電話やメールを軽く考えるな!

2011-11-05 11:23:24 | 関係性
さて、3日間「時間の価値」シリーズの連載を中断してしまいましたが、今回再開いたします。

ここまでにお話ししたことは、
(1)時間財産は、一人ひとり固有のもので、所有者一人ひとりが自由に使う権利がある。と同時に、保有量が限られ、失うと二度と取り戻せないという性質を持つ。
(2)外部からの際限なき時間要求によって貴重な時間を奪われないようにするためには、自分の好きなものに徹底的にこだわりを持って時間を投下し、「私は暇ではない。」というアピールをするとよい。
以上の2点でありました。
ここまでは、「私達自身の時間財産」に関するお話でしたが、今回は、「他者の時間財産」についてお話ししたいと思います。

上に述べました通り、私達一人ひとりが手にした時間財産は、私達固有のもの。私が私の時間を自由に使う権利がある以上、他人にもその権利が同等に認められなければなりません。ですが、私達自身が身をもって体感しています通り、日夜ひっきりなしにかかってくる電話やメール、急な臨時業務などなど、私達の時間を自由に使わせてくれない要因は、数限りなくあるわけです。こういった存在は、たまらなく迷惑ですよね。であれば、私達自身がそういう存在にならないように注意しなければなりません。特に、電話やメールで連絡をよこすとき。私達が一番軽く考えがちなところなので、強調しておきます。

世の中には、星の数ほどのお客さんを抱え、日夜奮闘されている超一流ビジネスパーソンの方々や、逆にお客さんが少なかったとしても、そのお客さんと密接な関係を築き、お互いにとってWIN-WINの関係性を維持して、平穏なライフスタイルと一定の収益を両立しておられる方もいるわけです。そのような方々に対して、安易に電話やメールをよこしたり、あるいはその電話やメールに対して早期の対応を求めるような、あるいは早期に対応して当然というような態度をとったらどうでしょう。そういった連絡をよこす側にとっては、一定の目的または理由があってそのような態度をとることになろうかと思われますが、連絡を受けた側はたまったものではないでしょう。折角の平穏な時間、あるいは少なくないお客さんとの関係性を維持するための時間を、思わぬ形で奪われることになるのですから。

以上のような例はなかなか多数派とはいえないかもしれませんが、仮にそんな「スーパービジネスパーソン」でなかったとしても、もし仮にあなたがこうして
「メールを返せ!電話を折り返せ!とっとと返せ!返すのが当然だ!」
「この仕事を、やってくれ!やらないのはおかしい!」
なんて言われたら、それは返したくor受けたくなくなるというのが本音ですよね。であれば、そんな態度で電話やメールで連絡をよこしたり、何かをお願いするということは、間違ってもしてはいけません。むしろ、少しでも対応がとられた時点で、それをありがたいことと捉えるべきなのです。

「あなたがされて嫌なことは、人にしてはいけません。」
これは、ユダヤ教やキリスト教の経典にもいわれている「世界的に有名な」道徳律です。そして私達も、幼少のころからずっとこのことを「社会倫理の基本」として教育されてきているはずです。ところが、社会人になると、どうもこのあたりの感覚がマヒしてくる人が少なくないようです。特に、社内・社外の上下関係がからんで、そのなかで上の立場についた方にありがちな傾向であるように思います。しかし、そのような方こそ、こういった基本的な道徳、倫理を忘れてはならないのではないでしょうか。

というわけで、
「電話やメールで連絡をよこしたり、何かをお願いするときには、くれぐれも相手の時間価値を考慮し、一定の対応をとっていただけるだけでもありがたいことと捉えなければならない。間違っても対応をせかすということはしてはならないし、まして早い対応を当然のように捉えてはならない。」
と結論づけておきます。

結婚間近の友人

2011-09-05 23:47:45 | 関係性
私の友人で、もうすぐ結婚するという人(女・26)がいます。

私は、この話をTGC会場にいるときに本人からメールで知らされました。そして私は、あわてふためくこともなく、
「何かお役に立てないか?」
と。まだ式も挙げておらず、招待状も届いていない状況で、3分ほど考えた末に出した結論は、「ウェディング関連の雑誌を送ろう。」というもの。私はリサーチ業務で毎月60冊以上の雑誌に目を通しており、その中にはウェディング関連の特集や別冊付録、増刊号もあったので、バックナンバーの取り扱いが豊富な近所の書店で集めて彼女に送ることを考えています。これが少しでも彼女の役に立つのなら…と思い、どうやって渡すかを急いで決めなければいけないということで、電話で連絡をとろうとしましたが、一向に相手が出ない!折角の提案なのに、これでは門前払いで流れてしまう!

…という、非常に面倒な状況に陥っております。どしたらええねん!

同僚から雑誌を譲ってもらいました

2011-08-24 00:20:55 | 関係性
私の勤務する会社では、複数のメンバーがそれぞれの取引先のミッションをこなしており、それぞれが取引先から割り当てられた雑誌に目を通して必要な掲載データを収集しているのですが、その中には雑誌が余ってしまう業務もあります。

このたび、とある同僚から、「雑誌が大量に余って、処分するのはもったいないから、欲しければあげようか。」とのお声が。それだけでもお得な話なのですが、さらにその雑誌というのが!毎月720円出して私が愛読している「Ray」だったのです!

