創造の循環と収奪の循環

2012-02-14 22:59:22 | 価値向上
もう何度ここでお伝えしたか覚えていないほど、繰り返しお伝えしていますが、
「価値収奪ではなく、価値創造の循環を生み出そう。」
これは、社会人になって2年経たないながらも、私が理想としていることです。また、
「新たな価値、期待以上の価値を生み出すことが、みんなの喜びが増える世界の実現につながる。」
とも考えています。そして、その都度、日本が国家、国民として歩んできた歴史に触れることもしてきました。

では、具体的に、価値創造の循環を生み出し、人の喜びを増やすためには、どうしたらいいか?

何らかのミッションがお客や会社から課せられている状況を仮定しますと、少なくとも、出されたミッションをそっくりそのまま、淡々と実行するだけでは、これは実現できません。一歩踏み込んだ、+αの価値を生み出すことをしなければ、先方にとっては、
「あ、コレ頼んだらコレくれた。」
の1ステップでおしまい。
「あ、コレ頼んだら、こんなにスゴイのくれた!ありがとう!」
という、感動を与えなければ、先方の喜びを増やすことはできません。

こういうことが常態化するコミュニティをつくるには、
・「相手は何が欲しいか?」ミッションの本質を見抜く
・「ありがとう」と常に言う
こういう姿勢が必要です。こうした自助努力が積み重なって、「喜びが増える」世界が出来上がっていきます。このあたりも、常々お伝えしていることで、詳述すると「くだを巻く」状態になるのでよしておきます。

では、創造の循環とは反対の、収奪の循環が起きるコミュニティというのは、一体どのような状況なのでしょうか?

私は、「価値収奪」コミュニティには以下のような特徴があると考えています。
・「ありがたい」の心がない
・差し出すものより、受け取るものに目がいく
・新規の価値創造より、既存の価値分配が優先される
ここでいう「価値の分配」とは、例えるならイス取りゲームのようなもの。メンバー一人ひとりが新たに価値を生み出す活動をするのではなくて、あらかじめ席の数が決まっていて、これをメンバー総出で取り合うということ。その過程では、足の引っ張り合いも行われます。

…と、ここまで書いて、私はふと思いました。
「まさに、崩壊した旧共産主義国家ってこうだったんじゃないか?」
と。共産主義国家では、国民の資産はすべて政府のものとなり、基本的には均等に国民に分配されていきます。そのような中でも、「文明の味」を知ってしまった限りにおいて、人は自らの取り分を最大化したがるもので、「分配」社会においてその欲望を実現するためには、敵対する人物を抹殺しなければなりません。それゆえ、隣人同士がお互いを疑い、互いに足を引っ張り合いました。密告が行われ、スパイや殺し屋も使われました。スターリンなどは、その最たる例です。

このようなコミュニティが、健全で幸せだと思いますか?

そこで!読者の皆さんに、以下のような提案をしたいと思います。

(1)私を含む、若手社会人の皆さん
小記事をお読みになった方、与えられたものをただこなすのではなく、ミッションの本質をつかみ、先方からの要望以上のものを提供することを心がけていきましょう。目先の利益を切り捨ててでも。

(2)会社経営者を含む、組織の上部にあられる方
小記事をお読みになった方があれば、ぜひとも「ありがとう」の一言と、「新規の価値創造」によって喜びが増える世界の実現を目標に据えていただきたいと思います。また、最近「ありがとう」と言った回数が減った、または、ご自身の組織運営が「既存の価値分配」に傾いているとの自覚が少しでもおありの方があれば、その傾向は速やかに修正していただきたいと思います。

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