが、今しがた、ベロ酔いの後輩Aちゃんより正しくは『ラッシーン』であるとの指摘を受けました。訂正いたします。

Aちゃん…

「あなたが『ラッシーン』や!!」



前日、大ハシャギした僕ですが、朝は大変な二日酔いでした。

あれだけ飲めば当たり前です。

同部屋の後輩Zがいつもより冷たい感じです。やばい!!

午後より天候が崩れる可能性があるため、11時くらいから予定していたシュノーケリングをしに、朝ごはんも食べずに行くことになりました。

なんと、一隻ボートを貸し切ってしまいました!!

最高です!!

二日酔いさえ、なければ…

ボートに向かう途中、後輩Zに「(あなたは)日本の恥やから」と言われてしまい、はてしなく憂鬱になります。

「今日から、僕の名前は『日本の恥』です…。生まれてきて、すいません…。」



20人は乗れると思われるボートを4人で貸しきりです。すげぇ!!

シュノーケルを行うポイントに行く前に天然のウニを採って食べることになりました。醤油も持参しています!!

海の中を見てみれば、いるわ!いるわ!石ころのようにウニが転がっていました。

船頭さんに12個ほど採ってもらいました。

殻を割って、中身を見たところ…

スカスカでやんの!!食べるところなんて、ほとんどありません!!

それでも、スプーンですくって食べてみても、少な過ぎて、いまいち味がわかりません。

「うん、ウニの味がする。」としか、言えませんでした。

きっと、ウニにも身がいっぱい詰まっている種類とスカスカの種類がいるのだろうと思います。



さて、とうとうシュノーケリングのポイントに到着しました。

ライフジャケットを着て、シュノーケルをかぶり、「ザブン!!」

ジョングは奥さんである後輩Sを連れて、とっとと僕らから離れてしまいました。

後輩Zはシュノーケリングをするのは初めてらしく、上手く呼吸をすることができません。

僕も精一杯教えたのですが、上手くいかず、口の中に海水が入ってしまうそうで、海水をいくらか飲んでしまったようです。

二人で浅いところで呼吸の練習をし、シュノーケリングにトライします。

最初は何度もサンゴの上で立ってしまいました。

その度、足元でサンゴが砕ける「バキバキ」という音がしました。

「ああ、今、踏み潰したのは何百年…、それとも何千年の営みだろうか…」

気分はすっかり大量虐殺犯です。



後輩Zもシュノーケルに慣れ、ゆっくりと海中の風景を楽しみました。

海中はどうであったか?と言うと…

「すげえ!!綺麗過ぎる!!」

満開の花のようなサンゴたち…、色とりどりの魚たち…、素晴らしすぎる!!

真っ青なヒトデがいました。

僕の足を突っつく魚がいました。

熱帯魚屋や水族館でしか見れないような魚が群れをなして泳いでいるのです。

「パンくずとか持ってきたならば、きっと魚達が寄ってきただろうなぁ…」とか、

「これだけ魚がいれば、釣りをしたらきっと爆釣だろうなぁ…」とか、思いました。



ひとしきり、ぷかぷか浮いていたら、なにやら気持ち悪くなってきました。

どうやら、波酔いをしたようです。

二日酔いと相まって、とんでもなく気持ち悪くなってきました。

至急、宿に帰ることにしてもらいました。



宿に帰ると、ヤシの実を目の前で割って、ココナッツジュースを飲むことになったのですが、僕は気分が悪くて、それどころではありませんでした。

ベッドでグロッキーです。

食事もとても摂ることができそうになかったので3人で行ってもらいました。



食事より3人が帰ってくると、ベランダで皆でマッサージをしてもらうことになりました。

ココナッツオイルを身体に塗りたくって、マッサージしてもらうのです。

顔やら足やら頭やら全身ココナッツオイルを塗りこまれました。

僕を担当したマッサージ師さんは一番年配のようで、なかなか味のある顔をしておられました。

僕は勝手に「あだ名は、絶対『ゴッド ハンド』だな…」と思いました。

なかなか気持ちのいいものでした。30分くらいで、たったの120ペソ(240円くらい)!!