ここで私が思ったのは、これは、ひとえに「Ray」を毎月読んでます、赤文字雑誌を愛読してます、と日頃から周りに話してきたがゆえのことではないかと。対外的に発信することがもたらす利益の大きさを、いやが上にも実感させられました。

さあ、どうお返しをしようか?

トモダチプラン

2011-08-21 13:55:08 | 関係性
昨日の記事で、
「お金儲けだけを目的に起業した人は、方向性を見失って失敗することが多い。」
ということを書きましたが、このことは、よく考えると、「あの超巨大企業」が身を持って証明してくれていることのように思われます。その「超巨大企業」とは、フジテレビ。吉本系列とつながりが深いことから、レベルの高いお笑い番組を東京キー局で最も多く、長期にわたり放送し続けている、エンタメの殿堂です。
このフジテレビの事業がなぜ「お金儲けばかりに走っている。」といえるのかというと、
「CM収益が減ったために韓国番組の版権ビジネスに手を出し、コリアンコンテンツばかりを優先的に放送した結果、違和感を持ち始めた視聴者の怒りを買っている。」
という状況があるから。

もっとも、コリアンコンテンツが優先的に取り上げられている状況については、フジテレビに限ったものではなく、また広告会社やPR会社への宣伝フィーなど種々の経緯があってこのような状況ができあがっているのですが、説明がとても面倒なので、ここでは取り上げないことにします。

それよりも、ビジネスとして問題なのは、テレビ局が「人々に情報を提供し、喜んでもらう。」という本来の事業目的を忘れて、CMやPRでの収益を優先していることではないかと思うのです。私が思うに、テレビ局の本来のお客さんは、番組を見てくれる視聴者なのですが、CMで収益を得るようになると、より直接にお金を出してくれる広告主や広告会社、PR会社が「より大切なお客さん」という風になってしまい、番組を楽しみにしている視聴者は二の次、三の次にされてしまう。事業の目的も本来価値を与えるべきお客さんも忘れてしまったビジネスにお金を出そうと思う人は、そう多くないですよね。

私達社会人も、このフジテレビのあり方を「他山の石」として、いちど「収益を増やそう、そのためにお客さんを増やそう。」と奔走するのをやめてみて、
「本来誰のためにやる商売なのか?」
「どんな人とならお互いに楽しくやっていけるか?」
を検討しなければいけませんね。

ちなみに、私の場合、「お客さん」としたいと思う人は、あえてその条件を示すとしたらこんな感じ。ハッキリ言って、最後の1つを除いて「私が持ち合わせていないもの」ばかりでありますので、「お前が言えたものか!」とツッコまれることは承知です。(笑)
(1)好奇心旺盛で、お互いの価値を高めあっていける方。
(2)いつまでも若い心を持ち続けておられる方。
(3)素直に「ありがとう」が言える方。
(4)そして、できれば「赤文字雑誌」読者の世代の方(汗)

ここまでくると、「お客さん」は「お客さん」というよりも「友達」のような関係性になっていくのかもしれません。しかし、お金が原因で簡単に切れてしまうリスクのある付き合いを、続ける意味なんてあるのでしょうか。お金で途切れることのない、お互いの価値観だとか方向性だとかいったものを共有できる関係性こそが、永続する関係性であり、そのような関係性のなかでこそ、私達の商売は回っていくものと思っています。


ものを頼むとはどういうことなのか、よく考えろ!

2011-08-16 23:23:01 | 関係性
ハイ、本日はのっけから口調がキツイです。それもそのはず、取引先から「雑誌160冊、1週間で調べて、掲載商品のデータを下さい。」なんていうミッションがきてしまったというのですから。そして、お盆休みをとっていた私に、上司から「人手が足りないから、明日から出てきてほしい。土日までかかるかもしれないのでそのつもりで」と。

ハッキリ言って、(取引先も上司もそうですが)あまりにもものの頼み方が軽々しすぎる。私はまっとうな手続きを経て、制度として認められたお休みを頂いている最中なのに、そういう人間に対してこんな態度でものを頼む人間がどこにおるかと。

そもそも、人にものを頼む、お願いするということは、先方の持っている大切な大切な時間を、自分のために割いてもらうということ。先方にも先方の人生があり、時間を自由に所有し処分する権利がある以上、人にお願いなんて軽々しくするものではありません。

もちろん、私も以前は「お願いする」ということを、上記のように軽く考えていた節があり、いまでも下手をすると無意識に「軽いお願い」をしているかもしれず、このようなことを大きな顔をして言えた立場でないことは、重々承知していますが、こういう態度で人にお願いをする人というのは、往々にして「自分がそういうお願いをされたらどう思うか?」と考えてみたことはないんだろうなぁ…と、つくづく思います。

さらにいえば、軽いお願いというものは、「○○してもらって当然。」という認識が背景にあってのことと思われますので、ここから平成進化論でいうところの「くれくれ星人」につながっていきます。「くれくれ星人」は、以前取り上げた「喜びの循環」をぶった切ってしまう社会悪。出来うる限り、利益を与えないことが賢明なわけですが、そういう人ほど身近にいたり、重要な取引相手にいたりして、関係を断ち切ることが難しい。本当に厄介な存在ですよね。

私たち一人ひとりの手で、この「くれくれ星人」を懲らしめ、健全な喜びの循環を再生していく方法があれば…と強く感じました。そして、この「くれくれ星人」による無尽蔵の要求から自由になるために、身を置く環境を改める行動を、いよいよ明日から本格的に実践していこうと思います。