さて、3日間「時間の価値」シリーズの連載を中断してしまいましたが、今回再開いたします。
ここまでにお話ししたことは、
(1)時間財産は、一人ひとり固有のもので、所有者一人ひとりが自由に使う権利がある。と同時に、保有量が限られ、失うと二度と取り戻せないという性質を持つ。
(2)外部からの際限なき時間要求によって貴重な時間を奪われないようにするためには、自分の好きなものに徹底的にこだわりを持って時間を投下し、「私は暇ではない。」というアピールをするとよい。
以上の2点でありました。
ここまでは、「私達自身の時間財産」に関するお話でしたが、今回は、「他者の時間財産」についてお話ししたいと思います。
上に述べました通り、私達一人ひとりが手にした時間財産は、私達固有のもの。私が私の時間を自由に使う権利がある以上、他人にもその権利が同等に認められなければなりません。ですが、私達自身が身をもって体感しています通り、日夜ひっきりなしにかかってくる電話やメール、急な臨時業務などなど、私達の時間を自由に使わせてくれない要因は、数限りなくあるわけです。こういった存在は、たまらなく迷惑ですよね。であれば、私達自身がそういう存在にならないように注意しなければなりません。特に、電話やメールで連絡をよこすとき。私達が一番軽く考えがちなところなので、強調しておきます。
世の中には、星の数ほどのお客さんを抱え、日夜奮闘されている超一流ビジネスパーソンの方々や、逆にお客さんが少なかったとしても、そのお客さんと密接な関係を築き、お互いにとってWIN-WINの関係性を維持して、平穏なライフスタイルと一定の収益を両立しておられる方もいるわけです。そのような方々に対して、安易に電話やメールをよこしたり、あるいはその電話やメールに対して早期の対応を求めるような、あるいは早期に対応して当然というような態度をとったらどうでしょう。そういった連絡をよこす側にとっては、一定の目的または理由があってそのような態度をとることになろうかと思われますが、連絡を受けた側はたまったものではないでしょう。折角の平穏な時間、あるいは少なくないお客さんとの関係性を維持するための時間を、思わぬ形で奪われることになるのですから。
以上のような例はなかなか多数派とはいえないかもしれませんが、仮にそんな「スーパービジネスパーソン」でなかったとしても、もし仮にあなたがこうして
「メールを返せ!電話を折り返せ!とっとと返せ!返すのが当然だ!」
「この仕事を、やってくれ!やらないのはおかしい!」
なんて言われたら、それは返したくor受けたくなくなるというのが本音ですよね。であれば、そんな態度で電話やメールで連絡をよこしたり、何かをお願いするということは、間違ってもしてはいけません。むしろ、少しでも対応がとられた時点で、それをありがたいことと捉えるべきなのです。
「あなたがされて嫌なことは、人にしてはいけません。」
これは、ユダヤ教やキリスト教の経典にもいわれている「世界的に有名な」道徳律です。そして私達も、幼少のころからずっとこのことを「社会倫理の基本」として教育されてきているはずです。ところが、社会人になると、どうもこのあたりの感覚がマヒしてくる人が少なくないようです。特に、社内・社外の上下関係がからんで、そのなかで上の立場についた方にありがちな傾向であるように思います。しかし、そのような方こそ、こういった基本的な道徳、倫理を忘れてはならないのではないでしょうか。
というわけで、
「電話やメールで連絡をよこしたり、何かをお願いするときには、くれぐれも相手の時間価値を考慮し、一定の対応をとっていただけるだけでもありがたいことと捉えなければならない。間違っても対応をせかすということはしてはならないし、まして早い対応を当然のように捉えてはならない。」
と結論づけておきます。
ここまでにお話ししたことは、
(1)時間財産は、一人ひとり固有のもので、所有者一人ひとりが自由に使う権利がある。と同時に、保有量が限られ、失うと二度と取り戻せないという性質を持つ。
(2)外部からの際限なき時間要求によって貴重な時間を奪われないようにするためには、自分の好きなものに徹底的にこだわりを持って時間を投下し、「私は暇ではない。」というアピールをするとよい。
以上の2点でありました。
ここまでは、「私達自身の時間財産」に関するお話でしたが、今回は、「他者の時間財産」についてお話ししたいと思います。
上に述べました通り、私達一人ひとりが手にした時間財産は、私達固有のもの。私が私の時間を自由に使う権利がある以上、他人にもその権利が同等に認められなければなりません。ですが、私達自身が身をもって体感しています通り、日夜ひっきりなしにかかってくる電話やメール、急な臨時業務などなど、私達の時間を自由に使わせてくれない要因は、数限りなくあるわけです。こういった存在は、たまらなく迷惑ですよね。であれば、私達自身がそういう存在にならないように注意しなければなりません。特に、電話やメールで連絡をよこすとき。私達が一番軽く考えがちなところなので、強調しておきます。
世の中には、星の数ほどのお客さんを抱え、日夜奮闘されている超一流ビジネスパーソンの方々や、逆にお客さんが少なかったとしても、そのお客さんと密接な関係を築き、お互いにとってWIN-WINの関係性を維持して、平穏なライフスタイルと一定の収益を両立しておられる方もいるわけです。そのような方々に対して、安易に電話やメールをよこしたり、あるいはその電話やメールに対して早期の対応を求めるような、あるいは早期に対応して当然というような態度をとったらどうでしょう。そういった連絡をよこす側にとっては、一定の目的または理由があってそのような態度をとることになろうかと思われますが、連絡を受けた側はたまったものではないでしょう。折角の平穏な時間、あるいは少なくないお客さんとの関係性を維持するための時間を、思わぬ形で奪われることになるのですから。
以上のような例はなかなか多数派とはいえないかもしれませんが、仮にそんな「スーパービジネスパーソン」でなかったとしても、もし仮にあなたがこうして
「メールを返せ!電話を折り返せ!とっとと返せ!返すのが当然だ!」
「この仕事を、やってくれ!やらないのはおかしい!」
なんて言われたら、それは返したくor受けたくなくなるというのが本音ですよね。であれば、そんな態度で電話やメールで連絡をよこしたり、何かをお願いするということは、間違ってもしてはいけません。むしろ、少しでも対応がとられた時点で、それをありがたいことと捉えるべきなのです。
「あなたがされて嫌なことは、人にしてはいけません。」
これは、ユダヤ教やキリスト教の経典にもいわれている「世界的に有名な」道徳律です。そして私達も、幼少のころからずっとこのことを「社会倫理の基本」として教育されてきているはずです。ところが、社会人になると、どうもこのあたりの感覚がマヒしてくる人が少なくないようです。特に、社内・社外の上下関係がからんで、そのなかで上の立場についた方にありがちな傾向であるように思います。しかし、そのような方こそ、こういった基本的な道徳、倫理を忘れてはならないのではないでしょうか。
というわけで、
「電話やメールで連絡をよこしたり、何かをお願いするときには、くれぐれも相手の時間価値を考慮し、一定の対応をとっていただけるだけでもありがたいことと捉えなければならない。間違っても対応をせかすということはしてはならないし、まして早い対応を当然のように捉えてはならない。」
と結論づけておきます。