後輩Zの肩こりは相当ひどいらしく、僕のマッサージを終えた『ゴッド ハンド』も加わり、二人がかりでマッサージしていました。

僕はその様子を「ホゲー」と見ていたのですが、後輩Zがとても綺麗なのに少なからず驚きました。

マッサージが終わり、ベランダでダラダラしている時に「Zさん、マッサージされている時、とても綺麗でしたよ」と、素直に褒めたらところ

「何、アメリカナイズドされてるの?」と、言われました。

もう、絶対、褒めたらんもんね~!!



それから、ジョングがマイクに前日の僕の酔いぷりっを電話で伝えたところ、「一緒に飲みたい!」と言っているそうで、急遽ミンドロ島に来ることになりました。

僕は、「来てもらっても、もう飲めましぇ~ん」と、思うのみでした。



そして、この日、三半規管がおかしいのが治らないため、夕方までベッドですごしました。

せっかくの旅行を寝て過ごすなんて…


憶えた言葉は…(二日目 夜)

2005-09-01 20:27:42 | フィリピン旅行記
メガネをくわえているのが僕です…



宿でゴロゴロしたのち、晩御飯を食べることになりました。

僕らは、砂浜沿いに店が並び、ビーチにテーブルと椅子が置いてある、なかなか良い感じの場所に陣取ることにしました。

鶏肉、豚肉、ライス、それから、『サン ミゲル』というフィリピンで最も親しまれているビールを注文しました。



料理が来る間、ジョングがずっと「お腹すいた~」と連呼していました。

と、その時、物売りが通りかかりました。

ジョングは物売りを呼びとめ、卵を買いました。

よくよく聞いてみると、それは孵化しかけのアヒルの卵をゆでた『バロット』というものだそうです。

「『美味しんぼ』で見たことがある!僕も、僕も」と、僕の分もお願いしました。

殻を割ったら、くちばしやら羽やら足やらが出てくるのかと思いきや、僕のはまだまだ孵化には遠く、すこし黒くて固い卵でした。

これを食べている時の、後輩Zの拒否っぷりはすごかったです。

近づけるだけで叱られました。



ところで、このミンドロ島では犬が何十匹も放し飼いされており、食事をしているとテーブルに近づいてきます。

追い払っても追い払っても寄ってくるのです。

ジョングが鶏の骨をあげていました。

僕は、「鶏の骨は砕くと先が尖ってしまう可能性があり、犬や猫にあげるとのどや胃を突き破るかもしれないんだよ」と、言おうと思ったのですが、犬も嬉しそうだったので、「ま、いいか」と思いました。

途中、犬と遊んでいたら、軽く咬まれそうになったので、「もう、遊んでやらん!!」と遠くまで追い払ってやりました。



店ではガンガン音楽がかかっており、僕はいつの間にか良い気分になってきました。

ジョングの「踊ろね~」につられて、踊り始めました。

このへん、すでに記憶が曖昧です。

『サン ミゲル』飲んで踊り、踊っては『サン ミゲル』を飲んでいるうちに、今晩もすっかり『ラッシーン』です。



僕はな~にを、とち狂ったのか、座っていた椅子を回したり、頭上に掲げたり、跳び箱のように飛び越えて座ったりして踊ってみました。

そうしたら、何やら、周りの客が僕の方を見ているではありませんか!

お調子者の僕は、さらに、ビーチで片手側転などを立て続けにしました。



「ふ~、もう無理!」と思い、席に戻ろうとすると、見知らぬ観光客(後で聞いたらドイツ人だそうです)が近づいてきて、

「I want to take my picture. One more time plese」と言うではありませんか!

僕は喜んで、側転を3,4回連続でしました。

その後、ドイツの方に握手を求められ、

「What your name?」と名前を尋ねられました。

僕は…


「My name is Minoo…   No!! I am drunker!!!

と答えたのです。

すると、彼は大変納得したような顔をして自分の席に戻っていきました。



僕も席に戻り、『サン ミゲル』で喉を潤します。

その時、隣に座っていた白人男性、フィリピン人男性、フィリピン人?女性の3人組が、「一緒に『ジェンガ』をしよう!」と、言ってきました。

当然、僕らが断るはずがありません!

最初、ジョングと後輩Zと僕が参加していたのですが、奥さんである後輩Sがトイレに行くのでジョングはついて行ったので、二人で参加することになりました。

僕は英語は話せないし、酔っているし…、後輩Zは大変だったろうなぁ…

適当なことを日本語で彼らに話しかけ、それをZさんが一生懸命訳していました…

その時の僕は『玄関の置物』どころか、まさしく『お荷物』状態です!!

『ジェンガ』は思ったよりルールが深く、面白かったです。

後輩Zと相談しつつ、他の人の番を冷やかしつつ、ゲームを楽しみました。

画像はその時のものです。



ゲームの合間、合間にも僕ははしゃぎます…

ジョングや白人男性(オーストラリア人でした)に甘噛みしたり、ジョングと柔道ごっこしてみたり…

ふ~



一緒にジェンガをした方たちとは随分仲良くなったようで、

「明日、一緒にシュノーケルをしよう!」と誘われたそうです。

ジョングが見も知らぬ人達と行動するのは危険と判断したのか、ただ単に都合が合わなかったのか、それは実現しませんでした。

彼らは「See you next night」と言っていたそうです。



そして、宿に帰って、「いざ寝るぞ!」という状態になっていたにも関わらず…

後輩Zが「近所迷惑だから、やめとけ!(殺すぞ!コルァー!)」と言うにも関わらず…

僕は宿のベンチでまたもや『島唄』を唄ったそうです(ジョングは喜んでいたらしい)。




そして…、


翌日気づくのです…


画像で僕がくわえているメガネが無い、ってことに…



憶えた言葉は…(二日目 昼)

2005-08-31 22:19:42 | フィリピン旅行記
朝、起床してミンドロ島に向かう準備を行います。

ここで驚いたのは同部屋の後輩Z!

低血圧らしく、起きてから、なかなか動くことができないそうです。

大変やなぁ、と思いました。



乗り合いタクシーに乗りフェリー乗り場行きのバス乗り場に向かいます。

この乗り合いタクシーですが、もう、とにかく派手!

長距離トラックよりも断然派手!乗るのが何となくウキウキします。



バスに乗り込むと、マイクとはここでお別れです。

彼は今日も仕事があるそうです。

名残惜しそうでした…



フェリー乗り場まで2時間半くらいでしたが、このバスの中、とにかく寒い!!

僕は厚手のカーディガンを持っていたので、まだしも、後輩Zはありとあらゆるものを被り、最後にはバスのカーテンをひっぺがし、被っていました。

ちなみに後輩Sは新聞紙を被っていたそうです。

そんな中、ジョングはタンクトップ一丁! 他の乗客も皆薄着!どうなっとんな?彼らの身体は…

ジョングはバスを降りて、「日本人、どうして寒い?」と言ってました。

「知るか!!寒いもんは寒いんじゃ!!」

とは言えない、気弱な僕…



さてさて、フェリー乗り場で1時間程待ったのち、フェリーに乗り込みます。

と、言うより、大きなボートでしたけど…

その大きなボートに乗って、出発までの間、海辺の子供たちが

「マネー!!マネー!!」と物乞いに来ます。

彼らは、それでも笑顔をこぼしており、希望が見え隠れしていました。



しかし、僕の正面で手を差し出している女性の姿には希望は見られませんでした。

差し出した手を宙に浮かせることも億劫なのか、手をボートの縁に置き、こちらをずっと見ているのです。

その眼にあるのは、無気力なのか、何も渡さない僕らへの恨みなのか、僕には判断できませんでしたが、眼を見つめ返すことは不可能でした。

もしかしたら、生まれてから一番『絶望』というものに近づいた時間かもしれません。

忘れようにも、忘れられない眼でした…



さらに、ボートで一時間弱ほど移動すると、とうとうミンドロ島に到着しました。

物売りの数が半端じゃありません。

声をかけられる度に「NO!」と断りました。



島に到着するなり、ジョングが宿を取りに行ってくれました

その間に撮影したのが画像です。後輩Sの後姿のようです。

宿はフィリピン風のバンガローというかコテージというか、ベランダにベンチもついており、大変雰囲気の良い宿でした。

しかも、ベッドの広いこと、広いこと!斜めに十分寝れました。



食事の後、バナナボートに挑戦してみました。

品川庄治がCMでやっているアレですよ。 

僕らは、いまいち、バナナボートが何たるかを、知らないままに乗ってしまいました。

5人乗りでしたので、一人は見知らぬ黒人の少年が相乗りすることになりました。

まず、乗るのに一苦労です。バランスを考えないと、すぐひっくり返ってしまいます。

まず最初に、一番身体の大きいジョングが乗り、腕の力だけで上れる僕が次に乗り、レディファーストで女性を二人で引き上げ、最後に少年を引き上げます。

そして、ボートで引っ張ってもらいます。

とたんに、

どっぽ~ん!!

どうやら、バランスを崩すバナナ型のボートを乗っている人が体重移動をすることによって、ひっくり返らないようにするスポーツのようです。

理屈がわかるも、実際には難しく、「あっ」と、いう間に2回転覆。

3回目の転覆では後輩Zが顔から僕の頭にぶつかってしまい、唇が赤く腫れてしまいました。

そこで、女性はバナナボートを引っ張っているボートに乗ってもらい、男3人でトライしました。

男3人でやってみて、わかったことはバランスがどう移動しているか一番良く見える者(先頭?)がどちらに体重移動すればいいのか大声で指示する必要があるということ。

転覆しそうになるボートを自分の体重移動で押さえ込むのです!!

気分はすっかり『モンキーターン』です。


「ここだ!!ここでVモンキーだ!!」


おっと、失礼。取り乱してしまいました…

3人でやると、なかなかに長持ちし、楽しかったです。

少年も人懐こい笑顔を見せていました。

その後、ジョングと僕は少し泳ぎました。



この合間、合間にジョングは僕らに手首につける飾りや足につけるミサンガ?みたいのをプレゼントしてくれました。

まるで、お兄ちゃんのようだ…



僕らも宿に帰り、シャワーを浴びたり(ここは水しか出ません!!)、洗濯したり、ゴロゴロしたりしました。

僕は近くに寄って来た猫にクラッカーをあげて、喜んでいました!

本当に平和なひと時でした。



そんな中、マイクがこちらに来たい、と言っているとジョングが言っています。

どうやら、ジョングがマイクを煽っているようです。

後輩Zも心配そうにしており、同じシャイボーイの僕としても無用な期待は酷である、と判断しました。

後輩Sにジョングに後輩Zはマイクに友人感情以上のものは持っていないことを伝えてもらい、マイクにもそう伝えるように依頼しました。

マイクは来るのを取りやめました。

「ふむ、辛いなぁ…」と思う27歳独身彼女なしでした…




人のことより、自分の心配ですよ!!


憶えた言葉は…(初日 夜)

2005-08-31 20:09:53 | フィリピン旅行記
昨日に引き続きフィリピン旅行記を…



ホテルで一休みし、翌日よりミンドロ島という観光地に行く予定になっているので、サンダルや海に入るための服を買いに『ロビンソン』というショッピングセンターに行きました。

『ロビンソン』は歩いて行ける距離だったので、歩いて行ったのですが、ゴミゴミしている道路、道端で平気で寝ている人、ガンガン走る車、全く気が抜けません。

『ロビンソン』の前の道に、母子と思しき3歳くらいの女の子と1歳くらいの子供を抱いた女性の物乞いがいました。

女の子は動き回り、手を差し出します。お母さんは座って、何も言わずに手だけを差し出していました。

気力というものが感じられませんでした…



『ロビンソン』内で必要な衣服、食料、水などを買い込みました。

日本人が珍しいのか、僕が靴を試着していたら、7人ぐらいの店員さんが囲んで見ていました…

「おらぁ!俺は動物園のパンダやコアラじゃないんぞ!!」と、心の中で密かに思う僕でした。



買い物後、『ロビンソン』内で食事を摂ることになりました。

いろいろな店があり、好きなものが選べました。当然、フィリピン料理を注文します。

さらに、ここで仲間が一人増えます。

ジョングの友人であるマイク(男性)が参加することになりました。

彼は来年より日本の富山で働くことが決定しているので、日本人が来ると聞いて参加したくなったのだと思います。

ドラクエⅡだったら、ここでBGMが…

フィリピン料理は変わった味がしました。(僕の主観です。)

さらに、飲み物が甘い!!砂糖が必ず入っているんです。

画像はデザートに食べたココナッツの器の中にフルーツをブッ込んだものです。

本当のナタデココは硬いんだな、想像以上に…



食事も終わり、宿へ帰ることになりました。

帰りの道のりで、行きで見た母子の物乞いが全く同じ状況、状態でいました。

「お母さんの方はきっと一歩も動いていないのだろうなぁ…」と思うと、やるせない気持ちになりました。

帰りの道のり状況ですが、基本的に後輩Sとジョングは手をつないで歩きます。英語が話せない僕はマイクと話するには誰かを間に挟まなくてはなりません。そうすると、3列になるので危ないので「えい!面倒臭い!」と、一人で歩きます。

そんな僕をジョングは何回も振り返り、「ダイジョウブね~?」と尋ねます。

「大丈夫ですよ…、そんなに気を遣わないでくださいな」と、僕は心の中で思います。



宿に着き、「どこかに飲みに行こう!」という話でしたが、宿の庭にテーブルがあり、とても気持ち良い風が吹いていたので、「ここで飲もう!」と提案しました。

ビールを1リットルくらいのを3本くらい買って、飲み始めました。

フィリピン流はビールに氷を入れるのです。

ここで、日本に滞在していたジョングがいらん日本語を憶えており、たびたび口にします。

「乾杯~」

この言葉のもとにグラスを「チン!」とされると飲み干さなくてはいけないような気がしてきます。



この場所はひどく気持ち良く、お酒がすすみました。

このへんから、僕は怪しくなってきます。

話題も盛り上がり、それぞれの好きな歌を唄おう!ということになりました。

僕が一番手で『島唄』を唄いました。ZさんとSさんは森山直太郎さんの『さくら』、ジョングは英語の歌、マイクも英語の歌を軽く唄いました。

この異国の地で日本語で唄う、という行為を僕はいたく気にいりました。



そのうち、ジョングがマイクが内気で彼女もいないんだよ、と話してくれました。

マイクは、決まり悪そうにジョングが話すのを聞いています。

その時、僕は言いました。


「me too!」


さらに、ジョングはマイクは3年間彼女がいないんだよ、と話してくれました。

すかさず、僕は言いました。

「me too!! Three years no girl friends!!」

そして、マイクとガッチリと握手をしたのです。



ジョングとマイクがいない時に、ZとSに「ジョングとマイクって、俺とたつおさんの関係に似てない?もて具合が…」と言うと、

Zさんが困り顔で後輩Sの顔を見たところ、Sは

「『うん!』って、言ったら可哀想だから何も言わない」と明るくのたまいました。

後輩Sよ…、いつか、しばく…



この頃には僕はすっかり出来上がっていました。

僕は「酔っ払いはタガログ語で何て言うの?」と尋ねました。

すると、『ラッシーン』と教えてくれました。

僕は「アイ アム ラッシング!!」と何度ものたまいました。



気分の良くなった僕達は海沿いのお酒を飲むことができる場所に移動しました。

ここでは、のんびり飲みました。

飲んでいると、花売りが通りがかり、声をかけてきます。

ジョングは奥さんに、マイクは後輩Zに花をプレゼントしました。

この少し前から、僕は「おんや?」と思っていたのですが、この時、確信に変わりました。

3年彼女のいないシャイボーイはどうやらZさんに好意を寄せているようです。

知らん振りして、時を過ごし、夜遅くなったので宿(ちなみ代金は二人部屋で2千ペソ、一人当たり千ペソで二千円くらい)に帰りました。

温かいシャワーを浴び、床に就くと気持ちよく眠れました。


憶えた言葉は…(初日 昼)

2005-08-30 22:41:40 | フィリピン旅行記
フィリピン行って来ました!!

いや~、初海外は思い出深いものとなりました。

そもそも、「なぜゆえにフィリピン?」と思われたのではないでしょうか?

それは、後輩S(女性)が少数民族支援のNGOに所属しており2年間フィリピン東部地方にて活動を行い、その期間に現地の方と結婚をしたことにあります。

つまり、後輩Sより「案内するから遊びに来て」というお誘いを受けたのです。

最終的にフィリピンに行くことになったのは、僕と後輩Z(女性)の二人です。

後輩Zは海外経験が豊富なため、何もかも初心者(飛行機に乗るのも2回目!)の僕としては安心です。



まずは、関西空港の大きさに驚きます。僕の感想は

「映画の『ターミナル』みてぇ…」

よくよく考えれば、本当に「ターミナル」なんだから、当たり前なんですけどね…

搭乗手続きは後輩Zにまかせっきり!

Zさん、ふがいない先輩でごめんなさい…



飛行機が飛んでいるのを見て、改めて

「何で、あんな重そうな物が飛ぶんだ?」と、思いました。

さて、実際に自分たちが飛行機に乗り込みます。

幸運なことに窓際の席を選択することができ、窓より空を楽しみました。

青空が綺麗でした…

雲の中に入れば、「ラピュタ?ラピュタ?」とはしゃぎました。

機内食に舌鼓を打ち、僕はビール、Zさんは白ワインを楽しみました。

真昼間より酒を飲むなんて…、「ああ、休日なんだなぁ、今日は…」としみじみと感じました。



4時間程のフライトでとうとうフィリピンに到着しました。

マニラ空港ではいちいち警備員が行く手を遮り、パスポート提示を求めて来ます。

その警備員でさえ、悪者のように見えるのです。(少なくとも、愛想はない)

そんな中でしたが、空港の出口で後輩Sが旦那さんと迎えに来てくれている予定でしたので気楽に考えていました。

ところが、空港の出口と思しき場所を出ても、彼らの姿が見えないのです。

「これはおかしいぞ」と空港内、周辺を歩き回ってみますが、彼らは見つかりません。

当然、歩き回る間、警備員にいちいち遮られますし、「ジャパニーズ?どこ行くね?」みたいな怪しげな声掛けをしてくる者がたくさんいます。

僕らの携帯電話は使えないため、後輩Sに電話はかけられません。

しかたないので、両替所で千円だけ両替を行い、公衆電話で電話をかけることになりました。

両替したのも、Zさん。公衆電話用のカードを買ったのも、Zさん。ダイヤルが上手くいかなかったので売店のお姉さんにダイヤルしてもらうように交渉したのも、Zさん。

この間、僕は玄関に飾ってある置物よりも役に立っておりません!

そして、ようやく後輩Sにつながり、指示されたように移動したところ…

いました!いました!見覚えのある女性と身長180cmは確実にある男性が!

ドラクエⅡだったら、ここでBGMが流れます。



そこでお互い自己紹介を行いました。

後輩Sの旦那さんはジョングと呼んでくれ、とのことでした。

その場には、ジョングのおじさん、おばさん達も車で迎えに来てくれていました。

その車に乗り込み、まず宿に向かうことになりました。

ジョングは日本に6ヶ月ほど滞在していたこともあり、日本語が話せました。

車の中で今後の予定や言葉について話をしました。

話をしながら、外の風景を眺めましたが、やはり雑然としております。

さらに信号がありません!車線もあるのか?

『追い抜き、追い越し、幅寄せ、何でもござれ!無いのは、マナーだけ!』と、ついついキャッチフレーズを作ってしまいそうになります。

後輩Z談「フィリピンで運転できるようになるには10年かかる、って聞いたことがある」とのことです。

僕は、運転については日本でも自信ないのに…

そんな話をしていると、突然、現地の子供が走行している僕らの車に取り付いて、何事か言っております。

ジョングが何事か言うと、彼は車を飛び降りて、どこかへ言ってしまいました。

彼は物乞でした。彼らは、お金をあげると酒や麻薬を買ってしまうので絶対にお金をあげてはいけないそうです。

そういえば、西原理恵子さんのマンガにも同じような記述があって、お金をあげても親に取り上げられてしまうので飴やチョコをあげるようにしている、というようなものでした。

宿にたどり着き、ジョングのおじさん、おばさん達にタガログ語(フィリピンの公用語はタガログ語と英語)で日本語の「ありがとうございます」を意味する『サラマッ ポ』とお礼を言いました。



宿で僕達が少し休んでいる間、ジョングは両替(フィリピンの通貨はペソ)に行きました。

日本人を両替所に連れていくと、ボッたくられるし、物盗りに狙われて危険なので、ジョング一人で行く方が都合がいいそうです。

さらに、両替所以外でも日本人がお金を扱うとボラれてしまうので、ホテル代、食事代、移動費などの支払いはジョングが全てしてくれることになりました。

「それ程、気を遣う必要があるのだなぁ、日本とはやはり違うなぁ」としみじみと感じました。

僕と後輩Zは現金4万円ずつジョングに渡し、約2万ペソに両替してもらい、5千ペソはお土産代などを含む、個人のお小遣い。1万5千ペソはジョングに管理してもらうようにしました。

このようにして、初日の昼は「あっ!」という間に過ぎたのです。